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【05】始まりの終わり(中)
06 生き別れの弟かと思いました
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――大佐同士が自由に交流できるようになりたい。
突然そんなことを言い出したドレイクだが、実際には何の行動も起こさなかった。
「やっぱり、理由とタイミングがねえ。パラディン大佐が飛ばされたそのすぐ後じゃ、あまりにもあからさまじゃない?」
いつものように執務室のソファに横たわったまま、ドレイクがまた言い訳をする。
「あからさまって……そもそも大佐の目的は何なんですか?」
いつものようにドレイクの分の事務仕事もしながら、イルホンは困惑する。
アルスターに陣中見舞いを贈りたいからというのは、あくまで建前だろう。
ドレイクは決して認めないが、司令官のあの辞令を見るまで、アルスターの〝栄転〟を期待していたはずだ。
「メールを介さないで、直接会ってお話したい」
「それは手段であって、目的ではないでしょう」
呆れて言うと、ドレイクは上半身を起こしてにやりと笑った。
「さすがイルホンくん。ごまかされないね」
「俺じゃなくても、それくらいはわかります。……パラディン大佐と直接会ってお話したいんですか?」
「いや。パラディン大佐じゃなくてもいい」
「はあ?」
意味がわからず、イルホンは大仰に眉をひそめた。
「じゃあ、具体的に誰とお話したいんですか?」
「そうだなあ……誰とお話したらいちばんいいのかなあ……」
そう言いながら、ドレイクが再びソファに寝そべったときだった。
いつかのように、イルホンの机上で電話機が鳴り出した。
「おいおい。また転属騒動かあ?」
もうあんなことはないだろうと思っているドレイクの声は笑っている。
「……総務ではないですね」
とりあえず、転属関係ではなさそうだが、パネルに表示されている電話番号は、未登録の番号だ。つまり、誰がかけてきているかはわからない。
この時点ですでに嫌な予感はしていたが、職場の電話で出ないという選択肢はない。
間違い電話だったらいいなと儚い希望を抱きつつ受話器を取ったイルホンは、相手の名前を聞いた瞬間、これは悪戯電話ではないかと本気で疑った。
* * *
名前と噂だけは、これまでさんざん聞いていた。
しかし、実際本人を目にすると、やはり信じられない思いに駆られてしまう。
「いやー、本当に会っていただけるとは思いませんでした」
ドレイクの対面のソファで、あっけらかんと笑う黒髪の青年。
マシム、ギブスン、シェルドンと同じ訓練生と言われてもまったく違和感はないが、彼はセイルと同年齢で、階級も同じ〝中佐〟だ。
(ということは、あの元ウェーバー大佐隊班長ズのほうが年下……?)
イルホンが執務机で戦慄したとき、ソファにもたれて座っていたドレイクがにやにやしながら応えた。
「いやいや。こちらこそ、わざわざ会いに来てもらえるとは夢にも思わなかった。実は一度会ってみたいと思っていたんだ。元マクスウェル大佐隊〝七班長〟」
「そうですか。ドレイク大佐殿にそう思っていただけていたとは光栄です」
〝七班長〟ことヴァラク中佐は、愛想よく笑いつづける。
噂を知らなければ、童顔で快活な軍人に見えるだろう。噂を知らなければ。
「で?」
一転して、ドレイクは冷ややかに口角を吊り上げた。
「遠路はるばる何しに来た? おまえさんがここにいること、ダーナは知らないんだろ?」
「はい。知られてはまずいので知りません」
だが、ヴァラクの笑顔は崩れない。鉄壁だ。
「自分がここに来たことを知っているのは、いま廊下に立たせている自分の部下だけです」
「あの部下にここに来たことは知られてもいいが、何を話したかは知られたくないのか」
「さすがドレイク大佐殿。そんなところからも知られてしまうんですね」
「でも、うちのイルホンくんには知られてもかまわない?」
イルホンは思わず顔を跳ね上げたが、ヴァラクは赤茶色の目で一瞥しただけで、すぐにドレイクに視線を戻した。
「はい。かまいません。ドレイク大佐殿の副官殿なら、きっと口外はされないでしょう」
「まあ、確かにイルホンくんの口は堅いけどね。でも、話の内容によっては、俺のほうが先に口を割っちゃうかもよ?」
「話の内容によるわけですね。では、こういうのはどうでしょう?」
ヴァラクは人差指を立て、悪戯っぽく笑った。
「一身上の都合により、自分は一日でも早く〝大佐〟になりたいんです。どうか、ドレイク大佐殿から殿下に一言言ってくださいませんか?」
イルホンはあっけにとられてヴァラクを見つめた。
一見、冗談を言っているようにも思えるが、こんな冗談を言うために〝遠路はるばる〟ここへは来ないだろう。彼は本気ですぐに〝大佐〟に昇進したくて、それゆえに〝ドレイクの進言〟という、今の護衛艦隊では最強カードを切ってくれないかと言っているのだ。
