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護衛のパラディン大佐隊編(【04】の裏)
01 頼みの綱は人切り班長(ヴァッサゴ視点)
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ヴァッサゴが朝一で行くよう指示された、パラディン大佐隊第十一班の第一号待機室。
そこは、同第十二班の第一号待機室とはまた違う種類の緊張感に満ちていた。
その原因は考えるまでもなく、ヴァッサゴの隣席で悠々とコーヒーを飲んでいる金髪緑眼の男――エリゴールである。
今でこそ平隊員だが、かつてマクスウェル大佐隊で第四班班長をしていたときの彼のあだ名は〝人切り班長〟だった。
無論、刃物で誰彼かまわず切っていたわけではない。彼は自分が不要だと判断した隊員を、殺人以外のあらゆる手段――だいたい個人情報の漏洩が多かった――を使って、隊から排除していたのだ。
だが、エリゴールの判断はおおむね正しかった。マクスウェルが〝栄転〟する前から、マクスウェル大佐隊の真の隊長は、第七班班長ヴァラク――今はダーナ大佐隊所属元マクスウェル大佐隊隊長兼第七班班長――だったが、彼があの隊を掌握できていたのは、エリゴールが〝人切り〟をしていたからでもあっただろう。
しかし、自分の部下まで切っていたところが、ヴァラクの癇に障っていたようだ。名実ともに元マクスウェル大佐隊の隊長となってからは、さながらエリゴールのように、隊から彼を放逐した。
かくいうヴァッサゴもヴァラクに切られた一人だが、自分の場合は当然だろうと今では納得している。むしろ、あの隊で一応班長にまでなれて、エリゴールにも切られなかったことのほうが奇跡だ。
だが、今この待機室にいる第十一班の班員たち――マクスウェル大佐隊では第八班に所属していた彼らは、そんなことは知らない。彼らにとっては、エリゴールは変わらず〝人切り班長〟なのだ。触らぬ神に祟りなしとばかりに遠巻きにしているが、時々ちらちらとエリゴールを見る目が怯えきっている。
もちろん、今のエリゴールにそんなことをするつもりはまったくない。しかし、彼らの上官である第十一班班長――マクスウェル大佐隊では第八班班長だったロノウェにも、そう言って彼らを安心させるつもりはまったくないようだ。自分自身がエリゴールに弱みを握られているせいだろうか。
(でも、俺はここにエリゴールがいてくれて助かった……)
間違いなくついでに淹れてもらったコーヒーを啜りながら、ヴァッサゴはしみじみと思う。
ロノウェもまた、なぜあの隊で班長になれたのか不思議な班長の一人だが、粗野な外見や言動とは裏腹に、人情はとてもある。まさに〝愛すべき馬鹿〟で、〝裏班長会議〟(ヴァラクが気まぐれに招集していた班長七名によるようするに飲み会)では、気軽に話もできた。
問題は、そのロノウェの補佐をしている、第一号副長レラージュである。
〝裏班長会議〟により、ロノウェの班に配属されることになったこの青年は、エリゴールと同じく金髪緑眼の、しかしエリゴールとは別系統の美形である。
初めて見たとき、美形を見慣れてしまったヴァッサゴでも、これはまさしく美青年だと素直に思った。だが、そのせいなのか何なのか、中身は歪みきっていた。そこはエリゴールとよく似ている。
そのレラージュは今、ロノウェの隣席、ヴァッサゴの対面で、黙々と携帯端末をいじっていた。
ロノウェの分と一緒にエリゴールとヴァッサゴのコーヒーも淹れてはきたが、ロノウェの手前仕方なくというのが無表情でも滲み出ていた。結局、ヴァッサゴがコップのホルダーに手を伸ばしたのは、ロノウェとエリゴールの後である。コーヒー自体はうまかったが、絶対自分に話しかけるなオーラを放っているレラージュに礼を言う気にはとうていなれなかった。
そもそも、ヴァッサゴがいるべきは、この第十一班の第一号待機室ではなく、第十二班の第一号待機室である。
