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 「いや、これ何なの」

 急に意識が浮上したと同時に飛び込んできた目の前の状況に、思わずボソリと呟いた。

 随分と見目の良い少年が、小柄な少女とイチャついている。
 私はどうやら異世界の令嬢の身体に意識が入り込んだようだが、この令嬢の記憶が知識としてあった。

 見目の良い少年は、この身体の令嬢セイラ・アシュトンの婚約者で、この国の王太子であるウィリアム・リオネット、銀色の髪に翡翠のような瞳の甘い顔をした長身、まあ今はその甘い顔を険しく顰めて私を睨んでいるけれど。小柄な少女は庶子の男爵令嬢でメイリン・ダート、ピンクブロンドのふわふわした髪をツインテールにして蜂蜜色の丸く大きな目を潤ませている。小柄で華奢な庇護欲を唆る容姿である。これは、正によくあるヒロインの容姿だとぼんやりと思った。
 ウィリアムに絡みつくように撓垂れ掛かっているメイリン、と、どうやら婚約者と浮気相手がイチャイチャしている様子を見せつけられているようだ。

 いやいや、婚約者の前で堂々と浮気相手とイチャつくとか有り得ないだろうよ、と内心突っ込んでいたら

 「貴様はまたメイリンを虐めたそうだな、メイリンは泣いていたんだぞ!」

 浮気している上にいきなり怒鳴りつけられた。
 無いわー、浮気相手を庇って婚約者を怒鳴りつけるとか無いわー、などと考えながらも、状況をしっかりと把握しなければ、と思い直して

 「そのような事には特に思い当たりませんが、とりあえず失礼します」

 クルリと踵を返してその場を立ち去った。
 背後でウィリアムがぎゃあぎゃあと罵りメイリンがグズグズと泣いている声がするが、私はそれどころではない。静かな所に行って状況を整理したい、出来ればこの身体の奥底に沈んでいる令嬢と意思の疎通を図りたい、と人気のなさそうな方向に歩みを進め、ひっそりとした裏庭に辿り着いた。

 『ねえ、貴女はセイラよね?』

 裏庭の隅にある木陰のベンチに腰をおろすと、心の中で話し掛ける。
 『ええ』と、奥底に沈み込んで蹲っている令嬢が小さな声で返事を返してくれた。

 『私、貴女の身体、乗っ取っちゃった感じになってるんだけど』

 私、はおそらく死んでしまったんだと思う。自分としての最後にある記憶が、猛スピードで走ってきた車にぶつかる瞬間だったから。
 
 『こんなわたくしの身体で良ければ·····』

 セイラの感情が私に流れ込んできたような気がした。悲しみとも苦しみとも全てが混じりあったような絶望にも似た感情。
 もしかしたら、セイラは死のうと思っていたのかもしれない。だから死んだ私の意識がセイラの中に入ったんだろう。
 
 身体の奥底に沈み込んだセイラと、同化していくような感覚がして、今までのセイラの記憶が全て見えてきた

 私はセイラの記憶を辿った。
 侯爵令嬢として、幼い頃から厳しく教育を受けて育ったセイラ。王太子と同じ年に産まれたセイラに両親は期待をかけていた。だからセイラも両親の期待に応える為に厳しい教育にも、泣いたり逃げたり弱音を吐く事もせずに必死に取り組んできた。そしてセイラは王太子の婚約者として選ばれた。喜ぶ両親の姿に、期待に応えられた事への喜びに溢れていた

 (そうか、セイラはご両親を愛しているのね。だからこんなにも嬉しそうなんだ)

 そう思いながら次々に記憶を辿っていく。

 一つ下の弟に本を読んであげたりと楽しそうに遊んでいる記憶。
 ウィリアムに小さな花を贈られて嬉しかった記憶。
 七歳からの王宮での教育。膨大な本を読み、マナーや行儀作法を身につけていく喜び。
 厳しくも優しい国王や王妃への尊敬と憧れ。
 そして、少しづつ芽生え大きく育っていく、ウィリアムへの恋心。

 セイラの大切な思い出として記憶に刻み込まれていた。

 その記憶の感情に陰がさし始めたのは、学園に入って、ウィリアムがメイリンに出会った頃からであった。
 メイリンと交流を深め、二人の仲を見せられながら、やってもない事でウィリアムに罵倒される日々。
 弟までもがメイリンに傾倒し、セイラを酷い姉だと詰る。

 セイラの苦しい記憶は、昨夜の記憶で終わっていた。
 両親にまで罵倒されるセイラ。父親が、よりにもよって、メイリンを養女に迎えると、セイラに告げたのだ。
 メイリンを養女にして、侯爵家の後ろ盾のもと、ウィリアムの婚約者になると。

 セイラの記憶は絶望に染まっていた。
 愛する両親や弟までもがメイリンに奪われ、そしてその絶望のままにウィリアムとメイリンの仲を見せつけられ罵倒されたのだ。

 その瞬間に私の意識がセイラに入ったのだろう。消えてしまいたいと、死んでしまいたいとセイラが強く願ったから。

 昨夜、枯れるほど泣いたセイラは、もう泣く事もなく無表情に沈み込んでいた。

 記憶を辿り終わった私は、爆発しそうな感情を抑えながら医務室に向かった。
 このまま教室に入れば、ウィリアムに殴り掛かってしまいそうだと思ったからである。

 このまま、セイラを絶望に染まったままにはしたくない。
 
 
 

 
 
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