ドレイクもこれには驚かされたようだ。しばらく黙っていたが、何を思いついたのか、からかうような笑みを浮かべた。
「その〝一身上の都合〟しだいだな。あと、俺が〝一言〟言ったところで、殿下が〝大佐〟にしてくれるかどうかはわからねえぜ?」
いや、ドレイクなら〝一言〟でそうできるだろう。
心の中でそう反論してから、イルホンはふと首をかしげる。
(そういえば大佐、〝戦闘モード〟で七班長と話してるな。他の大佐隊の隊員とは〝平常モード〟で話すのに)
しかし、ドレイクの素は〝戦闘モード〟のほうではないかとひそかにイルホンは思っている。〝平常モード〟は〝猫かぶりモード〟もしくは〝変なおじさんモード〟だ。
「連合」時代はどうだったか知らないが、今はモードを使い分けるのが最適解だと考えているのだろう。隊員の中でイルホンだけはいまだに〝くん〟をつけて呼んでいるのも、きっと何か理由があるはずだ。
ただ、今はもう問いただしたいとは思わない。ドレイクがそう呼びたいなら呼びつづければいい。〝エロホンくん〟だけは断固として拒否するが。
「ああ、やっぱりそこ、突っこまれますよねえ」
だが、〝戦闘モード〟のドレイク相手でも、ヴァラクはまったく動じていない。
それだけで、ここの〝大佐〟になれる資格は充分ありそうだ。
「わざわざ突っこんでくださいって言い方するからだろ。でもまあ、自分の大佐隊を持ちたいからとか言われても、全然説得力ないけどな。実質、もう持ってるし」
「おっしゃるとおりです。ついでに言うと、自分はつい最近まで〝大佐〟になりたいとはまったく思っていなかったんですが」
そこでいったん言葉を切ると、ヴァラクは困ったように眉根を寄せた。
「部下では駄目だと言うんです」
「は?」
と言ったのはイルホンで、ドレイクはにやにや笑っていた。
「パワハラと区別がつかないかららしいですが、それならこちらが同じ階級になってやるしかないじゃないですか! これ以上自分が年を取る前に!」
「ああ、だから〝一日でも早く〟なわけだ」
納得したようにドレイクは言ったが、イルホンは再び嫌な予感に襲われていた。
めちゃくちゃ既視感がある。さらに、今回はもっとすごいことを聞かされてしまいそうな気がする。
「そうです。自分が若いのは見た目だけなので!」
「あいつは年齢も気にしなさそうだけどなあ……」
「実際そう言われましたが、自分は気にするんです!」
「そこは保守なんだな」
「そのようなわけで、手っ取り早く〝大佐〟になるため、大佐殿のお力添えをお願いしにまいりました! ……大佐殿も、今は〝大佐〟を増やしたいと考えていらっしゃるのでは?」
「そこまで計算済みか」
そう言うドレイクの表情は楽しげだ。ヴァラクの〝一身上の都合〟の内容が気に入ったのだろうか。いずれにせよ、質の悪い冗談であってほしいというイルホンの願いは完全に粉砕された。
「でも、大佐同士は直接交流できないことになってるんだろ? もし今、おまえが〝大佐〟になれたとして、その後はどうするんだ?」
「ああ、それですか。実は基地の外では結構ルーズだそうです」
ヴァラクは事もなげに答えた。ソースは〝部下では駄目〟な上官だろうから、本当にそうなのだろう。しかし、たとえ基地の外でも、司令官にとってよからぬことをしていたら、すぐに拘束されるはずだ。基地だけではなく、このコクマーそのものが司令官――レクス公爵のものなのだから。
「でも、基地の中でも直接交流できたほうが絶対いいですよね。事務仕事、今までどおり丸投げできるし」
「丸投げしてたのか。俺よりひでえな。しかしまあ、直接交流できたほうがいいってのには大いに賛成だ。問題は、それをどうやって許可してもらうかだが……」
「どうやってって……大佐殿がメールで殿下にお願いすれば一発でしょう?」
何が問題なのかわからないとでも言いたげに、ヴァラクは呆れていた。
どうして彼がそれを知っているのか、などとドレイクもイルホンももはや驚かない。むしろ、〝七班長〟ならそれくらい知っていて当たり前だろうとさえ思う。
「そっちじゃなくて理由だよ。このタイミングであえて殿下にお願いする理由」
それでも、ドレイクは苦笑いしていた。そして、さりげなくヴァラクに例の悩み事を相談しようとしていた。
大佐同士が自由に交流できるようになりたいとドレイクが思った理由は、まさに今のようなことをするためなのかもしれない。今はまだヴァラクは〝大佐〟ではないけれども。
「ああ、理由ですか。本音はアルスター大佐殿を〝栄転〟させるためでも、建前は一応必要ですよね」
訳知り顔でヴァラクは言ったが、イルホンは一瞬心臓が止まりそうになった。
さすがにドレイクも虚を突かれたような顔をした。が、すぐになぜか嬉しそうに笑い出した。
「ぶっちゃけるなー、七班長。それほど今すぐ〝大佐〟になりたいか?」
