無冠の皇帝

有喜多亜里

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【05】始まりの終わり(中)

14 パラディン大佐の執務室にお邪魔しました

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 元ウェーバー大佐隊の軍港は第四軍港。アルスター大佐隊の隣にある。
 もちろん、距離はあるが隣同士だ。それなのに、アルスターはとうとう一度も元ウェーバー大佐隊の軍港には来なかったという。

「結果さえ出してれば、それでもよかったんだけどねえ」

 ドレイクはニヤニヤと笑うと、移動車からさっさと降りて、駐車場まで出迎えに来ていたパラディンの副官・モルトヴァンにヒラヒラと手を振った。
 コノートよりもずっと若く、ついでに言うなら健康そうなモルトヴァンは、最初、どう対応したらいいのか困ったような顔をしていた。が、モード切替でもしたかのようによどみなく口上を述べると、イルホンたちを〝大佐棟〟の中へと案内した。
 ドレイク以外の〝大佐〟の副官は、こういう苦労もさせられるのか。イルホンは改めて、自分の上官がドレイクでよかったと心から思った。
 各軍港の施設は、規模も構造も基本的にはみな同じだ。だが、ここの〝大佐棟〟は、エントランスの警備班も含めて、明るく活気があるように感じられた。心なしか、空気まで澄んでいるような気がする。

「こんにちは、パラディン大佐。お忙しいところ、お邪魔してしまってすみません」

 アルスターのときと同様、執務室の自動ドアが開いたと同時に、ドレイクは愛想よく挨拶をした。

「いえいえ、遠いところ、わざわざ訪ねてきてくださってありがとうございます」

 パラディンもまた、アルスターと同じように、執務机の前に立って待ってくれていた。
 しかし、醸し出す雰囲気はまったく違う。悠然と微笑んでいるが、威圧感は皆無だ。
 本当に軍人らしくないな、ドレイクとは別の意味で。そんなことをイルホンが思ったとき、ドレイクが笑いながらさらっと返した。

「いやあ、パラディン大佐は俺の命の恩人ですから」
「大佐ッ!?」

 それは極秘事項! とイルホンが叫ぶ前に、パラディンはきょとんとして小首をかしげた。艶やかな黒髪がさらりと流れる。

「恩人?」
「ええ。大佐の隊が俺の脱出ポッドを回収してくれなかったら、今、ここに俺はいませんでしたよ」
「大佐ッ!」

 イルホンは蒼白になった。司令官は間違いなくパラディンにも口止めをしている。ここでパラディンがドレイクの発言を認めてしまったら――

「確かにそうですね」
「大佐ッ!?」

 今度はモルトヴァンが青くなっていた。やはり、司令官に口止めされていたようだ。だが、そんなモルトヴァンにはいっさいかまわず、パラディンはにこやかに言葉を継いだ。

「部下から報告を受けたときには耳を疑いました。でも、救助信号を発信している脱出ポッドを見捨てるわけにもいきませんからね。たとえ『連合』製であっても」

 ――うわあ……見かけによらず、いい性格。
 キメイスといい勝負だ。いや、もしかしたらキメイスより上かもしれない。ドレイクの陰でイルホンはぬるく笑ったが、ドレイクは意に介さず、平然と会話を続けていく。

「しかし、よくその中身を処分しませんでしたね。こんなむさいおっさんにも、少しは利用価値があると思われましたか?」
「ええ。身体検査したら、あの〝エドガー・ドレイク大佐〟だとわかりましたので。いやー、あのときは本当に驚きました。あの〝告白言い逃げ犯〟が、なぜ脱出ポッドで戦場を漂流していたのだろうと」
「おや、俺はパラディン大佐にも知られていたんですか?」
箝口令かんこうれいは出されましたが、当時の護衛を含むごく一部の間では。あれで我々は〝栄転〟を覚悟しましたが、殿下からは何のお咎めもありませんでした」
「そらまた意外。何でだろ?」
「殿下には、あなたの〝告白言い逃げ〟のほうが衝撃だったのではないでしょうか」
「ああ、こんなおっさんに突然『好きだ』と叫ばれたら、そりゃあ、身の毛もよだつほど嫌だったでしょうね。俺も嫌だ」
「いえ、そういう意味での衝撃ではなく」

 初めてパラディンは苦笑いを浮かべたが――やはり、この大佐は〝わかっている〟――それは流して、ドレイクはイルホンの前に右手を差し出した。阿吽の呼吸で、手土産の入った手提げ袋の持ち手を握らせる。

「とにかく、パラディン大佐には大変感謝しております。もっと前にそうお伝えしたかったんですが、今までこうして話せる機会がありませんでしたからね。これはそのときのお礼というわけでもないですが、どうぞ召し上がってください」

