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第一章
4. 危うし! 殿下カモになる!?《前編》
しおりを挟む──役得万歳だ。
満悦な笑みを浮かべたエリックは、満腹になった腹を擦った。
昨日までは、昼飯くらいゆっくり食べさせてくれ、などと愚かにも思ったものだが、クリストフェルの警護という名の荷物持ちは、実に美味しい仕事であることを知った。
恋人へのプレゼントを買いに行く上司に付き合うとなると、昼休憩は削られる。という予測に反して、真っ先に連れて行かれたのは、高級肉が食べられる店だった。
男二人で、という味気なさではあるが、買い物に付き合わせる部下への労いらしい。流石は自慢の上司である。
食事の時間こそ短かったが、それは急かされたからではなく、余りの旨さにエリックががっついたせいの短縮だ。
焼かれた分厚い肉は程好い火加減で、ワインを使ったソースと絡めると、それはもう絶品だった。
これでもエリックは、四男坊ではあるが貴族の端くれで、子供の頃から豪華な食事など当たり前の環境で育った。
しかし今は、母国でもバルドでも基本は共同生活の宿舎住みである。食堂で出される食事は不味くはないが、第一優先は質より量。栄養バランスこそ考えられてはいるが、腹を空かせた男どもに、高級食材なんぞ使っていたら破綻する。
隊員の半数以上が平民で、がさつな男所帯にすっかり馴染んでしまったエリックは、豪華なご馳走とはとんと縁がなくなり、貴族らしからぬ食いっぷりを遺憾なく発揮させてもらった。
そもそも、上司である王子のクリストフェルが贅沢をしないのも、リッチな食事にありつけない一因でもある。共に外食をすることはあれど、今日みたいな店をチョイスする方が稀だ。
どういうわけか庶民的料理を好み、他の隊員達も誘って、城下の食堂に繰り出すことも珍しくはない。
その珍しくはない日常のある日。いつものように大衆食堂に適当に入り、そこでクリストフェルはシルビアと出会った。
クリストフェルの一目惚れだったらしい。
らしいというのは、残念ながら非番だったエリックは、恋に落ちる決定的瞬間を見逃しているからだ。
オルヴァーと共に随行していたダニエル談によると、そこで働くシルビアを見て目が釘付けになっていたとか。
その瞬間に立ち会えなかったのは残念だが、話を訊いた時は、驚きと共に手放しで喜んだものだ。更に恋人に進展したと知るや、ここで騒がずしていつ騒ぐと、そりゃもうお祭り騒ぎとなった。──正確には、エリックだけなのだが。
何せ、女っ気がなかった上司である。
地位も名誉も金もあって、挙げ句に美貌まで持ち合わせているのに、だ。その気になれば女なんて選びたい放題の入れ食い状態なのに、硬派も硬派、女に興味を示さないなんて、全くもって勿体ない。
こんなつまらない青春で良いのか! と何度も女遊びを覚えさせようと試みたが、本人は頑なに拒否。これだけ女性に興味がないとなれば、もしや対象者は男か! と要らぬ疑惑まで抱いたほどだ。
要するに、幼少から仕えている生真面目なオルヴァーや、アデインにいる年老いた側近の教育の賜物ってやつで、極端に堅物に仕上がってしまったのだろう、とエリックは思っている。
せめて、エリックがもう少し早くクリストフェルに仕えることが出来ていれば、女に限らず遊び心を植え付けられたのに。
エリックがクリストフェルに仕えるようになったは、十八の時だ。クリストフェルはまだ十三歳になったばかりだったが、その時には既に手遅れだった。
まだあどけなさが残る顔は何時だって真剣で、勉学や剣術を真面目に取り組んだ結果、その歳にして防衛軍に所属。直ぐさま、外国へ行く視察団の護衛補佐として、船で海を渡る任務まで授かったのを皮切りに、脇目も振らず軍人街道まっしぐら。遊びを植え付ける余地はなかった。
絶対に人生損してる!