「そりゃなりたいですよ。アルスター大佐殿の〝栄転〟を待っていられないくらい。本来ならアルスター大佐殿はこの前の出撃で〝栄転〟になっても文句は言えないところでしたが、殿下はパラディン大佐殿のために先延ばしされたんでしょう。自分はそんな先延ばしは必要なかったと思っていますが。……そうですね。理由としてはあまり強くありませんが、またこの前のような変則的な陣形をとられたときのために、普段から大佐同士が連携できるようにしておきたいから……っていうのはどうですか? 現状、戦闘中に大佐同士が連絡を取り合うことはできませんからね。この前はアルスター大佐殿が戦闘放棄してくださったので、むしろいつもより楽に勝てましたけど、次もそうとは限りませんし」
世間話のように気軽に話しているが、その内容はすでに〝中佐〟の域にない。
だが、その顔は三十代とは思えないほど若く見え、軽くウェーブのかかった長めの黒髪がそれに拍車をかけている。
イルホンはヴァラクの全貌を知らない。しかし、セイルがこの同僚から逃げるようにドレイク大佐隊に来た理由は(フォルカスがいたからというのがいちばん大きいだろうからそれは置いておいて)何となくわかるような気がした。
これはまっとうな人間の手には負えない。ドレイクはまっとうではないが(倫理的にはまともだと思っている。一応)、ヴァラクを自分の部下にしたいとは決して思わないだろう。そして、ヴァラクもまたドレイクを上官にしたいとは微塵も思っていないはずだ。
「なるほど。殿下向けには、ものすごくもっともらしい理由だ」
愉快そうにドレイクは笑った。彼にとってヴァラクの回答は、たいへん満足のいくものだったらしい。
「実際、殿下がその理由を正直に書くかどうかはわからないが、そこは殿下の自己判断。俺らには関係ない」
「お。採用ですか?」
「採用だ。で、謝礼がわりに、おまえを〝大佐〟にしたらどうですかと、殿下に一筆啓上してやる」
「本当ですか!」
ヴァラクは満面に笑みを浮かべて、ソファから身を乗り出した。
あれは演技ではないだろう。認めたくないが、子供のように無邪気で愛らしい。
だが、あれもたぶん、彼の〝武器〟の一つなのだ。
「ああ。でも、しつこいくらいに言っとくが、俺がそう書いたからって、すぐに〝大佐〟になれるとはまったく限らねえぞ?」
「いいですいいです。絶対になれますから」
「あと百回くらい言っとくか?」
「時間の無駄だからいいですよ。では、そろそろお暇させていただきますね。たとえ自分が〝大佐〟でなくても、自隊の〝大佐〟以外の〝大佐〟の執務室に長居はまずいですから」
真昼間に堂々と訪ねてきた上、ドレイクがイルホンにコーヒーを淹れさせようとすると、コーヒーは苦手なのでいりませんと堂々と断ったヴァラクは申し訳なさそうに笑った。
「やっぱりまずいのか?」
「まずいですよ。傍目には部下を使って〝交流〟しているように見えますからね。でも、自分も大佐殿も処罰はされないでしょう。ドレイク大佐殿の執務室は唯一の例外です」
「あー……そう言われてみればそうか。俺は〝大佐〟じゃなければセーフなんだとばかり思ってたよ」
「それ以前に、ドレイク大佐殿の執務室だからですよ。大佐殿は殿下の不利益になることは絶対にされない。殿下にもそう思われている」
「まあ、俺は殿下に飼われている犬だから。不始末起こしたら殺処分されるわな」
「いや、殺処分じゃなくて。……殿下に死ぬまで監禁されますよ」
ヴァラクは真顔で訂正してから、自分の部下を中に入れてもらってもいいでしょうかとにこやかにお伺いを立てた。
「ああ。……イルホンくん、お願い」
「了解しました」
ドレイクに視線を送られたイルホンは、自分の席にある開閉装置を使い、執務室の自動ドアを開ける。
ヴァラクの部下――灰褐色の短髪の大男は、自動ドアの横で護衛のように立っていたが、自動ドアが開ききっても中には入らなかった。
「クロケル。入れ」
自動ドアを振り返らずに、ヴァラクが無表情に命じる。
部下――クロケルは短く返答し、幾分緊張したように入室してきた。
「話は済んだ。あれを渡せ」
すでに挨拶はしていたが、再度ドレイクに一礼していたクロケルは、あわててヴァラクに駆け寄ると、濃茶色の手提げ袋を恭しく差し出した。
「何だ?」
怪訝そうなドレイクに、ヴァラクは愛想よく笑い、その手提げ袋をローテーブルの上に丁重に置いた。
「お口に合うかどうかはわかりませんが、手土産としてチョコレートの詰め合わせをお持ちしました。よろしかったらどうぞお召し上がりください」
そう言いながらヴァラクが手提げ袋から引き出したのは、やはり濃茶色の包装紙にくるまれた平べったい箱だった。
「ちなみに、個別包装されていますので、持ち歩きもできます」
「それは有り難いが……これは賄賂にならないか?」
「たかがチョコレートで買えるほど、〝大佐〟の地位は安いものなんですか?」
「それもそうだな。じゃあ、遠慮なくもらっとくわ」