しかし今朝、その第十二班の班長であるザボエス――マクスウェル大佐隊では第十班班長だった――から、今日は直接ロノウェのところに行け、パラディン大佐の命令だと携帯電話で指示されたのだった。
ついにこの日が来たかとヴァッサゴは思ったが、もちろん、ザボエスには言わず、わかったとだけ答えて電話を切った。
ムルムス――マクスウェル大佐隊では第九班班長だった――の服毒自殺が、実はザボエスの画策による他殺だったことは、すでにエリゴールから知らされている。
もちろん驚いたが、嘘だとは思わなかった。ザボエスならそんなことをしでかしていてもおかしくない。
あの赤毛の大男は、普段は硬軟両面を併せ持つ、理想的な班長である。〝裏班長会議〟でも、会話しやすい部類に入った。
だが、それはあくまで〝普段は〟、だ。ヴァラクと比べるとわかりにくいが、彼にもいくつか〝地雷〟がある。今回の場合、ムルムスは〝他言してはならないことを他言する〟という〝地雷〟を見事に踏み抜いてしまったのだ。
ザボエスが恐ろしいかと訊かれれば恐ろしい。しかし、ムルムスに対して同情心はいっさい持てない。彼はその前にヴァラクの〝地雷〟も踏んでいる。パラディン大佐隊に転属されていなければ、いずれヴァラクに〝戦死〟させられていただろう。無関係な人間たちを巻き添えにして。
この件は、ロノウェとレラージュも知っているそうだ。彼らはムルムスとは違う。ヴァッサゴに打ち明けることは永遠にないだろう。
もちろんヴァッサゴも、エリゴール以外と話すつもりはない。それでも、できることならムルムスの死の真相は教えてもらいたくなかった。
自分にも話したのは、おまえもザボエスには気をつけろという遠回しな忠告か。それとも、秘密を分かち合う仲間が欲しかったからなのか。
(確かに、ヴァラクの〝地雷〟のことまで知っているのは、エリゴールの他にはもう俺だけか……)
そう考えて、かなり冷めてきたコーヒーを喉に流しこんだときだった。
待機室の隅に置かれている電話機が鳴り出し、エリゴールとレラージュ以外の全員がびくりと体を震わせた。
特に、その電話機の前に座っていた班員――おそらくは電話番の動揺はすさまじく、蒼白な顔でパネルを凝視しながら、おそるおそる受話器を手に取った。
「お待たせいたしました……第十一班第一号待機室であります……」
班員たちが息を呑んで見つめる中、電話番の顔色はさらに悪くなった。そして、見たくない、話しかけたくないというのがありありとわかる緩慢な動きで、エリゴールを振り返った。
「も、元四班長……」
緊張のためだろう、電話番の声は少し裏返っていた。だが、エリゴールはそれを嘲笑うようなことはせず(四班長時代ならたぶんした)、ごく普通に問い返した。
「何だ? パラディン大佐の副官か?」
「そ、そうですが……何でわかったんですか?」
「いや、ここにその電話使ってかけてくるのは大佐の副官くらいだろ。で、俺にどうしろって?」
「は、はい、今すぐ大佐の執務室に来るようにと……」
「わかった。ただちに参りますって言っといてくれ」
間髪を入れずエリゴールが答えると、電話番は心底ほっとしたように叫んだ。
「りょ、了解しました!」
「何の用かは訊かねえのかよ?」
コーヒーを飲み干してから立ち上がったエリゴールに、ロノウェが濁声で怪訝そうに訊ねる。
その背後では、無事任務を終えて突っ伏した電話番を班員たちが取り囲み、よくやった、今日は何かおごってやるからと背中を撫でて労っていた。
「何の用だろうが、上官に呼ばれたら問答無用で行くしかねえだろ。ま、もう想像はついてる。とりあえず、俺はこれを大佐に渡す!」
そう言いながらエリゴールが懐から引き出したのは、一通の封書だった。
「退役願! 持ち歩いてんのかよ!」
ロノウェは呆れたような声を上げたが、エリゴールはまったく頓着しなかった。
「ああ、いつでも渡せるようにな! やっと日付を入れられる!」
「エリゴール……おまえ、本気でそれを受理してもらえると思ってんのか?」
