無冠の皇帝

有喜多亜里

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【05】始まりの終わり(中)

01 私怨乙でした(前)

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 〈フラガラック〉から執務室に戻るやいなや、アーウィンは大佐とその副官たちに一通のメールを一斉送信した。
 どうして送信前に読ませないんだと憤ったヴォルフだったが、アーウィンのディスプレイの一つを立ち見して理由を察した。
 これは辞令ではない。私怨だ。

「アーウィン……おまえ、それほどパラディンが憎いのか……?」

 もはや恐怖を覚えてそう問うと、アーウィンは端末を操作する手を止めて、心外そうに柳眉をひそめた。

「そんなことはない。今回も単純な消去法だ。アルスターから元ウェーバー大佐隊をさせるのであれば、新たな指揮官はアルスターと同じ〝大佐〟でなければ格好がつかない。しかし、今すぐ動かせる〝大佐〟は、護衛のコールタンかパラディンのみ。あの元マクスウェル大佐隊員たちをそれなりに使いこなしている点を鑑みるに、パラディンのほうが元ウェーバー大佐隊の指揮官として向いているだろう。……変態にもそう思われていたようだしな」

 今回も、一見もっともらしいことを言っている。
 確かに、今すぐ誰かを〝大佐〟に昇進させ、元ウェーバー大佐隊の指揮官に据えることは難しい。安易に指揮官を決めるとどうなるか、アルスターの件で痛いほど思い知らされている。
 だが、最後の最後で早口で呟いた、あの一言がアーウィンの本音だろう。
 私怨だ。まぎれもなく私怨だ。
 そして、本人にもその自覚がある。だから、文句を言われるのは一度で充分だと、事前にヴォルフにも教えなかったのだ。
 ヴォルフは頭を抱えたくなったが、ここでアーウィンに文句を言えるのは自分だけだ。その文句が受け入れられるかどうかは別として。

「にしても、パラディンだけ異動は無茶振りすぎるだろ。ダーナでさえ、自分の隊ごと異動したのに」

 ドレイクのことはあえて聞き流し、いちばん問題と思われるところを突っこむと、アーウィンはふふんと鼻で笑った。

「ヴォルフ、よく読め。異動するのはパラディンだけではない。さすがにそれは厳しいだろうと思い、副官も直属班も〈オートクレール〉もつけてやった。さしあたり、それだけいれば不自由はあるまい」
「こんな保険の約款みたいな文章、流し読みでわかるか。そもそもパラディンはまったく悪くないだろうが。なに温情かけてやったみたいな顔してやがる」

 それどころか、ドレイクの入った脱出ポッドを回収し、彼を叩き起こさず丁重に扱うという偉業さえ成し遂げている。感謝されこそすれ、なぜここまで憎まれなければならないのか。
 アーウィンとの付き合いはそれなりに長いヴォルフでも、彼のパラディンに対するこの理不尽としか言えない感情は理解しがたい。
 しかし、キャルにはなぜかわかるようで、今この場にいたならば、間違いなくアーウィンに同調していただろう。基地に帰還した後は〈フラガラック〉と共にメンテナンスを受けるため、キャルはまだ〈フラガラック〉にいる。

「何度も言っているが、パラディンが憎くて異動させたわけではない」

 ヴォルフの前でしかしない、ふてくされたような顔で、アーウィンはまた真実味のない言い訳をした。

「あそこに異動させられる〝大佐〟がパラディンしかいなかった。ただそれだけのことだ。……パラディンにならあれも手を貸すだろうしな」

 今度は〝あれ〟になったが、苦々しげな表情を見れば、ドレイクのことを言っているのだと嫌でもわかる。
 とどのつまり、脱出ポッドを回収したのがパラディン大佐隊であるとあえて教えていないのにもかかわらず、ドレイクがパラディンには好意的なのが面白くないのだ。
 思い返せば、あの大佐会議の申請関連がいけなかった……などとヴォルフが遠い目をしたときだった。
 小さな通知音がして、ヴォルフがアーウィンに視線を戻すと、いつのまにか作業を再開していた彼は、メインのディスプレイを見て舌打ちをしていた。
 ――元皇太子が舌打ち。実はアーウィンを崇拝しているドレイクが見ていたらショックを受けていたかもしれないが、舌打ちした理由は十中八九そのドレイクがらみだろう。

「本当は訊きたくないが、これも俺の仕事の一つだから訊くぞ。……何があった?」
「案の定だ。あれがパラディンにメールを送信した。いつもどおり自分で書いて……!」

 憤懣やる方ないようなアーウィンの声に、そういやそれもあったかとヴォルフは嘆息した。
 自分の同僚宛てのメールは自分で書くが、それ以外はほとんど副官に代筆させている。アーウィンはそれ以外に含まれており、そこも彼の不満の種になっているのだ。

「それはもういいかげん諦めろ。……何を書いて送った?」

 純粋に、それには興味がある。
 時間的に、アーウィンの私怨まみれの辞令を見て書いたのだろう。〝あれ〟ことドレイクの書く文章は、アーウィンやアルスターとは違い(と言ったら、アーウィンは怒るだろうが)、いつも簡潔明瞭、そして飄逸だ。決して本人には言わないが、ヴォルフもアーウィンと一緒に欠かさず読んでいる。
 口で説明するのが面倒になったのか、アーウィンは自分で読めとばかりにディスプレイを青い目で指した。
 ドレイクが書いたなら、確かにそのほうが早い。ヴォルフは遠慮なく覗き見したが。

「……よほど急いで書いたんだな。短いどころか、箇条書きだ」

 一応これは、パラディンに対する助言……なのだろう。実質、命令のようだが、言い回しはいつものドレイク調である。
 だが、なぜそうしたほうがいいのか、理由はまったく書かれていない。それでも、そういう助言をアルスターにはせず、パラディンにはするというところが、よりいっそうアーウィンの癇に障っているのだろう。ヴォルフは意識的にアーウィンの顔は視界に入れないようにしながら、話の接ぎ穂を模索した。

「あー……パラディンはたぶん、このとおりにするんだろうな」
「あの男なら迷うことなくそうする」

 ディスプレイを見つめたまま、吐き捨てるようにアーウィンは答える。

「あれが書いたからだけではない。それが最善策だからだ」
「最善策ねえ……」

 最善策かどうかはヴォルフには判断しかねるが、アーウィンにとってはそうなのだろう。そして、アーウィンはパラディンがそう判断するだろうと確信しているわけだ。

(滅茶苦茶わかりにくいが、パラディンのことを買ってはいるんだよな。たぶん、コールタンやダーナよりも)

 しかし、パラディン本人はそう思っているだろうか。
 なぜ自分にばかり次から次へと厄介事を押しつけるのだろうと途方に暮れてはいないだろうか。

(まさか、こんな理不尽な逆恨みをされているとは、夢にも思わないよな……)

 ヴォルフはこれ見よがしに溜め息をついてみせたが、案の定、アーウィンは振り返りもしない。
 とりあえず、文句は言ってやった。自分の仕事はここまでだ。もし本当にどうしようもなくなったら、ドレイクがアーウィンに直接〝説教〟するだろう。
 側近にあるまじき他力本願なことを考えながら自分専用のソファに戻ったヴォルフは、どかりと座って両腕を組むと、少しでも睡眠時間を稼ぐべく金色の目を閉じた。
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