ドレイクは豪快に笑うと、片手で箱を引き寄せた。
「しかし、何だな。おまえは他人とは思えないな」
ソファから腰を上げかけていたヴァラクは、動きを止めてドレイクを見つめた。
「はい?」
「俺には書類上、血縁者は一人もいないが、今日、おまえと初めて会って、まるで年の離れた生き別れの弟に会ったような気分になった」
「年の離れた生き別れの弟……」
さすがのヴァラクもこれには意表を突かれたらしく、呆然とした表情でオウム返しをした。
「そうか……『帝国』にいたか……それじゃあ、見つからないはずだ……」
一方、ドレイクは箱を持ったまま、感慨深く呟いている。
完全に冗談だろうが、ドレイクが笑わずに言うと、冗談も冗談に聞こえない。
「えーと……一応、喜んでおきますね」
複雑そうに笑いながら、ヴァラクがソファから立ち上がる。
やはり、年を食っている分、ドレイクのほうが上手のようだ。別に何の勝負もしていたわけでもないが、最後の最後でドレイクが勝ったとイルホンは妙な優越感を抱いた。
「無理に喜ぶ必要はねえよ。俺が勝手にそう思っただけだから。あと、ここから帰る途中でうちのドックに立ち寄ったりすんなよ。したら、ダーナにタレこむ」
ヴァラクは笑みを消してドレイクを見下ろし、ドレイクは悠然と笑い返した。
「確かにあんた、俺の〝生き別れの兄〟だ……」
「認めてもらって嬉しいよ。〝お兄ちゃん〟は全面的におまえの味方だ。だから、六班長はもう諦めろ。二兎を追う者は一兎も得ない」
「フォルカスは!?」
「相変わらず、六班長を避けまくってる」
「それならよし!」
握りこぶしを作って一声叫んだヴァラクは、次の瞬間には別人のようにドレイクに微笑みかけた。
「それではドレイク大佐殿。このたびは貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとうございました。今度こちらにお伺いするときは〝大佐〟として参ります」
「その切り替えの速さ見てると、本気で〝生き別れの弟〟じゃないかって思うわ。……こちらこそ、貴重なお知恵を授けていただき大感謝だ。もし大佐同士の交流が解禁になったら、今度はこっちから手土産持って、おまえらの執務室に遊びに行ってやるよ」
「それは本当に楽しみですね」
ヴァラクは本心からそう思っているような笑顔を返すと、蒼白になってあたふたしているクロケルを引き連れて、執務室を出ていった。
自動ドアが閉まってから数十秒後。
イルホンは溜め息を吐き出し、執務机に突っ伏した。
「どうした、イルホンくん?」
ドレイクがソファからのんびり声をかけてくる。
イルホンは顔を上げる気力もなく、そのままの格好でぼそぼそと答えた。
「どうしたって……何かもう、いろいろありすぎて……」
「いろいろって……単に七班長が本気でダーナに首輪つけようとしてるだけじゃない」
机上に伏したまま、イルホンは頭を抱えた。
「ああ! そんなはっきり!」
「いやもう、直接名前出されなくても、あれじゃ丸わかりだし」
「それはそうなんですけど! でも、どうしても想像できなくて!」
「じゃあ、想像しなきゃいいじゃない。それよりイルホンくん、〝悪は急げ〟だ。せっかく〝生き別れの弟〟がうまい言い訳考えてくれたんだから、さっそく使わせてもらおうじゃないか」
「うまい言い訳……直接交流解禁の……ですか?」
イルホンが体を起こすと、ドレイクはもらいものの箱を持ったまま、ソファから自分の執務机へと移動していた。
「そうそう。俺じゃうまくまとめられないから、イルホンくんが下書き書いてちょうだい。俺はその間に、七班長を〝大佐〟にしませんかっていうお手紙を殿下あてに書く」
「え……それ、本当に書くんですか?」
「当然じゃん。〝生き別れの弟〟の頼みだよ? あと、チョコレートももらっちゃったし。無理かもしれないけど、義理だけは果たす」
「文字どおりの義理チョコですね」
そう軽口を叩きながらも、イルホンはディスプレイに向き直った。
ヴァラクには気づかれていたかもしれないが、彼とドレイクの会話は仕事をしているふりをして打ちこんでいた。ちなみに、紙に鉛筆で書く速記もできるが、それはメモをとっているとわかられてもいいときにしかしない。
(七班長も言ってたけど、理由としては弱いかもしれないよなあ……)
しかし、ドレイクはこれならいけると判断したから採用したのだろう。
今日、ヴァラクがドレイクに力添えを頼みにきたのは本当に偶然だろうが、ドレイクはそれに乗じて自分の望みも叶えようとしている。
だが、ヴァラクもそれをわかっていて、あえて利用されてやったような気もするのだ。
(本当に、よく似てるよな……容姿の共通点は黒髪なとこくらいしかないけど、まさに生き別れの兄弟……しかし、あのダーナ大佐が……駄目だ、考えるな! 今だけは考えるな! 〝部下では駄目〟って言ったんならまだ何もない! 何もないんだ!)
