137 / 169
【05】始まりの終わり(中)
21 お礼参りされました(後)
しおりを挟む
――左翼の前衛と後衛を入れ替える。
それは、イルホンには一生思いつけなそうな発想だった。
これまで、ヴァラクが何を話してもほぼ無表情を通していたクロケルも、灰青色の目を丸くしてヴァラクを見つめている。
だが、ヴァラク当人は、誰でも考えつくことだと言わんばかりに平然としていた。
「なるほど。でも、それだとパラディン大佐もこれまでと同じことができなくなるな」
いつのまにか両腕を組んでいたドレイクが、苦笑いして駄目出しをする。
それでイルホンの緊張はやわらいだが、クロケルもまたほっとしたような顔をしていた。事前に聞かされていたかどうかは別として、ドレイクに賛成はしてもらいたくなかったようだ。
「ああ、あそこなら大丈夫です。エリゴールがいますから。どこに配置替えされてもどうにかします」
ヴァラクはにこりと笑うと、マイボトルを自分の膝の上に置いた。
本当はローテーブルの上に置きたかったのかもしれないが、今そこはコーヒー豆のパックに占領されている。半分は待機室に持っていこうとイルホンはひそかに思った。
「エリゴール……ああ、四班長か」
「やっぱりご存じでしたか。正確には、元四班長ですけど」
「俺にとっては、永遠に四班長だよ。人から聞いた話じゃ、おまえは彼を嫌ってたそうだが、そういう信頼はしてるんだな」
「それとこれとは話は別なんで」
珍しく、ヴァラクは不快そうに眉間に皺を寄せた。
「あいつ、俺と似てるから嫌なんですよ」
「似てる?」
「……必要だと思ったら、いくらでも嘘をつく」
「ああ、なるほど。同属嫌悪だったのか」
いたく感心したようにドレイクがうなずく。
しかし、それは多かれ少なかれ、誰でもしていることではないだろうか。
と、そんなイルホンの心の声が聞こえたかのように、突然ヴァラクは叫び出した。
「俺は馬鹿みたいに誠実な奴が好き! 顔もよかったらもっと好き!」
イルホンは噴き出しかけたが、クロケルはもう慣れているのか諦めているのか、何も言わずに聞き流していた。
「ああ、それは知ってた」
クロケルが知らないことを知っているドレイクは、思わせぶりにニタニタする。
「悪魔でも、自分にないものを求めるんだな」
「何言ってるんですか。俺が悪魔だったら、大佐なんか大魔王ですよ」
「いやいや、俺よりおまえのほうが、あらゆる意味で凶悪だ。……そうか。前衛と後衛を入れ替えるか。また殿下のメール一本で?」
「当然でしょ。パラディン大佐の前例があるから、もう誰も驚かないですよ」
「いや、当事者二人は驚くだろ」
「ただ、大佐の挨拶回りが終わった後で急にそんなことになったら、また大佐が殿下に進言したんだろうって思われますね」
「そりゃそうだ。俺でも思う」
「でも、大佐は絶対認めないでしょ?」
「ああ、俺は絶対認めない。……七班長。おまえのその〝左翼の前衛と後衛を入れ替える〟ってのは、単純かつ効果的で実にいいんだが、リスクもかなり高いんだよな。こっちの思惑どおりにポカしてくれるとは限らないし、逆にとんでもないポカされて、〈フラガラック〉を危険にさらされる恐れもある」
「なるほど。確かにそうですね」
「うーん。次の出撃までには退場していただきたかったんだがなあ……」
「ずいぶん急ぎますね。後任の指揮官、誰にするんですか?」
「パラディン大佐でいいだろ」
「ええっ?」
本気で驚いたように、ヴァラクは声を張り上げた。
「パラディン大佐に二〇〇隻を指揮させるんですか? それもリスク高すぎません?」
「何でだよ? パラディン大佐のところには、前例のないことをどうにかできるエリゴールくんがいるんだろ?」
「それはまあ、そうですけど。俺以上に無茶振りしますね」
「自分が無茶振りしてる自覚はあったんだな。……しかし、何だな。八方丸く収める方法ってのは、なかなかないもんだな」
「八方丸く収めなくてもいいじゃないですか。殿下に〝栄転〟させてもらいましょうよ。大佐が一言言えば済む話でしょうが」
