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【05】始まりの終わり(中)
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三日前の挨拶回りのときのように、ドレイクは副官一人を伴って、アルスターを訪ねてきた。
今回もコノートが駐車場で二人を出迎えたが、双方とも手ぶらだった。昨日、ドレイクの副官が言っていたとおり、本当に話をするためだけにここに来たのだろう。
どんな話をしたいかは、ドレイクの副官は言わなかった。しかし、アルスターはその点は追及せず、すぐに承諾するようコノートに命じた。
――恨み言は電話ではなく、直接対面して言ったほうがいい。
おそらく、アルスターはそう計算したのだろう。いずれにせよ、今日の話の内容が司令官の耳に入るなら、その時は少しでも先延ばししたい、と。
「おはようございます。お忙しいところ、無理を言って申し訳ありません」
執務室の自動ドアが開くと、ドレイクは快活にアルスターに挨拶した。
すでに応接セットの近くに立っていたアルスターは、気圧されたように視線をそらせた。
「いや。……まずはかけたまえ。今、コーヒーを持ってこさせるよ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
前回と同様、ドレイクが来客用のソファに腰を下ろす。ドレイクの副官も、ソファの背後に無言で立った。
相変わらず、ドレイクの副官とは思えないほど平々凡々とした青年だ。だが、人は見かけによらないと、コノートは自分の上官を見てよく知っていた。
ただちに給湯室に入り、あの泥水のようなコーヒーを淹れる準備をする。不作法だが、給湯室のドアは開けたままにした。今日のアルスターになら注意はされないだろう。
「……ドレイク大佐」
一人掛けのソファに座ったアルスターは、数秒ためらってから、そう口を切った。
「君が、左翼の入替を殿下に進言したんだな?」
以前のアルスターなら、もっと無駄話をしてから本題に入っていた。
今はもうそんな余裕もないのだ。そうと知ってか知らずか、ドレイクもまた端的に答えた。
「はい。俺がしました」
「なぜかね?」
「失礼ですが、本気でそう訊ねていらっしゃるんですか?」
まさか、そう反問されるとは思っていなかったのだろう。アルスターの顔は見えなかったが、たじろいでいる気配がコノートにも伝わってきた。
「大佐同士のメールが解禁になってから、俺はあなたやコールタン大佐、パラディン大佐と何度もメール交換をしました。そのとき気づいたのですが、あなたと他の二人とは、内容に明確な違いがありました」
ドレイクの口調は淡々としている。しかし、その口調とは裏腹に、彼は今ひどく怒っているのだとコノートは思った。
ドレイクは話をしにきたのではない。アルスターを糾弾しにきたのだ。
我知らず、コノートの顔に笑みが浮かぶ。
アルスターの前では決してできない表情だが、このコーヒーを淹れ終える間だけは、隠さなくてもいいだろう。
「程度の差はあれ、あの二人はどうすればこの艦隊がよくなるかを常に考えていた。でも、あなたはどうすれば自分が苦労しないで済むかを常に考えていた」
――ドレイク大佐! ありがとうございます!