葛藤しながらもイルホンは何とか下書きを完成させ、ドレイクにチェックしてもらってから、いつもどおりドレイクの端末でメールを送信した。
それから約十五分後。
ドレイクとイルホンが、ヴァラクのチョコレートの詰め合わせ――いつもの徳用チョコレートより確実に高級品だった――を食べながらソファで一服していると、二人の端末が同時にメールの着信を伝えた。
イルホンはドレイクと顔を見合わせ、どちらともなく笑った。
「まさかね」
「ええ、まさか、いくら何でも、こんなに早く……」
しかし、イルホンは自分の執務机に戻り、メールを確認して膝をついた。
「もしかして……そうなの?」
怯えたように訊ねるドレイクに、イルホンはただ黙ってうなずいた。
この日、ヴァラクは〝大佐〟となり、ほぼ二十年にわたって禁じられてきた大佐同士の直接交流が解禁された。
例によって、司令官のメール一本で。
突然そんなことを言い出したドレイクだが、実際には何の行動も起こさなかった。
「やっぱり、理由とタイミングがねえ。パラディン大佐が飛ばされたそのすぐ後じゃ、あまりにもあからさまじゃない?」
いつものように執務室のソファに横たわったまま、ドレイクがまた言い訳をする。
「あからさまって……そもそも大佐の目的は何なんですか?」
いつものようにドレイクの分の事務仕事もしながら、イルホンは困惑する。
アルスターに陣中見舞いを贈りたいからというのは、あくまで建前だろう。
ドレイクは決して認めないが、司令官のあの辞令を見るまで、アルスターの〝栄転〟を期待していたはずだ。
「メールを介さないで、直接会ってお話したい」
「それは手段であって、目的ではないでしょう」
呆れて言うと、ドレイクは上半身を起こしてにやりと笑った。
「さすがイルホンくん。ごまかされないね」
「俺じゃなくても、それくらいはわかります。……パラディン大佐と直接会ってお話したいんですか?」
「いや。パラディン大佐じゃなくてもいい」
「はあ?」
意味がわからず、イルホンは大仰に眉をひそめた。
「じゃあ、具体的に誰とお話したいんですか?」
「そうだなあ……誰とお話したらいちばんいいのかなあ……」
そう言いながら、ドレイクが再びソファに寝そべったときだった。
いつかのように、イルホンの机上で電話機が鳴り出した。
「おいおい。また転属騒動かあ?」
もうあんなことはないだろうと思っているドレイクの声は笑っている。
「……総務ではないですね」
とりあえず、転属関係ではなさそうだが、パネルに表示されている電話番号は、未登録の番号だ。つまり、誰がかけてきているかはわからない。
この時点ですでに嫌な予感はしていたが、職場の電話で出ないという選択肢はない。
間違い電話だったらいいなと儚い希望を抱きつつ受話器を取ったイルホンは、相手の名前を聞いた瞬間、これは悪戯電話ではないかと本気で疑った。
* * *
名前と噂だけは、これまでさんざん聞いていた。
しかし、実際本人を目にすると、やはり信じられない思いに駆られてしまう。
「いやー、本当に会っていただけるとは思いませんでした」
ドレイクの対面のソファで、あっけらかんと笑う黒髪の青年。
マシム、ギブスン、シェルドンと同じ訓練生と言われてもまったく違和感はないが、彼はセイルと同年齢で、階級も同じ〝中佐〟だ。
(ということは、あの元ウェーバー大佐隊班長ズのほうが年下……?)
イルホンが執務机で戦慄したとき、ソファにもたれて座っていたドレイクがにやにやしながら応えた。
「いやいや。こちらこそ、わざわざ会いに来てもらえるとは夢にも思わなかった。実は一度会ってみたいと思っていたんだ。元マクスウェル大佐隊〝七班長〟」
「そうですか。ドレイク大佐殿にそう思っていただけていたとは光栄です」
〝七班長〟ことヴァラク中佐は、愛想よく笑いつづける。
噂を知らなければ、童顔で快活な軍人に見えるだろう。噂を知らなければ。
「で?」
一転して、ドレイクは冷ややかに口角を吊り上げた。
「遠路はるばる何しに来た? おまえさんがここにいること、ダーナは知らないんだろ?」
「はい。知られてはまずいので知りません」
だが、ヴァラクの笑顔は崩れない。鉄壁だ。
「自分がここに来たことを知っているのは、いま廊下に立たせている自分の部下だけです」
「あの部下にここに来たことは知られてもいいが、何を話したかは知られたくないのか」
「さすがドレイク大佐殿。そんなところからも知られてしまうんですね」
「でも、うちのイルホンくんには知られてもかまわない?」
イルホンは思わず顔を跳ね上げたが、ヴァラクは赤茶色の目で一瞥しただけで、すぐにドレイクに視線を戻した。
「はい。かまいません。ドレイク大佐殿の副官殿なら、きっと口外はされないでしょう」
「まあ、確かにイルホンくんの口は堅いけどね。でも、話の内容によっては、俺のほうが先に口を割っちゃうかもよ?」
「話の内容によるわけですね。では、こういうのはどうでしょう?」
ヴァラクは人差指を立て、悪戯っぽく笑った。
「一身上の都合により、自分は一日でも早く〝大佐〟になりたいんです。どうか、ドレイク大佐殿から殿下に一言言ってくださいませんか?」
イルホンはあっけにとられてヴァラクを見つめた。
