無冠の皇帝

有喜多亜里

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【05】始まりの終わり(中)

24 お礼参りさせました(転)

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「何ィ!?」

 と叫んだのはドレイクではなく、エリゴールの隣に座っていたコールタンだった。
 しかし、エリゴールの眼差しは、まっすぐドレイクに向けられている。
 イルホンは少しだけ、コールタンに同情した。

「かつて、殿下は無人艦の導入に反対した幹部たちを片っ端から〝栄転〟にされました。殿下の命令に従わなければ、アルスター大佐殿も〝栄転〟は免れないはず。もし〝栄転〟にも護衛にもなりたくないと考えられたなら、何らかの理由をつけて勇退されるでしょう。あるいは、どちらも選ばれなかった場合でも、護衛でしたら誰の邪魔にもなりません」

 立板に水式でエリゴールが解説する。
 この男は顔だけでなく声もいい。この声で語られたら、どんなに荒唐無稽なことでも信じてしまいそうだ。
 ドレイクは両腕を組んでにやにやしていたが、エリゴールの話を聞き終えると、にんまりと笑った。

「なるほど。確かに邪魔にはならないな。コールタンくんにとっては邪魔だろうけど」
「ええ、ものすごく邪魔ですよ。その前に、エリゴール。それ、ドレイク大佐も言ってたぞ」
「え?」

 これにはさすがに驚いたのか、エリゴールはコールタンを振り返った。

「いやいや、コールタンくんが護衛の〝大佐〟が一人じゃ寂しいって言うから、じゃあ、アルスター大佐になってもらったらって言っただけだよ。そんなエグいことはまったく考えていなかった」

 おどけてドレイクが笑い飛ばす。
 コールタンとエリゴールは、無表情で同じ言葉を呟いた。

「エグい……」
「でも、七班長くらい若く見えて、パラディン大佐くらい美形な〝大佐〟じゃなきゃ嫌だって、コールタンくんに猛反発されちゃった」
「俺はそんなこと言ってませんよ! 言ったのはあんたでしょ!」
「そうですか……若く見えて美形でないといけませんか……」
「エリゴール! おまえ、真顔で言うなよ! んなわけないだろうが!」
「コールタンくん、自分に嘘はつかないほうがいいよ。……で、四班長。仮にその方法でアルスター大佐を退場させられたとして、元アルスター大佐隊の指揮官はどうするの?」

 エリゴールはドレイクに視線を戻すと、真顔のまま答えた。

「以前と同じことを繰り返しているだけなら、指揮官は特に必要ないと思いますが」
「言うねえ、四班長。でも、形式上は必要だろ?」
「その件に関してだけは、大佐殿はもう結論は出されているでしょう」
「まあね。でも、君の意見も聞きたい」

 にたにたして食い下がるドレイクに、エリゴールはかすかに眉をひそめたが、観念したように意見を述べた。

「パラディン大佐殿が指揮官になるしかないでしょう」
「だよね」
「やはり、大佐殿もそうお考えですか」
「だって、他にやれる人いないじゃない。ただ、アルスター大佐が艦隊内にいたんじゃ、とってもやりづらいだろうね」
「だから、アルスター大佐殿に今すぐ退場してもらいたいわけですか」
「そういうこと」
「退場ですか。自分もそれがいちばんだと思いますが……でも、アルスター大佐殿が砲撃の〝大佐〟でいる間に、一度でいいから勝っておきたいですね」
「勝っておきたい?」

 ドレイクに問い返されたエリゴールは、一瞬、しまったと言いたげな顔をした。
 うっかり口が滑ってしまったのだろう。だが、下手に誤魔化そうとはせず、自嘲するような笑みを浮かべた。

「はい。実に子供じみた話なのですが……元ウェーバー大佐隊は、アルスター大佐隊と一騎討ちで勝ちたいと、いまだに思っているのです」
「へー。そんなこと考えてるのか。意外だな」

