Innocent

本宮瑚子

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Side-A イノセント<真実>

5.

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    響ちゃんの腹の中が、こんなにも真っ黒だとは思わなかった。 
    ノンちゃんには、全くもって相応しくない!
    あんなにも心が綺麗なノンちゃんが、腹黒響ちゃんに汚されてしまう!
    いっその事、洗いざらいノンちゃんに告げ口して、こんな男とは別れた方が良いって進言してやろうかと思ってしまう。 
    響ちゃんなんかには、不潔な“枕”まで容認しちゃう一華さんみたいな人がお似合いなのもしれない。 
    どんなに響ちゃんが一華さんを庇ったって、所詮夜の女だ。響ちゃんと同じ類の人間だ。 
    そうやって響ちゃんと一華さんを卑下するあたしは、しっかりと態度に出ていたらしい。高笑いの代わりに、

「ふふん」 

    と、無意識に鼻で笑っていたようだ。 

「ん?」 

    そんなあたしを響ちゃんが探るように見る。 
こうなったら、あたしだって我慢するつもりはない。遠慮なんてするつもりはない。 
    同じカテゴリーにいる二人に、これ以上あたしが気を遣う必要なんてないはずだ。 

「お似合いだよね。響ちゃんと一華さんって人」 
「……」 
「どれだけ綺麗なのかは知らないけど、やっぱりさ、一華さんって人だって同じじゃん」
「……」 
「如何わしい響ちゃんの営業にも理解してくれちゃう人でしょ。それって、自分も同じことしてたからじゃないの? 二人とも不潔すぎて、とってもお似合い!」 

    言ってやった。ずっと沈黙を守っていたけれど、思いっきり嫌味っぽく言ってやった。 



    だけど、そんなあたしを、 

「……七海」 

    またも脅すように、響ちゃんが低い声を出す。 
    だからと言って、もう怯んでなんかやらない。 

「なに? あたしは絶対に謝んないからね」

     二度も同じ手に乗って、大人しくなんてしてあげるもんか。
    どんなに怖い声出したって、屈したりなんかしないんだから。文句があるなら言ってくれば! くらいの勢いで、鋭く響ちゃんを見上げるあたしに観念したのか、 

「……はぁ」 

    響ちゃんは大きく息を吐き出すと、あたしをしっかりと見据えた。

「七海、一華はそんな女じゃない」 

    低い声ではあるけれど、さっきみたいに人を脅かすようなものじゃない。 
    ただ、怒りを鎮めながら話そうとするからこそ、低音になっているように感じられた。 

「一華は、そんな女じゃねぇんだ」 

    二度も同じ言葉を繰り返し、あたしを納得させようとする。 
    勿論、そんなもので納得するはずもなく、怯まぬ眼差しを向けるあたしに、響ちゃんは諦めもせずに言葉を紡いでいく。 

「不潔でもなければ、おまえが思うような如何わしい営業スタイルも、一華は一切してない」
「じゃあ、なんで“枕”とかって理解出来ちゃうわけ?」 
「それは、そう言う営業スタイルが、夜の世界じゃ昔から存在するからだ。それを否定するつもりはねぇってだけの話だ」 
「はぁ?」 
「だからと言って、一華はそんなやり方はしなかった、絶対に」 
「ふん、そんなの分かんないじゃん! 響ちゃんが知らないだけじゃないの? だって、響ちゃんのこと庇ったんでしょ?」 
「それは違う。一華は俺を庇ったわけじゃねぇんだよ」 

    怯まない眼差しに、疑いまで上乗せして響ちゃんを見る。 
    そんなあたしから、響ちゃんが一瞬だけ目を反らしたのは、また煙草に火を点けたからだった。 



「俺も言われたんだよ。ヘルプがいなくなった後に」 

    溜息を乗せるように白煙を一筋に吐き出した響ちゃんは、あたしの疑いを晴らすべく、真相を語っていく。 

「今夜こそは決めてやるって思ってた俺は、女が喜ぶようなセリフを並べた後で言われた。私と寝てまでナンバーワンを取りたいのかって。だから正直に答えた。なりてぇって。一華に力を貸して欲しいって。そしたらアイツ……」
「……」 
「穏やかに笑いながら俺に訊くんだ。そんな価値が俺の何処にあるんだって」 

    煙を吸ったり吐いたりする響ちゃんが、自嘲気味に笑った。

「一華は、最初から見抜いてたんだ。俺がどんな営業スタイルかを。そりゃそうだよな。色んなヤツを見て来てる一華は、自然と人を見る目が養われてる。まだまだガキだった俺を見抜くなんて、一華にしてみりゃ容易い事だ。だから、俺がNo.2止まりの原因も簡単に見抜いてた」 
「……原因?」 
「あぁ。何でもかんでも色仕掛けの仕事じゃ、女は離れて行って当然。そこには俺の気持ちが上辺だけしか存在してねぇからだって」
「……」 
「言われてみりゃ本当にそうだった。No.2っつっても、客は三ヶ月もすりゃ俺から離れてく。離れりゃ、また別の客の気を引いて……それの繰り返し。 所詮、色恋なんて三ヶ月サイクルだ。それを継続出来るヤツはプロとみなすけど、それが出来ない俺は、枕するほどの価値もねぇって。そう言う仕事のスタイルすら向いてないんじゃないかって、俺の今までをも全否定されて。そこまで言われた俺は、最高にカッコ悪くて笑えんだろ?」 