 有無を言わさず手提げ袋を押しつけられたパラディンは、今度は困惑したように眉尻を下げた。

「これは……」
「中身はクッキーです。……お嫌いですか?」
「いえ、大好きです。ありがとうございます」

 パラディンはモルトヴァンよりも切り替えが早かった。すぐににっこり微笑むと、両手で手提げ袋を受け取り、まるで大事なペットのように抱えこんだ。

「よかった。お口に合えばいいんですが」

 満足そうに口角を上げたドレイクは、もう用は済んだとばかりに、自動ドアのほうに爪先を向けた。

「では、次の約束があるので、俺たちはこれで失礼します」
「え、もう帰られるんですか?」

 これにはパラディンも意表を突かれたようだ。驚いた猫のように金色の目を丸くしていた。

「せっかく来られたのに……どうぞ、あちらに座って……」
「すみません、お気持ちだけ有り難く」

 ドレイクが本当に急いでいると察したのだろう。パラディンはまだ新しそうな応接セットに向けていた左手を下ろすと、いかにも残念そうに苦笑した。

「そうですか……こちらこそ、わざわざありがとうございます。ぜひ、またいらしてください。今度はゆっくりお話を」

 よくある社交辞令だ。しかし、パラディンに言われると、あんな性格をしているとわかっていても、本気でそう思っているように聞こえる。
 だが、それはドレイクも同じだ。イルホンでさえどこまで本気かわからない笑顔で、こう答えていた。

「そうですね。近いうちに、ぜひ」

 * * *

「パラディン大佐……見かけによらず、いい性格をしていましたね……」

 まだ顔色の悪いモルトヴァンに見送られつつ、イルホンは移動車を発進させた。
 イルホンたちが移動車に乗りこむ直前に、モルトヴァンは必死の形相で、脱出ポッドの件はくれぐれも内密にと懇願してきた。イルホンとしては同じことをモルトヴァンに言いたかったが――あのとき、パラディンがしらばっくれていれば何も問題はなかった――コノートとは別の意味で彼も苦労しているのだろう。イルホンもドレイクも真顔で承諾したのだった。

「ああ、いい性格だったね」

 ドレイクはニタニタしながら両腕を組んだ。

「高級な羽毛布団に仕込まれた縫い針のような嫌味。……ゾクゾクしたよ」
「ひいっ! こっちは変態!」

 実害がないので、いつもうっかり忘れてしまうが、イルホンの上官はまともな変態だった。
 しかし、パラディンよりはましかと思えてしまうあたり、いいかげん、イルホンもドレイクに毒されている。

「でも、本当によかったんですか? パラディン大佐に話してしまって?」

 すぐに平常に戻ってそう問えば、ドレイクは涼しい顔で答えた。

「大丈夫、大丈夫。誰から訊いたかは話してない」
「……大佐に話したその人は、本当に口止めの仕方を間違えましたね……」
「俺にしてみりゃ、口止め自体、意味不明だけどな。でもまあ、パラディン大佐に迷惑はかけたくないから、これからも知らないことにしておこう」
「だったら、最初から言わなければ……」
「だって、俺の命の恩人だよ? 一度くらいはちゃんとお礼言いたいじゃない?」
「それはまあ、わからないでもありませんが……」
「ついでに、例の四班長にも会ってみたかったんだがなあ。パラディン大佐が納得してくれそうな理由が見つからなかったよね」
「そうですね。今回の目的は、あくまで同僚の挨拶回りですから」
「まあ、パラディン大佐のところにいるんなら、四班長とは近いうちに会えるだろ。さあ、次はその四班長を追い出したバカップルの執務室だ。昼飯食う前に、サッと行ってサッと帰るぞ」

 まったくもって同感だ。イルホンは「はい」と答えると、移動車の速度を上げた。

 * * *

 パラディンは執務机の椅子ではなく、応接セットの一人掛けの黒いソファに足を組んで座っていた。
 その前にある象牙色のローテーブルの上には、ドレイクが手土産として置いていった、丸くて青いクッキー缶が鎮座している。
 安物ではないが、ここの〝大佐〟の手土産としてはいかがなものか。しかし、パラディンは肘掛けに右肘をついた格好のまま、楽しそうにそれを眺めていた。

「風のように現れて、風のように去っていかれましたね」

 自分の執務机には戻らずに、モルトヴァンがそう声をかけると、パラディンは少しだけ噴き出して笑った。

「さすが、殿下に〝告白言い逃げ〟した男。今日の撤収ぶりも見事だったな」
「でも、まさかあのことを知っていらしたとは……いったい誰がバラしたんでしょう?」
「さあ……可能性としては、医療班の誰かかな。私も自分の命が惜しいから、あえて特定はしないけれども」
「だったら、大佐もあっさり認めないでくださいよ。おまけに、〝命の恩人〟と言ってくれた人にあんな嫌味まで……」

 呆れて眉をひそめたモルトヴァンに、パラディンは肘をつくのをやめて、心外そうな眼差しを向けた。

「え? 私がいつ嫌味を? 事実しか言っていないぞ?」
「ナチュラルに嫌味? よけいたち悪!」
「しかし……そうか、私を〝命の恩人〟だと知っていたから、ドレイク大佐は礼儀正しく接してくれていたのか」