「それはしたくないから、こうして悩んでるんだろ」
「俺にはまるで無駄なことしてるとしか思えませんが」
「公私共に充実してる奴はいいよな。じゃあ、おまえは不参加! これまでどおり、ダーナのお守り続けてろ!」
「えー、俺、戦力外ですかー」
ふざけてヴァラクが笑う。ドレイクも一緒に笑ったが、すぐに笑みを消した。
「……この件は、ダーナには絶対に気づかれないようにしろ。それがおまえの今回の役割だ。というか、最初からおまえにはそうしてもらうつもりだった。あの男に累が及ばないように、おまえが守れ、七班長」
「大佐……」
ヴァラクが絶句して、ドレイクを見つめる。
そもそも、ドレイクはヴァラクを知る以前からダーナを気に入っていた。ヴァラクの希望を叶えたのも、それがダーナにとってプラスになるから、というのもあったのではないだろうか。
ドレイクといいヴァラクといい、ダーナのどこがそれほどいいのだろう。内心イルホンは首を傾げていたが、そのとき、ドレイクが「あ、そうだ」と両手を叩いた。
「妙案を出してくれた礼だ、ここに六班長呼んでやろうか?」
思わず、イルホンは変な声を出しそうになった。
だが、ヴァラクは好物を食べさせてやろうかと言われた子供のように、赤茶色の瞳を輝かせた。
「えっ! ほんとにっ!?」
しかし、次の瞬間、携帯電話の着信音がアラートのように鳴り出した。
全員の視線が、ヴァラクの上着の胸ポケットに集中する。
「七班長、携帯鳴ってるぞ。出ないのか?」
見るからに嫌そうな顔をしているヴァラクを、ドレイクが訝しげにうながす。
ここで、携帯電話の電源を切っていなかったのか、などと怒り出すような人間だったら、ドレイクは今ここにはいない。
「正直、出たくないですが……ドレイク大佐に迷惑はかけたくないんで出ます」
観念したように答えると、ヴァラクは胸ポケットから携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。
「はい、何ですか? ……え? まだドレイク大佐の執務室にいますよ。大佐と楽しくおしゃべりしてました。……は? そりゃ、豆だけ渡してすぐに帰るわけないでしょ。俺は他の大佐の執務室回る必要ないんだから。……はいはい、もう戻ります。ついでに携帯の電源も切ります」
おざなりに対応していたヴァラクは、宣言どおり携帯電話の電源を切り、さっさと胸ポケットに戻してしまった。
「……ダーナか?」
にやにやしながらドレイクが訊ねる。イルホンは硬直したが、クロケルはすでに見当がついていたようで、小さく溜め息をついていた。
「はい、そうです。もう大佐の執務室は出ただろうと思ったそうです」
「おまえには直球で来ないんだな。素直に〝早く戻ってこい〟って言えばいいのに」
「〝馬鹿〟も少しは学習するんですよ……」
「きっと、超スパルタだったんだろうな」
「そんなわけで、ほんとはまだ帰りたくなかったけど帰ります。お邪魔しました」
「おう。あのクッキー以上に高そうな豆、ありがとな。ダーナにも、一応礼言っといてくれ。そういや、あのクッキー缶、ダーナはどうした? 捨てたのか?」
「いえ。俺にくれました。俺が食玩入れてるの見て、一つじゃ足りないだろう、自分のも使えって。自分のには『連合』の入れたらどうかって、アドバイスもくれました」
しばらく、沈黙が落ちた。
ヴァラクは楽しげに笑っている。考えるまでもない。これは完全に惚気だ。
だが、クロケルの様子を窺うかぎり、そんな話までドレイクにするのかと呆れているだけのようである。ダーナの副官のように、クロケルもまた感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。
クロケルの前で冷やかすわけにもいかなかったのだろう。ドレイクは再び腕組みをして、生真面目に呟いた。
「……天然タラシだな」
「はい。天然タラシです」
「だから、おまえが守ってやれ。あの〝馬鹿〟はこの艦隊では貴重だ」
「大佐は、ほんとにダーナ大佐のこと、気に入ってますね」
