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第二章

2. 側近たちの想い

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 どうにもこうにも、エリックは気分の底上げを図れずにいた。 

 宿舎に帰宅し直行した食堂でも、いつもなら誰かと会話を楽しみながら掻きこむ夕食だが、今夜は黙々と機械的に口へ運んだ。

 途中、同僚から具合が悪いのかと心配された時には、流石に切り替えて本来の調子で軽口を叩きあったが、憂さ晴らしにはならず、依然としてモヤモヤする胸の収まりは悪い。

 与えられている一人部屋に戻っても取り立ててやることはなく、となると行き着くのは、答えなど出るはずのない思考ばかりが頭の中を埋め尽くす。
 帰り際のクリストフェルとの会話が、完全に尾を引いている。

「姫さんが、あんなこと言うかなぁ」

 クリスティーナと出会ってまだ日は浅いが、一瞬にしてその人柄に惹かれた。

 クリストフェルが心配するような、下心有りきの「惹かれた」では勿論ない。異性という枠でくくるには畏れ多く、断じて不純なものではない純粋な憧れだ。

 王族なのに気さくで、気取ったところが全くなくて。クリストフェルも王族でありながら、下の者を見下すことなく尊敬出来る人物だが、クリスティーナは一段と砕けていて、自分たちとの垣根など存在しないような振る舞いだ。それが、下の者たちからすれば、身に余るも素直に嬉しかった。

 極めつけは帰る時になってだ。
『ありがとう』と、エリック達に向かって頭を下げたのだ。

 貴族の者たちですら下の者に頭を下げたりはしないのに、王女であるクリスティーナは、何の躊躇いもなく礼を述べた。

 これには驚愕と共に、その器のデカさに完璧にエリックの心は撃ち抜かれたのである。

 それだけじゃない。クリスティーナからお礼を言われたのは、別の機会にも訪れた。

 国に戻された文官からの逆恨みはないかと、クリスティーナに会いに行った時にも、『心配してくれてありがとう』と言われたのだ。

『姫さんは、俺ごときに礼なんて言わないでいいんすよ』

 エリックが返せば、

『人として当然の行為よ。礼儀も忘れた自尊心なんて、生ゴミと一緒に捨てるべきものだわ』

 と、こうである。

 だからこそだ。
 こんなことをてらいなく言えてしまう人だからこそ、噂の原因となったクリスティーナの発言は、少なからずエリックに衝撃を与えた。それによって生じた噂にも腹が立つ。

 あんな科白を吐く人ではない。エリックが知っている人柄と言動が結びつかない。
 事実だったとしても、クリストフェルに諭されたように、そこには事情があってのことだろうとも思う。
 だが、諭したクリストフェルに対しても釈然としないものがあり、様々なものが絡みあって、エリックの気持ちをすっきりさせないでいた。

「だーーっ! こんな時は酒だ、酒っ!」

 エリックは、酒の入った陶器を抱え部屋を飛び出した。



 ✢



「お疲れっす!」
「お疲れ」

 互いのコップを掲げて酒に口をつける。

 エリックが訪れた先は、同じ宿舎に住むダニエルの一人部屋だ。

 嫌な顔もせずに招き入れてくれたダニエルは、持参の酒をエリックの手に見つけると、すぐさま形も色も大きさも違う陶器のコップをそれぞれの前に置いた。

 揃いの容器など気の利いたものは出てこない。宿舎暮らしの男の一人住まいなんて、こんなものだ。しかし、ベッドの上が整然としているだけ、エリックよりきめ細やかな男と言える。

「で、飲みたい原因は、帰り際に話してた、姫様のアレが関係するのか?」

 どうやら訊ねた理由を察していたらしい。
 棚を漁りながら核心を衝いてきたダニエルは、探し当てた干しぶどうを取り出しテーブルに置いた。

「なーんか、姫さんの噂を訊いてから、どうもすっきりしないんすよね」

「まあ、驚きはしたな。けどな、俺達が姫さんの全てを知ってるわけでもないだろう? そもそも、俺達が会うまで想像してた姫様と、実際に会った姫様は違った。想像以上に、ざっくばらんなお人柄だっただろうが。
 オルヴァーさんも言ってたしな。初めての食事の日、姫様達が来る前に話してた時だ。姫様は感情を切ることも身につけてるって。つまり、違う一面もあるってことだ」

