さよなら私のドッペルゲンガー

新田漣

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1巻

1-1

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   プロローグ


 初恋の相手は、夏に消えた幽霊だった。
 瞼の裏側で描いた記憶は眩しくて、直視するにはいささか青い。けれど、絶対に忘れてはいけない日々。
 俺は感傷を振り払うように、首から下げたカメラを構えてシャッターを押下する。切り取られた如意ヶ嶽にょいがたけの中腹には、たくさんの火床が大文字に並べられている。これらは数時間後に点火され、京都きょうとの盆の風物詩と化す。ふと耳をすませば、喧騒が遠くにあった。鴨川デルタの周辺は早くも賑わっているようだ。
 高揚感を原動力にして、俺は自転車のペダルを踏み込む。橙色だいだいいろに染まった川端通かわばたどおりには、どこまでも夏の匂いが漂っている。
 きっと俺は、何年経ってもこの場所に帰ってくるのだ。
 そんな予感を胸に秘め、向かい風を吸い込むと、小さな虫がするりと鼻腔に侵入した。

「ンガァフッ!」

 自転車を止め激しく咳き込む。不意を突かれ、鼻の奥地まで開拓された。
 胃を吐き出す勢いでえずいていると、涙でにじむ視界に小学生とおぼしき少年を捉えた。突如豹変した俺の様子に恐怖を抱いたのか、表情が引きつっている。紳士として、若い芽に不安を覚えさせるのは本意ではない。無事をアピールすべく、鼻息で虫を吹き飛ばしてみた。

「う、うわぁぁっ!」

 少年は悲鳴をあげながら一目散に逃げていく。どうやらまだ、大人の魅力が理解できる年齢ではないらしい。ひと夏の思い出だと割り切って成長してもらうしかない。
 そんな発展途上の小さな背に暖かい眼差しを送ってから、ゆっくりと視線を空に移した。
 今の出来事も、彼女は俺が大好きな笑みで眺めているのだろう。先輩は変わってないですね、なんて生意気な評価を口にしながら。

「……そんなことはない。男子三日会わざれば刮目かつもくして見よってな」

 俺はにっと口角を上げてから、再び前を向く。広がる夕景は、あの頃と何も変わらない。今年もまた、大好きな季節が巡ってきたのだ。



   第一章 馬鹿と殺意とドッペルゲンガー


「お願いします、私を殺してください」

 澄んだ声が、俺の部屋に一つ響いた。
 それはあまりにも突飛な願いだったが、少女の瞳から迷いは窺えず、ただならぬ覚悟が伝わってくる。真一文字に結ばれた薄い唇は、決意の表れであろう。
 ともあれ、まずは現状の把握が先決だ。
 むさ苦しさが否めない真夏のワンルーム。カーテンレールには洗濯物が吊り下げられ、過労死寸前のクーラーがごうごうと唸りを上げている。そして俺は、パンツ一枚のあられもない姿。そこに、同い年くらいの美少女が突然現れたのだ。
 この状況下で放つべき最善の言葉は、これしかない。

「……服を着る時間が欲しい」
「宣言しなくていいので、早く着てください」
「あ、はい」

 普通に注意されてしまう。どうやら、最悪の選択肢を選んでしまったらしい。俺は言われるがまま、パジャマを乱雑に掴み取った。もぞもぞと袖を通しつつ、小柄な不法侵入者を観察する。
 真っ白な肌に、ほんのりと紅潮した頬が映える。くっきりとした紺碧こんぺきの瞳は、見つめるだけで吸い込まれそうだ。艶のある黒いボブヘアーも、少女のやや丸い輪郭とマッチしている。
 まるで、童貞の妄想が具現化したような美少女だ。

「私の顔に、何かついていますか?」

 身に纏う服装もポイントが高い。白のワンピース自体はシンプルなアイテムだ。だが、どこか奥ゆかしい雰囲気が漂う少女の魅力により、見事に昇華されている。弘法が筆を選ばないように、美少女もまた服を選ばないのだろう。

「あの、あんまりジロジロ見ないでください……」

 少女が眉をひそめる。それさえも照れ隠しの演技に見えた。
 殺してくれなどと言っているが、目的は俺だろう。恐らく、脱兎だっとの如く家路を急ぐ俺の姿に惚れ込んだに違いない。古来より、足が速い男はとにかくモテるとされている。『走れメロス』が老若男女ろうにゃくなんにょに愛されているのも、ひとえに足が速いからだと睨んでいる。