内輪では馬鹿の代名詞のように言われているロノウェだが、こういう方面では実は馬鹿ではない。エリゴールを見上げている褐色のぎょろ目には、哀れみの色さえ浮かんでいた。
しかし、今のエリゴールは、以前はわかったはずのこともわからなくなっている。ロノウェの問いに堂々とこう切り返した。
「受理されない理由がねえ!」
「マジかよ……」
「じゃ、行ってくる」
誰にともなくエリゴールは言うと、退役願を懐に戻しながら、足早に待機室を出ていった。
自動ドアが閉まってから数秒後。班員たちは安堵から、ロノウェは呆れから、それぞれ溜め息を吐き出した。
「どう考えたって、辞めさせてもらえるわけがねえだろうが……」
「俺もそう思うが……エリゴールにはわからないらしい」
ヴァッサゴが受け答えると、ロノウェはそういえばおまえもいたんだったというような顔をした。そう思われても仕方はないが、多少は傷つく。
「そういや、何で呼ばれたかはもうわかってるみたいなこと言ってたが、おまえは知ってんのか? ヴァッサゴ」
よかった。名前は覚えてくれていたようだ。ロノウェ以上に失礼なことを考えながら、まあ、たぶんあれじゃないかと思ってはいるが、と言いさした。
「何だ?」
「あくまでたぶんだが。……アンドラスが退役する」
ロノウェは眉間に皺を寄せてから、いかにも元マクスウェル大佐隊員らしいことを口にした。
「エリゴールが切ったのか?」
「ああ。直接会わずに電話だけで」
それだけでロノウェはすべてを悟ったようだ。パイプ椅子に背中を預けると、声を立てて笑い出した。
「アンドラスを引っかけたのか。そりゃあ、エリゴールには造作もねえことだったろうな。アンドラス、大馬鹿だから」
「確かに、何であれで騙されるのか不思議なくらいだったが、もし俺が同じことを言われてたら、やっぱり騙されてたかもしれない……」
ロノウェは真顔になって言った。
「俺は騙される気しかしねえ」
「何にせよ、よかったじゃないですか」
今まで我関せず状態だったレラージュが、相変わらず携帯端末を操作しつづけながら、いきなり割りこんできた。
「班長の希望どおり、元四班長が元五班長を切ってくれて。これでもう元五班長を殴るのを我慢せずに済みますよ」
「それはまあ、ありがてえが……このこと、ザボエスは知ってんのか?」
ザボエスの名を出したとき、わずかだがロノウェの顔が歪んだ。ムルムスの件に関して、彼自身は反感を覚えているのだろう。
もしかしたら、マクスウェル大佐隊の班長経験者の中でいちばんまともな倫理観の持ち主は、この男なのかもしれない。馬鹿は嫌いだと公言していたヴァラクが、〝裏班長会議〟には必ずこの男も招集していた真の理由も。
「俺は何も言ってないし、エリゴールも話してはいないと思うが……たぶん、勘づいてんじゃねえかな。俺に直接ここに行けって電話してきたとき、妙に機嫌がよかった」
「ああ……あいつもアンドラス嫌ってたからな。まあ、嫌ってたのはあいつだけじゃねえが」
「俺もほっとしたが、次に切られるのは俺かもしれない……」
九割本気で呟くと、ロノウェは驚いたように目を見張った。
「いや、おまえは大丈夫だろ。エリゴールに気に入られてるし」
これにはヴァッサゴも驚いた。
「気に入られてる? 俺が?」
と、ロノウェはにやにやと意地悪く笑った。
「少なくとも、アンドラスよりは」
ヴァッサゴは肩を落としてうなだれた。
「比較対象が低すぎる……」
「おまえもおとなしそうな顔して、言うことは言うよな」
「一応、元班長ですからね。俺は今でも信じられませんけど」
さりげなく嫌味を言われて、ヴァッサゴはすぐに顔を上げたが、レラージュの目は携帯端末に向けられたままだった。
「おまえの副長は、言いたいこと言うよな……」
思わずそう言うと、ロノウェは諦めきった顔をして嘆息した。
「しょうがねえ……こいつに口で対抗できるのはエリゴールくれえだ……」
ヴァッサゴはテーブルの上で両手を組み、心から祈った。
(エリゴール……早く戻ってきてくれ……!)