「そりゃそうっすけど……」

 酒を一口含ませたダニエルは、「それに」と続けた。

「殿下が仰った通りだと思うぞ。きっと何かあってのことで、意図的にそうしたんだろうよ。俺達より姫様をよく知ってる殿下が言ってるんだ。確信めいた顔もしてたしな」

 そこだ。その部分がエリックを刺激し、納得いかない感情が抑えきれない。

「エリックさん、だからなんすよ。殿下は、姫さんのことよく分かってるし、滅茶苦茶気にかけてるじゃないっすか。姫さんが絡むと、途端に感情豊かになるし。俺、そんな最近の殿下、見るの好きなんす」

「おまえ、殿下をいじって遊んでるもんな」

 呆れ交じりの視線を向けられる。

「この間の昼飯の時もそうだ。殿下が姫様の話の続きを聞きたがってるの分かってて、わざと話を切り上げたろ。あの時、殿下がぶっ刺した芋、絶対におまえを重ねてたと思うぞ」

 数日前、昼飯を摂りながらクリスティーナの情報を語った時のことだ。

 クリスティーナに会いに言ったと打ち明けるや、無表情を決め込んでいたクリストフェルの顔は、物騒な顔つきに様変わりした。その様変わりを本人が自覚しているのかは微妙だが、付け合わせの芋にまで八つ当たりするほどのやさぐれぶりだ。周りの者には丸わかりだった。

 からかいがいがある様子に、エリックはわざと話を折って、クリストフェルの揺れる感情を堪能していたのだが、こんなことがクリストフェル本人にバレたら、どれだけどやされることか。いや、怒鳴ることが少ないクリストフェルだ。とことん不貞腐れるかもしれない。そう想像するだけで笑みが浮かんでくる。

「ったく、殿下で遊ぶなよ」

「だって、長いこと殿下の傍にいるっすけど、あんな殿下見たことないじゃないっすか。ひたすら生真面目で面白味がない生き方してて、それが姫さんが絡むと、あんなに愉快な人になっちまうんすよ? それだけ姫さんを気にかけてて……だからなんすよ。そこまで気にかけてるのに、何でシルビアさん呼ぶんだろって、そう思っちまったんすよ」

 気まずそうに燻っていた正体を打ち明けたエリックは、コップに残っていた酒を一気に煽った。

「エリック。おまえが酒を飲みたい原因は、そこか。シルビアさんが来るのが面白くないって思ったせいか?」

 正にその通りの自己嫌悪。
 クリストフェルの恋人であるシルビアがバルドに来ると知って、咄嗟に良く思わなかった。あまつさえ存在すら忘れていた。クリスティーナと再会を果たした後の、クリストフェルの変貌ぶりを知ってしまったがために。

 シルビアの為の買い物にも付き合い、さかのぼれば、クリストフェルに恋人が出来たと知った当時は、喜んだ自分もいるというのに、シルビアを否定的に捉えてしまった己への嫌悪感。エリックがどこまでもすっきりしないのは、これが根底にあるからだ。あまりの非情っぷりに自分自身に嫌気が差してくる。

 それでも思ってしまうのだ。クリスティーナの噂の原因となった発言を訊いても、まるで疑うという概念がないように動じず、信頼しきっているクリストフェルの姿を見て、このままで良いのかと。