 愉快げにドレイクが笑う。それを見て安心したのか、エリゴールは話を続けた。

「それだけ、アルスター大佐殿に冷遇されていたということなのでしょうが……もし本当に〝元アルスター大佐隊〟となったら、我々は嬉しい反面、悔しいと思うでしょうね。何というか……〝勝ち逃げ〟されたようで」
「〝勝ち逃げ〟か。実際は〝負け逃げ〟になるんだが……そうか。一騎討ちで勝ちたいか。具体的には演習で?」
「そうですね。ですが、実戦でアルスター大佐隊に『連合』を押し戻してやりたいと、以前からずっと言っていますね」
「押し戻す?」
「これもまた子供じみた話ですが、アルスター大佐隊はろくに数も減らさずに、羊のように我々のところへ追い立ててくるものですから、逆にアルスター大佐隊に押し戻してやりたいと」
「なるほど。確かに子供じみているが、気持ちはよくわかる。俺もできるものならそうしてやりたい」
「しかしまあ、そんなことは不可能なので、冗談で終わっていますが」
「そうだな。でも、アルスター大佐隊に君らと同じ思いをさせる方法なら、昨日、七班長が言ってたぞ」

 ヴァラクの名前を出されたからか、エリゴールの表情が一瞬にして固まる。

「何です?」

 ドレイクはもったいぶった調子で答えた。

「左翼の前衛と後衛を入れ替える」

 ヴァラクに自分と似ていると言われた男でも、さすがにこれは想定外だったようだ。
 イルホンたちが初めて聞かされたときのように、あっけにとられていた。

「……は?」
「つまり、君らはアルスター大佐隊がいつもしていることをすれば、アルスター大佐隊に〝復讐〟できるんだ。しかし、こいつはリスクが高すぎる。アルスター大佐が確実に失策してくれるとは限らんし、失策して〈フラガラック〉を危険にさらさないとも限らない。だから、七班長には駄目出ししたんだが……どうした?」

 ドレイクが訝しげにエリゴールに声をかける。
 エリゴールは右手で自分の口元を覆い、ローテーブルの上を見つめていた。
 笑いたいのを無理に堪えているようだとイルホンは思ったが、右手を外したエリゴールの顔は真剣そのものだった。
 
「いえ……やはり、あの男は〝悪魔〟だと……殿下にどうやって配置換えしてもらうかが最大のネックですが、それさえクリアできれば、完璧な復讐方法です。仮に、我々がアルスター大佐隊と同じことをしたとしても、あの隊に文句を言える資格はまったくありません。……もっとも、今のアルスター大佐殿なら平然とおっしゃいそうではありますが」
「そうだな。だから、君の話を聞いて気が変わった」
「え?」

 エリゴールだけでなく、コールタンやクルタナもドレイクを見ていた。
 そんな彼らを、イルホンはディスプレイの陰から見ていた。

「最終的には、やはり退場していただくつもりだが、その前に元ウェーバー大佐隊の夢を叶えてあげようじゃないか。まあ、アルスター大佐が〝栄転〟か〝勇退〟の道を選んでしまったら、叶わぬ夢で終わってしまうがね」
「まさか……」
「七班長には間違いなく嫌味を言われるだろうが。……次の出撃から、左翼の前衛と後衛を入れ替えよう」

 * * *

 ドレイク以外、誰もが呆然としていた。
 そんな中、いち早く我を取り戻したのは、意外にもコールタンだった。

「どんな理由で? まさか殿下に、元ウェーバー大佐隊の夢を叶えるため、とは言えないでしょ?」
「そりゃそうだ。だから、理由は殿下に考えてもらうよ。メール一本で配置換えするのは殿下なんだから」
「はぁーっ?」

 けろりと答えたドレイクに、コールタンは思いきり顔をしかめたが、できるものならイルホンもそうしてやりたかった。

「パラディン大佐のときみたいに何の説明もなしっていうのもありだが、できたら今度はそれらしい理由をでっちあげてもらいたいな。パラディン大佐のほうはともかく、アルスター大佐が納得できるようなのを」
「しかし、それはリスクが高すぎると……」

 ようやく正気に返ったエリゴールが口を挟むと、ドレイクはあからさまに愛想よく笑った。

「ああ、高いよ。失策するのはアルスター大佐隊じゃなく、君らのほうかもしれない」
「……本当に、メール一本で殿下に配置換えしていただけるんですか?」
「たぶん。ただ、何か見返り要求されそうだなあ。それが怖いっちゃ怖いが、まあ、仕方がない。……どうする、四班長? 君が左翼の入替のほうを望むなら、今すぐ殿下に伝えてそうしてもらうよ。出撃前に少しでも多くの訓練時間が必要だろ?」
「それはそうですが……自分の一存で決められることでは……」