コノートは笑うだけでなく、その場で踊り出したくなった。
やはり、ドレイクは見抜いていた。実直な軍人然としたアルスターの中身を。
「何を……!」
アルスターが滑稽なほどうろたえている。コノートは二人分のコーヒーをトレーに載せると、ゆるんだ表情筋を引きしめて給湯室を出た。
「違いますか?」
ドレイクは穏やかに笑っている。だが、コノートは一目見た瞬間、寒気を覚えた。
若干震えながら、ドレイクとアルスターの前にコーヒーを置き、すみやかに自分の執務机へと退避する。
「アルスター大佐。あなたはウェーバー大佐、マクスウェル大佐がいた頃から、今までずっと左翼にいた。同じことを続けられた〝大佐〟は、今この艦隊であなただけです。ダーナ大佐、パラディン大佐は言うまでもないでしょうが、コールタン大佐も護衛仲間が二人も減って、今までとやり方を変えざるを得ませんでしたよ」
「変えさせたのは君だろう!?」
もう取り繕うこともできなくなったアルスターが、前のめりになって叫ぶ。
そして、この艦隊の〝大佐〟なら決して言ってはならない一言をついに言ってしまった。
「君がここに来なければ……!」
室内の空気がコーヒーの強烈な匂いと共に凍りつく。
アルスターもすぐに過ちに気づいたようだ。激高して赤くなっていた顔が、一転して青くなった。
「申し訳ありません。俺には三隻までしか指揮できませんので」
悪びれずにドレイクが笑う。そのまま、自分の前に置かれたコーヒーに手を伸ばそうとしたが、かすかに顔をしかめてその手を戻した。
ドレイクにも、あのコーヒーは泥水に見えたのだろうか。
「あなたも正直に言えばよかったんですよ。変わりたくないから、一〇〇隻までしか指揮できませんと。……いや、一五〇隻までは大丈夫だったか」
「なぜ、私を〝栄転〟させない? 今の君なら、殿下に一言言えばすぐにそうできるだろう」
開き直ったのか、アルスターが声を荒らげて問い返す。
それに対して、ドレイクは困ったように眉尻を下げた。
「理由がありません」
「理由?」
「あなたはまだ〝栄転〟されるほどの失策を犯していません」
「だから配置換えさせたのか。〝栄転〟させるために」
「お言葉を返すようですが、配置換えされたのはあなたの隊だけではありません。パラディン大佐も取り返しのつかない失策を犯せば〝栄転〟されるでしょう。条件はあなたと同じです」
ドレイクの発言は、終始一貫、正論だった。
アルスターもそれはわかっていたのだろう。ソファの肘掛けを両手でつかんだまま、妬ましげにこう言い放った。
「君だけが、安全圏にいるんだな。いつもいつも」
いい年をした軍人が、まるで癇癪を起こした子供のようだ。
コノートは恥ずかしくてたまらなかったが、ドレイクは特に表情を変えなかった。
アルスターのこの反応も、彼はすでに想定していたのかもしれない。
「そう思われますか。でも、あなたも元ウェーバー大佐隊の指揮権を殿下に取り上げられるまでは、ご自分はそうだと思っていたんじゃないですか? ちなみに、あれは殿下の独断です。俺は何も進言していません」
「…………」
「アルスター大佐。あなたは元ウェーバー大佐隊全体の指揮権を手にしたとき、より怠惰な方向へと進んでしまった。できることを続けるどころか、できることをやらなくなった。その皺寄せを受けた元ウェーバー大佐隊――今のパラディン大佐隊は、あなた方を当てにしない戦術を編み出した。皮肉な話ですが、あの隊があれほど強くなったのは、アルスター大佐、あなたの怠惰のせいなのです」
アルスターは呼吸困難に陥ったかのように口を動かしてから、白髪の目立つ頭を抱えた。
「なぜ今……なぜもっと早く……!」
「俺より軍人生活長い人が、情けないことを言わないでください」
呆れたようにドレイクが苦笑いする。
実際、呆れられても仕方がない。ドレイクはアルスターにも忠告していたのだ。それを無視したのは他でもない、アルスター自身である。