 正直、モルトヴァンには〝礼儀正しい〟とまでは思えなかったが、ふと会議のときのドレイクを思い出し、改めてうなずいた。

「そうですね。ダーナ大佐と怒鳴り合いしていた人と同一人物だとはとても思えませんね」
「でも、それだけダーナ大佐とは本音で話しているとも言える。私に対するのとは違ってね」
「え? さっきのは本音じゃなかったんですか?」

 思わず問い返せば、パラディンは苦笑めいた笑みを浮かべた。

「本音の一部ではあるな。私に感謝しているというのも嘘ではないだろう。……あのとき、ドレイク大佐の救助に携わった者たちに、特別手当でも出しておけばよかったな」
「まさか、あれからあんな展開になるとは夢にも思いませんでしたからね。救助しておいて、本当によかったですね」
「ああ。だが、これで殿下が私を嫌いはじめた理由がわかったような気がする」

 ようやく自分の執務机に戻りかけていたモルトヴァンは、一瞬立ち止まってから、勢いよく振り返った。

「え? むしろ殿下は大佐に感謝すべきでは? それこそ、大佐が特別手当をもらってもいいくらい」
「だからだよ……」
 
 パラディンは沈痛な面持ちで答えた。

「殿下は、私に感謝したくないんだ……」
「えっ!?」
「ドレイク大佐を救助して基地に帰還したとき、すぐに総司令部から医療班がやってきて、まだ彼が目覚めていないのに奪い取るようにして運び去っていっただろう」
「え、ええ……」

 理解が追いつかず、モルトヴァンはまだ混乱していたが、言われたことは事実なので、とりあえず同意した。

「あの人たちも、風のように現れて、風のように去っていきましたね……」
「……悔しかったんだよ」
「え?」
「本当は、殿下が自分でドレイク大佐を救助したかったんだよ」
「そんな勝手な!」

 モルトヴァンは迷いなく叫んだ。

「もしあのときうちが救助してなかったら、さっき本人が言ってたとおり、今この艦隊にドレイク大佐はいませんよ!?」
「そのとおりだ。殿下もご自分でそうわかっているから、決して口にはしないんだろう。でも、悔しくてたまらないから、私に大量の元マクスウェル大佐隊員たちを押しつけてきた。……まあ、結果的にエリゴール中佐がうちに来ることになったから感謝しているがな! ついでに、ダーナ大佐と七班長にも! 七班長の尻に一生敷かれてろ! あのムッツリ浅はか野郎!」
「あっ! 元マクスウェル大佐隊からの悪影響が!」
「……というわけで、私はドレイク大佐の執務室には決して行けない……もし私がドレイク大佐の執務室を訪ねたりしたら、アルスター大佐より先に〝栄転〟になりかねない……」

 ソファの肘掛けをつかんでうなだれているパラディンに、モルトヴァンはしばらくかける言葉が見つからなかった。
 モルトヴァンが今日の挨拶回りの打診を受けたのは、たった二日前の夜のことである。しかし、その日までほとんど連日訓練や演習をしていたパラディン大佐隊にとっては、まるで内偵されていたかのようにいいタイミングだった。もし、訓練や演習中にドレイクの挨拶回りのことを知らされていたら、エリゴールが通常運転できなくなっていただろう。
 エリゴールにとっては、元同僚が〝大佐〟になったことよりも、ドレイクがこの軍港に来ることのほうが衝撃だったらしい。ドレイクが来る時間帯には、何があろうが呼び出しには応じないと宣言するくらい。

「それは……確かに。でも、今回の挨拶回りは別として、ドレイク大佐がこちらに来られるのはいいんですか?」

 何とか気を取り直し、そういえばと思って訊ねれば、パラディンは顔を上げ、軽く何度かうなずいた。

「ああ、ドレイク大佐がそうするときには、必ずそうしなければならない理由がある。殿下も面白くはないだろうが、止めることはできないだろう」
「しかし、理不尽な八つ当たりはされそうですね……」

 今から陰鬱な気分に陥りながら、モルトヴァンはローテーブルの上にあるクッキー缶に濃茶色の目を向けた。

「挨拶回りですか……本当の目的は何なんでしょうね?」
「さあ、何かな。このクッキーも本当に手土産なのかもしれないが、ドレイク大佐だけに、何か裏があるのかとついつい考えてしまうな」

 パラディンは苦笑いしつつもクッキー缶に手を伸ばし、慣れた手つきで開封した。

「でもまあ、クッキーはクッキーだ。有り難くいただいておこう。……あ、おいしそう。エリゴール中佐呼び出して、一緒に食べようっと」
「え……私には?」
「残ったらやるよ。残ったらな」

 こちらを見ずに答える上官を、モルトヴァンは冷ややかに眺めやった。

「残す気、さらさらありませんね?」
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