無冠の皇帝

有喜多亜里

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【05】始まりの終わり(中)

11 挨拶回り始めます

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 今回も先に口を切ったのはドレイクだったが、その内容はイルホンが予想していたものとは大いに異なっていた。おそらくは、モニタの向こうで明らかに期待に満ちた表情をしていた司令官にとっても。

「それでは、殿下。今日の帰りにソフィアに寄って、〈旧型〉を〈新型〉二号と交換させてもらいますね」

 ドレイクはにこやかに笑っていたが、司令官は意表を突かれたように青い目を見張っていた。
 司令官の気持ちはとてもよくわかる。イルホンもまったく同じ眼差しをドレイクに向けていた。

『……そうか。それはかまわないが……その前に、何か言いたいことはないのか?』

 しばらくして、気を取り直したらしい司令官が、眉をひそめてドレイクに訊ねた。
 ドレイクは白々しく首を傾げてから、ああそうでしたと両手を叩いた。

「戦闘時間、久々に更新しましたね。おめでとうございます。いやあ、不思議ですよね。右翼もこれまで以上に頑張ってましたけど、左翼で仕事してたのは、パラディン大佐隊と無人艦だけだったのに」

 以前の司令官なら怒っていても不思議ではないが、もう慣れてしまったのか、それとも諦めてしまっているのか、呆れ果てたような顔をしてドレイクを見ていた。
 今回の〝殿下通信〟では、司令官も左翼のことを話題にしたいと思っていたはずだ。だが、ドレイクがアルスター大佐隊の名前を出さずにこれほど嫌味な言い方をするとは想像していなかったのだろう。
 ドレイクとしては、自分がアルスター大佐隊の名前を口にすることによって、司令官がアルスターを〝栄転〟にしてしまうことを恐れているのだろうが、これではもうアルスターはいらないと言っているのも同然だ。イルホンもカメラの死角から呆れてドレイクの横顔を見ていた。

『……確かにそのとおりだな。今回もあの隊はほとんど機能していなかった。むしろ、いないほうがパラディンにとっては都合がよかっただろう』

 どうしてもアルスターの名前を出したくないドレイクに付き合ってやることにしたのか、司令官はいつもの薄笑いを浮かべて〝あの隊〟と言った。

『あの隊も、指揮官が替われば変われるか?』
「そいつは、替わった指揮官しだいですよ」

 ドレイクは困ったように笑って肩をすくめた。

「元ウェーバー大佐隊の場合は、いいほうに変われたみたいですけどね。パラディン大佐とはよほど相性が良かったんでしょう。それにしても、右翼が二隊でやっていることを一隊でやってしまおうなんて、パラディン大佐もとんでもないことを考えましたね。おまけに、それを成功させてしまった。……あの隊と連携しなくても勝てることを、実戦で証明してしまったわけです」
『連携か』

 控えめでも、ドレイクがパラディンを褒めたのが面白くなかったのだろう。一転して司令官は眉間に皺を寄せた。

『そういえば、せっかく大佐同士が自由に会えるようにしてやったというのに、おまえはまだどことも〝連携〟していないな?』
「ああ、その節はどうもありがとうございました」

 しかし、ドレイクは司令官の不興を無視して、愛想よく笑った。

「まあ、あのときのあれは、右翼への〝プレゼント〟みたいなもんだったんですが、せっかく殿下にお許しいただいたことですし、これから次の出撃までの間に、各大佐の執務室に挨拶回りに行こうと思っています」
『挨拶回り?』

 よほど予想外だったのか、司令官はきょとんとして鸚鵡返しをした。
 近頃はこの〝殿下通信〟でしか司令官の顔を見ていないが、最初の頃に比べると、ずいぶん表情が豊かになったとイルホンは思う。
 いや、むしろ逆で、ドレイクの前では感情を隠さなくなっただけなのかもしれない。ドレイクと話しているときの司令官は、ややもすると実年齢より幼く見える。

