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第二章

1. 噂

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「いやー、姫さん大変みたいっすね。文官を何人も国に帰らせたから、体制がちゃんと整うまで相当忙しいみたいっすよ」

 何でそんなこと知ってるんだ!

 いつもの四人での昼の飯時。得意気に話すエリックは、口を開けば『姫さん姫さん』と騒がしい。昼飯もそっちのけの勢いだ。その煩いのが神経に触り、クリストフェルは苛立ちを逃がすための溜息を吐いた。

 このエリックによるクリスティーナの情報公開は、今日が始めてのことではない。

 クリストフェルの執務室で食事を共にしてからというもの、自分はクリスティーナ応援隊隊長だとエリックは豪語する。

『おまえ一人で隊長か?』と指摘すれば、『ダニエルさんも隊員っす』と、しれっと勝手にダニエルを巻き込んだ。
 きょとんとした面持ちのダニエルだったが、しかし、反論しないところをみると、応援隊の仲間入りは満更でもないらしい。

 以来、クリスティーナの情報をどこからともなく仕入れてきては、まるで自慢のようにクリストフェルの前で披露してくる。

 初めての食事の時に、クリスティーナとの会話自体を禁止にしたことは記憶に新しいだろうに、この開き直りっぷり。相変わらず鋼の心臓だ。

 しかし、女神だの天使だのと、ふざけたことは言わなくなったために、多少なりとも最初の牽制が効いているのかと、クリストフェルは今のところ文句は言っていない。但し、あくまで口に出しては言っていない、という意味においてである。腹の中では文句の量産だ。

 もっとも、クリスティーナがそんな禁止令を遥か彼方に飛ばして言うことを聞かないのだから、クリストフェルとしてはお手上げでもあった。

「文官を国に返しちゃったのは、要は使えない奴等を追い出したってことなんすけどね。それだけ前任者の管理が杜撰で、一部の下の者達までグダグダになっちゃってたみたいで。で、腐敗した環境を一新しようと、姫さんが梃入てこいれをしたってわけです。まぁ、そんな奴ら追い出されて当然っすけどねぇ」

 だから何でそんなに詳しいんだ!

 クリストフェルは、あの食事から今日に至るまでの一ヶ月半。クリスティーナとは二回ほどしか会っていない。

 一度目は偶然廊下で会い、二、三言葉を交わしただけで終わった。

 二回目は、お茶を一緒に飲みはしたが、熱いお茶を火傷するほどの勢いで飲んだクリスティーナは時間に追われていたらしく、のんびり語り合うには程遠いものだった。そのいずれも二人きりではなく、互いの側近も一緒だ。

 それなのに、エリックは、

「でも、追い出された奴等に逆恨みでもされてるんじゃないかって心配じゃないっすか。なんで俺、様子を見に姫さんに会ってきちゃいました!」

 一人でティナに会いに行っただと? この俺ですら会えないのに。

 おまえの上司は働き詰めで、挙げ句、その上司を警護すべきおまえに、いつそんな時間があったんだ! 
 応援隊隊長どころか、追っかけ回してティナの邪魔してんじゃないのか! 

 内心で喚きつつ、実際には無言を貫くクリストフェルは、素揚げにした芋を勢いよくフォークでぶっ刺した。

「あっ、俺煩かったすね。すんません食事中に」

 そう言うなりエリックは、大口をあけおろそかになっていた食事にありついた。

 待て、どうして肝心なところで話を畳む! 普段は周りの気遣いなどしないのに、間違った方向に気遣うな! 大事なことはちゃんと言え、言ってから黙れ。と苛立ちは幾重にも重なるが、何よりも苛立つのは、

「…………で、どうなんだ」

 調子に乗せるだけだと知りつつ、訊かずにはいられない自分自身だった。

「へ? 何がっすか?」
「だから、逆恨みされてないのか。ティナは大丈夫なんだろうな」

 意識して作った平坦な声。対してエリックは意味深にニヤニヤと笑った。

「あれあれあれー、やっぱ気になっちゃいます? そりゃ心配っすよね」

 これだから嫌なんだ、と顔が渋くなるのを誤魔化すように料理を頬張った。

「今のところ心配ないみたいっすよ。素の姫さんを封印しての理想の王女様対応で、穏やかに品良く、おまけに飛び切りの笑顔の王盤振る舞いまでしてあげたから問題ないわー! って、姫さん豪快に笑ってました。目に見える反発はなさそうだって話っす」