一見、冗談を言っているようにも思えるが、こんな冗談を言うために〝遠路はるばる〟ここへは来ないだろう。彼は本気ですぐに〝大佐〟に昇進したくて、それゆえに〝ドレイクの進言〟という、今の護衛艦隊では最強カードを切ってくれないかと言っているのだ。
ドレイクもこれには驚かされたようだ。しばらく黙っていたが、何を思いついたのか、からかうような笑みを浮かべた。
「その〝一身上の都合〟しだいだな。あと、俺が〝一言〟言ったところで、殿下が〝大佐〟にしてくれるかどうかはわからねえぜ?」
いや、ドレイクなら〝一言〟でそうできるだろう。
心の中でそう反論してから、イルホンはふと首をかしげる。
(そういえば大佐、〝戦闘モード〟で七班長と話してるな。他の大佐隊の隊員とは〝平常モード〟で話すのに)
しかし、ドレイクの素は〝戦闘モード〟のほうではないかとひそかにイルホンは思っている。〝平常モード〟は〝猫かぶりモード〟もしくは〝変なおじさんモード〟だ。
「連合」時代はどうだったか知らないが、今はモードを使い分けるのが最適解だと考えているのだろう。隊員の中でイルホンだけはいまだに〝くん〟をつけて呼んでいるのも、きっと何か理由があるはずだ。
ただ、今はもう問いただしたいとは思わない。ドレイクがそう呼びたいなら呼びつづければいい。〝エロホンくん〟だけは断固として拒否するが。
「ああ、やっぱりそこ、突っこまれますよねえ」
だが、〝戦闘モード〟のドレイク相手でも、ヴァラクはまったく動じていない。
それだけで、ここの〝大佐〟になれる資格は充分ありそうだ。
「わざわざ突っこんでくださいって言い方するからだろ。でもまあ、自分の大佐隊を持ちたいからとか言われても、全然説得力ないけどな。実質、もう持ってるし」
「おっしゃるとおりです。ついでに言うと、自分はつい最近まで〝大佐〟になりたいとはまったく思っていなかったんですが」
そこでいったん言葉を切ると、ヴァラクは困ったように眉根を寄せた。
「部下では駄目だと言うんです」
「は?」
と言ったのはイルホンで、ドレイクはにやにや笑っていた。
「パワハラと区別がつかないかららしいですが、それならこちらが同じ階級になってやるしかないじゃないですか! これ以上自分が年を取る前に!」
「ああ、だから〝一日でも早く〟なわけだ」
納得したようにドレイクは言ったが、イルホンは再び嫌な予感に襲われていた。
めちゃくちゃ既視感がある。さらに、今回はもっとすごいことを聞かされてしまいそうな気がする。
「そうです。自分が若いのは見た目だけなので!」
「あいつは年齢も気にしなさそうだけどなあ……」
「実際そう言われましたが、自分は気にするんです!」
「そこは保守なんだな」
「そのようなわけで、手っ取り早く〝大佐〟になるため、大佐殿のお力添えをお願いしにまいりました! ……大佐殿も、今は〝大佐〟を増やしたいと考えていらっしゃるのでは?」
「そこまで計算済みか」
そう言うドレイクの表情は楽しげだ。ヴァラクの〝一身上の都合〟の内容が気に入ったのだろうか。いずれにせよ、質の悪い冗談であってほしいというイルホンの願いは完全に粉砕された。
「でも、大佐同士は直接交流できないことになってるんだろ? もし今、おまえが〝大佐〟になれたとして、その後はどうするんだ?」
「ああ、それですか。実は基地の外では結構ルーズだそうです」
ヴァラクは事もなげに答えた。ソースは〝部下では駄目〟な上官だろうから、本当にそうなのだろう。しかし、たとえ基地の外でも、司令官にとってよからぬことをしていたら、すぐに拘束されるはずだ。基地だけではなく、このコクマーそのものが司令官――レクス公爵のものなのだから。
「でも、基地の中でも直接交流できたほうが絶対いいですよね。事務仕事、今までどおり丸投げできるし」
「丸投げしてたのか。俺よりひでえな。しかしまあ、直接交流できたほうがいいってのには大いに賛成だ。問題は、それをどうやって許可してもらうかだが……」
「どうやってって……大佐殿がメールで殿下にお願いすれば一発でしょう?」
何が問題なのかわからないとでも言いたげに、ヴァラクは呆れていた。
どうして彼がそれを知っているのか、などとドレイクもイルホンももはや驚かない。むしろ、〝七班長〟ならそれくらい知っていて当たり前だろうとさえ思う。
「そっちじゃなくて理由だよ。このタイミングであえて殿下にお願いする理由」
それでも、ドレイクは苦笑いしていた。そして、さりげなくヴァラクに例の悩み事を相談しようとしていた。
大佐同士が自由に交流できるようになりたいとドレイクが思った理由は、まさに今のようなことをするためなのかもしれない。今はまだヴァラクは〝大佐〟ではないけれども。
「ああ、理由ですか。本音はアルスター大佐殿を〝栄転〟させるためでも、建前は一応必要ですよね」
訳知り顔でヴァラクは言ったが、イルホンは一瞬心臓が止まりそうになった。
さすがにドレイクも虚を突かれたような顔をした。が、すぐになぜか嬉しそうに笑い出した。
「ぶっちゃけるなー、七班長。それほど今すぐ〝大佐〟になりたいか?」