「これがラストチャンスですよ、アルスター大佐。パラディン大佐隊が後衛でしていた仕事を、パラディン大佐隊並みかそれ以上こなせば残れます。同様に、パラディン大佐隊も、あなたの隊が前衛でしていた仕事を、あなたの隊並みかそれ以上こなさなければ残れない。あなただけが試されているわけではないんです」
「いや。君はパラディン大佐は残すだろう。たとえ何があっても」
「『そのとおりです』と俺が認めたらどうしますか?」
冷ややかに問われて、アルスターは言葉に詰まった。
先ほどから失言しかしていない。コノートはひそかに乾いた笑いを漏らした。
自分が副官に任命されたとき、アルスターはここまで愚かな男だっただろうか。
「アルスター大佐。そんなことを口に出せてしまう時点で、あなたはもう〝栄転〟です」
溜め息まじりに断じると、ドレイクはソファから立ち上がった。
「気が向いたら、俺の執務室にも遊びに来てください。コーヒーしかないので、砂糖とミルクが必要でしたら、持参でお願いします」
心にもない社交辞令だ。
アルスターもそう思ったのか、うつむいたまま、こんな質問をした。
「君の執務室には、今まで何人の大佐が訪ねてきたかね?」
「誰とは言いませんが、たった二人だけですよ。寂しいですね」
「私のところへは、君以外誰も来ないよ」
「……寂しいですね。せっかく〝交流解禁〟になったのに」
「ドレイク大佐。君はこの艦隊を自分のものにしたいのか?」
――この期に及んで、まだそんな恥の上塗りを。
コノートは呆れるのを通りこして怒りすら覚えたが、当の本人は軽く目を見張ってアルスターを見下ろしていた。
「まさか。俺の望みはただ一つ、この艦隊が〝全艦殲滅〟しつづけることです。あなたはそうではなかったんですか? アルスター大佐」
ぐうの音も出ない。
アルスターは彫像のように固まっている。ドレイクは哀れむように溜め息をついた。
「本当に寂しいですよ。あなたが俺にそんなことを訊ねられるとは。あんなに親切に、いろんなことを教えてくれたのに。……信じてもらえないかもしれませんが、俺はあなたを尊敬していましたよ。殿下もあなたを信頼していたはずです」
「…………」
「それでは失礼いたします。コーヒー、せっかく淹れてくれたのにすみません。見たところ、俺には無理な濃さでした」
アルスターにではなく、コノートに対してすまなそうに微笑むと、ドレイクは副官を手招いて自動ドアから出ていった。
思わず見送ってしまったが、自分がいなければ外には出られないはずだ。あわててドレイクたちの後を追おうとしたとき、アルスターの呻くような独り言が耳に入った。
「いったい、どこまでが本音だ……?」
コノートはそのまま執務室を飛び出した。
今のは聞かなかったことにしよう。誰にも言わずに墓まで持っていこう。
ドレイクたちが驚いてコノートを振り返る。コノートは無理やり笑顔を作ると、駐車場までお送りしますと申し出た。
* * *
さすがに気まずそうな顔をしたコノートに見送られ、移動車を発進させたイルホンは、マイボトルの激薄アイスコーヒーを流し飲みしているドレイクを一瞥した。
「大佐。〝本音〟も話しましたけど、嘘もつきましたね」
「嘘? 社交辞令は嘘とは言わないでしょ?」
マイボトルから口を離し、白々しくとぼける。
こういうときはいくら問いただしても無駄だ。イルホンは諦めて話題を変えた。
「アルスター大佐は、勇退せずに出撃しますか?」
「するね」
迷いなく、ドレイクは即答する。
「だから困ってるよ。また殿下にお願いしたら、今度は何を要求されるかな」
「は?」
「それはまあ、ひとまず置いといて、殿下にあげるクッキー買いにいこうか。しかし、クッキー一つで配置換えする上官って、上官として間違ってるよね。要求するなら最高級チョコ詰め合わせだよね」
「いずれにしろ、間違っています。メールであんなことお願いする大佐も」
そう突っこみながらも、心の中ではイルホンはほっとしていた。
自分の上官がドレイクでよかった。
もしアルスターだったら、情けなくて泣いていたかもしれない。