「おまえの〝生き別れの兄〟だからな」
「ああ、なるほど。……あ、今度、その食玩持ってきましょうか? ダブってるの結構ありますから、それ、大佐にあげます」
「お、いいな。くれくれ」
「わかりました。……クロケル、片づけはもう済んでるな?」
ドレイクに顔を向けたまま、傲岸にヴァラクが問えば、クロケルは間髪を入れずに返答した。
「もちろんです」
クロケルの足元には、すでに二つのトランクケースが置かれている。しかし、ヴァラクのマイボトルはいつのまにか消え去っていた。おそらく、クロケルがトランクケースの中に戻したのだろうが、イルホンはまったく気づかなかった。さすが、ヴァラクが連れ歩いているだけのことはある。
「よし、それじゃ帰りますね」
ヴァラクがソファから腰を上げる。それより少しだけ遅れてクロケルも立ち上がった。
だが、ドレイクは見送るのが面倒になったのか、ソファに座ったままヴァラクたちを見上げた。
「ああ、気をつけて帰れよ。ダーナに苦情の電話、入れられたくねえからな」
「ここを出たら、携帯の電源入れますよ。ではまた」
「ああ、またな」
ヴァラクが軽く手を振り、クロケルが一礼して自動ドアから出ていった。
自動ドアが閉まって数秒後。イルホンは吐き出すようにドレイクに訴えた。
「大佐……俺は七班長より、今のダーナ大佐の電話のほうがずっと怖かったです……!」
ドレイクは肩越しにイルホンを見やると、得意げにニヤリと笑った。
「だから言っただろ。あいつは中途半端に勘がいいんだよ」
あれはもう、勘がいいとか悪いとかのレベルを超えているとイルホンは思ったが、ドレイクがそう言うのならそうなのだろう。
「でも、中途半端なんですね……」
「本当に勘がよかったら、六班長の転属願、部下に書かせたりはしないだろ」
「それは確かに」
思いきり納得したイルホンは、ローテーブルの上に並べられたコーヒー豆を片づけるため、執務机の椅子から立ち上がった。
それは、イルホンには一生思いつけなそうな発想だった。
これまで、ヴァラクが何を話してもほぼ無表情を通していたクロケルも、灰青色の目を丸くしてヴァラクを見つめている。
だが、ヴァラク当人は、誰でも考えつくことだと言わんばかりに平然としていた。
「なるほど。でも、それだとパラディン大佐もこれまでと同じことができなくなるな」
いつのまにか両腕を組んでいたドレイクが、苦笑いして駄目出しをする。
それでイルホンの緊張はやわらいだが、クロケルもまたほっとしたような顔をしていた。事前に聞かされていたかどうかは別として、ドレイクに賛成はしてもらいたくなかったようだ。
「ああ、あそこなら大丈夫です。エリゴールがいますから。どこに配置替えされてもどうにかします」
ヴァラクはにこりと笑うと、マイボトルを自分の膝の上に置いた。
本当はローテーブルの上に置きたかったのかもしれないが、今そこはコーヒー豆のパックに占領されている。半分は待機室に持っていこうとイルホンはひそかに思った。
「エリゴール……ああ、四班長か」
「やっぱりご存じでしたか。正確には、元四班長ですけど」
「俺にとっては、永遠に四班長だよ。人から聞いた話じゃ、おまえは彼を嫌ってたそうだが、そういう信頼はしてるんだな」
「それとこれとは話は別なんで」
珍しく、ヴァラクは不快そうに眉間に皺を寄せた。
「あいつ、俺と似てるから嫌なんですよ」
「似てる?」
「……必要だと思ったら、いくらでも嘘をつく」
「ああ、なるほど。同属嫌悪だったのか」
いたく感心したようにドレイクがうなずく。
しかし、それは多かれ少なかれ、誰でもしていることではないだろうか。
と、そんなイルホンの心の声が聞こえたかのように、突然ヴァラクは叫び出した。
「俺は馬鹿みたいに誠実な奴が好き! 顔もよかったらもっと好き!」
イルホンは噴き出しかけたが、クロケルはもう慣れているのか諦めているのか、何も言わずに聞き流していた。
「ああ、それは知ってた」
クロケルが知らないことを知っているドレイクは、思わせぶりにニタニタする。
