不器用王子とお転婆王女は、失恋の後に運命を知る

本宮瑚子

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第一章

7. 十一年ぶりの語らい②

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 殺風景で固いイメージのある執務室は、見る間に様変わりした。

 ソファーに挟まれたテーブルは、リリーによってクロスが掛けられ、その上には所狭しと料理が並んでいる。町で美味しいと評判のお店に、クリスティーナが頼んで作ってもらったものらしい。

 通常、クリストフェルの食事と言えば、この公館にある二つの食堂を利用するか、外食をするかのどちらかで、この部屋で華やかな食事にありついたことなど、この四ヶ月で一度もない。

 時間に追われパンをコーヒーで流し込むくらいはあるが、朝食は私室で、それ以外は、側近達やアデインの兵士達と囲んで食事をするのが基本だ。つまり、華がない。

 男だらけというのがその最大の理由ではあるが、クリスティーナとリリーという二人の女性がいるだけで、こうも変わるものなのか。

 華だけではない。王女らしからぬクリスティーナの振る舞いは、畏まる雰囲気の方が逃げ出すほど敷居を低くし、どこか温もりを生み出していた。

 顔色がまだ若干悪いエリックも、食事が始まる頃には、その温もりに引き込まれるように、噛まずに話せるくらいには馴染んだ。
 ダニエルでさえそうなのだから、エリックは言うに及ばずだった。

 ソファーの一つにクリストフェルとクリスティーナが並んで座り、向かいにはオルヴァーが一人で座っている。
 ソファーの両サイドには、どこからか調達してきた椅子を置き、それぞれの従者が二人ずつ座るそこで、チキンを頬張るエリックは飲み込むより早く切り出した。

「いやー、姫さんがこんなざっくばらんな人だとは思わなかったっすよ。話しやすくて、ますますファンになったっす!」

 チッ、と人知れず舌打ちする。
 さっきは、口をあんぐりと開けていたくせに。いっそ、顎が外れてその口が使い物にならなければ良かったのに。

 胸の内で毒づきながら、クリストフェルは、忙しなく動かしている手を止めない。

「あら嬉しいわ!  ありがとう」と答えたクリスティーナは、見なくても分かる。口元を綻ばせて、クリストフェルの手の動きを追っているに違いなかった。

 クリストフェルの手元の先には、クリスティーナが子供の頃に大好きだった苺が、ガラスの皿にこんもりと盛られてある。少しでも新鮮なものを手に入れようと選んで買ってきたものだ。
 苺を見つけたクリスティーナが、いつも以上に瞳を輝かせたのを見てとると、子供の頃と好みが変わっていないことに安堵しつつ、嗜めるのも忘れない。

『これは、食事を食べ終えてからな』と注意をしたのは、少し前のことだ。

 そう自分で言ったそばから、いつでも好きなだけ食べられるようにと、クリストフェルは盛られた苺を取っては、こうしてせっせとナイフでヘタ取りに勤しんでいるのだ。

 苺だけではない。ケーキも用意してある。
 テーブルには乗りきらず、執務机の上に並べてあるケーキは、五件の店を渡り歩き、吟味して選んできた。
 ケーキを買っては店先で試食し、また次の店へと流れては、買っての試食。結局、二件目の店に舞い戻り購入したのは、クリスティーナ好みの甘さ控えめなケーキだ。

 試食に付き合わせたばかりに、胸焼けをおこし顔色を悪くしたダニエルには申し訳なく思うが、これで準備は最低限揃えた。

 万が一、まだクリスティーナが怒っていたとしても、気分の底上げに一役買ってくれるに違いない(と信じたい)、好物の品。
 いつ何時その使命をもって口に運ばれるか分からない苺の出撃体制は、抜かりなく整えておかねばならない。

「それにしても、うちの殿下と姫さんが、昔から付き合いがあるなんて知らなかったっすよ」

 エリックが言う。
 上司が苺のヘタ取りなどと、有り得ない姿を晒しているのに、平然と会話を続けるとは畏れ入る。

「会うのは十一年ぶりだけれど、子供の頃の一時、夏の季節を一緒に過ごしていたのよ。クリストフェルの名から、クリスを貰ってクリスティーナと名付けてしまうくらい、アデイン国王妃ソフィア様と親しくさせていただいてた私の母が、フェルをヴァスミルに招待したのがきっかけなの」

 ね?  と、クリスティーナに同意を求められ顔をあげれば、芸術品にも負けない綺麗な笑みがそこにはあった。

「ああ。俺が八歳でティナが七歳の時だ」
「そうだったんですか。幼き頃の殿下にもお仕えしたかった。可愛かったでしょうね」

 笑みを浮かべる余裕までみせ、しみじみと言ったのはダニエルだ。

「そうなのよ!」と、クリスティーナが胸の前で両手を組み、視線をダニエルに移す。

「それはもう、とっても可愛かったわ! 私、弟が欲しかったから嬉しくて嬉しくて!」
「俺の方が年上だ」

 途中、口を挟んでみるも、

「あまりに可愛くて、色んなところに連れ回しちゃったくらいよ!」

 惚れ惚れするほどの無視だった。

 それからもクリスティーナを中心に会話は弾み……、やがてその時は来た。

「ところで姫さん、ファーストキス奪われたって本当っすか?  殿下に訊いても教えてくれないんすよ」

 エリックが拗ねたような声を出す。
 俺が駄目なら相手に訊くまで、そう来たか。と、動かしていた手を止め、クリスティーナを見る。余計なことは言うなよ、そう釘を刺そうと口を開きかけた時、その表情に気付いた。