(あの副官さんも、大佐を非難するどころか、逆に謝ってた。きっと、あの人も大佐と同じこと考えてたんだろうな。でも――アルスター大佐には言えなかった)
そして、アルスターが〝栄転〟しても、彼は本人には言えないだろう。
「大佐……」
「ん?」
「今日の昼飯、俺が奢ります」
ドレイクは一瞬きょとんとした。が、にやっと笑ってイルホンの頭を乱暴に撫で回した。
「ちょっ、大佐! 運転中!」
「ありがとう、イルホンくん」
最後にポンと叩くと、ドレイクは手を引っこめて、両腕を組んだ。
「実はちょっと、傷ついてた」
「ちょっとですか?」
「ちょっとだよ。ほんのちょっと。一食奢ってもらったら治るくらい」
たぶん、嘘だ。
それでも、ドレイクがつく嘘は優しい嘘だ。
「大佐は何が食べたいですか?」
「うーん……ハンバーガー?」
「ステーキにします。はい、決定」
「俺が食べたいもの食べさせてくれるんじゃなかったの?」
今日もコクマーの空は青い。
恨みがましいドレイクの声をBGMに、移動車は広大な道路を快走した。
今回もコノートが駐車場で二人を出迎えたが、双方とも手ぶらだった。昨日、ドレイクの副官が言っていたとおり、本当に話をするためだけにここに来たのだろう。
どんな話をしたいかは、ドレイクの副官は言わなかった。しかし、アルスターはその点は追及せず、すぐに承諾するようコノートに命じた。
――恨み言は電話ではなく、直接対面して言ったほうがいい。
おそらく、アルスターはそう計算したのだろう。いずれにせよ、今日の話の内容が司令官の耳に入るなら、その時は少しでも先延ばししたい、と。
「おはようございます。お忙しいところ、無理を言って申し訳ありません」
執務室の自動ドアが開くと、ドレイクは快活にアルスターに挨拶した。
すでに応接セットの近くに立っていたアルスターは、気圧されたように視線をそらせた。
「いや。……まずはかけたまえ。今、コーヒーを持ってこさせるよ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
前回と同様、ドレイクが来客用のソファに腰を下ろす。ドレイクの副官も、ソファの背後に無言で立った。
相変わらず、ドレイクの副官とは思えないほど平々凡々とした青年だ。だが、人は見かけによらないと、コノートは自分の上官を見てよく知っていた。
ただちに給湯室に入り、あの泥水のようなコーヒーを淹れる準備をする。不作法だが、給湯室のドアは開けたままにした。今日のアルスターになら注意はされないだろう。
「……ドレイク大佐」
一人掛けのソファに座ったアルスターは、数秒ためらってから、そう口を切った。
「君が、左翼の入替を殿下に進言したんだな?」
以前のアルスターなら、もっと無駄話をしてから本題に入っていた。
今はもうそんな余裕もないのだ。そうと知ってか知らずか、ドレイクもまた端的に答えた。
「はい。俺がしました」
「なぜかね?」
「失礼ですが、本気でそう訊ねていらっしゃるんですか?」
まさか、そう反問されるとは思っていなかったのだろう。アルスターの顔は見えなかったが、たじろいでいる気配がコノートにも伝わってきた。
「大佐同士のメールが解禁になってから、俺はあなたやコールタン大佐、パラディン大佐と何度もメール交換をしました。そのとき気づいたのですが、あなたと他の二人とは、内容に明確な違いがありました」
ドレイクの口調は淡々としている。しかし、その口調とは裏腹に、彼は今ひどく怒っているのだとコノートは思った。
ドレイクは話をしにきたのではない。アルスターを糾弾しにきたのだ。
我知らず、コノートの顔に笑みが浮かぶ。
アルスターの前では決してできない表情だが、このコーヒーを淹れ終える間だけは、隠さなくてもいいだろう。
「程度の差はあれ、あの二人はどうすればこの艦隊がよくなるかを常に考えていた。でも、あなたはどうすれば自分が苦労しないで済むかを常に考えていた」
――ドレイク大佐! ありがとうございます!
