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第一章
10. 十一年ぶりの語らい⑤
しおりを挟むそれぞれが皿にケーキを乗せ、再び元の席に戻ってきても、会話の内容までは元には戻らなかった。
全員が座るなり、オルヴァーが全く別の疑問を投げたからだ。
「姫様は先程、やりたいことがあると仰られておりましたが、やはりそれは研究ですか?」
「ええ、そうよ!」
「では、こちらの仕事もこなしながら、研究も続けられるのですね?」
「勿論よ、意地でも続けてみせるわ」と、息巻くクリスティーナに、エリックが身を乗り出す。
「あのー、研究ってやっぱり魔法とかっすか?」
「魔法の研究もしているけれど、そっちは完全に個人の趣味ね。時間もかかるし、長期戦で気長に取り組むわ。それよりやるべきことは、魔術に頼らない薬の研究よ」
「姫さんほどの力でも、病気を魔法で治すのは難しいんすか? だから薬を?」
「これは極秘事項だけれど」と前置いたクリスティーナは、ケーキを食べるために持っていたフォークを皿に置いた。
「全てではないけれど、治療なら魔法である程度は出来るわ。でも、私は一人しかいないから」
天才的な魔法量を持つと言われているクリスティーナだが、実は、どの程度の実力かは、国民には具体的に明らかにされていない。あくまで『噂』という形を取りながら、裏では情報を国がコントロールしている。
医術に関しては特にそうで、公にすれば病気で苦しむ国民が殺到してくるのは、火を見るより明らかだ。
国外の民だって押し寄せて来るだろう。それを一人でカバーなど出来るわけがない。かといって、王族であるクリスティーナが、人数を決め人選して治療するわけにもいかなかった。
不平等さを前提とした治療など、国民感情が許すはずがない。いずれ不満の声が上がり、暴動を引き起こすとも考えられる。
「町の魔力医術者と同程度の治療しか出来ない、表向けにはそういうことにしているわ。勿論、目の前に苦しんでいる人がいれば、放ってはおけないけれど」
ほんの一瞬、笑みに翳りが帯びたのを見逃さなかった。
遣りきれない思いがあるのだろう。助けられる力を持ちながら、それを生かせられないジレンマ。
しかし、医術面のみならず、クリスティーナの力を全て明らかにするのは、やはり得策ではない。その魔力を脅威と見なすものもいれば、利用しようと企むものだって出てくる。
「それにね、魔力が無限なものなのか、保証はないじゃない? いずれ魔力持ちがいなくなる可能性だってあるわ。そのためにも薬の発展は重要だと思うの。だからね、より良い薬を手に入れるために研究は何が何でも続けるわ。今は柳の樹皮からエキスを取り出す研究をしてるのよ」
「熱や痛みに効く、あの柳か?」
昔から治療に使われている植物だ。
クリストフェルが訊ねれば、「そう」と頷いたクリスティーナだったが、何故か途端に表情は険しくなり、眉間に深い皺が刻まれた。
「見つかったのよ」
表情だけではなく声まで低くなった、機嫌の急降下。
「……何がだ?」
訊ねるこちらまで声が萎縮する。
「文献よ、文献! いや、文献の一部と言った方が正しいわね。柳の樹皮から有効成分を抽出して、副作用が少ない薬が生み出せる、その文献には、そう示されてあったわ」
「それは、薬術の発展には良いことなんじゃないのか?」
どこに機嫌が急降下する要素があるのか、まるで分からない。
「だから一部だったのよ。柳の樹皮から発展させただろう薬の存在は示されているけれど、そこに至るまでの工程は全て省かれた虫食いだらけの文献。まるで、おまえ達にはこれが作れるか? って試されているようだと思わない? しかも、その文献、どこのだと思う?」
暫し考え、「まさか」と、心当たりを見つけ呟く。
「フェル、そのまさかよ。とっくに消滅した星の文献。消滅した星の文献が、どうしてここで見つかるのよ。何らかの作為を感じずにはいられないわ。でもね、挑まれたからには受けてたってやるわよ、やってみせるわ」
そう強気に出たクリスティーナは、ここで漸くケーキに手をつけた。
なるほど、機嫌の急降下は、負けず嫌いに火がついたせいか。
ケーキを頬張るクリスティーナを横目で見ながら、思考を巡らす。
クリスティーナが言うように作為があるのなら、そもそもクリストフェル達が住むこの星自体が、作為によって生まれたものだ。
この星は、再生の星と言われている。若しくは、模倣と言っても良い。
レナトゥスと呼ばれる神を信奉している者が多いこの星は、遥か遠い昔に消滅した星を元に造られた、と言い伝えられている。
かつて存在した青く美しい星。
人類は知恵をつけ文明は栄え、やがて力を付けすぎた人間の手によって自らの星を消滅させた、とみられている。
その星をなぞったように存在するこの星は、大地を作り、海が生まれ、生命が誕生して、月も太陽も存在する。
一年は十二で区切られ、唯一違うのは一月が平等に三十一日であることだと言われている。