 エリゴールの言い分はもっともだ。今の彼が本当に〝四班長〟だったとしても、班長が決定できるような事案ではない。
 だが、ドレイクは笑うのをやめると、真顔でこう言った。

「君が今、ここで決めるんだ」
「え?」
「君はパラディン大佐の代理だろ? 君の決断に、彼も元ウェーバー大佐隊も決して異は唱えないはずだ。コールタンくんには悪いけど、君が言ったアルスター大佐を護衛の〝大佐〟にするっていう案もすごくいい。ある意味、艦隊内〝栄転〟だ。ウェーバーやマクスウェルだったら泣いて喜んだだろ」
「……なぜ、ドレイク大佐殿がそこまで元ウェーバー大佐隊のことを?」

 困惑げにエリゴールに問われたドレイクは、またあの苦い笑みを口元に刻んだ。

「俺なりの贖罪だよ。あのとき、殿下がああするだろうとわかっていながら、俺はウェーバーに何も言わなかった」
「それは大佐殿の責任では……」
「それでも、止めようと思えば止められた。……殿下に無駄な血を流させずに済んだ」

 何を言ってもドレイクの意思は変えられないとエリゴールにもわかったのだろう。
 諦めたように軽く嘆息した。

「自分はやはり大佐殿に〝罪〟はないと思いますが。しかし、大佐殿がそうお考えなら、左翼の入替のほうを望みます」

 その答えを聞いて、ドレイクはにやりと笑った。

「ああ。君なら絶対そう言うと思ってたよ」
「アルスター大佐殿が受けて立ってくれればいいのですが」
「そうだな。それは俺にもわからないが、とりあえず、イルホンくん!」
「はいッ!」

 こちらを見ないまま、いきなり呼ばれてイルホンは驚いたが、これから何を命じられるのかは、あらかた予想がついていた。

「〝悪は急げ〟だ! 俺の端末から殿下にメール送って!」
「ええッ!?」
「……はい。了解いたしました」

 予想どおりである。
 イルホンはドレイクの執務机に移動すると、立ったまま端末を操作した。

「大佐。準備できました。口述をお願いします」
「うーん……『殿下へ。今度の出撃から、左翼の前衛と後衛を入れ替えてもらえませんか。理由は殿下が適当にでっちあげてください。お願いします。ドレイク』」
「子供の手紙ッ!?」

 すかさず、コールタンが突っこんでくる。
 確かに、そう言われても仕方がない。しかし、ドレイクは飾り立てた文章を書くのが大の苦手なのだ。

「一応確認しますが、本当にそれでいいんですか?」
「いいよ。俺にはそうとしか書けないもん」
「ですよね。では、送信いたします」
「はい。よろしくお願いいたします」
「ほんとにそれでいいんですかッ!?」

 コールタンが血相を変えて叫んでいる。
 ドレイクがどんな文章を書くかは、彼もメールでよく知っているはずだが、まさか司令官にもそんなメールを送っているとは思ってもみなかったのだろう。実際問題、事務的な内容のときには、イルホンが〝大人の手紙〟に変換して送信している。

「いいんだよ。イルホンくんの美文より、俺の悪文のほうが殿下の反応が早いんだ」
「ああ……なるほど……それはそうでしょうね……」

 コールタンは訳知り顔でうなずいた。やはり、わかられている。
 逆に、エリゴールは不可解そうな顔をしていた。当然の反応である。
 と、ドレイクの端末からメールの通知音が響く。イルホンはすばやく確認し、即座に報告した。

「大佐。殿下から返信が届きました」
「早ッ! ほんとに早ッ!」

 騒いでいるコールタンを捨て置いて、ドレイクは初めてイルホンを振り返った。

「殿下、何だって?」
「あの……ここで読み上げてしまってもいいんですか?」
「いいよ。こんなに早いんなら短文でしょ?」

 イルホンが懸念したのは、文章の長さではなく内容なのだが、コールタンたちにはもう知られてもいいとドレイクは判断したのだろう。
 ならば、イルホンは粛々とその判断に従うまでだ。

「はい。では、そのまま読み上げます。――『配置換えしてやるから、私の執務室にもクッキーを持ってこい』」
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