コノートは笑うだけでなく、その場で踊り出したくなった。
やはり、ドレイクは見抜いていた。実直な軍人然としたアルスターの中身を。
「何を……!」
アルスターが滑稽なほどうろたえている。コノートは二人分のコーヒーをトレーに載せると、ゆるんだ表情筋を引きしめて給湯室を出た。
「違いますか?」
ドレイクは穏やかに笑っている。だが、コノートは一目見た瞬間、寒気を覚えた。
若干震えながら、ドレイクとアルスターの前にコーヒーを置き、すみやかに自分の執務机へと退避する。
「アルスター大佐。あなたはウェーバー大佐、マクスウェル大佐がいた頃から、今までずっと左翼にいた。同じことを続けられた〝大佐〟は、今この艦隊であなただけです。ダーナ大佐、パラディン大佐は言うまでもないでしょうが、コールタン大佐も護衛仲間が二人も減って、今までとやり方を変えざるを得ませんでしたよ」
「変えさせたのは君だろう!?」
もう取り繕うこともできなくなったアルスターが、前のめりになって叫ぶ。
そして、この艦隊の〝大佐〟なら決して言ってはならない一言をついに言ってしまった。
「君がここに来なければ……!」
室内の空気がコーヒーの強烈な匂いと共に凍りつく。
アルスターもすぐに過ちに気づいたようだ。激高して赤くなっていた顔が、一転して青くなった。
「申し訳ありません。俺には三隻までしか指揮できませんので」
悪びれずにドレイクが笑う。そのまま、自分の前に置かれたコーヒーに手を伸ばそうとしたが、かすかに顔をしかめてその手を戻した。
ドレイクにも、あのコーヒーは泥水に見えたのだろうか。
「あなたも正直に言えばよかったんですよ。変わりたくないから、一〇〇隻までしか指揮できませんと。……いや、一五〇隻までは大丈夫だったか」
「なぜ、私を〝栄転〟させない? 今の君なら、殿下に一言言えばすぐにそうできるだろう」
開き直ったのか、アルスターが声を荒らげて問い返す。
それに対して、ドレイクは困ったように眉尻を下げた。
「理由がありません」
「理由?」
「あなたはまだ〝栄転〟されるほどの失策を犯していません」
「だから配置換えさせたのか。〝栄転〟させるために」
「お言葉を返すようですが、配置換えされたのはあなたの隊だけではありません。パラディン大佐も取り返しのつかない失策を犯せば〝栄転〟されるでしょう。条件はあなたと同じです」
ドレイクの発言は、終始一貫、正論だった。
アルスターもそれはわかっていたのだろう。ソファの肘掛けを両手でつかんだまま、妬ましげにこう言い放った。
「君だけが、安全圏にいるんだな。いつもいつも」
いい年をした軍人が、まるで癇癪を起こした子供のようだ。
コノートは恥ずかしくてたまらなかったが、ドレイクは特に表情を変えなかった。
アルスターのこの反応も、彼はすでに想定していたのかもしれない。
「そう思われますか。でも、あなたも元ウェーバー大佐隊の指揮権を殿下に取り上げられるまでは、ご自分はそうだと思っていたんじゃないですか? ちなみに、あれは殿下の独断です。俺は何も進言していません」
「…………」
「アルスター大佐。あなたは元ウェーバー大佐隊全体の指揮権を手にしたとき、より怠惰な方向へと進んでしまった。できることを続けるどころか、できることをやらなくなった。その皺寄せを受けた元ウェーバー大佐隊――今のパラディン大佐隊は、あなた方を当てにしない戦術を編み出した。皮肉な話ですが、あの隊があれほど強くなったのは、アルスター大佐、あなたの怠惰のせいなのです」
アルスターは呼吸困難に陥ったかのように口を動かしてから、白髪の目立つ頭を抱えた。
「なぜ今……なぜもっと早く……!」
「俺より軍人生活長い人が、情けないことを言わないでください」
呆れたようにドレイクが苦笑いする。
実際、呆れられても仕方がない。ドレイクはアルスターにも忠告していたのだ。それを無視したのは他でもない、アルスター自身である。
「これがラストチャンスですよ、アルスター大佐。パラディン大佐隊が後衛でしていた仕事を、パラディン大佐隊並みかそれ以上こなせば残れます。同様に、パラディン大佐隊も、あなたの隊が前衛でしていた仕事を、あなたの隊並みかそれ以上こなさなければ残れない。あなただけが試されているわけではないんです」
「いや。君はパラディン大佐は残すだろう。たとえ何があっても」
「『そのとおりです』と俺が認めたらどうしますか?」
冷ややかに問われて、アルスターは言葉に詰まった。
先ほどから失言しかしていない。コノートはひそかに乾いた笑いを漏らした。
