無冠の皇帝

有喜多亜里

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【05】始まりの終わり(中)

27 最後通告しました

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 三日前の挨拶回りのときのように、ドレイクは副官一人を伴って、アルスターを訪ねてきた。
 今回もコノートが駐車場で二人を出迎えたが、双方とも手ぶらだった。昨日、ドレイクの副官が言っていたとおり、本当に話をするためだけにここに来たのだろう。
 どんな話をしたいかは、ドレイクの副官は言わなかった。しかし、アルスターはその点は追及せず、すぐに承諾するようコノートに命じた。
 ――恨み言は電話ではなく、直接対面して言ったほうがいい。
 おそらく、アルスターはそう計算したのだろう。いずれにせよ、今日の話の内容が司令官の耳に入るなら、その時は少しでも先延ばししたい、と。

「おはようございます。お忙しいところ、無理を言って申し訳ありません」

 執務室の自動ドアが開くと、ドレイクは快活にアルスターに挨拶した。
 すでに応接セットの近くに立っていたアルスターは、気圧されたように視線をそらせた。

「いや。……まずはかけたまえ。今、コーヒーを持ってこさせるよ」
「ありがとうございます。では、失礼します」

 前回と同様、ドレイクが来客用のソファに腰を下ろす。ドレイクの副官も、ソファの背後に無言で立った。
 相変わらず、ドレイクの副官とは思えないほど平々凡々とした青年だ。だが、人は見かけによらないと、コノートは自分の上官を見てよく知っていた。
 ただちに給湯室に入り、あの泥水のようなコーヒーを淹れる準備をする。不作法だが、給湯室のドアは開けたままにした。今日のアルスターになら注意はされないだろう。

「……ドレイク大佐」

 一人掛けのソファに座ったアルスターは、数秒ためらってから、そう口を切った。

「君が、左翼の入替を殿下に進言したんだな?」

 以前のアルスターなら、もっと無駄話をしてから本題に入っていた。
 今はもうそんな余裕もないのだ。そうと知ってか知らずか、ドレイクもまた端的に答えた。

「はい。俺がしました」
「なぜかね?」
「失礼ですが、本気でそう訊ねていらっしゃるんですか?」

 まさか、そう反問されるとは思っていなかったのだろう。アルスターの顔は見えなかったが、たじろいでいる気配がコノートにも伝わってきた。

「大佐同士のメールが解禁になってから、俺はあなたやコールタン大佐、パラディン大佐と何度もメール交換をしました。そのとき気づいたのですが、あなたと他の二人とは、内容に明確な違いがありました」

 ドレイクの口調は淡々としている。しかし、その口調とは裏腹に、彼は今ひどく怒っているのだとコノートは思った。
 ドレイクは話をしにきたのではない。アルスターを糾弾しにきたのだ。
 我知らず、コノートの顔に笑みが浮かぶ。
 アルスターの前では決してできない表情だが、このコーヒーを淹れ終える間だけは、隠さなくてもいいだろう。

「程度の差はあれ、あの二人はどうすればこの艦隊がよくなるかを常に考えていた。でも、あなたはどうすれば自分が苦労しないで済むかを常に考えていた」

 ――ドレイク大佐! ありがとうございます!
 コノートは笑うだけでなく、その場で踊り出したくなった。
 やはり、ドレイクは見抜いていた。実直な軍人然としたアルスターの中身を。

「何を……!」

 アルスターが滑稽なほどうろたえている。コノートは二人分のコーヒーをトレーに載せると、ゆるんだ表情筋を引きしめて給湯室を出た。

「違いますか?」

 ドレイクは穏やかに笑っている。だが、コノートは一目見た瞬間、寒気を覚えた。
 若干震えながら、ドレイクとアルスターの前にコーヒーを置き、すみやかに自分の執務机へと退避する。

「アルスター大佐。あなたはウェーバー大佐、マクスウェル大佐がいた頃から、今までずっと左翼にいた。同じことを続けられた〝大佐〟は、今この艦隊であなただけです。ダーナ大佐、パラディン大佐は言うまでもないでしょうが、コールタン大佐も護衛仲間が二人も減って、今までとやり方を変えざるを得ませんでしたよ」
「変えさせたのは君だろう!?」

