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11.解放してやってくれ【前】
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室内遊園地で遊び始めてから1時間半が経った。2時間コースで入場したので、残りはあと30分だ。
疲れ知らずの子どもたちはボールプールで騒いでいる。慎一と桜太郎も同じエリアに入って彼らの相手をしていた。
ミントはベンチにもたれかかってその様子を眺めていたが、そろそろ静かに座るのも飽きてきた。
「自販機行くけど、お前らもなんかいる?」
声を掛けると「コーラ」「ぶどうジュース」とそれぞれの希望が返って来た。
「了解。無かったヤツは水な」
そう言って立ち上がる。電子マネーで購入予定なので、スマホさえ持っていけば問題ないだろう。
出口で途中退出のスタンプを手の甲に押してもらい、ショッピングモールの通路に出た。
「……ぶどうジュースって意外と無ぇんだよな」
トイレの入口脇に自動販売機を2台見つけたが、子どもたちが希望するラインナップは揃っていない。無ければ水だと保険をかけてはいるが、別の場所も見てやるか、とエスカレーターに向かう。
「ミントちゃん?」
知らない女の声がした。振り返ると、若い女性が眉間にしわを寄せながらこちらを見ている。ハイトーンベージュの長い髪と真っ黒のタイトワンピース。人工的なまつげに縁取られたグレーの瞳と、過剰に立体感を主張するメイクが施された顔。もはや元の造形がわからない。
――誰だ、こいつ。
少なくとも、学校関係者ではない。
怪訝そうな表情を浮かべるミントを数秒観察した後、女性は「やっぱり!」と顔を綻ばせた。
「ミントちゃんじゃない! 今までどこに行ってたのー? ママとっても心配してたのよ」
――ママ!?
視界がぐわんと揺れるような錯覚が起きた。女性が伸ばした手を咄嗟に避けるまでの数秒間、ミントは自分が知り得る情報と今の状況を照らし合わせ、事態を把握しようとした。
荒窪 爽人翠は児童養護施設に入所していた。
それまでは母親と2人で生活していたが、
深刻なネグレクトが発覚し児童相談所の職員によって保護……。
ーーこいつが。
ミントは警戒して後ずさった。
女は、「久しぶりね」と、まるで親戚の子どもに挨拶するような笑顔を向けてくる。
いかれてる。
我が子にまともな食料も与えず、栄養失調になっても放ったらかしていた女。
親権喪失が言い渡されても平気な顔で我が子を送り出した女。
ミントはふと、自分の手が震えていることに気づいた。本人の記憶は無くなっても、爽人翠の体が、彼女への恐怖を覚えているのだ。
「ママさみしかったの。一緒におうちに帰りましょ」
男に媚びるような、甘ったるい声。恐怖でぞわりと鳥肌が立つ。
ミントは咄嗟に周囲を見渡した。幸い、ここは休日のショッピングモールだ。叫べば誰かに助けてもらえる。
「俺にはもう新しい家があるから、あんたのもとには帰らない」
そう言うと、女はいかにも可笑しいといった風にクスクスと笑い始めた。
「どうしたの。ミントちゃんらしくない。
その新しいおうちの環境が悪いのね。可哀想、可哀想だわ。
さあ、こっちに来なさい」
女が両手を広げた。彼女が距離を詰めるたび、ミントは後ずさり距離を保とうとする。
「……親権剥奪されてんだろ。接触だって禁止されてるはずだ。通報されたくなかったら大人しく帰れ」
女の顔から笑みが消えた。
忌々しいものを見るような目つきに変わったかと思うと突然、彼女の体がミントに覆いかぶさった。
前ぶりが無かったせいで逃げ遅れたミントは、声を上げようとするが、女の手によって口を塞がれる。
「……!」
「親に逆らうんじゃねえよ。出来損ないが。こっちだってお前がいなきゃ金が入らねえから仕方なく迎えに来てやってんだよ」
感情のこもっていない低い声。これが本音なのだろう。
この言葉を聞くのが、爽人翠本人でなくて良かった。
しかし今はそれどころじゃない。助けを求めたいのに、口を開けられない。
このまま連れて行かれてしまうのだろうか。もしそうなったとして、自分はどうなるのだろう。
いかれた人間の考えることはわからない。監禁されるかもしれない。
誰も気づかないのか? これほど人通りが多い場所で誘拐事件が起ころうとしているのに。
異変を伝えようともがくが、周囲から見れば暴れる子どもとその親にしか映らないらしい。
引きずられるように連れていかれる。
平均的な12歳の男児なら抵抗出来るだろうが、ミントの体は発達が遅れており、見た目はせいぜい小学3年生だ。この貧弱な手足では、華奢な女にすら適わない。
情けなさと悔しさで、ぐっと目をつむった。
「木下くん!」
聞き慣れた声がして、はっと顔を上げた。
「……!」
ーー平原!
女の腕の隙間から、桜太郎の姿が見えた。
「誰、あんた」
女がギロリと桜太郎を睨む。そんな彼女を見て、桜太郎は、はっと驚いた表情を見せた。
この誘拐犯が爽人翠の生みの母親だと気づいたらしい。
「私はミントくんの担任です」
桜太郎はそう言って、つかつかとこちらに歩み寄って来た。
「担任……? なんでここに」
「児童の危機を教師が見過ごすわけないでしょう」
桜太郎は、ミントの首に巻き付いている女の腕を掴んだ。
疲れ知らずの子どもたちはボールプールで騒いでいる。慎一と桜太郎も同じエリアに入って彼らの相手をしていた。
ミントはベンチにもたれかかってその様子を眺めていたが、そろそろ静かに座るのも飽きてきた。
「自販機行くけど、お前らもなんかいる?」
声を掛けると「コーラ」「ぶどうジュース」とそれぞれの希望が返って来た。
「了解。無かったヤツは水な」
そう言って立ち上がる。電子マネーで購入予定なので、スマホさえ持っていけば問題ないだろう。
出口で途中退出のスタンプを手の甲に押してもらい、ショッピングモールの通路に出た。
「……ぶどうジュースって意外と無ぇんだよな」
トイレの入口脇に自動販売機を2台見つけたが、子どもたちが希望するラインナップは揃っていない。無ければ水だと保険をかけてはいるが、別の場所も見てやるか、とエスカレーターに向かう。
「ミントちゃん?」
知らない女の声がした。振り返ると、若い女性が眉間にしわを寄せながらこちらを見ている。ハイトーンベージュの長い髪と真っ黒のタイトワンピース。人工的なまつげに縁取られたグレーの瞳と、過剰に立体感を主張するメイクが施された顔。もはや元の造形がわからない。
――誰だ、こいつ。
少なくとも、学校関係者ではない。
怪訝そうな表情を浮かべるミントを数秒観察した後、女性は「やっぱり!」と顔を綻ばせた。
「ミントちゃんじゃない! 今までどこに行ってたのー? ママとっても心配してたのよ」
――ママ!?
視界がぐわんと揺れるような錯覚が起きた。女性が伸ばした手を咄嗟に避けるまでの数秒間、ミントは自分が知り得る情報と今の状況を照らし合わせ、事態を把握しようとした。
荒窪 爽人翠は児童養護施設に入所していた。
それまでは母親と2人で生活していたが、
深刻なネグレクトが発覚し児童相談所の職員によって保護……。
ーーこいつが。
ミントは警戒して後ずさった。
女は、「久しぶりね」と、まるで親戚の子どもに挨拶するような笑顔を向けてくる。
いかれてる。
我が子にまともな食料も与えず、栄養失調になっても放ったらかしていた女。
親権喪失が言い渡されても平気な顔で我が子を送り出した女。
ミントはふと、自分の手が震えていることに気づいた。本人の記憶は無くなっても、爽人翠の体が、彼女への恐怖を覚えているのだ。
「ママさみしかったの。一緒におうちに帰りましょ」
男に媚びるような、甘ったるい声。恐怖でぞわりと鳥肌が立つ。
ミントは咄嗟に周囲を見渡した。幸い、ここは休日のショッピングモールだ。叫べば誰かに助けてもらえる。
「俺にはもう新しい家があるから、あんたのもとには帰らない」
そう言うと、女はいかにも可笑しいといった風にクスクスと笑い始めた。
「どうしたの。ミントちゃんらしくない。
その新しいおうちの環境が悪いのね。可哀想、可哀想だわ。
さあ、こっちに来なさい」
女が両手を広げた。彼女が距離を詰めるたび、ミントは後ずさり距離を保とうとする。
「……親権剥奪されてんだろ。接触だって禁止されてるはずだ。通報されたくなかったら大人しく帰れ」
女の顔から笑みが消えた。
忌々しいものを見るような目つきに変わったかと思うと突然、彼女の体がミントに覆いかぶさった。
前ぶりが無かったせいで逃げ遅れたミントは、声を上げようとするが、女の手によって口を塞がれる。
「……!」
「親に逆らうんじゃねえよ。出来損ないが。こっちだってお前がいなきゃ金が入らねえから仕方なく迎えに来てやってんだよ」
感情のこもっていない低い声。これが本音なのだろう。
この言葉を聞くのが、爽人翠本人でなくて良かった。
しかし今はそれどころじゃない。助けを求めたいのに、口を開けられない。
このまま連れて行かれてしまうのだろうか。もしそうなったとして、自分はどうなるのだろう。
いかれた人間の考えることはわからない。監禁されるかもしれない。
誰も気づかないのか? これほど人通りが多い場所で誘拐事件が起ころうとしているのに。
異変を伝えようともがくが、周囲から見れば暴れる子どもとその親にしか映らないらしい。
引きずられるように連れていかれる。
平均的な12歳の男児なら抵抗出来るだろうが、ミントの体は発達が遅れており、見た目はせいぜい小学3年生だ。この貧弱な手足では、華奢な女にすら適わない。
情けなさと悔しさで、ぐっと目をつむった。
「木下くん!」
聞き慣れた声がして、はっと顔を上げた。
「……!」
ーー平原!
女の腕の隙間から、桜太郎の姿が見えた。
「誰、あんた」
女がギロリと桜太郎を睨む。そんな彼女を見て、桜太郎は、はっと驚いた表情を見せた。
この誘拐犯が爽人翠の生みの母親だと気づいたらしい。
「私はミントくんの担任です」
桜太郎はそう言って、つかつかとこちらに歩み寄って来た。
「担任……? なんでここに」
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