自分が副官に任命されたとき、アルスターはここまで愚かな男だっただろうか。
「アルスター大佐。そんなことを口に出せてしまう時点で、あなたはもう〝栄転〟です」
溜め息まじりに断じると、ドレイクはソファから立ち上がった。
「気が向いたら、俺の執務室にも遊びに来てください。コーヒーしかないので、砂糖とミルクが必要でしたら、持参でお願いします」
心にもない社交辞令だ。
アルスターもそう思ったのか、うつむいたまま、こんな質問をした。
「君の執務室には、今まで何人の大佐が訪ねてきたかね?」
「誰とは言いませんが、たった二人だけですよ。寂しいですね」
「私のところへは、君以外誰も来ないよ」
「……寂しいですね。せっかく〝交流解禁〟になったのに」
「ドレイク大佐。君はこの艦隊を自分のものにしたいのか?」
――この期に及んで、まだそんな恥の上塗りを。
コノートは呆れるのを通りこして怒りすら覚えたが、当の本人は軽く目を見張ってアルスターを見下ろしていた。
「まさか。俺の望みはただ一つ、この艦隊が〝全艦殲滅〟しつづけることです。あなたはそうではなかったんですか? アルスター大佐」
ぐうの音も出ない。
アルスターは彫像のように固まっている。ドレイクは哀れむように溜め息をついた。
「本当に寂しいですよ。あなたが俺にそんなことを訊ねられるとは。あんなに親切に、いろんなことを教えてくれたのに。……信じてもらえないかもしれませんが、俺はあなたを尊敬していましたよ。殿下もあなたを信頼していたはずです」
「…………」
「それでは失礼いたします。コーヒー、せっかく淹れてくれたのにすみません。見たところ、俺には無理な濃さでした」
アルスターにではなく、コノートに対してすまなそうに微笑むと、ドレイクは副官を手招いて自動ドアから出ていった。
思わず見送ってしまったが、自分がいなければ外には出られないはずだ。あわててドレイクたちの後を追おうとしたとき、アルスターの呻くような独り言が耳に入った。
「いったい、どこまでが本音だ……?」
コノートはそのまま執務室を飛び出した。
今のは聞かなかったことにしよう。誰にも言わずに墓まで持っていこう。
ドレイクたちが驚いてコノートを振り返る。コノートは無理やり笑顔を作ると、駐車場までお送りしますと申し出た。
* * *
さすがに気まずそうな顔をしたコノートに見送られ、移動車を発進させたイルホンは、マイボトルの激薄アイスコーヒーを流し飲みしているドレイクを一瞥した。
「大佐。〝本音〟も話しましたけど、嘘もつきましたね」
「嘘? 社交辞令は嘘とは言わないでしょ?」
マイボトルから口を離し、白々しくとぼける。
こういうときはいくら問いただしても無駄だ。イルホンは諦めて話題を変えた。
「アルスター大佐は、勇退せずに出撃しますか?」
「するね」
迷いなく、ドレイクは即答する。
「だから困ってるよ。また殿下にお願いしたら、今度は何を要求されるかな」
「は?」
「それはまあ、ひとまず置いといて、殿下にあげるクッキー買いにいこうか。しかし、クッキー一つで配置換えする上官って、上官として間違ってるよね。要求するなら最高級チョコ詰め合わせだよね」
「いずれにしろ、間違っています。メールであんなことお願いする大佐も」
そう突っこみながらも、心の中ではイルホンはほっとしていた。
自分の上官がドレイクでよかった。
もしアルスターだったら、情けなくて泣いていたかもしれない。
(あの副官さんも、大佐を非難するどころか、逆に謝ってた。きっと、あの人も大佐と同じこと考えてたんだろうな。でも――アルスター大佐には言えなかった)
そして、アルスターが〝栄転〟しても、彼は本人には言えないだろう。
「大佐……」
「ん?」
「今日の昼飯、俺が奢ります」
ドレイクは一瞬きょとんとした。が、にやっと笑ってイルホンの頭を乱暴に撫で回した。
「ちょっ、大佐! 運転中!」
「ありがとう、イルホンくん」
最後にポンと叩くと、ドレイクは手を引っこめて、両腕を組んだ。
「実はちょっと、傷ついてた」
「ちょっとですか?」
「ちょっとだよ。ほんのちょっと。一食奢ってもらったら治るくらい」
たぶん、嘘だ。
それでも、ドレイクがつく嘘は優しい嘘だ。
「大佐は何が食べたいですか?」
「うーん……ハンバーガー?」
「ステーキにします。はい、決定」
「俺が食べたいもの食べさせてくれるんじゃなかったの?」
今日もコクマーの空は青い。
恨みがましいドレイクの声をBGMに、移動車は広大な道路を快走した。
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