隊が変わっても、肩書が変わっても、結局、ヴァッサゴの頼みの綱は〝人切り〟だけだった。
そこは、同第十二班の第一号待機室とはまた違う種類の緊張感に満ちていた。
その原因は考えるまでもなく、ヴァッサゴの隣席で悠々とコーヒーを飲んでいる金髪緑眼の男――エリゴールである。
今でこそ平隊員だが、かつてマクスウェル大佐隊で第四班班長をしていたときの彼のあだ名は〝人切り班長〟だった。
無論、刃物で誰彼かまわず切っていたわけではない。彼は自分が不要だと判断した隊員を、殺人以外のあらゆる手段――だいたい個人情報の漏洩が多かった――を使って、隊から排除していたのだ。
だが、エリゴールの判断はおおむね正しかった。マクスウェルが〝栄転〟する前から、マクスウェル大佐隊の真の隊長は、第七班班長ヴァラク――今はダーナ大佐隊所属元マクスウェル大佐隊隊長兼第七班班長――だったが、彼があの隊を掌握できていたのは、エリゴールが〝人切り〟をしていたからでもあっただろう。
しかし、自分の部下まで切っていたところが、ヴァラクの癇に障っていたようだ。名実ともに元マクスウェル大佐隊の隊長となってからは、さながらエリゴールのように、隊から彼を放逐した。
かくいうヴァッサゴもヴァラクに切られた一人だが、自分の場合は当然だろうと今では納得している。むしろ、あの隊で一応班長にまでなれて、エリゴールにも切られなかったことのほうが奇跡だ。
だが、今この待機室にいる第十一班の班員たち――マクスウェル大佐隊では第八班に所属していた彼らは、そんなことは知らない。彼らにとっては、エリゴールは変わらず〝人切り班長〟なのだ。触らぬ神に祟りなしとばかりに遠巻きにしているが、時々ちらちらとエリゴールを見る目が怯えきっている。
もちろん、今のエリゴールにそんなことをするつもりはまったくない。しかし、彼らの上官である第十一班班長――マクスウェル大佐隊では第八班班長だったロノウェにも、そう言って彼らを安心させるつもりはまったくないようだ。自分自身がエリゴールに弱みを握られているせいだろうか。
(でも、俺はここにエリゴールがいてくれて助かった……)
間違いなくついでに淹れてもらったコーヒーを啜りながら、ヴァッサゴはしみじみと思う。
ロノウェもまた、なぜあの隊で班長になれたのか不思議な班長の一人だが、粗野な外見や言動とは裏腹に、人情はとてもある。まさに〝愛すべき馬鹿〟で、〝裏班長会議〟(ヴァラクが気まぐれに招集していた班長七名によるようするに飲み会)では、気軽に話もできた。
問題は、そのロノウェの補佐をしている、第一号副長レラージュである。
〝裏班長会議〟により、ロノウェの班に配属されることになったこの青年は、エリゴールと同じく金髪緑眼の、しかしエリゴールとは別系統の美形である。
初めて見たとき、美形を見慣れてしまったヴァッサゴでも、これはまさしく美青年だと素直に思った。だが、そのせいなのか何なのか、中身は歪みきっていた。そこはエリゴールとよく似ている。
そのレラージュは今、ロノウェの隣席、ヴァッサゴの対面で、黙々と携帯端末をいじっていた。
ロノウェの分と一緒にエリゴールとヴァッサゴのコーヒーも淹れてはきたが、ロノウェの手前仕方なくというのが無表情でも滲み出ていた。結局、ヴァッサゴがコップのホルダーに手を伸ばしたのは、ロノウェとエリゴールの後である。コーヒー自体はうまかったが、絶対自分に話しかけるなオーラを放っているレラージュに礼を言う気にはとうていなれなかった。
そもそも、ヴァッサゴがいるべきは、この第十一班の第一号待機室ではなく、第十二班の第一号待機室である。
しかし今朝、その第十二班の班長であるザボエス――マクスウェル大佐隊では第十班班長だった――から、今日は直接ロノウェのところに行け、パラディン大佐の命令だと携帯電話で指示されたのだった。
ついにこの日が来たかとヴァッサゴは思ったが、もちろん、ザボエスには言わず、わかったとだけ答えて電話を切った。