「悪魔でも、自分にないものを求めるんだな」
「何言ってるんですか。俺が悪魔だったら、大佐なんか大魔王ですよ」
「いやいや、俺よりおまえのほうが、あらゆる意味で凶悪だ。……そうか。前衛と後衛を入れ替えるか。また殿下のメール一本で?」
「当然でしょ。パラディン大佐の前例があるから、もう誰も驚かないですよ」
「いや、当事者二人は驚くだろ」
「ただ、大佐の挨拶回りが終わった後で急にそんなことになったら、また大佐が殿下に進言したんだろうって思われますね」
「そりゃそうだ。俺でも思う」
「でも、大佐は絶対認めないでしょ?」
「ああ、俺は絶対認めない。……七班長。おまえのその〝左翼の前衛と後衛を入れ替える〟ってのは、単純かつ効果的で実にいいんだが、リスクもかなり高いんだよな。こっちの思惑どおりにポカしてくれるとは限らないし、逆にとんでもないポカされて、〈フラガラック〉を危険にさらされる恐れもある」
「なるほど。確かにそうですね」
「うーん。次の出撃までには退場していただきたかったんだがなあ……」
「ずいぶん急ぎますね。後任の指揮官、誰にするんですか?」
「パラディン大佐でいいだろ」
「ええっ?」
本気で驚いたように、ヴァラクは声を張り上げた。
「パラディン大佐に二〇〇隻を指揮させるんですか? それもリスク高すぎません?」
「何でだよ? パラディン大佐のところには、前例のないことをどうにかできるエリゴールくんがいるんだろ?」
「それはまあ、そうですけど。俺以上に無茶振りしますね」
「自分が無茶振りしてる自覚はあったんだな。……しかし、何だな。八方丸く収める方法ってのは、なかなかないもんだな」
「八方丸く収めなくてもいいじゃないですか。殿下に〝栄転〟させてもらいましょうよ。大佐が一言言えば済む話でしょうが」
「それはしたくないから、こうして悩んでるんだろ」
「俺にはまるで無駄なことしてるとしか思えませんが」
「公私共に充実してる奴はいいよな。じゃあ、おまえは不参加! これまでどおり、ダーナのお守り続けてろ!」
「えー、俺、戦力外ですかー」
ふざけてヴァラクが笑う。ドレイクも一緒に笑ったが、すぐに笑みを消した。
「……この件は、ダーナには絶対に気づかれないようにしろ。それがおまえの今回の役割だ。というか、最初からおまえにはそうしてもらうつもりだった。あの男に累が及ばないように、おまえが守れ、七班長」
「大佐……」
ヴァラクが絶句して、ドレイクを見つめる。
そもそも、ドレイクはヴァラクを知る以前からダーナを気に入っていた。ヴァラクの希望を叶えたのも、それがダーナにとってプラスになるから、というのもあったのではないだろうか。
ドレイクといいヴァラクといい、ダーナのどこがそれほどいいのだろう。内心イルホンは首を傾げていたが、そのとき、ドレイクが「あ、そうだ」と両手を叩いた。
「妙案を出してくれた礼だ、ここに六班長呼んでやろうか?」
思わず、イルホンは変な声を出しそうになった。
だが、ヴァラクは好物を食べさせてやろうかと言われた子供のように、赤茶色の瞳を輝かせた。
「えっ! ほんとにっ!?」
しかし、次の瞬間、携帯電話の着信音がアラートのように鳴り出した。
全員の視線が、ヴァラクの上着の胸ポケットに集中する。
「七班長、携帯鳴ってるぞ。出ないのか?」
見るからに嫌そうな顔をしているヴァラクを、ドレイクが訝しげにうながす。
ここで、携帯電話の電源を切っていなかったのか、などと怒り出すような人間だったら、ドレイクは今ここにはいない。
「正直、出たくないですが……ドレイク大佐に迷惑はかけたくないんで出ます」
観念したように答えると、ヴァラクは胸ポケットから携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。
「はい、何ですか? ……え? まだドレイク大佐の執務室にいますよ。大佐と楽しくおしゃべりしてました。……は? そりゃ、豆だけ渡してすぐに帰るわけないでしょ。俺は他の大佐の執務室回る必要ないんだから。……はいはい、もう戻ります。ついでに携帯の電源も切ります」