「……どう見たって、殿下は姫さんのこと好きっすよ」

 ダニエルが苦笑する。

「まあ、シルビアさんをこっちに呼ぶってのには、確かに驚いたけどな」

 曖昧に答えるダニエルだが、オルヴァーからシルビアのことを訊いた時は、二人で目を見合わせたほどだ。互いの目は「信じられない」と、物語っていたに違いなかった。

「姫さんと初めて食事した時だって、殿下は、シルビアさんの話題に気まずそうにしてたじゃないっすか。姫さんには知られたくないような。俺、流石に見かねて話をぶった切りましたもん」

「触れない方がいい、話題を変えようってのが、あそこにいた全員の共通認識だっただろうな」

 殿下方お二人を除いてはな、とダニエルがフッと笑う。

 エリックの気遣いもクリストフェルは気付いていないようだった。
 それどころか、気を利かせて話題を逸しにかかったエリックに向けて、奇妙なものでも見るような目ですらあった。エリックに対するクリストフェルの評価が窺い知れる反応だ。

 ことクリスティーナ関連においての信用度は、今までの行いが災いして低いがために、致し方ないとも言えるのだが。

「たまには気遣いも出来るこの俺を、獣呼びの危険人物扱いっすよ? それだけ姫さんを意識してるっつーことでしょ? 逆に、シルビアさんに対しては、買い物する殿下の様子からも、そんなもん感じませんでしたし。寧ろ、無関心みたいな? シルビアさんの好みすら知らなくて、何かちぐはぐしてたっつーか。正直、姫さんとの方がお似合いだって思うし、そうなって欲しいって思っちまうんすよ」

 空になったコップに酒を注ぐエリックに、ダニエルは大きく息を吐き出し言った。

「言えることは三つだ」

 ダニエルが指を三本突き立てる。

「まず一つ目だ。姫様とお似合いっだってのは分かるが、じゃあ姫様のお気持ちはどうだ? 俺も恋愛を語れるほど経験値があるわけじゃないが、俺の見立てでは、姫様にとって殿下は、幼馴染以外のなにものでもないように見えるがな」

 エリックは唸った。
 そこを突かれると分が悪い。何しろクリスティーナは、クリストフェルを弟扱いしたくらいだ。一つ歳上であるにも拘らず、兄の立場すらものに出来なかった不憫さ。

 ──殿下、哀れすぎる。

 同意するには、あまりにも殿下が可哀想で、「二つ目は?」と、先を促した。

「仮にだ。殿下の気持ちが姫様に向かっているとしてもだ。殿下には、シルビアさんという恋人がいる。その恋人を蔑ろにするようなお方か? 俺達が仕えている殿下は」

「蔑ろに……しないすっね」

 今度は同意するしかなかった。断言と言っても良い。どこまでも生真面目な男だ。恋人に責任も強く抱いているだろう。

 となると、殿下は気持ちを封印するつもりとか? と問い掛ける前に、三つ目が飛んできた。

「三つ目。殿下の思いがどこにあろうとも、それを探る立場に俺達はいない。見守るしかないんだ、エリック」

 ダニエルは、言って聞かせるようにエリックの肩を叩いた。


 ──頭じゃ分かっていても、気持ちが追いつかねぇーよ。つーか姫さんも、少しくらいは殿下に恋愛感情ないんかなぁ。


 自分が失恋したわけでもないのに、エリックの気持ちは沈む。

「幸せになって欲しいな、殿下には。それと姫様にも。姫様とは会って間もないが、そう願わずにはいられないお方だ。二人の行く末が、それぞれに幸せであって欲しいと思うよ。願うしか出来ないのは、無力だがな」

 三つ、と区切った以外に飛んできたダニエルからの四つ目は、二人の関係に変化が訪れないことを前提としているようで、エリックには何の慰めにもならない。

 寧ろ、切なさが上乗せされ、その分だけ酒を煽った結果、エリックはダニエルの部屋で見事に酔い潰れた。



 ──そして、エリックが二日酔いと戦う羽目になった、翌日のことである。

 幼馴染以外のなにものでもない。クリスティーナの気持ちを、そうダニエルは表したが、その見立てが図らずも証明される場面がやってきた。


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