「な、なんですかその目は」

 男の家に単身で乗り込むのは、さぞ緊張しただろう。こうして顔が強張るのも無理はない。高校生活二年目の夏にして、ようやく春が訪れました。ありがとうかみさま。

「そこの少女よ」
「は、はい」
「写真は何枚撮っても大丈夫だから、遠慮なく」
「あ。違います。ファンとかじゃないです」

 俺の言葉を手で遮るようにして、少女は主張した。おかしい、話が違う。

「じゃあ、なんで俺の部屋に」
「最初に言ったじゃないですか、すかぽんたん」
「……すかぽんたん」
墨染郁人すみぞめいくとさん、貴方を頼ってきたんです。私を殺してもらうために」

 少女は控えめな胸をむんと張る。だが、そうはっきりと言われても、俺はこの少女と面識がない。殺してほしいと頼まれて、わかりましたと請け負う伝説の殺し屋でもない。
 照れ隠しだと思っていたが、どうやら本当に殺害をご所望らしい。美少女に協力するのはやぶさかでないのだが、あまりにもぶっ飛んでいて脈絡がない。
 一体どういうことだろうか。
 話は見えないが、僅かな情報から答えを導き出すのは、俺の得意とするところだ。言葉とは、得てして額面通りに受け取ってはいけない。少女の意図をしっかりと汲み取る必要がある。
 俺はしばし熟考し、結論に辿り着いた。

「つまり、俺の魅力で悩殺しろってか……?」
「他の人を当たりますね」
「待って待って」

 反射的に止めてしまう。何がなんだかわからんが、この夏一番の暇つぶしになりそうな予感がぷんぷんと漂っている。これも一つの縁だろう。とりあえず謝罪を挟み、事情を聞くことにした。 

「では、どこからお話ししましょうか」
「生い立ちから恥ずかしい初恋まで、何でも聞くぞ」
「……要点だけ話しますね」
「あ、はい」

 じとりと睨まれ、得も言われぬ圧力が皮膚を突き刺してくる。俺は大人しくあぐらを組んで、言葉の続きを目で促した。

「実は私、もう死んじゃってるんですよ」
「でしょうな」
「あの、感想が薄くないですか?」

 少女はわかりやすく困惑した様子を見せる。
 とはいえ、最初からわかりきっていた事実だ。少女の姿は半透明だし、いきなり俺の部屋に現れた状況から察しても、この世の人間でないのは明らかである。

「私……幽霊なんですよ? もっとこう、驚かないです?」
「生きていれば、こういう出来事も多々あるよな」
「私が言うのもなんですけど、超絶レアケースだと思います」

 呆れた口調でツッコミが入るが、ここは古来より鬼や式神が駆け回る京都の町だ。少女の幽霊が現れたとしても、不思議でもなんでもない。それに、ノリで生きる男子高校生にとっては許容範囲内だった。

「まあ、君の正体はさておき……殺してほしいっていうのは?」
「私は、私に殺されたんです。だから、私を殺してほしくって」
「……なぞなぞか?」
「違います」

 瞬時に切り捨てられたが、俺の疑問は至極当然だろう。

「すまん。何がなんやら」
「わかりにくいと思うのですが、本当に私は私に殺されたんです。墨染先輩はドッペルゲンガーを知っていますか?」
「ああ、ドッペルゲンガーね」

 俺は重々しく頷く。
 自分自身にそっくりな容姿をしており、本人がそれを見ると死に至ると言われている存在だ。ドッペルゲンガーは死んだ人間に成り代わった後、何食わぬ顔で生活を続けるようだ。大抵は幻覚の症状として片付けられてしまうが、エイブラハム・リンカーンや芥川龍之介あくたがわりゅうのすけなどの著名人が、ドッペルゲンガーを目撃した記録があるらしい。
 頷いてみたものの、よくわからなかったのでスマホで調べている。
 エイブラハムが何か知らんが、アメリカではさぞかし有名なハムなのだろう。なんせアメリカは肉の国だ。全ての牛肉は、アメリカから輸出されているとテレビで聞いたことがある。

「待てよ。じゃあ黒毛和牛も、本当はアメリカなのか」
「何の話してるんですか」
「ドッペルゲンガーの話だけど」
「私たちの共通言語って、日本語で合ってますよね?」
「うぇ……っぐ……」
「な、泣かないでくださいよ!」

 あまりにも切れ味が鋭すぎて、思わず本気で落涙してしまった。干してあるタオルで涙を拭い、息を整えて再び少女の前に腰を下ろす。
 少女の瞳が俺を値踏みしている気がしたので、適当に話すのは終わりにして真面目に考えてみる。
 少女の状況と繋がる情報は、ドッペルゲンガーを見ると死に至る点だろう。わざわざこの話を持ち出したのは、意味があるはずだ。つまり。

