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箱の中【R18】
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ふと目を覚ますと、隣に夫がいなかった。
(たぶんトイレね)
知美はそう思い、すぐに寝直そうとしたが、なかなか寝つけず、夫も戻ってこない。
(まさか、トイレで倒れてるんじゃ……)
心配になって、様子を見にいこうかと知美が考えはじめたとき、ようやく夫が寝室に帰ってきて、ベッドの中に入ってきた。
「トイレに行ってたの?」
知美が訊ねると、夫はひどく驚いて体を震わせた。
「びっくりした……起きてたのか。そうだよ。トイレに行ってた」
「ずいぶん長かったわね。お腹の調子でも悪いの?」
「ううん、そうじゃなくて、トイレで本を読んでただけ。ちょっと眠れなくて」
「ふうん……」
そのときはそれで納得したが、その後は知美が夜中に目を覚ますたび、夫の姿はベッドの中から消えていた。
(やっぱり、兄さんのことがショックで眠れないのかしら)
一月ほど前、知美の兄はバイクの事故で亡くなった。
夫はもともと兄の後輩で、昨年、知美と結婚する以前から、実の兄弟のように仲がよかった。兄が亡くなったときには、妹である知美よりも、夫のほうが取り乱していたくらいだ。
(薄情な妹ね、私って。兄さんが亡くなっても、毎日ちゃんと眠れてるもの)
知美は自己嫌悪に陥ったが、睡魔の誘惑に勝つことはどうしてもできなかった。
*
その日。
知美は高校の同窓会に出席するため、自分の車で家を出た。
休日なので家にいた夫が、自分の車で送ろうかと言ってくれたが、このところ疲れ気味の夫を休ませてやりたいと思って断った。いざとなれば代行もある。
五分ほど車を走らせたところで、知美はあっと声を上げた。
(いっけない。スマホ持ってくるの忘れちゃった)
集合時間にはまだ余裕がある。知美はあわてて家に引き返し、玄関ドアを開けようとしたが、ドアには鍵がかかっていた。
(あの人も出かけたの? ま、いいわ。とりあえず、今はスマホ)
知美は鍵を使って解錠し、家の中に入った。
(えーと、どこに置いたんだっけ。確か、忘れちゃいけないと思って、リビングのテーブルの上に出しといたのよね……)
記憶をたどりながら廊下を歩いていると、トイレのほうから何か物音が聞こえてきた。
(あれ、家にいたんだ。防犯のために鍵をかけたのかしら)
そう思ってリビングに行こうとしたのだが、その音が妙なことに気がついて、知美は足を止めた。
喘ぎ声。それと、規則的に何かが動く音。
知美は足音を忍ばせてドアの前に立つと、ドアノブに手をかけた。
玄関のドアには鍵がかかっていたのに、このドアにはかかっていなかった。
声をかけることも、ノックをすることもなく、知美はトイレのドアを開けた。
*
夫は今、精神科病院に入院している。
医者や知美、親、友人、その他どんな人間に話しかけられても、何も反応しない。
医者に何か心当たりはありますかと訊ねられたが、知美はありませんと答えた。
――嘘だった。
夫が向こうの世界へ心を飛ばす原因を作ってしまったのは、間違いなく知美だった。
だが、知美は自分が目にしたことを、生涯、誰にも語るつもりはない。夫と自分の尊厳を守るために。
あのとき。
トイレの床には、夫の服が散乱していた。
便器では、全裸の夫が両足を大きく広げて喘いでおり、その背後にいる大柄な男が夫を激しく突き上げながら、右手で夫のものを扱いていた。
男は知美を見て、確かに笑った。が、一瞬後には消え失せて、便器の上には呆然としている夫だけがとり残された。
夫は知美と目が合うと、声を立てて笑い出した。妻に自分の秘密を知られたことで、彼の精神は崩壊してしまったのだ。
しかし、そのときの知美は、別のことに衝撃を受けていた。