「そりゃなりたいですよ。アルスター大佐殿の〝栄転〟を待っていられないくらい。本来ならアルスター大佐殿はこの前の出撃で〝栄転〟になっても文句は言えないところでしたが、殿下はパラディン大佐殿のために先延ばしされたんでしょう。自分はそんな先延ばしは必要なかったと思っていますが。……そうですね。理由としてはあまり強くありませんが、またこの前のような変則的な陣形をとられたときのために、普段から大佐同士が連携できるようにしておきたいから……っていうのはどうですか? 現状、戦闘中に大佐同士が連絡を取り合うことはできませんからね。この前はアルスター大佐殿が戦闘放棄してくださったので、むしろいつもより楽に勝てましたけど、次もそうとは限りませんし」
世間話のように気軽に話しているが、その内容はすでに〝中佐〟の域にない。
だが、その顔は三十代とは思えないほど若く見え、軽くウェーブのかかった長めの黒髪がそれに拍車をかけている。
イルホンはヴァラクの全貌を知らない。しかし、セイルがこの同僚から逃げるようにドレイク大佐隊に来た理由は(フォルカスがいたからというのがいちばん大きいだろうからそれは置いておいて)何となくわかるような気がした。
これはまっとうな人間の手には負えない。ドレイクはまっとうではないが(倫理的にはまともだと思っている。一応)、ヴァラクを自分の部下にしたいとは決して思わないだろう。そして、ヴァラクもまたドレイクを上官にしたいとは微塵も思っていないはずだ。
「なるほど。殿下向けには、ものすごくもっともらしい理由だ」
愉快そうにドレイクは笑った。彼にとってヴァラクの回答は、たいへん満足のいくものだったらしい。
「実際、殿下がその理由を正直に書くかどうかはわからないが、そこは殿下の自己判断。俺らには関係ない」
「お。採用ですか?」
「採用だ。で、謝礼がわりに、おまえを〝大佐〟にしたらどうですかと、殿下に一筆啓上してやる」
「本当ですか!」
ヴァラクは満面に笑みを浮かべて、ソファから身を乗り出した。
あれは演技ではないだろう。認めたくないが、子供のように無邪気で愛らしい。
だが、あれもたぶん、彼の〝武器〟の一つなのだ。
「ああ。でも、しつこいくらいに言っとくが、俺がそう書いたからって、すぐに〝大佐〟になれるとはまったく限らねえぞ?」
「いいですいいです。絶対になれますから」
「あと百回くらい言っとくか?」
「時間の無駄だからいいですよ。では、そろそろお暇させていただきますね。たとえ自分が〝大佐〟でなくても、自隊の〝大佐〟以外の〝大佐〟の執務室に長居はまずいですから」
真昼間に堂々と訪ねてきた上、ドレイクがイルホンにコーヒーを淹れさせようとすると、コーヒーは苦手なのでいりませんと堂々と断ったヴァラクは申し訳なさそうに笑った。
「やっぱりまずいのか?」
「まずいですよ。傍目には部下を使って〝交流〟しているように見えますからね。でも、自分も大佐殿も処罰はされないでしょう。ドレイク大佐殿の執務室は唯一の例外です」
「あー……そう言われてみればそうか。俺は〝大佐〟じゃなければセーフなんだとばかり思ってたよ」
「それ以前に、ドレイク大佐殿の執務室だからですよ。大佐殿は殿下の不利益になることは絶対にされない。殿下にもそう思われている」
「まあ、俺は殿下に飼われている犬だから。不始末起こしたら殺処分されるわな」
「いや、殺処分じゃなくて。……殿下に死ぬまで監禁されますよ」
ヴァラクは真顔で訂正してから、自分の部下を中に入れてもらってもいいでしょうかとにこやかにお伺いを立てた。
「ああ。……イルホンくん、お願い」
「了解しました」
ドレイクに視線を送られたイルホンは、自分の席にある開閉装置を使い、執務室の自動ドアを開ける。
ヴァラクの部下――灰褐色の短髪の大男は、自動ドアの横で護衛のように立っていたが、自動ドアが開ききっても中には入らなかった。
「クロケル。入れ」
自動ドアを振り返らずに、ヴァラクが無表情に命じる。
部下――クロケルは短く返答し、幾分緊張したように入室してきた。
「話は済んだ。あれを渡せ」
すでに挨拶はしていたが、再度ドレイクに一礼していたクロケルは、あわててヴァラクに駆け寄ると、濃茶色の手提げ袋を恭しく差し出した。
「何だ?」
怪訝そうなドレイクに、ヴァラクは愛想よく笑い、その手提げ袋をローテーブルの上に丁重に置いた。
「お口に合うかどうかはわかりませんが、手土産としてチョコレートの詰め合わせをお持ちしました。よろしかったらどうぞお召し上がりください」
そう言いながらヴァラクが手提げ袋から引き出したのは、やはり濃茶色の包装紙にくるまれた平べったい箱だった。
「ちなみに、個別包装されていますので、持ち歩きもできます」
「それは有り難いが……これは賄賂にならないか?」
「たかがチョコレートで買えるほど、〝大佐〟の地位は安いものなんですか?」
「それもそうだな。じゃあ、遠慮なくもらっとくわ」
ドレイクは豪快に笑うと、片手で箱を引き寄せた。
「しかし、何だな。おまえは他人とは思えないな」
ソファから腰を上げかけていたヴァラクは、動きを止めてドレイクを見つめた。
「はい?」
「俺には書類上、血縁者は一人もいないが、今日、おまえと初めて会って、まるで年の離れた生き別れの弟に会ったような気分になった」
「年の離れた生き別れの弟……」
さすがのヴァラクもこれには意表を突かれたらしく、呆然とした表情でオウム返しをした。
「そうか……『帝国』にいたか……それじゃあ、見つからないはずだ……」
一方、ドレイクは箱を持ったまま、感慨深く呟いている。