「……君が死んだのは、実際に見てしまったから?」
「そうです。何もかもが一瞬でした」
「じゃあ、私を殺してくださいというのは」
「私の姿を模倣した、ドッペルゲンガーを殺してほしいんです」

 少女の発言の意図を理解した途端、俺は返す言葉を失ってしまう。静寂に包まれた部屋は、まるで現実から切り離されたかのようだった。

「呆気ないものでした。次に目が覚めたときには、この身体になっていたので。それだけなら、まだ良かったんですけどね。宙に浮かぶ私の下で、私じゃない私が家族と笑っているんです。そんなの……いくらなんでも納得できないです」

 少女の声が震える。歯を強く食いしばっているのだろうか、何かが欠けるような音が鳴った。

「ワケもわからないうちに、人生を奪われちゃったんです。それが、たまらなく悔しいんです。だから、私を殺してください。私と同じ姿をしたドッペルゲンガーを!」

 その叫びで、少女の身に起きた惨劇をありありと想像してしまった。
 ドッペルゲンガーに殺され、自分の居場所を奪われた挙げ句、幽霊となった顛末てんまつを。俺を真っ直ぐに見据えた瞳に、嘘はなさそうだった。

「……どうして、私だったのでしょうか」

 その問いかけの答えを、俺は持っていなかった。
 少女が大粒の涙を流す。理不尽に命を奪われたばかりか、自分ではない何かが自分として人生を歩んでいる。誰だって、そんな状態を受け入れられるはずがない。
 少女の心中をおもんぱかるが、俺ごときでは到底理解できない絶望を抱えているのだろう。少女の頭を撫でようとした手は、虚しく空を切る。
 もう誰にも、撫でてもらえないのか。
 その事実に気づいた瞬間、胸の中に得体の知れないやるせなさが広がった。

「私には、夢がありました。そのために必死で勉強した……なのに、なのに。私じゃない私が、のうのうと生活してるんです!」

 憤怒。嫉妬。絶望。羨望。怨嗟えんさ。激情。
 ドス黒い負の感情が少女の周りで渦を巻き、身を切り裂くような空気と化して部屋中を駆け回る。本棚が揺れ、写真立てが弾け飛ぶ。さらにはベッドの下の秘蔵文庫まで舞い上がり、俺の顔面に貼り付く大惨事だ。

「ストップ、ストップストップ!」

 宙に浮く少女の顔を見上げるようにして、俺は言葉を続ける。

「君の事情はわかった」

 これ以上、絶望の海に沈む少女を見過ごせなかった。
 出会って間もないとはいえ、会話を交わしたのならばもう友達だ。ノリと勢いで生きる高校生にとって、友達の定義なんてそんなもんだ。
 そして、友達の涙を放っておくなんて選択肢は、高校生には存在しない。
 少女を救えるかどうかはわからない。けれど、この衝動に身を任せないと後悔するのは確かだ。

「一人で背負わずに、俺にも背負わせろ。ドッペルゲンガーを殺すかどうかはさておき、まずは一緒に作戦を立てよう。殺害に踏み切る自信はないが、必ず別の手段があるはずだ。それを探すことは俺にだってできる」

 俺は満面の笑みを作り、拳を突き出す。

「やってやろうぜ、相棒」

 少女がゆっくりと顔を上げる。その目は真っ赤に充血していた。

「なんで、そんな簡単に決めちゃえるんですか」

 少女が震える声で俺に問いかける。協力を願ったのは彼女なのだが、それを指摘するほど野暮ではない。不安定な女子に必要なのは、包容力と愛の言葉だと有名なホストが言っていた。
 俺はなんでもないように、笑ってみせる。

「だって、泣いてるし」
「おかしいですよ。そんなの」
「この世に幽霊が存在するなら、それを助ける高校生がいても不思議じゃないだろ」

 俺の軽口に、少女は「なんですかそれ」と吹き出した。

「ってことで、これからよろしくな」
「……絶対に、後悔しますよ?」

 確かめるように少女が呟く。ここで見捨てるほうが後悔するのだが、真正面から伝えるのは少し恥ずかしかった。俺は頬を掻き、あくまでも軽薄を装う。

「なんとかなるでしょ、だって夏だし」

 少女は目を丸くした後、堪えきれないといった様子で破顔した。

「変な人ですね、本当に」

 そう言いながらも、ドス黒いオーラはいつの間にか霧散むさんしている。
 自他共に認める馬鹿と、幽霊になった美少女。この世には、八百万の神々のもとに様々な縁が存在する。俺たちがどのような奇怪な縁で結ばれたのかは、神のみぞ知るところだ。
 それでも俺は、胸の高鳴りを感じていた。