 一部分はクリスティーナの真似なのだろうか、薄気味悪い裏声を駆使くししての説明だった。

「良かったっすね、殿下。心配ないっすよ。大事な姫さんっすもんね」

「…………大事な幼馴染だからな」

「幼馴染ねぇ……」

「何か言ったか?」

「いえいえいえ、何も。まぁ、気をつけるに越したことはないんで、今後も表に出てないだけで逆恨みされてないか、引き続き情報収集に励むっす! あ、そうだ!」

 今度は何だ、と目線だけで促す。

「二週間後に兵士の入れ替えがあるじゃないっすか。そん時に、ヴァスミスからは補充の文官も来るそうなんで、姫さんの忙しさもそこで一段落するみたいっすよ。ちょうど三日間休みだし、姫さん誘って、また食事でもどうっすか?」

 クリストフェルは、促していた目線を下に落とした。

「……その連休は俺が無理だ」

 兵士の入れ替え時には、数日の休日が与えられる。
 今回は三日を予定しており、それまでに大方の仕事を片付けておかねばならない事情があったクリストフェルは、クリスティーナ同様、このところ相当な忙しさだ。

「もしかして殿下、休み取らないんすか?」

 そう言えば、エリックとダニエルにはまだ伝えていなかったな、と思い至ったところで、食事が済んだらしいオルヴァーが代わりに答えた。

「休み中、シルビア嬢をこちらへ呼んでいるのです」

「はっ?」と驚きの声をあげたのは、エリックだけではない。ダニエルもだった。
 驚くのは、自分たちの休みも返上になると心配したせいか。

「安心しろ。ダニエルもエリックも予定通り休んでくれて構わない」

「いやしかし」と、口を開いたのはダニエルで、

「シルビアさんが来るなら、どこかに連れて行かれますよね? 出掛けるなら自分が警護につきます」

 予想外の言葉に、俯き加減だった顔が反射で持ち上がる。

 出掛ける?────そうか、出かけるべきなのか、俺は。で、どこにだ。

 目先の仕事で手一杯であるクリストフェルは、シルビアをどこかへ連れて行くという発想そのものが抜け落ちていた。
 かと言って、考えたところで何処へ連れて行けば良いのやら、皆目検討もつかない。

 食事の最後の一口を飲み込んだクリストフェルは、立ち上がりざまに告げた。

「丁度いい。情報収集が趣味だろ、エリック。どこに連れて行けばいいのか、場所とか店とか、適当に探しといてくれ」

「なーんも考えてなかったんすね、殿下…………つーか、適当って……」

 呆れ返っているのか、ダニエルとエリックが互いの目線を結んでいるのが視界の端に映った。



 ✢




 それから数日後のことである。

「…………実は」

 浮かない顔をしたエリックは歯切れも悪く、就業終わりにクリストフェルの机の前へと進み出た。

 何かしでかしたのか、と怪訝に見るが、どうやらそういうたぐいのものではないらしい。単に口にするのがはばかられる話のようだった。

「どうした? 何かあったか?」
「その……釣ったというか拾ったというか」

 遠回しな物言いは、エリックにしては珍しい。

「何をだ?」

 意を決したようにエリックが口を開く。

「噂っす!」
「噂?」
「はい、姫さんの噂っす」

 自分の顔から表情が消えたのが分かった。片付けをしていたオルヴァーとダニエルの動きも止まる。

 名の通る者への噂は後を絶たない。有名であればあるほど俎上そじょうにあげられやすく、表立つことはなくとも王族も例外ではなかった。人の口は塞ぎようがない。
 誰だそれは、と思うくらいに美化された噂もあれば、悪意を散りばめた噂もある。

 これだけエリックが言い淀むということは、後者なのだろう。

「どんな噂なんだ?」  

「反発する者がいないか探ってたら、たまたま別のに行き当たったっつーか、話を拾っちまったっつーか。この噂も浸透してなくて、訊いたのも一人の奴からだけで……姫さんの噂って、概ね好意的なもんばかりなんっす。だけど……」