 もう取り繕うこともできなくなったアルスターが、前のめりになって叫ぶ。
 そして、この艦隊の〝大佐〟なら決して言ってはならない一言をついに言ってしまった。

「君がここに来なければ……!」

 室内の空気がコーヒーの強烈な匂いと共に凍りつく。
 アルスターもすぐに過ちに気づいたようだ。激高して赤くなっていた顔が、一転して青くなった。

「申し訳ありません。俺には三隻までしか指揮できませんので」

 悪びれずにドレイクが笑う。そのまま、自分の前に置かれたコーヒーに手を伸ばそうとしたが、かすかに顔をしかめてその手を戻した。
 ドレイクにも、あのコーヒーは泥水に見えたのだろうか。

「あなたも正直に言えばよかったんですよ。変わりたくないから、一〇〇隻までしか指揮できませんと。……いや、一五〇隻までは大丈夫だったか」
「なぜ、私を〝栄転〟させない? 今の君なら、殿下に一言言えばすぐにそうできるだろう」

 開き直ったのか、アルスターが声を荒らげて問い返す。
 それに対して、ドレイクは困ったように眉尻を下げた。

「理由がありません」
「理由?」
「あなたはまだ〝栄転〟されるほどの失策を犯していません」
「だから配置換えさせたのか。〝栄転〟させるために」
「お言葉を返すようですが、配置換えされたのはあなたの隊だけではありません。パラディン大佐も取り返しのつかない失策を犯せば〝栄転〟されるでしょう。条件はあなたと同じです」

 ドレイクの発言は、終始一貫、正論だった。
 アルスターもそれはわかっていたのだろう。ソファの肘掛けを両手でつかんだまま、妬ましげにこう言い放った。

「君だけが、安全圏にいるんだな。いつもいつも」

 いい年をした軍人が、まるで癇癪を起こした子供のようだ。
 コノートは恥ずかしくてたまらなかったが、ドレイクは特に表情を変えなかった。
 アルスターのこの反応も、彼はすでに想定していたのかもしれない。

「そう思われますか。でも、あなたも元ウェーバー大佐隊の指揮権を殿下に取り上げられるまでは、ご自分はそうだと思っていたんじゃないですか? ちなみに、あれは殿下の独断です。俺は何も進言していません」
「…………」
「アルスター大佐。あなたは元ウェーバー大佐隊全体の指揮権を手にしたとき、より怠惰な方向へと進んでしまった。できることを続けるどころか、できることをやらなくなった。その皺寄せを受けた元ウェーバー大佐隊――今のパラディン大佐隊は、あなた方を当てにしない戦術を編み出した。皮肉な話ですが、あの隊があれほど強くなったのは、アルスター大佐、あなたの怠惰のせいなのです」

 アルスターは呼吸困難に陥ったかのように口を動かしてから、白髪の目立つ頭を抱えた。

「なぜ今……なぜもっと早く……!」
「俺より軍人生活長い人が、情けないことを言わないでください」

 呆れたようにドレイクが苦笑いする。
 実際、呆れられても仕方がない。ドレイクはアルスターにも忠告していたのだ。それを無視したのは他でもない、アルスター自身である。

「これがラストチャンスですよ、アルスター大佐。パラディン大佐隊が後衛でしていた仕事を、パラディン大佐隊並みかそれ以上こなせば残れます。同様に、パラディン大佐隊も、あなたの隊が前衛でしていた仕事を、あなたの隊並みかそれ以上こなさなければ残れない。あなただけが試されているわけではないんです」
「いや。君はパラディン大佐は残すだろう。たとえ何があっても」
「『そのとおりです』と俺が認めたらどうしますか?」

 冷ややかに問われて、アルスターは言葉に詰まった。
 先ほどから失言しかしていない。コノートはひそかに乾いた笑いを漏らした。
 自分が副官に任命されたとき、アルスターはここまで愚かな男だっただろうか。

「アルスター大佐。そんなことを口に出せてしまう時点で、あなたはもう〝栄転〟です」

 溜め息まじりに断じると、ドレイクはソファから立ち上がった。

「気が向いたら、俺の執務室にも遊びに来てください。コーヒーしかないので、砂糖とミルクが必要でしたら、持参でお願いします」

 心にもない社交辞令だ。
 アルスターもそう思ったのか、うつむいたまま、こんな質問をした。

「君の執務室には、今まで何人の大佐が訪ねてきたかね?」
「誰とは言いませんが、たった二人だけですよ。寂しいですね」
「私のところへは、君以外誰も来ないよ」
「……寂しいですね。せっかく〝交流解禁〟になったのに」
「ドレイク大佐。君はこの艦隊を自分のものにしたいのか?」