 俺たちは気分転換を兼ねて、夜の町を散歩していた。時刻は二十時前。梅雨真っ只中の京都だが、今夜は比較的涼しく、ふらふらするにはちょうどいい。
 仕事帰りのサラリーマンとすれ違ったタイミングで、豚骨スープの蠱惑こわく的な香りがふわりと漂ってきた。俺が居を構える一乗寺いちじょうじ近辺は、ラーメン屋がとにかく多いのだ。

「なあ、ラーメンについてどう思う?」
「えっ、なんですか? いきなりすぎません? まぁ、好きですけど、どちらかといえば……うどんが好きです」
「お。俺の実家は香川だぞ。うどんの国だ」
「そうなんですか? 聖地じゃないですか!」

 小麦トークで目を輝かせる幽霊少女は、名を白谷凛しらたにりんというらしい。
 凛の姿は俺にしか見えていない様子なので、ハンズフリーで通話しているふりをして誤魔化す。

「香川の人って、やっぱり毎日うどん食べるんですか?」
「俺は週に二回くらいだったな。そんなに食わん」
「意外です。お弁当もうどんかと思ってました」

 こんな調子で、俺と凛はだらだらと雑談のラリーを続けていく。
 凛は最初こそツンツンとしていたが、小ボケやツッコミを挟んでくるタイプで、意外と絡みやすい。これなら仲良くなれると踏んで、「凛たん」と呼んでみたら、それはやめてくださいと一蹴された。真面目ガールとの距離感は難しい。
 とはいえ、この散歩の目的は交流ではない。そろそろ本題を切り出してもいいタイミングだろう。俺は凛に視線を流し、あくまでも軽い口調で質問した。

「なんで、わざわざ俺を頼ってきたの?」
「え、えーと、それはですね」

 凛は答えにくそうに、視線を逸らす。普通に考えれば、こんな見ず知らずの馬鹿を頼るより、親や友達を頼るべきだろう。

「やっぱり、俺のファンなのか……?」
「本当に違うんで、二度と言わないでくださいね」
「あ、はい」

 俺が押し黙ると、凛は観念したように口を開いた。

「私をよく知っている人だと、いざってときの決心がつかないでしょうし。それに……周囲を混乱させたくなかったので」

 凛が述べた『いざ』は、言うまでもなくドッペルゲンガーの殺害を意味するのだろう。生前の凛を知る人間には、酷な話に違いない。

「あと、私は柳高校ヤナコーの一年生なんです」

 思わぬ名前が飛び出した。柳高校といえば、俺が日々勉学に励む学び舎だ。一年生の凛は、後輩にあたる。

「私のクラスでも、墨染先輩は有名なんですよ」
「まさか、ファンクラブでもあるのか?」
「……ノリで生きている超絶馬鹿がいるという噂でして」
「一気に雲行きが怪しくなってきたな」

 流れから察するに、どう転んでも好意的な意見は期待できないだろう。

「墨染先輩って、文化祭で校舎を丸焼きにしたんですよね」

 凛は確かめるように俺の顔を覗き込む。

「それが事実なら、俺は今ごろ牢屋だ」
「あれ。じゃあデマだったんですかね」
「いや……近いことはした」

 あれは去年の文化祭。
 俺は悪友と共に屋上に侵入し、土嚢どのうを積み上げて小さな山を築き上げた。そして蝋燭ろうそくを大の字に並べ、拡声器でこう宣言したのだ。

『これが、柳高校の送り火だー!』

 どうしても五山の送り火を文化祭で再現したかった。だからしてみた。もちろん、めちゃくちゃ怒られた。二週間の停学処分を食らい、田舎いなかの母ちゃんは泣いた。

「私、その話を聞いてなんて馬鹿なんだろうって感動しました。だから、何かあったら真っ先に墨染先輩を頼るって決めてたんです。実行力が伴った馬鹿は無敵なので!」

 頭上を一周するように凛が移動し、熱弁する。
 褒められているようで、けなされている。だが、これで合点がてんがいった。同じ学校に通いながらも面識がなく、ノリで何でもしてくれると噂の馬鹿は復讐劇にうってつけの人材と睨んだらしい。誰が馬鹿か。

「でも、初対面だよな? なんで俺の住所を知ってたんだ」
「同級生が鍵アカで、墨染先輩の部屋番号をさらしてましたから」
「待て待て待て」
「先輩のアパートって、有名ですよ?」