夫を犯していたあの男の顔は、彼女の死んだ兄と瓜二つだった。
―了―
(たぶんトイレね)
知美はそう思い、すぐに寝直そうとしたが、なかなか寝つけず、夫も戻ってこない。
(まさか、トイレで倒れてるんじゃ……)
心配になって、様子を見にいこうかと知美が考えはじめたとき、ようやく夫が寝室に帰ってきて、ベッドの中に入ってきた。
「トイレに行ってたの?」
知美が訊ねると、夫はひどく驚いて体を震わせた。
「びっくりした……起きてたのか。そうだよ。トイレに行ってた」
「ずいぶん長かったわね。お腹の調子でも悪いの?」
「ううん、そうじゃなくて、トイレで本を読んでただけ。ちょっと眠れなくて」
「ふうん……」
そのときはそれで納得したが、その後は知美が夜中に目を覚ますたび、夫の姿はベッドの中から消えていた。
(やっぱり、兄さんのことがショックで眠れないのかしら)
一月ほど前、知美の兄はバイクの事故で亡くなった。
夫はもともと兄の後輩で、昨年、知美と結婚する以前から、実の兄弟のように仲がよかった。兄が亡くなったときには、妹である知美よりも、夫のほうが取り乱していたくらいだ。
(薄情な妹ね、私って。兄さんが亡くなっても、毎日ちゃんと眠れてるもの)
知美は自己嫌悪に陥ったが、睡魔の誘惑に勝つことはどうしてもできなかった。
*
その日。
知美は高校の同窓会に出席するため、自分の車で家を出た。
休日なので家にいた夫が、自分の車で送ろうかと言ってくれたが、このところ疲れ気味の夫を休ませてやりたいと思って断った。いざとなれば代行もある。
五分ほど車を走らせたところで、知美はあっと声を上げた。
(いっけない。スマホ持ってくるの忘れちゃった)
集合時間にはまだ余裕がある。知美はあわてて家に引き返し、玄関ドアを開けようとしたが、ドアには鍵がかかっていた。
(あの人も出かけたの? ま、いいわ。とりあえず、今はスマホ)
知美は鍵を使って解錠し、家の中に入った。
(えーと、どこに置いたんだっけ。確か、忘れちゃいけないと思って、リビングのテーブルの上に出しといたのよね……)
記憶をたどりながら廊下を歩いていると、トイレのほうから何か物音が聞こえてきた。
(あれ、家にいたんだ。防犯のために鍵をかけたのかしら)
そう思ってリビングに行こうとしたのだが、その音が妙なことに気がついて、知美は足を止めた。
喘ぎ声。それと、規則的に何かが動く音。
知美は足音を忍ばせてドアの前に立つと、ドアノブに手をかけた。
玄関のドアには鍵がかかっていたのに、このドアにはかかっていなかった。
声をかけることも、ノックをすることもなく、知美はトイレのドアを開けた。
*
夫は今、精神科病院に入院している。
医者や知美、親、友人、その他どんな人間に話しかけられても、何も反応しない。
医者に何か心当たりはありますかと訊ねられたが、知美はありませんと答えた。
――嘘だった。
夫が向こうの世界へ心を飛ばす原因を作ってしまったのは、間違いなく知美だった。
だが、知美は自分が目にしたことを、生涯、誰にも語るつもりはない。夫と自分の尊厳を守るために。
あのとき。
トイレの床には、夫の服が散乱していた。
便器では、全裸の夫が両足を大きく広げて喘いでおり、その背後にいる大柄な男が夫を激しく突き上げながら、右手で夫のものを扱いていた。
男は知美を見て、確かに笑った。が、一瞬後には消え失せて、便器の上には呆然としている夫だけがとり残された。
夫は知美と目が合うと、声を立てて笑い出した。妻に自分の秘密を知られたことで、彼の精神は崩壊してしまったのだ。
しかし、そのときの知美は、別のことに衝撃を受けていた。
夫を犯していたあの男の顔は、彼女の死んだ兄と瓜二つだった。
―了―
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