どこまでも似せたこの星では、極々稀にクリスティーナが明かしたような文献が見つかることがある。
美しい星が消滅した後に出来たこの星で、どうしてそのようなものが見つかるのか。
そこには人間の思考の範疇を越えた、圧倒的な力の存在があるのではないか、そう思わずにはいられない。
それでも怯まず挑むと言い切ったクリスティーナは、きっと、言葉に違わず努力し続けるのだろう。
隣を見れば、三個目のケーキを頬張る姿がある。こんな細い体の一体どこに、そんなに入るのか。
しかし、眉間の皺は消え、幸せそうに笑む表情を見れば、この顔が見られるならそれでいい。
クリストフェルの顔にも、つられるように自然と笑顔が広がっていった。
「すっかり長居しちゃったわね。凄く楽しかったわ! 付き合ってくれて、どうもありがとう」
クリスティーナに頭を下げられ、流石にエリック達も慌てている。慣れたとはいえ、王女が簡単に頭を下げるなど、一般的な感覚からすればあり得ないことだ。
本人は周りの反応など構いもせずに、クリストフェルにも頭を下げた。
「フェル、ケーキ本当に美味しかったわ。どうもありがとう。あんなに美味しいお店がバルドにあるなんて知らなかったわ」
「だったら今度一緒に行くか? 俺が案内する」
「二人きりでなら駄目よ? 彼女に誤解を与えたり心配かけるわけにはいかないでしょ? また時間がある時にでも皆でお茶でもしましょうね」
二人きりでは行動出来ない、それが十一年の時で生まれた隔たり。
「⋯⋯ああ、そうだな」
幼い頃は、クリスティーナに手を引かれ、色んな店を歩き回った。今も城下に繰り出しているのは、あの日があったからだ。
どんなに焦がれようとも、もう二度と手の届かぬ、遠い夏の日。
それでも思う。あの日には戻れなくても、二人の間に隔たりがあろうとも。クリスティーナには幸せであって欲しいと願う気持ちだけは、あの頃から寸分違わず変わらない。
「ティナ?」
「なに?」
自分のものよりも低いところにある瞳をじっと見つめる。
昔とは随分と違う目の高さ。出会った頃は、同じ位置にあったはずが、それだけの年月が流れたのだと知らしめる。
「あれから何度も何度も手紙を出したんだ」
クリスティーナが小さく息を呑んだのが分かった。透かさずリリーを見れば、驚いたように目を見開き、すぐに唇を噛みしめ俯いた。
「……ごめんなさい。あの頃は、まだ精神的に落ち着いていなくて」
クリスティーナに最後に会ったのは、クリスティーナの母、ヴァスミル国王妃の葬儀だった。
感情を微塵も表情に刻まず、魂のない人形のような横顔。それは、泣きたくても泣くことを己に許さず、感情の一切を断ち切った横顔だった。
式では声を掛けることも出来ず、それから何度も何度も手紙を送った。それこそ、落ち込んでいただろう時から、クリスティーナが自分のため、国のためにと精力的に奔走しいていると耳に入るようになった、精神的不安定から脱出し落ち着いたであろう時に至っても。
「いや、いいんだ。ティナにこうして会えたんだから。会えて良かった。元気そうで本当に安心した」
「私も会えて嬉しかったわ。ありがとう、フェル」
笑みを交わし、「これからもよろしくね」そう言ってこの部屋を出て行くクリスティーナに、『どうして返事をくれなかったんだ?』と、訊ねることはしなかった。
✢
西の棟に続く廊下は、人の影も見えず静まり返っていた。
「ねぇ? 知ってた? フェルから手紙が来てたこと」
先頭を歩くクリスティーナは、背後をくるりと振り返って訊く。
「いいえ」
「私も何も」
二人の声は硬い。特にリリーは顔を歪め悔しさを隠そうともしない。
「そうよねぇ。やっぱりあの人の仕業かしら。よっぽど私が憎いようね。手紙を送ってくれてたなんて、全く知らなかったわ」
また前を向き、一定のリズムを崩さぬよう意識して歩を進める。
「姫様」
後ろから、遠慮がちなリリーの声が追いかけてくる。
「なあに?」
「昔、姫様が教えて下さいました。生まれてきた意味など関係ない、ただ姫様が生まれてきてくれたことが嬉しい。そう言ってくれた人がいると」
「……」
「それは、クリストフェル王子殿下だったのではないですか?」
少しの沈黙が横たわった。
「リリーは記憶力がいいのね!」
明るい声で返す。がしかし、明瞭には答えなかった。
そうだ、と一度言葉にしてしまえば、感情が乱れて失態を晒してしまいそうだった。
ヴァスミルにいるだろう、一人の女性を思い浮かべる。
どうして手紙の存在を隠していたのか。あの頃、誰よりも会いたかった人からの手紙を、何故、どうして……。
恨まれている相手に、同じ恨みを抱いてしまいそうになる。
しかし、心を狂わせてはいけない。
吐き出せない言葉の代わりに、クリスティーナは、深く息を吸い込み呼吸を整えた。
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