男子たる者、羽目外してなんぼ!
楽しく生きてこそ人生だ!
が、持論のエリックからしてみれば、その生き方が歯痒く、堅物を矯正出来なかったのが悔やまれた。偉ぶることもなく、部下を大切にする敬愛なる上司だからこそ、余計にそう思ってしまう。
ともあれ、そんなクリストフェルに春が来たのだ。応援したくなるのは当然で、高級肉を頂いた後とあっては、思いはなおさらだ。
腹は膨れて重くとも、買い物へ向かう足取りは軽く、そうして辿り着いた女性向けの店の前。ガラス越しに見た店内は女性客しかおらず、気後れしたのか退き気味になってしまったクリストフェルの背中を押しやり、こうして中に入り今に至る。──わけだが。
「…………髪飾りが欲しい。お勧めのものを出してくれ」
店内の商品には一瞥もくれず、真っ先に店員を捕まえ言ったのがこの科白である。
初っ端から人頼みとは、情けない。
いやいや、そこは自分で選びましょうよ。 と言いたいところだが、しかし恋愛初級者のクリストフェルなら、ある程度数を絞ってから選んだ方が賢明か。
取り敢えずは見守ろうと、入口近くから様子を窺う。
暫くして若い女性の店員が、店内にあるものだけではなく、店の奥からも引っ張り出してきた十点ほどの品を、木で作られた陳列棚の上に並べた。
わざわざ店の奥から持ってくる辺り、かなり値が張る代物だろう。お勧めなんて言われてしまえば、この時とぞばかり高いものを出してくるのはお約束だ。
「これは特にお勧めなんです」なんて愛想を振り撒いているが、一番高い品に違いない。商売根性恐るべしだ。
さぁーて、殿下はどれを選ぶのやら。
エリックは、シルビアの容貌を思い浮かべた。
赤みの強い癖のある栗毛に、グレーの瞳。彼女には、一体どんなものが似合うだろう。
挨拶程度しか交わしたことはないが、クリストフェルとシルビアが付き合った当初、二人と距離をとりながら護衛についていたため、当然その容姿は知っている。
女性に身に付ける物を贈るなら、髪の毛や目の色に合わせるとしたもんだが、果たして殿下はそれを知っているだろうか……。
「それでいい。それをくれ」
…………知らなかったらしい。
あまりの即答っぷりに、何も考えずに選んだのかよ、と脱力だ。買い物する前にレクチャーしとくべきだった。
「ありがとうございます。もしよろしければ、他のものも如何ですか? どれもこれも自慢の品ばかりですわ。女性に贈れば、絶対に喜ばれること間違いなしです」
クリストフェルの即決は、店員の商売魂に更なる火を点けたらしく、狙いを定めたハンターの如く押せ押せだ。
店員の言いなりなんて駄目っすよ! 『それでいい』ではなく『それがいい』ってもんを選ぶべきっしょ、殿下!