完全に冗談だろうが、ドレイクが笑わずに言うと、冗談も冗談に聞こえない。
「えーと……一応、喜んでおきますね」
複雑そうに笑いながら、ヴァラクがソファから立ち上がる。
やはり、年を食っている分、ドレイクのほうが上手のようだ。別に何の勝負もしていたわけでもないが、最後の最後でドレイクが勝ったとイルホンは妙な優越感を抱いた。
「無理に喜ぶ必要はねえよ。俺が勝手にそう思っただけだから。あと、ここから帰る途中でうちのドックに立ち寄ったりすんなよ。したら、ダーナにタレこむ」
ヴァラクは笑みを消してドレイクを見下ろし、ドレイクは悠然と笑い返した。
「確かにあんた、俺の〝生き別れの兄〟だ……」
「認めてもらって嬉しいよ。〝お兄ちゃん〟は全面的におまえの味方だ。だから、六班長はもう諦めろ。二兎を追う者は一兎も得ない」
「フォルカスは!?」
「相変わらず、六班長を避けまくってる」
「それならよし!」
握りこぶしを作って一声叫んだヴァラクは、次の瞬間には別人のようにドレイクに微笑みかけた。
「それではドレイク大佐殿。このたびは貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとうございました。今度こちらにお伺いするときは〝大佐〟として参ります」
「その切り替えの速さ見てると、本気で〝生き別れの弟〟じゃないかって思うわ。……こちらこそ、貴重なお知恵を授けていただき大感謝だ。もし大佐同士の交流が解禁になったら、今度はこっちから手土産持って、おまえらの執務室に遊びに行ってやるよ」
「それは本当に楽しみですね」
ヴァラクは本心からそう思っているような笑顔を返すと、蒼白になってあたふたしているクロケルを引き連れて、執務室を出ていった。
自動ドアが閉まってから数十秒後。
イルホンは溜め息を吐き出し、執務机に突っ伏した。
「どうした、イルホンくん?」
ドレイクがソファからのんびり声をかけてくる。
イルホンは顔を上げる気力もなく、そのままの格好でぼそぼそと答えた。
「どうしたって……何かもう、いろいろありすぎて……」
「いろいろって……単に七班長が本気でダーナに首輪つけようとしてるだけじゃない」
机上に伏したまま、イルホンは頭を抱えた。
「ああ! そんなはっきり!」
「いやもう、直接名前出されなくても、あれじゃ丸わかりだし」
「それはそうなんですけど! でも、どうしても想像できなくて!」
「じゃあ、想像しなきゃいいじゃない。それよりイルホンくん、〝悪は急げ〟だ。せっかく〝生き別れの弟〟がうまい言い訳考えてくれたんだから、さっそく使わせてもらおうじゃないか」
「うまい言い訳……直接交流解禁の……ですか?」
イルホンが体を起こすと、ドレイクはもらいものの箱を持ったまま、ソファから自分の執務机へと移動していた。
「そうそう。俺じゃうまくまとめられないから、イルホンくんが下書き書いてちょうだい。俺はその間に、七班長を〝大佐〟にしませんかっていうお手紙を殿下あてに書く」
「え……それ、本当に書くんですか?」
「当然じゃん。〝生き別れの弟〟の頼みだよ? あと、チョコレートももらっちゃったし。無理かもしれないけど、義理だけは果たす」
「文字どおりの義理チョコですね」
そう軽口を叩きながらも、イルホンはディスプレイに向き直った。
ヴァラクには気づかれていたかもしれないが、彼とドレイクの会話は仕事をしているふりをして打ちこんでいた。ちなみに、紙に鉛筆で書く速記もできるが、それはメモをとっているとわかられてもいいときにしかしない。
(七班長も言ってたけど、理由としては弱いかもしれないよなあ……)
しかし、ドレイクはこれならいけると判断したから採用したのだろう。
今日、ヴァラクがドレイクに力添えを頼みにきたのは本当に偶然だろうが、ドレイクはそれに乗じて自分の望みも叶えようとしている。
だが、ヴァラクもそれをわかっていて、あえて利用されてやったような気もするのだ。
(本当に、よく似てるよな……容姿の共通点は黒髪なとこくらいしかないけど、まさに生き別れの兄弟……しかし、あのダーナ大佐が……駄目だ、考えるな! 今だけは考えるな! 〝部下では駄目〟って言ったんならまだ何もない! 何もないんだ!)
葛藤しながらもイルホンは何とか下書きを完成させ、ドレイクにチェックしてもらってから、いつもどおりドレイクの端末でメールを送信した。
それから約十五分後。
ドレイクとイルホンが、ヴァラクのチョコレートの詰め合わせ――いつもの徳用チョコレートより確実に高級品だった――を食べながらソファで一服していると、二人の端末が同時にメールの着信を伝えた。
イルホンはドレイクと顔を見合わせ、どちらともなく笑った。
「まさかね」
「ええ、まさか、いくら何でも、こんなに早く……」
しかし、イルホンは自分の執務机に戻り、メールを確認して膝をついた。
「もしかして……そうなの?」
怯えたように訊ねるドレイクに、イルホンはただ黙ってうなずいた。
この日、ヴァラクは〝大佐〟となり、ほぼ二十年にわたって禁じられてきた大佐同士の直接交流が解禁された。
例によって、司令官のメール一本で。
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