 先ほど見せた、芸術品のような綺麗な笑顔とは、異なるそれ。目を細め、ツンと顎を上げて口角も引き上げた顔は、笑顔の一種ではあっても含みがある。
 ニコリではなくニヤリ。表現するにはこれが近い。そして、この顔は子供の頃にも見覚えがあった。──悪戯を思いついた時のような、企みまみれの笑み。それが、すごく愉しげに見えて嫌な予感しかしない。

 透かさずナイフを置き、阻止すべき声をあげる。
 けれど、

「ティ、っ──」

 自分の意思に反して、声は喉元を通り抜けてはいかなかった。クリスティーナの名前すら呼べず、尚且つ、身体の全てが硬直する。

「えぇ、本当よ」と、頷くクリスティーナは、動けなくなったクリストフェルから目線を外し、エリックに向けて話し出した。

「あれは初めて会った年、フェルがアデインに帰ってしまう前日のことだったわ」

 おい、馬鹿やめろ!   何を喋る気だ!  その前に、さらっと魔法で俺を拘束するな!

 文句のオンパレードは、音にならずにクリストフェルの心の中のみ木霊する。ならば、と念を送ってみるが効果などあるわけがなく、ここに居る全員が食事する手を止め、身を乗り出してクリスティーナの続きを待っている始末だ。

 もしかしてこれは、と思う。
 もしかしてこれは、馬、猪、山猿に対しての報復なのか、と。

「フェルがね、僕はティナが大好きだよって、」

 やめろやめろやめろ。

 何度唱えたところで身体の機能の縛りは解けず、勿体つけるように、クリスティーナはゆったりとした速度で話す。

「来年も絶対に来るよ、ティナを守れるように武術も頑張って、また会いに来るよって言ってくれてね」

 耳朶じだが熱い。
 想い出の会話の前後にあるはずクリスティーナの科白は省略され、自分の台詞のみ拾い上げられ語られている。

 ──どんなはずかしめなんだ、これは。

「だから僕のことも忘れないでね。約束だよって、それで……」

 続きは言葉を使わず、愛らしい唇で「チュッ」とリップ音を鳴らし結末を結んだクリスティーナは、クリストフェルが守り通した、純粋で清らかな想い出のを、あっけなく暴露した。


 ──俺の純情を返せ。


 オルヴァーを除く皆からは「おぉー」と一斉に声が上がり、エリックは口笛で、ヒューっと冷やかしの効果音まで付けた。

 と同時に体が軽くなり拘束が消える。

「おまえ、余計なこと喋りすぎだ」

 仏頂面で言うやいなや、口封じに苺をクリスティーナの口に突っ込んだ。

 途端にクリスティーナの目尻が下がり、咀嚼しながら幸せそうにふにゃりと笑う。
 企みが消えた無垢な笑顔。そこに、幼き日のクリスティーナの面影がぴたりと重なる。

 買ってきて良かった。買ってきた本来の目的も忘れ、そう思ってしまった。

「旨いか?」

 問いかけながら、相好そうごうが崩れるのを自覚する。
 クリスティーナの笑顔一つで気分の切り替えが出来てしまうとは、なんと忌々しいことか。あんな辱しめを受けたと言うのに。
 反面、飽くまで見ていたい。こんな風に近くで────いやいや、待て待て。俺は何を流されてるんだ。と慌てて打ち消し自分を立て直す。

「さっきの仕返しのつもりだろ。だからって魔法使って黙らすなんて、ずるいぞ」

 なるほど、とオルヴァーが納得する。

「通りで殿下が大人しくされていると思いました。流石は姫様、お仕事が素早いですね。素晴らしい」

 間違った方向で感心するオルヴァーを前に、クリスティーナは口を尖らせた。

「だって酷いと思わない?  馬とか猪とか。しまいには山猿よ、山猿!  そこは可愛いリスとかウサギに例えるべきだと思うの」

 リスとウサギに悪いだろ。と、これは言わずにおく。
 だが、同意見の者はいるもので、ヴァスミル側の二人は揃って『ないない』と言わんばかりに首を振っていた。

 怒りの火種が消えていなかった予想はやはり正しく、本来の目的をもって苺にフォークを刺す。

「ティナ、あれは誤解だ」
「誤解?」

 訝しむ視線に堪え、苺を差し出し火種の消火にあたった。

「そうだ、誤解だ。あれはな、ティナを心配して敢えて口にしたことだ」

 パクリと苺を口に含んだクリスティーナに、真剣な眼差しを向ける。

「いいか、ティナ。世の中には危険なものがある。そんなものは即刻排除しなければならない。だからな、」

 クリストフェルは真剣な眼差しを維持したまま、その先を続けるべく、ゆっくりと口を開いた。


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