おざなりに対応していたヴァラクは、宣言どおり携帯電話の電源を切り、さっさと胸ポケットに戻してしまった。
「……ダーナか?」
にやにやしながらドレイクが訊ねる。イルホンは硬直したが、クロケルはすでに見当がついていたようで、小さく溜め息をついていた。
「はい、そうです。もう大佐の執務室は出ただろうと思ったそうです」
「おまえには直球で来ないんだな。素直に〝早く戻ってこい〟って言えばいいのに」
「〝馬鹿〟も少しは学習するんですよ……」
「きっと、超スパルタだったんだろうな」
「そんなわけで、ほんとはまだ帰りたくなかったけど帰ります。お邪魔しました」
「おう。あのクッキー以上に高そうな豆、ありがとな。ダーナにも、一応礼言っといてくれ。そういや、あのクッキー缶、ダーナはどうした? 捨てたのか?」
「いえ。俺にくれました。俺が食玩入れてるの見て、一つじゃ足りないだろう、自分のも使えって。自分のには『連合』の入れたらどうかって、アドバイスもくれました」
しばらく、沈黙が落ちた。
ヴァラクは楽しげに笑っている。考えるまでもない。これは完全に惚気だ。
だが、クロケルの様子を窺うかぎり、そんな話までドレイクにするのかと呆れているだけのようである。ダーナの副官のように、クロケルもまた感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。
クロケルの前で冷やかすわけにもいかなかったのだろう。ドレイクは再び腕組みをして、生真面目に呟いた。
「……天然タラシだな」
「はい。天然タラシです」
「だから、おまえが守ってやれ。あの〝馬鹿〟はこの艦隊では貴重だ」
「大佐は、ほんとにダーナ大佐のこと、気に入ってますね」
「おまえの〝生き別れの兄〟だからな」
「ああ、なるほど。……あ、今度、その食玩持ってきましょうか? ダブってるの結構ありますから、それ、大佐にあげます」
「お、いいな。くれくれ」
「わかりました。……クロケル、片づけはもう済んでるな?」
ドレイクに顔を向けたまま、傲岸にヴァラクが問えば、クロケルは間髪を入れずに返答した。
「もちろんです」
クロケルの足元には、すでに二つのトランクケースが置かれている。しかし、ヴァラクのマイボトルはいつのまにか消え去っていた。おそらく、クロケルがトランクケースの中に戻したのだろうが、イルホンはまったく気づかなかった。さすが、ヴァラクが連れ歩いているだけのことはある。
「よし、それじゃ帰りますね」
ヴァラクがソファから腰を上げる。それより少しだけ遅れてクロケルも立ち上がった。
だが、ドレイクは見送るのが面倒になったのか、ソファに座ったままヴァラクたちを見上げた。
「ああ、気をつけて帰れよ。ダーナに苦情の電話、入れられたくねえからな」
「ここを出たら、携帯の電源入れますよ。ではまた」
「ああ、またな」
ヴァラクが軽く手を振り、クロケルが一礼して自動ドアから出ていった。
自動ドアが閉まって数秒後。イルホンは吐き出すようにドレイクに訴えた。
「大佐……俺は七班長より、今のダーナ大佐の電話のほうがずっと怖かったです……!」
ドレイクは肩越しにイルホンを見やると、得意げにニヤリと笑った。
「だから言っただろ。あいつは中途半端に勘がいいんだよ」
あれはもう、勘がいいとか悪いとかのレベルを超えているとイルホンは思ったが、ドレイクがそう言うのならそうなのだろう。
「でも、中途半端なんですね……」
「本当に勘がよかったら、六班長の転属願、部下に書かせたりはしないだろ」
「それは確かに」
思いきり納得したイルホンは、ローテーブルの上に並べられたコーヒー豆を片づけるため、執務机の椅子から立ち上がった。
3
お気に入りに追加
200
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
国を救った英雄と一つ屋根の下とか聞いてない!
