Innocent

本宮瑚子

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Side-A イノセント<真実>

6.

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「一華の母親だ」

 響ちゃんは、あっさり答えを明かした。

「一華の母親は、そうやって夜の世界で生き、一華や一華の兄弟を女手一つで育てあげたんだ。一華のスタイルは、一華の母親のスタイルそのものだった……死んだお袋さんを引き継ぐように」 

「亡くなったの?」 

「あぁ、だから一華は夜の世界に戻って来た」 

「戻って……来た?」 

「一華が働いてた店は、一華の母親が経営してた店だ。18からその店で働いてた一華は、一度は夜を上がってる。やりたい事を見つけて、その夢を叶えるために。その一年後だった、お袋さんが急に亡くなったのは……。そして、一華は戻って来た」 

「後を継ぐために?」 

「いや、実質的なオーナーになったのは、一華の兄貴だ」

「なら、どうして?」 

「そうするしか方法がなかった。夢を諦めて、当時付き合っていた男と別れてまでそうするしか……」 

    語り続けていた響ちゃんは、ふと話を中断して、グラスに水を注ぐとそれをグイッと飲んだ。
    耳を傾け続けているあたしは、嫌な部分を見つけ出したくて、そうしているわけじゃない。いつしか、一華さんの話そのものに興味を持ち始めていて、響ちゃんが再び口を開くまでの僅かな時間さえも長いと感じるほど、続きが知りたくて響ちゃんの言葉を待っていた。 

「借金が残ってたんだよ」

    重苦しそうに眉を寄せて響ちゃんが言う。だから、水を飲んだんだと分かったあたしも、水の代わりに唾を飲み込んだ。 

「お袋さんが生きていたら返せた借金だった。店のリフォームやら、何だで作った借金は、兄貴が保証人になっていた。けど、兄貴が借金ともども引き受けたって、兄貴自身は普通のサラリーマンだ。実際に店を回して行くには無理がある。お袋さんが亡くなって、客だけじゃなく店の女の子達も離れて行って、経営は行き詰まり返済が難しくなっても仕方がなかった」
「……」 
「それを巻き返すには、一華の力が必要だったんだ」 
「……一華さんの、力?」 
「ああ。客に信頼を得ていた一華の力が」

    それって……、

「夢まで捨てて恋人とまで別れて、一華さん一人が犠牲になったの!?」 



    完全に一華さんのイメージが覆されたあたしは、同情するように声を荒らげた。 

「それは違う! 一華の兄貴は、最後まで一華が夜に戻るのには反対した。妹の幸せを願ってたからな」 

    あたしに対抗するように、一瞬、響ちゃんの声にも力が入る。でもそれは、本当に一瞬で、すぐに声量を落ち着かせると、話を続けた。

「けど、それは一華にしても同じだ。兄貴ん家には、まだ当時小さかった子供もいた。その兄貴一人に負担を負わせることが出来なかった、一華の意志だ。兄貴の反対を押し切ってまで、一華だって守りたかったんだよ。母親が築き上げたものも、兄貴の家庭も」 
「だけど……」 
「一華は、犠牲になったとは思ってねぇよ。そんな風に思ったら、全力で仕事に取り組んでいた一華に失礼だろ。お袋さんの名を汚さないためにも、兄貴の家族に悪いと思わせない為にも、誰にも後ろ指を指されないクリーンなやり方を貫き通したんだからな」 

    それでも……と、思ってしまう。 あんまりだって思ってしまう。
    短時間で、こんな風に同情さえ覚えてしまう相手⋯⋯。 

「俺に価値があるのか? って、言われて以来。誤魔化してもしょうがねぇと思った俺は、一華の前で取繕う事を止めた。それからだ。一華がそういう事情を打ち明けるようになったのは。そして俺は、そんな一華にどんどん惹かれていった。憧れから惚れるまでに変わるまで、そう時間はかからなかった」 

    響ちゃんが惹かれるのも無理はないって、気持ちがストンと着地する。

「毎日メールするのが楽しみで、見返りを求めず、ただ単に一華に逢いたくて、たまには、一華の店にも足を運んだりもした。帰る客に、ありがとうって言われてる、夜の世界じゃ一流な一華の姿を見ては、俺なんかが手を出しちゃいけねぇ女だって思い知ったし、 手を出したところであしらわれるのは分かっていながら、一華への想いを捨てられずにいた。仕事の悩みを話せば黙って訊いてくれて、俺の為に遠回しなアドバイスで答えを導き出させようとする一華に…… 俺は完全に溺れていった」 

    僅かな時間で、響ちゃんの気持ちが分かるほど、自分の心情は変化した。
 
「なのにある日突然、一華は夜の世界を上がっちまった。俺に何も言わずに……」 

    けれど、心情は変わっても、大事なのは今だ。
    響ちゃんの気持ちを少しは理解したとは言っても、所詮過去の話でしかない。悲しい終わり方だったかもしれないけれど、取り戻せない終わった話だ。
    どんなに一華さんに同情しても、響ちゃんが惹かれてしまうのも無理はないと理解しても、それでも、あたしは…… 