 いちいち前置きが長いが大人しく待つ。
 そして、一度深く息を吸い込んだエリックは、一気に吐露した。

「姫さんは、男をもてあそぶ悪女だ、って」

 流石にこの内容には眉をひそめた。体にも力が入ってしまう。

「噂の原因は、姫さんの発言だそうっす」
「発言?」

 はい、と頷いたエリックは事の真相を語りだした。

 それは、クリスティーナも招かれていた、とある貴族が開いた晩餐会の場での出来事だったという。

 当時、クリスティーナに恋人がいるというのは貴族間では有名な話で、その日も、将来が楽しみな明るい話題の一つとして、好意的に人々の会話に上っていたらしい。

 そのうちの一人が、『結婚も間近では?』と直接本人に訊ねたところ、クリスティーナから思いもよらぬ発言が繰り出された。

「恋愛に興味があったから身近な人を選んだけど、飽きてしまったから終わりにしたって、もう用はないって……そんな内容のことを平然と言ったらしいっす」

 クリスティーナが言ったとされる別離の発言を訊き、強張っていた体から力が抜ける。

 執務机に両肘をついて手を組むと、たった一言、

「そうか」とだけ返した。

 その反応をどう捉えれば良いのか分からない様子のエリックは、

「そうかって……え? それだけ?」

 ポツリと呟いた。

 エリックからしてみれば、クリストフェルが動揺するなり怒るなりを予想していたのだろう。それに反しての落ち着き具合は、それでなくても混乱しているであろうエリックを、更に混乱の極みに陥れてしまったようだ。

 噂に対して怒りもあるだろう。そんな馬鹿なって思いもあるだろう。発言を信じたくない気持ちも分かる。
 しかし、クリストフェルの頭の中では、既に点と点が繋がっていた。

「クリスティーナの発言が本当だったとして」

 真っ直ぐにエリックを見たクリストフェルは、静かに言葉を紡いだ。

「あいつはいたずらに人を傷つけたりはしない。ティナがそういう発言をしたのだとしたら、そこにはきっと理由があってのことだ。意図的にそうしたんだろう。そのやり方が正しいかどうかは、また別の問題だがな」

 人の気持ちを汲み取れないクリスティーナではない。無闇に人を傷つけたりはしない。クリストフェルは、無条件にそう信じられた。

 気持ちの処理が出来そうにないエリックに、命ずるように言う。

「噂自体は聞き流しとけ。ただ、過剰に反感を示す者がいたら、また俺にも教えてくれ」

 話はこれでしまいだとばかりに、困惑を隠しきれないエリックから、背を向けるように椅子を回転させた。

 窓の外に視線を置いたクリストフェルは、結びついた点と点を想起する。


 初めてクリスティーナ達と食事をした日。クリスティーナの側近であるアルクは言っていた。クリスティーナが恋人と別れていたとは知らず、驚くクリストフェル達に向かって。

『そこは箝口令を敷いたんで。まぁ、完全には無理でしょうけどね』

 これを訊いた時、引っかかりを覚えた。箝口令を敷いた、その言葉に。
 それは、そうしなければならない事情があるからこその対処だ。

 エリックから聞かされた噂の源泉を知れば、直ぐにアルクの言葉と直結し納得した。

 あんな発言をすれば、人々の反感を買うのは避けられない。その反感を広げないための、箝口令だ。クリスティーナの知らぬところで敷かれたのだろう。

 クリスティーナだって、反感を買うことくらい容易く想像出来たはずだ。それでも発言に踏み切ったのは、何故か。

 考えられるとしたら一つしかない。

 恐らく、別れの原因は男の非によるものだ。
 あの食事の日、アルクが口を開いたかたわらで悔しさを滲ませていたリリーの姿も、その裏付けとなる。

 王族と付き合いながら男に非があるとすれば、男に待ち受けるのは糾弾だ。立場も職業も家族にも、その影響が及ぶだろうことは想像に難くない。それを良しとするはずがなかった、クリスティーナなら。だから、自ら泥を被ったのではないか。そう考えればあの発言は、クリスティーナらしいと言えた。


 日が完全に落ちきった窓の外を見ながら、そっと心の中で問いかける。


 ──そうまでしても守りたかったのか、その男を。


 クリストフェルの視線の先には、真っ暗な闇だけが静かに横たわっていた。



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