 ――この期に及んで、まだそんな恥の上塗りを。
 コノートは呆れるのを通りこして怒りすら覚えたが、当の本人は軽く目を見張ってアルスターを見下ろしていた。

「まさか。俺の望みはただ一つ、この艦隊が〝全艦殲滅〟しつづけることです。あなたはそうではなかったんですか? アルスター大佐」

 ぐうの音も出ない。
 アルスターは彫像のように固まっている。ドレイクは哀れむように溜め息をついた。

「本当に寂しいですよ。あなたが俺にそんなことを訊ねられるとは。あんなに親切に、いろんなことを教えてくれたのに。……信じてもらえないかもしれませんが、俺はあなたを尊敬していましたよ。殿下もあなたを信頼していたはずです」
「…………」
「それでは失礼いたします。コーヒー、せっかく淹れてくれたのにすみません。見たところ、俺には無理な濃さでした」

 アルスターにではなく、コノートに対してすまなそうに微笑むと、ドレイクは副官を手招いて自動ドアから出ていった。
 思わず見送ってしまったが、自分がいなければ外には出られないはずだ。あわててドレイクたちの後を追おうとしたとき、アルスターの呻くような独り言が耳に入った。

「いったい、どこまでが本音だ……?」

 コノートはそのまま執務室を飛び出した。
 今のは聞かなかったことにしよう。誰にも言わずに墓まで持っていこう。
 ドレイクたちが驚いてコノートを振り返る。コノートは無理やり笑顔を作ると、駐車場までお送りしますと申し出た。

 * * *

 さすがに気まずそうな顔をしたコノートに見送られ、移動車を発進させたイルホンは、マイボトルの激薄アイスコーヒーを流し飲みしているドレイクを一瞥した。

「大佐。〝本音〟も話しましたけど、嘘もつきましたね」
「嘘? 社交辞令は嘘とは言わないでしょ?」

 マイボトルから口を離し、白々しくとぼける。
 こういうときはいくら問いただしても無駄だ。イルホンは諦めて話題を変えた。

「アルスター大佐は、勇退せずに出撃しますか?」
「するね」

 迷いなく、ドレイクは即答する。

「だから困ってるよ。また殿下にお願いしたら、今度は何を要求されるかな」
「は?」
「それはまあ、ひとまず置いといて、殿下にあげるクッキー買いにいこうか。しかし、クッキー一つで配置換えする上官って、上官として間違ってるよね。要求するなら最高級チョコ詰め合わせだよね」
「いずれにしろ、間違っています。メールであんなことお願いする大佐も」

 そう突っこみながらも、心の中ではイルホンはほっとしていた。
 自分の上官がドレイクでよかった。
 もしアルスターだったら、情けなくて泣いていたかもしれない。

(あの副官さんも、大佐を非難するどころか、逆に謝ってた。きっと、あの人も大佐と同じこと考えてたんだろうな。でも――アルスター大佐には言えなかった)

 そして、アルスターが〝栄転〟しても、彼は本人には言えないだろう。

「大佐……」
「ん?」
「今日の昼飯、俺が奢ります」

 ドレイクは一瞬きょとんとした。が、にやっと笑ってイルホンの頭を乱暴に撫で回した。

「ちょっ、大佐! 運転中!」
「ありがとう、イルホンくん」

 最後にポンと叩くと、ドレイクは手を引っこめて、両腕を組んだ。

「実はちょっと、傷ついてた」
「ちょっとですか?」
「ちょっとだよ。ほんのちょっと。一食奢ってもらったら治るくらい」

 たぶん、嘘だ。
 それでも、ドレイクがつく嘘は優しい嘘だ。

「大佐は何が食べたいですか?」
「うーん……ハンバーガー?」
「ステーキにします。はい、決定」
「俺が食べたいもの食べさせてくれるんじゃなかったの?」

 今日もコクマーの空は青い。
 恨みがましいドレイクの声をBGMに、移動車は広大な道路を快走した。
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