「一華さんは、響ちゃんのこと何とも思ってなかったって事でしょ? 何とも思ってないから、何も言わなかったんでしょ? そんな人を、いつまでも引きずってちゃダメだよ!」 

    響ちゃんの受けた傷をえぐってでも、ノンちゃんを守りたい。


    例え、イヤな奴だと思われても構わない。酷いことを言っている自覚もある。そうまでしても、過去に囚われている響ちゃんには、目を醒まして欲しかった。 
    だから、ジッと見る。思いが伝わるようにと。
    そんなしつこいあたしの視線から、悲しみを滲ませた響ちゃんがスーっと目を反らした。 
    あたしに言われずとも分かっていたんだと思う。一華さんの気持ちが、響ちゃんに向かってないことくらい、人に指摘されるまでもなく理解していたはずだ。だからこうして、悲しそうにしているんだと思う。
    ……しかし、そうじゃなかった。響ちゃんの表情の意味を、あたしはどうやら捉え違えていたらしい。 

「一華がいなくなった俺は、抜け殻状態だった。そんな俺を見て、うちの店のN0.1が教えてくれた」 
「……」 
「一華が夜上がったのは、借金の返済も終わって、お店を継続させるだけのキャストも育て上げたからだって。でも、それだけが理由じゃない。 一番の理由は……惚れちまった男が出来たせいだった」
「え?」 
「自分の存在が、その男をダメにする。一華を思うあまり、他の客に目を向けなくなった男の為を思って……」 
「なっ、まさかそれって……響……ちゃん?」 

    響ちゃんは何も言わない。何も言わず無言で肯定する。 

    てっきり、あたしの言葉に傷つき悲しみを滲ませていたと思っていたのに、そうじゃない。あたしの言葉のせいなんかじゃない。
     響ちゃんは、響ちゃんを想う一華さんの切ない気持ちに胸を痛めたからであって、 単なる響ちゃんの片思いだってことで片付けようとしたあたしの思惑は大きく外れて、二人はまさかの両想いだったなんて……。 


    予想外の結末に、響ちゃんの目を醒まさせる方法を完全に見失ったあたしは、言葉を詰まらせた。 

「うちのNo.1と一華は幼馴染だったらしい。全てを知っていたうちのNo.1は、見るに見かねて俺に全てを話してくれたんだ」 
「……」 
「それから俺は、今までのスタイルを捨てて、一からやり直した。一華とまではいかなくても、恥じぬ接客を心掛けてな。そうやって1年後。No.1を手に入れた俺は、ホストを上がった」 
「……」 
「もし、一華に出逢ってなかったら。俺は今でも汚れた世界に塗れて、堕ちるとこまで堕ちてたかもな。俺にとっちゃ、一華は暗闇に射し込んだ一筋の光だった。そんな女を今でも俺は忘れられない」 

    嘘偽りのない瞳で真っ直ぐ見る響ちゃんから、あたしは視線を外し俯いた。そうでもしなければ、込み上げてきそうになる涙を耐えられそうになかった。
    既に閉塞感のある喉は痛みさえ伴って、 

「酷いよ……」 

    無意識に心の声が漏れ出たあたしの声は、あからさまに震えていた。 
    誰かを胸に宿しながら、ノンちゃんと結婚するなんて、こんな酷いことないと思う。 
    例え、それが本当の気持ちだったとしても、響ちゃんなら最後は『もう過去の話だ』って笑って吹き飛ばしてくれるって、どっかで信じてた。なのに、そういう流れには程遠い今の現状に、それでも僅かばかりの期待を捨てきれないあたしは、 

「一華さんは一人でも生きてける強い人じゃない! だから響ちゃんには何も言わずいなくなったんでしょ? でもノンちゃんは違うよ? 一華さんみたいに完璧じゃないし、ドジで天然だけど、だからこそ響ちゃんが必要なんだよ? 響ちゃんがいなきゃ、ノンちゃんはダメなんだよ! だからお願い……もう一華さんのことなんか忘れてよ」 

    震える声のまま、縋るように頼むしかなくて……。だけど、 

「七海? 勘違いすんなよ? 俺は望を愛してるし、大切だと思ってる。ただ、愛し方は違えど、一華を愛してるのも本当だ。この想いだけは、どうしても嘘をつくことが出来ない……ごめんな?」 

    僅かな期待はあっさりと絶たれた。 
    でもいつか、七海が理解してくれる日が来るって信じてる。そう付け加えられた響ちゃんの言葉をどこか遠くに感じながら、あたしは目を瞑った。 
    願わくは……。 
    響ちゃんが二度と一華さんと再会することがありませんように。 
    もし、偶然にでも逢ってしまったりしたら、 『抱いちまうかもな』 目を瞑って願う事しか出来ないあたしの頭の中で、響ちゃんが言った言葉が何度も繰り返されていた。
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