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第一章

3. 腹心からの提案

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 机を挟んだ対面。直立不動のオルヴァーから差し向けられるのは、どこまでも真っ直ぐな視線だった。

 オルヴァーは訊ねる機会を伺っていたのだろうか。

 仕事を再開すると宣言したのにも拘わらず、割り込んできた問いかけ。
 邪魔だと思った騒音元は自ら排除したせいでとううにおらず、場面を切り替えるだけの助け船はどこにもいない。

 逃げ場のないクリストフェルは内心で舌打ちをすると、仕方なく答えた。

「それは…………俺が買ってやりたいから買った。寂しい思いをさせてるからな」

 返答に一拍空いてしまったのは、エリックと違って言い分が通用する相手とは思えず躊躇ためらったせいだ。
 それでも、この言い分を選択したのは、オルヴァーが何をどう思っているのか探りを入れるためであり、本当の理由を述べたくなかったからでもある。

「そうは思えませんね」

 案の定、納得しないオルヴァーに「どうしてそう思う?」と思考を引き出すために問う側に回る。

「殿下なら、あんな買い方は致しません」
「離れているんだ。これくらいしてやってもいいだろう」
「いいえ、致しません」

 本人を差し置き、何故なにゆえの断定なのか。
 その理由はすぐに明らかになった。

「そもそも、殿下は女性の好むものを良くご存知ではありません。女性に対して気が利く方でもございません。次から次へと品物を選べるはずがございません」

「おい!」

 辛辣なる断定の裏付けに声を上げるが、その先が続かず顔をしかめ唇を噛む。
 対照的に、淡々と告げたオルヴァーは、表情筋のどこもかしこも微動だにせずに涼しげである。

 あんまりな指摘だ。反論出来ないのがまた悔しい。

「シルビア嬢からのご所望だったのですね」

 決めつけるオルヴァーから視線を反らし沈黙する。
 沈黙は肯定と同義だ。やり込められるのは癪だが、否定する言葉をクリストフェルは持っていない。

「私の記憶が正しければ、こちらに来る以前にも、ドレスや宝石を贈られていたと思うのですが」

 ここら辺りが諦め時だろう、と早々に白旗を揚げる。
 所詮、オルヴァーに隠し事など出来ないのだ。クリストフェルがやり合おうにも、相手の方が一枚も二枚も上手だ。
 それに、プライベートに口を挟むからには、どこか引っ掛かりを覚え、見逃せないと判断したからであろう。全てはクリストフェルを思う故の介入なのだと、理解出来るほどには信用をしている相手でもある。

 なのに打ち明けるのに抵抗を覚えたのは、私的な事柄であることと、シルビアの心証を悪くしたくなかったがためで。何より、自分の中に芽生えた何かに触れられたくなくて、怯んでしまった逃げ以外に他ならない。

 クリストフェルは小さな吐息を吐くと、シルビアからの訴えを、極力オブラートに包み白状した。





「なるほど。シルビア嬢を見下す者。あるいは計算で近付き、隙あらば殿下に取り入ろうと思惑含みな貴族達が、シルビア嬢に迷惑をかけている。そういうことですね」

 近付く者達の思惑までは、シルビアの手紙には書かれていない。しかし、恐らくはオルヴァーの言う通りであり、クリストフェルも全くの同意見だったので素直に頷く。

 ですが、とオルヴァーが首を傾げた。

「シルビア嬢を見下す者は一定数いるにせよ、頻繁にお茶会に呼ばれるのは、いささか疑問ですね。シルビア嬢は、嫌なことは言葉や態度で示す方ですし、良くも悪くも庶民的で、意図的に感情を隠すことを得意としない。それを目敏い貴族の者達が見逃すでしょうか。必要以上に近付き、挙げ句、シルビア嬢の機嫌を損ねれば、それこそ殿下の耳に入るのではと、寧ろ自重すると思うのですが」

 王族との縁を深めるために近付く貴族もいるだろう。しかし、言われてみれば確かに不思議な話ではある。
 果たして貴族の者達が、何度もこうしたあからさまな形でシルビアに近付いてくるだろうか。しかも、シルビアを通して繋がりを持ちたい相手は、自分である第三王子だ。たいして旨味のある立場でもなかろうに。

 それに、とオルヴァーが言葉を続ける。

「近付く者達を何とかして欲しいとの訴えなら分かりますが、物がないことへの嘆きとは、如何なものでしょう」

 尤もな指摘だ。だからこそ、芽生えてしまう何か。それを突き詰めて考えるのは、クリストフェルにとって気が滅入る作業だった。
 出来れば思考を後回しにしたくて、話の先を急ぐ。

「とにかく、不便を掛けているなら解消してやるのが先決だ。金の工面もしてやりたい。オルヴァー、俺個人の金庫から当面困らない分の金をシルビアに送ってやってくれ」

 やや早口になったのは、それが正しい選択とは言い切れない自信のなさからだった。
 そこを的確にオルヴァーは突いてきた。


「殿下、それがシルビア嬢のためになると思われますか?」
「俺と付き合ったがための結果だ。責任を取るのが筋だ。今回は目をつぶれ」

 対する答えは、考えるまでもなく直ぐに飛び出た。
 責任や義務。呪文のように何度も唱えてきたものだ。誰かにではなく、自分自身に。

「分かりました。お金は指示通りお送り致しましょう。ですが一度、お二人でお話合いの場を持つべきです。この先をも見据えているのであれば」

 ──この先をも見据えているのであれば。

 つまりは結婚を指している。
 そもそも、クリストフェルの考えに、女性と付き合うにあたって遊びという概念は存在しない。当然、未来は意識すべきものと思っていたし、シルビアも結婚を望んでいる。