古森きり
BL
第8回BL小説大賞、奨励賞ありがとうございます!
7/15よりレンタル切り替えとなります。
紙書籍版もよろしくお願いします!
妾の子であり、『Ω型』として生まれてきて風当たりが強く、居心地の悪い思いをして生きてきた第五王子のシオン。
成人年齢である十八歳の誕生日に王位継承権を破棄して、王都で念願の冒険者酒場宿を開店させた!
これからはお城に呼び出されていびられる事もない、幸せな生活が待っている……はずだった。
「なんで国の英雄と一緒に酒場宿をやらなきゃいけないの!」
「それはもちろん『Ω型』のシオン様お一人で生活出来るはずもない、と国王陛下よりお世話を仰せつかったからです」
「んもおおおっ!」
どうなる、俺の一人暮らし!
いや、従業員もいるから元々一人暮らしじゃないけど!
※読み直しナッシング書き溜め。
※飛び飛びで書いてるから矛盾点とか出ても見逃して欲しい。
【BL】どうやら精霊術師として召喚されたようですが5分でクビになりましたので、最高級クラスの精霊獣と駆け落ちしようと思います。
riy
BL
風呂でまったりしている時に突如異世界へ召喚された千颯(ちはや)。
召喚されたのはいいが、本物の聖女が現れたからもう必要ないと5分も経たない内にお役御免になってしまう。
しかも元の世界へも帰れず、あろう事か風呂のお湯で流されてしまった魔法陣を描ける人物を探して直せと無茶振りされる始末。
別邸へと通されたのはいいが、いかにも出そうな趣のありすぎる館であまりの待遇の悪さに愕然とする。
そんな時に一匹のホワイトタイガーが現れ?
最高級クラスの精霊獣(人型にもなれる)×精霊術師(本人は凡人だと思ってる)
※コメディよりのラブコメ。時にシリアス。

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~
シキ
BL
全寮制学園モノBL。
倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。
倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……?
真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。
一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。
こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。
今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。
当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。

【完結済み】乙男な僕はモブらしく生きる
木嶋うめ香
BL
本編完結済み(2021.3.8)
和の国の貴族の子息が通う華学園の食堂で、僕こと鈴森千晴(すずもりちはる)は前世の記憶を思い出した。
この世界、前世の僕がやっていたBLゲーム「華乙男のラブ日和」じゃないか?
鈴森千晴なんて登場人物、ゲームには居なかったから僕のポジションはモブなんだろう。
もうすぐ主人公が転校してくる。
僕の片思いの相手山城雅(やましろみやび)も攻略対象者の一人だ。
これから僕は主人公と雅が仲良くなっていくのを見てなきゃいけないのか。
片思いだって分ってるから、諦めなきゃいけないのは分ってるけど、やっぱり辛いよどうしたらいいんだろう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる