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5.好きだった?【前】

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「おはよー。ミント」

「……おー」

爽やかな挨拶を投げかけてきたのは、陽太だった。
少し前までミントを一方的に恨み、蔑み、
自分の影響力を駆使して孤立させた張本人。

あれから陽太は憑き物が落ちたように、
穏やかな笑顔を見せるようになった。

一変したボスの態度に
クラスメイトはいまだに戸惑っている。

本人は気にしておらず、
親子関係も回復したせいかいつも上機嫌だ。

もともと本人が勘違いしていただけで、
両親は彼をちゃんと愛していたのだろう。

「そろそろ学習発表会の練習だなー」

「あー、そういえばそうか」

学習発表会。
教師の立場だと、これ程面倒なイベントは無かった。
基本的に演目は演劇なのだが、大道具は教師による残業の賜物だ。

同学年担当だった桜太郎は、高すぎる理想を提案する割には地獄のように不器用だった。

……去年は結局ほとんど俺が作ったんだよな。

思い出しても吐きそうだ。

よく考えたら、あいつは結局買い出しと簡単な色塗りを担当しただけだった。
それ以外はずっと横で作業を見ていた。
邪魔だから帰れと言っても絶対動かなかった。ど真面目なのだ。

「お、今日も2人仲良く登校だな」

校門に着くと、桜太郎が嬉しそうに2人を出迎えた。

照れ臭そうに笑う陽太を、ミントはげんなりした表情で一瞥した。

「誰がこんなやつと仲良くするか。家が近いだけだから」

「冷たいこと言うなよ、そういえば父さんにお前の話をしたら今度家に遊びに来てもらえってさー」

「何だその不穏なお誘いは」

……騙して脅した報復に殺されそうだ。誰が行くもんか。

「不穏じゃねえよ、俺らもう親友だろ」

「しんゆ……っ。図々しい」

こないだまでミントに何をしてきたか簡単に忘れやがって。これだから子どもは。

「ワガママになれってお前が言ったんだぜ」

ドヤ顔。そんな彼を、ミントは鬱陶しそうに見た。

「よし、素直に言うことを聞くのは良いことだ。次は謙虚さを身につけろ」

「けんきょって何? あ、また面倒くさそーにする。お前は優しさを身につけたほうが良いぞ」

「先生もそう思う」

桜太郎がジトリとミントを睨んだ。目に余る態度だったらしい。

陽太が他の友達に呼ばれてその場から離れると、桜太郎は「ちょっと」とミントの目線に合わせて屈んだ。

「なんだよ」

「陽太くんはあれで良いみたいだけど、誰にでもあんな態度じゃダメだよ。あんなにドライだと相手によっては傷つけるよ」

「わかってら」

対人方法について、彼から説教を受けるのは何とも抵抗がある。

「まあわかってるなら良いんだけど……、その」

「……?」

本当に伝えたいのはさっきの説教ではなかったのだろうか。

何か言いにくそうに口籠る桜太郎を、
ミントは怪訝そうに見つめた。

「木下くんってさ、手先器用?」

「……」

この先に続く言葉が想像できる。
ミントはこれでもかと顔を歪めた。

「大道具作りだろ」

驚いて目を丸くする桜太郎。

「何でわかったの」

「大体わかんだよ。でもなんで俺?」

今のミントは一児童だ。
中身が策也であることはさすがに気づかれてない。

「こんなこと子どもに頼めないだろう?」

「いつの間に俺は子ども認定から外れてんだよ……。 まあいいや、手伝ってやる」

「本当?」

安堵から顔を綻ばせる桜太郎。
その様子に、ミントはふっと目尻を下げた。

ーー前から思ってたけど、こいつ反応が素直なんだよな。

教師時代はそこも鬱陶しいとすら思っていた。
それでも本当の意味で嫌いになれなかったのは、こいつのこういうところかもしれない。

気づくと、桜太郎が目を丸くしてこちらを見ている。

「なに?」

「本当、大人みたいに笑うんだね」

「あー、そう?」

「いや、大人みたい、というか……」

桜太郎は、「彼」が他校から赴任して来て3ヶ月目の、ある夏の日を思い出した。


**

当時、桜太郎は1年生担当で、策也は3年生担当だった。

ガラの悪い教師が赴任してきたな、と一方的に苦手意識を持っていたことを覚えている。

9月に迫る運動会で児童が披露する、ダンスの振り付けを任された桜太郎は追い詰められていた。

「毎日残業してね?」

「えっ」

定時を1時間ほど過ぎた頃、索也が声をかけてきた。驚いて顔を上げる桜太郎に、彼はきょとんと首を傾げた。

まともに話しかけられたのは、それが初めてだった。

「今の時期、そんな忙しいことある?」

「あ、運動会のダンスの振り付けが……、何をどうしていいか全然わからなくて……」

「寺前は? あいつベテランだし何とかやるだろ」

寺前とは、桜太郎と同じ1年生担当の年配教師だった。

「いや、こういうのは若手の仕事だって……」
 
「押し付けられてやんの」

呆れたように言って、策也は桜太郎の隣、寺前のデスクにどかりと腰を下ろした。

デスクの持ち主はとっくに定時退社している。

「ほら、これ見てみ」

何やらスマートフォンを操作したかと思えば、
彼はその画面をずいと桜太郎の目の前に突き出した。

「これって」

動画投稿サイトだった。
女性2人組が流行りの曲に乗せてダンスを披露している。

タイトルには「〇〇の簡易振り付け考えてみた~運動会にも使える!~」とある。

「今年2年生が踊る振り付けと全く同じだ! あれって岸中先生が考えたんじゃなかったんだ……」

「丸パクリでいいんだよ、こんなもんは」

「知らなかった……」

目を見開いて動画を見つめる桜太郎。
その肩に入る力が抜けていく。

「木下先生、ありがとうございます! これなら俺でもなんとか……」

言いながら顔を上げると、索也と目が合った。

目尻を下げながら優しく微笑む彼は、
普段から学年主任に小言を言われ続けるだらしない姿とは別人のようだった。

「この為に毎日残業してたの? おまえ。ばっかだな。効率悪いやつ」

目を細めて笑う彼に、「なんでそんなこと言うんですか」と。かろうじて抗議する。

桜太郎は頬が熱くなるのを悟られないよう、俯いた。

「あれ? 怒った?」

覗き込んで来る策也を、「もう帰ってください!」と睨みつける。

「なんだそれー。助けてやったのに」

不服そうに言いながら、彼はカバンを手に立ち上がった。

「じゃあ明日。残業もほどほどにな」

「……はい。ありがとうございます」

心臓がうるさくて、まともに声が出ない。

ーーどうしよう、どうしよう。

明日からも、毎日顔を合わせる相手なのに。

それから2年、桜太郎は相手が不慮の事故で亡くなるあの日まで
必死に想いを隠して生活するのだった。
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