「はい、挨拶回り。ただ、行くなら一気に回りたいんですよね。でも、俺以外の大佐はみんな忙しそうだから、アポとるの大変そうだなって今から心配しています」

 心配と言うわりには、ドレイクの顔も口調も完全に他人事だ。
 本人に確認するまでもなく、そのアポイントメントをとるのは間違いなく自分だろう。それも副官の仕事ではあるが、イルホンは今から憂鬱な気分になって、こっそり溜め息をついた。

『……そんな挨拶回りまでして、いったい何がしたい?』

 そう問いつつも、ドレイクが何を企んでいるのかはもう予想がついているのか、司令官はからかうような笑みを浮かべていた。

「何がしたいって、挨拶回りなんだから挨拶ですよ。あと、他の大佐の執務室、まだ見たことないから一度見てみたいんですよね。だから、あえて言うなら、家庭訪問ならぬ執務室訪問?」

 司令官相手でも、ドレイクの言葉遣いはくだけている。これで本当に気を遣って話しているのかと疑いたくなるが、司令官は腹を立てるどころか、むしろ嬉しそうなので、ドレイクはあえてこのように話しているのだろう。もしかしたら、そういう意味でも〝気を遣っている〟のかもしれない。

『どこの執務室もおまえのところとさして変わらないが、一気に回るなら一日がかりだな。まあ、長居しなければ不可能ではないだろう』

 ――つまり、長居はするなということか。
 イルホンは思わず真顔になってしまったが、ドレイクの笑顔は微塵も揺るがなかった。

「そうですね。俺と違って本当に忙しいでしょうし、長居しないでササッと帰りますよ。それじゃ、これからソフィア行きますんで、今回はこのへんで」

 駄目押しとばかりにドレイクはにっこり微笑むと、司令官の了承も得ずに勝手に通信を切ってしまった。ドレイクでなかったら決して許されない所業である。

「よし、言質は取った! あとはアポとりよろしくイルホンくん!」

 清々しく笑ったドレイクは、案の定、イルホンに丸投げを宣言した。

「それは副官だからしますけど、一日ですべて回るのはさすがに厳しいのでは? 特にパラディン大佐隊は難しそうですよ。オールディスさんによると、ほぼ連日訓練しているそうですし」

 オールディス情報に頼りたくはないが、丸投げされた立場としては参考にせざるを得ない。わざとらしく自分の肩を叩いているドレイクを、イルホンは冷ややかに見やった。

「ああ、あそこは確かにアポとり難しそうだね。でも、オールディスに訊けば、パラディン大佐が執務室にいそうな日もわかるんじゃない?」
「……あとでオールディスさんに訊いてみます」
「プライド傷ついてるだろうけどお願いします。それと、挨拶回りの順番だけど、最初はアルスター大佐で最後はコールタン大佐。これだけは絶対厳守。その間はどういう順番でもいいけど、〝七班長〟のところはダーナがいる日にしといたほうが、回る場所が一箇所減っていいな。いつならダーナがいるかは、俺が直接〝七班長〟に訊いとくよ」
「それはとてつもなく有り難いですが、ダーナ大佐の執務室は見なくてもいいんですか?」
「あいつのはいいよ」

 純粋に気になったので確認してみただけだったが、ドレイクは吐き捨てるように答えた。

「それに、今のあいつの執務室は、実質〝七班長〟の執務室だろ。あそこだけは本当に、サッと行ってサッと帰るぞ。たぶん今、新婚状態……」
「あー、あー、そうですね! 訊いた俺が馬鹿でした!」

 急に大声を出したイルホンに、ティプトリーたちが驚いて振り返る。
 当然だが、〝七班長〟ことヴァラクが自分を〝大佐〟にしてくれとドレイクに頼みにきたことも、そして彼が〝大佐〟になりたかった真の理由も、ドレイク大佐隊員たちには伏せている。
 さすがに、ヴァラクをよく知っている〝六班長〟ことセイルは勘づいているようだが、オールディスは何も言っていないから、口に出してはいないのだろう。本当に、フォルカスさえ絡まなければ真っ当な男である。ちなみに、イルホンが知るかぎり、いまだに彼はフォルカスに目を見て会話してもらえていない。