    うん、そうだね ……とは言えなかった。声高々に笑う事も出来なかった。 


    てっきり、響ちゃんと同じカテゴリーにいると思ってた一華さんなのに。響ちゃんを叩きのめした一華さんは、あたしが思っていたような人とは……違う!?
    そんな考えが、迂闊にも一瞬頭を過ったせいで、響ちゃんに同意する暇もない。それでも、 

「じゃあ、その人はどんな仕事のスタイルだったの? 綺麗事言ったって難しい夜の世界なんでしょ? どうせ計算高いことしてたんじゃないの?」 

    あたしに根付いている固定観念は、一華さんの人物像を、そう簡単には覆せない。
    質問に答えるべく、響ちゃんはまだ長い煙草を揉み消すと、カウンターに両手をついてあたしを見た。 

「計算じゃない」 

    瞬きもしないであたしを見続ける。 

「アイツにあったのはただ一つ……信念だ」 

    そう言い切った響ちゃんは、驚くほど真剣な面持ちだった。

「……し、信念?」 

    あまりに真剣な表情をするもんだから、ついついどもってしまう。 

「あぁ」 
「……」 
「一華の接客は、女を武器になんかしねぇ。恋愛もどきのスリルを味あわせて、仕事に繋げようとはしねぇんだよ」 
「……」 
「接客は人対人だ。そこに打算を組み込んじゃなんねぇって考えだ」 
「……ふ、ふーん」 
「勿論、一華だって商売だから、売り上げのことは当然頭にはあったろうけど、だからこそ、それに見合う仕事を自分に課してきた。この店に来て良かったって思ってもらえる、誰にでも平等な真心ある接客をな」 
「……」 
「そうやって、人として信じてもらえる信頼を客から得て来たんだよ、一華は。客の中には、一華の女としての部分を求めるしか頭にないヤツもいたろうけど、そういう奴等には毅然とした態度を貫いた。色恋を絡めて一時の関係を続けるより、信頼を得て長く良い付き合いを保つ。そうやって知り得た客達が、一華を支え続けたんだ。一華の人間性に惚れた客達が、な」
「……」 
「でも、そこまで信頼を得るのは、簡単なようで実は難しい。汚いやり方の方が、よっぽど楽に金を手に入れられる。なのに、一華はそうはしなかった。綺麗事だって笑う奴等がいても、一華はそのスタイルを守り通した。何故だか分かるか?……七海」 

   えっっ? ここであたしに振る?
    そんなのあたしに振ったところで、分かるはずないじゃない。ホストの世界も、お水の世界も、夜の世界全てにおいて分かんないんだから!



    そもそも、どうしてこんなにまでも、あたしに一華さんという人間を理解させたがるのか。いくらあたしが一華さんを否定したからって、そんなにムキにならなくても良いと思う。大人げないにも程がある。 
    あたしに口を開かせる暇もなく、滔々とうとうと語り続ける響ちゃんの考えの方がよっぽど分からない。 
    当然、質問を投げ掛けられたって答えられるはずもなく、迷わず首をブルブルと左右に振った。 

「そういうスタイルを貫き通した人物を、一華は間近で見て来たからだ。綺麗事だって笑う奴等を撥ね退けて、成功を収めた人を一華は見てきたんだ」 

    話が続くかと思いきや、ジッと人の顔を見て黙った響ちゃんは、 

「………………それって、誰?」

    この台詞こそをあたしに言わせたいが為に間を開けたんだと気付いて、その思惑通りに訊ねてやったあたしは人が良いと思う。と言うよりは、自分から作る沈黙は良くても、相手から作られる沈黙には耐えられず口を開いた自分は、小心者だって言う方が正しいのかもしれない。 
    ついさっきまでは、言いたいことは言ってやるくらいの気勢があったのに、沈黙に受けて立つほどの気の強さは影を潜めた。 
    少なからずとも、その勢いが削がれたのは、間違いなく響ちゃんが滔々と語ったせいであって、あたしの中で作り上げていた、一華さんって言う人物像が崩されたせいだ。

    徐々に響ちゃんの望み通りになっていく自分に嫌気がさしてくる。 
    響ちゃんが言わせたい台詞まで素直に言っちゃうほど、まんまと響ちゃんにペースを持って行かれ、一華さんのイメージが崩れて行く自分を呪いたいまでに嫌気がさす。 
   だって、もし一華さんがイヤな女じゃなかったとしたら、あたしは、何を理由に響ちゃんを責め立てれば良いんだろう。何を盾にノンちゃんを守れば良いんだろう。
    嫌な部分が少しだけでも良いから見つけられればいいのに……。そんな事を望んでしまうあたしの願いは、どうやら叶えられそうにもなかった。

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