そんなエリックの部下心なんて知らず、
「だったら、全部くれ」
狙われていた好いカモは、まんまと捕まり、
「ちょっと待ったぁーっ!」
流石に見かねてクリストフェルに駆け寄った。
普段は無駄遣いなどしないのに、いざとなれば有り余る金を持っているから厄介だ。
駆け寄りながら『こんな調子で買っちまった結果が、あの量か! 』と昨日のプレゼントの山を思い出す。
しかも、側にいたのはダニエルで、残念ながらこの手のことに助言を期待出来る人物ではなかった。
「隊長!」
身分を知らない者の前では、隊長呼びにするのが暗黙のルールだ。殿下などと呼べば王族とバレる。アデインの王族がチョロいカモだと思われるのも癪だ。実際、国防軍第一防衛隊隊長がクリストフェルの本来の肩書きである。今の任務が終われば、また本来の役職に戻るか、あるいは更なる上の地位に就かれるかもしれない。
「なんだ」
「なんだじゃないっすよ。適当に選ばず、もう少し真剣に選びましょうよ。女ってのはですね、適当に選んだかどうか、結構簡単に見破ったりするもんすよ?」
「そうなのか?」
「そうっすよ。買い占めればいいってもんじゃないっすから」
答えながら店員をチラリと見遣る。店員からすればエリックは邪魔者だ。
案の定、表面は笑顔を辛うじて保っているものの、余計な口出しをするな、と笑っていない目の奥が語っている。
そんなものは、こちらも張り付けた笑みで対抗し、軽く無視だ。
「シルビアさんのことを考えて選びましょうよ。シルビアさんの髪や目の色に合わせるとか。好きな花のデザインを選ぶのも、喜ばれるかも」
「好きな花?…………知らん」
…………知らんって。知らんって、殿下。
脱力第二弾である。
しかし、あれだ。貴族の女性なら、好きな花の一つや二つはあるだろうが、シルビアは平民だ。花を愛でる習慣がないのかもしれない、と無理やり自分を納得させ、次の案を出す。
「じゃあ、好きな色とかは?」
「分からん。訊いたこともない」
おいっ!
声に出さずして内心で突っ込んだ自分を誰か褒めてほしい。
いくら恋愛初級者といえど、一年も付き合っておいて好きな色のリサーチも済んでいないとか、一体、何の冗談だ。駄目じゃん。俺の上司ダメダメじゃん!
「隊長! イメージしてみて下さい! どれが似合うか、この髪飾り一つ一つシルビアさんがつけるところを! 好きな女の子喜ばせたいんすよね?」
剥きになって言い寄ってはみたが────クリストフェルは眉をひそめ、困ったように唸るだけだった。
結局、「女の好みなど分からない」と主張をするクリストフェルが、「エリックに任せる」と、丸っと投げた。その方が間違いないだろうからと。
そうなると必然的に、店員対エリックの構図が出来上がる。
かくして戦いの火蓋は切られた。
少しでも高く、一つでも多く買わせたい店員との静かなる攻防戦は、髪飾りだけではなく、クリストフェルが肩掛けや薄手のコートなども求めたために、二戦、三戦と続いた。
無論、厳選に厳選を重ねたエリックが、無駄なものは買わずに店員に勝利したが、その間、クリストフェルは他人事のように眺めているだけだった。
この日、クリストフェルが自分の意思表示をしたのは、最後に寄った菓子店でだけである。
「この焼き菓子をくれ。それとは別に、菓子を小分けして、五十セットほど用意してもらえないか。日保ちするもので頼む」
さっきの買い物で学習しましょうよ、何故に大量なんすか、と肩を落とす。
しかし訊けば、シルビアの職場や客や知人に渡す用だという。自分と付き合ってることで、迷惑かけていることもあるだろうから、配ればシルビアの顔も少しは立つだろうと。
そういうことであれば納得で、エリックは押し黙った。
だが、そんな気遣いは出来るのに、どうして恋人の贈り物には、気を配ってやれないんだ?
やっと出来た恋人だ。しかも、一目惚れの。
離れているなら尚更、気の利いたプレゼントで心をガッチリ掴んで欲しいと、余計なお世話ながら口を挟んだエリックだったが、腑に落ちない何かが残る。
『先は長いな』と、漏らしたクリストフェルの呟きは、昨日訊いたばかりだ。
離れて暮らす恋人に想いを馳せて出た言葉だろう。なのに、昨日の呟きと今日の行動に感じる謎の隔たり。
買い物が苦手な男性はいるが、クリストフェルもそのクチなのだろうか。女性の経験値が少ないから、どうして良いのか分からない、というのもあったのかもしれない。
しかし、経験値の低さを差し引いたにしても、どこかちぐはぐに思えてならない出来事だった。
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