「でも、アポとりの電話かけるのは、パラディン大佐隊のスケジュール把握してからでいいよ。今はあそこがいちばん大変だろうからさ、俺の挨拶回りなんかで邪魔しちゃ申し訳ない」
「確かに、あそこがいちばん大変ですよね……」

 不審そうな顔をしながらも、乗組員たちが前に向き直る。どうやらうまくごまかせたようだ。そのことにほっとしつつも、イルホンは神妙にうなずいた。
 先ほどドレイクが司令官に言ったとおり、すでにパラディン大佐隊はアルスター大佐隊はないものとして作戦を立て、実行している。おそらく、次の出撃でも方針は変えないだろう。だが、完成度は上げてくるはずだ。右翼と同じように。

「本当に、ここの護衛は優秀だよな。……まあ、優秀だから護衛させてたんだろうけど」

 ドレイクはにやりと笑うと、〝殿下通信〟の前に外していたインカムを装着し、予定どおりソフィアに行くぞと〈旧型〉と〈新型〉に連絡を入れた。

 * * *

 珍しくドレイクのほうから通信を切られたアーウィンは、煙に巻かれたような顔をしてモニタを見つめていた。
 自分ではよくわからないが、ヴォルフも今、アーウィンと同じような表情をしているに違いない。
 今度こそアルスターの〝栄転〟を進言してくるかと思いきや、ドレイクは挨拶回りなどという明後日な方向のことを言い出してきた。無論、その挨拶回りもアルスターの件と無関係ではないだろう。しかし、今回も口には出していない。そのくせ、アルスターの〝栄転〟を望んでいることだけはわかるのだ。何と言うか、釈然としない。

「……よほど、自分の口からは言いたくないと見える」

 ぼそりとアーウィンは呟くと、続けてキャルに、帰還命令を出せと命じた。
 承知しましたとキャルが応答し、おもむろに〈フラガラック〉が動き出す。もはや、アルスター大佐隊の合流のことなど話題にもしない。

「しかし、今さら挨拶回りって……当然、アルスターのところにも行くんだよな?」

 首をひねりながら訊ねると、アーウィンは当然だろうとそっけなく答えた。

「おそらく、本人にも〝栄転〟のことは口にはすまいがな。あれが本当に話したい相手は、アルスター以外の大佐たちだろう。奴らもアルスターの〝栄転〟を望んでいるのか確認したいのではないか? さすがにメールや電話では差し障りがあるからな」
「そうか。だから直接交流を解禁させたのか」

 そう言いながら、ヴォルフは内心、アーウィンが各大佐の執務室に盗聴器を仕掛けていないことを強く願っていた。

「でも、それなら今回の出撃前にしてもよかったんじゃないかと思うがな」
「それは、パラディンがどの道を選ぶかわからなかったからだろう」
「道?」
「アルスターと〝連携〟するか否か」

 アーウィンは冷笑すると、コンソールを操作して、〈ワイバーン〉が二隻の無人艦と共にソフィア方面に向かったのをさりげなく確認した。

「直接本人たちには訊かず、実戦で見定めるあたりが実にあれらしい。あれにとっては今回の戦闘も模擬戦のようなものだったのかもしれんな」
「ということは、パラディン〝合格〟判定されたってことか」
「そういうことになるな。……実に忌々しいが」
「おまえ……〝栄転〟狙いであそこにパラディン飛ばしたんじゃないだろうな……?」

 ヴォルフはアーウィンに疑惑の眼差しを向けたが、彼は聞こえなかったふりをした。そして、今からドレイク大佐隊が二隻目の〈新型〉を取りに行くから準備しておくようにと、ソフィアに通信を入れたのだった。
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