ムルムス――マクスウェル大佐隊では第九班班長だった――の服毒自殺が、実はザボエスの画策による他殺だったことは、すでにエリゴールから知らされている。
もちろん驚いたが、嘘だとは思わなかった。ザボエスならそんなことをしでかしていてもおかしくない。
あの赤毛の大男は、普段は硬軟両面を併せ持つ、理想的な班長である。〝裏班長会議〟でも、会話しやすい部類に入った。
だが、それはあくまで〝普段は〟、だ。ヴァラクと比べるとわかりにくいが、彼にもいくつか〝地雷〟がある。今回の場合、ムルムスは〝他言してはならないことを他言する〟という〝地雷〟を見事に踏み抜いてしまったのだ。
ザボエスが恐ろしいかと訊かれれば恐ろしい。しかし、ムルムスに対して同情心はいっさい持てない。彼はその前にヴァラクの〝地雷〟も踏んでいる。パラディン大佐隊に転属されていなければ、いずれヴァラクに〝戦死〟させられていただろう。無関係な人間たちを巻き添えにして。
この件は、ロノウェとレラージュも知っているそうだ。彼らはムルムスとは違う。ヴァッサゴに打ち明けることは永遠にないだろう。
もちろんヴァッサゴも、エリゴール以外と話すつもりはない。それでも、できることならムルムスの死の真相は教えてもらいたくなかった。
自分にも話したのは、おまえもザボエスには気をつけろという遠回しな忠告か。それとも、秘密を分かち合う仲間が欲しかったからなのか。
(確かに、ヴァラクの〝地雷〟のことまで知っているのは、エリゴールの他にはもう俺だけか……)
そう考えて、かなり冷めてきたコーヒーを喉に流しこんだときだった。
待機室の隅に置かれている電話機が鳴り出し、エリゴールとレラージュ以外の全員がびくりと体を震わせた。
特に、その電話機の前に座っていた班員――おそらくは電話番の動揺はすさまじく、蒼白な顔でパネルを凝視しながら、おそるおそる受話器を手に取った。
「お待たせいたしました……第十一班第一号待機室であります……」
班員たちが息を呑んで見つめる中、電話番の顔色はさらに悪くなった。そして、見たくない、話しかけたくないというのがありありとわかる緩慢な動きで、エリゴールを振り返った。
「も、元四班長……」
緊張のためだろう、電話番の声は少し裏返っていた。だが、エリゴールはそれを嘲笑うようなことはせず(四班長時代ならたぶんした)、ごく普通に問い返した。
「何だ? パラディン大佐の副官か?」
「そ、そうですが……何でわかったんですか?」
「いや、ここにその電話使ってかけてくるのは大佐の副官くらいだろ。で、俺にどうしろって?」
「は、はい、今すぐ大佐の執務室に来るようにと……」
「わかった。ただちに参りますって言っといてくれ」
間髪を入れずエリゴールが答えると、電話番は心底ほっとしたように叫んだ。
「りょ、了解しました!」
「何の用かは訊かねえのかよ?」
コーヒーを飲み干してから立ち上がったエリゴールに、ロノウェが濁声で怪訝そうに訊ねる。
その背後では、無事任務を終えて突っ伏した電話番を班員たちが取り囲み、よくやった、今日は何かおごってやるからと背中を撫でて労っていた。
「何の用だろうが、上官に呼ばれたら問答無用で行くしかねえだろ。ま、もう想像はついてる。とりあえず、俺はこれを大佐に渡す!」
そう言いながらエリゴールが懐から引き出したのは、一通の封書だった。
「退役願! 持ち歩いてんのかよ!」
ロノウェは呆れたような声を上げたが、エリゴールはまったく頓着しなかった。
「ああ、いつでも渡せるようにな! やっと日付を入れられる!」
「エリゴール……おまえ、本気でそれを受理してもらえると思ってんのか?」
内輪では馬鹿の代名詞のように言われているロノウェだが、こういう方面では実は馬鹿ではない。エリゴールを見上げている褐色のぎょろ目には、哀れみの色さえ浮かんでいた。
しかし、今のエリゴールは、以前はわかったはずのこともわからなくなっている。ロノウェの問いに堂々とこう切り返した。