 一昔前とは違い、アデインでは王族でも恋愛結婚が許されるケースも増え、ましてやクリストフェルは三男の立場である。身分差に難色を示すものがいるのは否定しないが、信用のおける地位ある者をシルビアの後見人につければ、何とか力ずくで押しきれるのではないか、と相応しい人物の当てもつけ画策していた。

 ──シルビアの笑顔が消えるまでは。

 未来を見据える目が遠退きそうな今、このままで良いはずはなく、オルヴァーの忠告は全くもって正しい。いずれは話し合いが必要だろう。逃げに走ってばかりではいられない。しかし、逃げの気持ちを後押しするように、今は物理的距離が二人を阻む。

「ここを離れるわけにはいかない。すぐには無理だ」
「あと二ヶ月もすれば、兵士の入れ替えがあります。入れ替え時には、何日かの休日が設けられます。その時に合わせて、こちらにシルビア嬢をお呼びになられてはいかがですか?」

 なるほど、と思案する。考えもしなかった提案だった。
 半年ごとに兵士が入れ替わるが、その数日は休日が設けられるのが通例だ。
 クリストフェルに至っては、多少の書類仕事はあるだろうが、一日中拘束される可能性は低い。それならば──。



「呼ぶべきか……」

 オルヴァーの提案に気持ちが傾く。

「今回の件は、殿下だけの責任ではありません。そもそも殿下は、お付き合いに関して、シルビア嬢の身を案じ内々にしか知らせないほど慎重でした。それを声高に言って回ったのはシルビア嬢です。それが、今回の件を招いてしまったとも言えます……とはいえ、シルビア嬢の気持ちも分からなくはないのですがね」

「シルビアの気持ち?」

「ええ」とオルヴァーが顎を引く。

「お年頃の女性です。恋人に王子様のような憧れや夢を抱き、心が浮き立つのも仕方ありません。ましてや殿下は、本物の王子様でいらっしゃるのですから」

 途端に顔が苦くなるのが自分でも分かった。
 確かに王子ではあるが、メルヘン的要素を多分に含ませた敬称付きの『王子様』呼びなど、大の男にとって気持ちの良いものではない。
 そんなクリストフェルの繊細な機微など無視して、オルヴァーは言い切った。

「しかし、いつまでも夢を見てばかりではいられません。シルビア嬢と、それからご自身のお心にも向き合うべきかと」

 ──自身のお心にも。

 ぶれのない忠言は、クリストフェルの胸中を察しているようだった。

 向き合わなかったのは、シルビアに対してだけではない。クリストフェルの中に燻る芽生えた何か。
 心に蓋をし敢えて避けてきたそれに名をつけるのなら────疑念、と呼ぶのが相応しい。


 ──シルビアは俺自身を見ているのだろうか。宝石やドレスの方が大切なんじゃないだろうか。そもそもが金が目的なんじゃ……。



 名を持たせてしまえば、途端に威力を発揮し、負の感情が押し寄せてくる。
 流石にこのままではいけない。
 宿した芽が芽である内に、刈り取ってしまうべく話し合いの場を持とう。

「分かった。明日、贈り物を揃えたら一緒に手紙を添える。二ヶ月後にこちらへ来て欲しいと……」

「ええ、是非そうなさって下さい。私は殿下には幸せになって欲しいのです。そして、その殿下の隣を歩かれる女性は、殿下に寄り添える人であって欲しい、そう願っております」


『我等に敢えて苦言を呈してくれる者の存在は貴重だ。誇りは持てど驕りは捨てろ』


 ふと、亡くなった前国王である祖父の言葉が甦る。
 亡くなった祖父にも貴重な存在がいた。その人物こそ、シルビアの後見人と当てをつけた人物であり、祖父が亡くなってからは、指南役として常に側にいてくれた。今回は、高齢のために国に残してきているが、オルヴァーやダニエルにエリック、仕えてくれる誰も彼もが、等しく信頼の置ける者達ばかりだ。
 ──自分も信頼に足る男でありたい。

「……心配かけて悪かったな」

 不甲斐なくそう言えば、オルヴァーは、クリストフェルにだけ分かる微妙な笑みを浮かべて頷くと、自らの席へと移動する。

「さて、随分と話し込んでしまいました」

 再び目の前に戻ってきたオルヴァーは、自分の机から持ち出してきた書類の束を、既に積まれている書類の山に乗せた。

「ここからは、通常の二倍速で仕事を片付けて下さい」
「なっ、二倍!?」
「はい、定時までに」

 机の上の書類に目をやる。続けて右手を伸ばし、十、二十、と書類を数えたところで嫌気が差して手を止める。

「明日に回しても……」

 いいんじゃないだろうか、と続けたい言葉は先手を打たれて遮られた。

「全て今日の定時までが期限のものです。私は事務方に用がありますので席を外しますが、定時には戻って参りますので、それまでに片付けておいて下さい。くれぐれも手を抜かれませんように。それでは」

 容赦ない宣告をする目の前の男は、先程までクリストフェルを案じていた者と、本当に同一人物だろうか。

 オルヴァーは一礼すると踵を返し、もう用はないとばかりに振り返りもせず部屋を出ていった。


「終わんのかよ、これ」

 げんなりする量の書類を前に、思わず天を仰ぐ。
 優秀な腹心は、仕事に手心を加えないところが玉に瑕だ。

「そもそも……、シルビアの話なら仕事が終わってからで良かったんじゃないのか?」

 唐突に浮かんだ尤もな突っ込みの独り言は、残念ながら受け止める人間がいない。

 秘書からの二倍速の厳命は、恋人に振り回される上司への、ちょっとしたお仕置きだったとは露知らず、根が真面目なクリストフェルは、盛大な溜息をきながらも書類に手を伸ばした。
    
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