 どうやら、俺の知らぬところで住所が共有されているらしい。郵便受けに変な手紙が届いていたのはこのせいか。そういえば、この前は生きたこいが突っ込まれていた。もったいないので刺し身にして食べたが、しっかりと腹を下して地獄を味わった。

「墨染先輩は噂通りの馬鹿ですし、部屋は動物園みたいな臭いがして最悪でしたけど、信じて良かったです!」

 ものすごく酷い評価を口にしながら、凛が満面の笑みを浮かべる。
 俺は自分でも情けなくなるくらい単純なので、こんな顔をされると、住所なんて安いものだと思ってしまう。減るもんじゃないし。

「……まあいいや。頼ってくれてありがとう」
「はい。これで私たちは共犯者ですね」

 そう言いながら、凛はぺこりと頭を下げる。
 部屋で見せた闇の深さと、今のような明るい表情。相反した要素が目まぐるしく切り替わる姿に、どこか歪な印象を受けた。
 人間としての死と、霊体としての生。凛の魂はこの狭間で、大きく揺れ動いているのだろう。それならば、俺はできる限り馬鹿に徹し、彼女を明るくしてやろうじゃないか。
 そんな決心を固めながら、曼殊院道まんしゅいんみちを西に進む。
 お互いについては話し終えたので、話題を今後の方針に切り替えてみる。

「ドッペルゲンガーとはいえ、今はもう白谷凛として存在している。つまり、彼女を殺害するのはれっきとした犯罪だよな?」

 復讐を果たすには、法律という大きな壁が立ち塞がる。流石さすがの俺も、ノリと勢いで大罪を犯すほど無鉄砲な男ではない。凛は問題を咀嚼そしゃくするように、重々しく頷いた。

「……はい。殺してほしいとお願いしましたが、人間として殺害するのは最終手段だと考えています。まずはドッペルゲンガーについて、知るのが先決かと」
「なるほど。敵を知り、殺す以外の手段を探っていくつもりだな。もしかするとナメクジみたいに、塩でもかけたらしゅわしゅわ溶けていくかもしれんしな」

 俺の発言に、凛は吹き出した。

「それで済めば、楽なんですけどね」
「可能性はあるぞ。白菜だって、塩を振って放置したら水分が出るじゃん」
「そうですね」
「……牡蠣かきとかもさ、塩で揉めばヌメリがなくなるし」
「話の引き出しに塩しか入ってないんですか?」

 他の選択肢が思いつかず、鋭いツッコミを浴びる羽目はめになる。

「まあ、塩はともかく弱点を探る必要があります。ただ、私は人見知りなので、性格まで模しているなら手強いですね」

 凛は申し訳なさそうに顔を伏せる。

「凛が、人見知り?」

 出会ってから今まで、人見知りの要素など何一つ見せていない。俺は首を捻り、確認する。

「はい。特に初対面の男性が怖いですね。酷いときは、顔すら直視できません」

 俺の瞳を真っ直ぐに捉え、凛は断言した。直視だ。射貫かれるのではないかと、怖くなるほどの眼力である。
 話がおかしい。それならば、今まさに赤面して然るべきだろう。

「つまり俺は男性ではない?」
「あぁ、違います! 今はこんな状況なので、恥ずかしいとか言ってられないじゃないですか」

 なるほど。あたふたしながら赤面する姿も拝んでみたいが、それはドッペルゲンガーの凛に期待するしかないようだ。
 ここからは情報収集のため、凛の性格をもう少し掘り下げてみよう。

「凛たんは、どんな人と仲良くなりがち?」
「だから凛たんは駄目ですって」
「そっかぁ残念。で、どんな人よ」
「えっと、私は……優しい人が好きですね」

 凛がぼそぼそと小声で呟く。それは仲良くなる人の傾向ではなく、好きな異性のタイプなのではないか。

「……って、違います違います、今のナシで!」

 俺のニヤニヤした表情を察したのか、凛は顔を真っ赤にして慌てふためく。ありがとうかみさま、早くも望みが叶いました。

「なるほど、優しい男性ねぇ」

 俺がからかうと、凛の顔は猛毒を帯びたキノコのように真っ赤になった。

「あー、うるさい。すかぽんたん!」
「へっへっへ、よせやい」
「褒めてないですよ」

 凛が頬を膨らましながら睨んでくる。その仕草はたいそう可愛らしいのだが、これ以上は拗ねてしまいそうなので、俺は口をつぐんだ。


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