「受理されない理由がねえ!」
「マジかよ……」
「じゃ、行ってくる」
誰にともなくエリゴールは言うと、退役願を懐に戻しながら、足早に待機室を出ていった。
自動ドアが閉まってから数秒後。班員たちは安堵から、ロノウェは呆れから、それぞれ溜め息を吐き出した。
「どう考えたって、辞めさせてもらえるわけがねえだろうが……」
「俺もそう思うが……エリゴールにはわからないらしい」
ヴァッサゴが受け答えると、ロノウェはそういえばおまえもいたんだったというような顔をした。そう思われても仕方はないが、多少は傷つく。
「そういや、何で呼ばれたかはもうわかってるみたいなこと言ってたが、おまえは知ってんのか? ヴァッサゴ」
よかった。名前は覚えてくれていたようだ。ロノウェ以上に失礼なことを考えながら、まあ、たぶんあれじゃないかと思ってはいるが、と言いさした。
「何だ?」
「あくまでたぶんだが。……アンドラスが退役する」
ロノウェは眉間に皺を寄せてから、いかにも元マクスウェル大佐隊員らしいことを口にした。
「エリゴールが切ったのか?」
「ああ。直接会わずに電話だけで」
それだけでロノウェはすべてを悟ったようだ。パイプ椅子に背中を預けると、声を立てて笑い出した。
「アンドラスを引っかけたのか。そりゃあ、エリゴールには造作もねえことだったろうな。アンドラス、大馬鹿だから」
「確かに、何であれで騙されるのか不思議なくらいだったが、もし俺が同じことを言われてたら、やっぱり騙されてたかもしれない……」
ロノウェは真顔になって言った。
「俺は騙される気しかしねえ」
「何にせよ、よかったじゃないですか」
今まで我関せず状態だったレラージュが、相変わらず携帯端末を操作しつづけながら、いきなり割りこんできた。
「班長の希望どおり、元四班長が元五班長を切ってくれて。これでもう元五班長を殴るのを我慢せずに済みますよ」
「それはまあ、ありがてえが……このこと、ザボエスは知ってんのか?」
ザボエスの名を出したとき、わずかだがロノウェの顔が歪んだ。ムルムスの件に関して、彼自身は反感を覚えているのだろう。
もしかしたら、マクスウェル大佐隊の班長経験者の中でいちばんまともな倫理観の持ち主は、この男なのかもしれない。馬鹿は嫌いだと公言していたヴァラクが、〝裏班長会議〟には必ずこの男も招集していた真の理由も。
「俺は何も言ってないし、エリゴールも話してはいないと思うが……たぶん、勘づいてんじゃねえかな。俺に直接ここに行けって電話してきたとき、妙に機嫌がよかった」
「ああ……あいつもアンドラス嫌ってたからな。まあ、嫌ってたのはあいつだけじゃねえが」
「俺もほっとしたが、次に切られるのは俺かもしれない……」
九割本気で呟くと、ロノウェは驚いたように目を見張った。
「いや、おまえは大丈夫だろ。エリゴールに気に入られてるし」
これにはヴァッサゴも驚いた。
「気に入られてる? 俺が?」
と、ロノウェはにやにやと意地悪く笑った。
「少なくとも、アンドラスよりは」
ヴァッサゴは肩を落としてうなだれた。
「比較対象が低すぎる……」
「おまえもおとなしそうな顔して、言うことは言うよな」
「一応、元班長ですからね。俺は今でも信じられませんけど」
さりげなく嫌味を言われて、ヴァッサゴはすぐに顔を上げたが、レラージュの目は携帯端末に向けられたままだった。
「おまえの副長は、言いたいこと言うよな……」
思わずそう言うと、ロノウェは諦めきった顔をして嘆息した。
「しょうがねえ……こいつに口で対抗できるのはエリゴールくれえだ……」
ヴァッサゴはテーブルの上で両手を組み、心から祈った。
(エリゴール……早く戻ってきてくれ……!)
隊が変わっても、肩書が変わっても、結局、ヴァッサゴの頼みの綱は〝人切り〟だけだった。
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