無冠の皇帝

有喜多亜里

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【05】始まりの終わり(中)

04 見透かされていました

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 クルタナがふと顔を上げると、コールタンは両腕を組んだまま、にやにやしながら自分の端末のディスプレイを眺めていた。
 よくもまあ、飽きずにそうしていられるものだ。クルタナは半眼になったが、明らかに仕事をしていない今のうちにと、ずっと気になっていたことを口にした。

「本当によかったんですか?」
「何が?」

 何を問われているか、間違いなくわかっているくせに、コールタンは前を向いたまましらばっくれた。
 機嫌がいいときの彼は無駄話を好む。たとえ業務上でもパラディンからメールをもらえたのがよほど嬉しかったんだなと冷ややかに思いつつ――いま見ているのもそのメールに違いない――クルタナは上官の反問に答えた。

「四班長……いえ、エリゴール中佐たちの転属です。同じ元マクスウェル大佐隊員でも、エリゴール中佐に躾けられた彼らは優秀です。そんな彼らを元ウェーバー大佐隊に行かせてしまってよかったんですか?」
「馬鹿野郎。優秀だから、あえて行かせるんだろうが」

 コールタンはにやりと笑うと、腕組みを解き、先ほどクルタナが淹れたコーヒーを飲んだ。
 本人は頑なに否定しているが、明らかに猫舌である。

「問題は、総務が――いや、殿下が認めるかどうかだが、今回に限っては、書類に不備があろうがなかろうが、弾かないでそのまま転属させるんじゃねえかな。いくら何でも、副官や直属班だけじゃ手駒が少なすぎる」
「大佐はそこまで考えて、エリゴール中佐に電話したんですか?」
「もちろんそうだ……と言いたいところだが。まさかここまでやるとは思わなかった。よっぽど俺に仲間を飼い殺しにされたくなかったんだな」

 クルタナはコールタンの言葉を反芻してから、彼よりも淡い碧眼を見張った。

「飼い殺し?」
「一見わかりにくいが、あいつにとって最も大切なものは〝仲間〟なんだ。例の〝人切り〟も、突きつめれば〝仲間〟を守るためにやっていた。パラディンはよほどいい〝飼い主〟だったんだろうな。たとえ退役願を受理してくれなくても」
「それは受理しないでしょう。大佐だって、エリゴール中佐の退役願だったら受理しないのでは?」
「場合によるな。元マクスウェル大佐隊員が大量にいないんだったら、受理してやったかもしれない」
「エリゴール中佐にとって、元マクスウェル大佐隊員以外は〝仲間〟じゃないんですね」
「そりゃそうだろ。あいつは生粋のマクスウェル大佐隊員だ。……もし最初から他の大佐隊にいたら、今頃、限りなく〝大佐〟に近い班長になれてただろうにな」
「肩書がなくても、今やっていることは、限りなく〝大佐〟に近い班長クラスだと思いますが」

 パラディンはエリゴールの名前は出さなかったが、彼がコールタンにメールを出したのは、エリゴールにそうするよう進言されたからだろう。
 他はともかく、この護衛艦隊では、転属願は転属元より転属先の意向が優先される。ゆえに、パラディンがコールタンにメールを送る必要は本当はなかった。しかし、エリゴールがあえてそうさせたのは、司令官の通達内容を教えてくれたコールタンに対する礼がわりだったのではないか。高校生のような童顔の下で、クルタナはそう邪推している。

はたからはそう見えるが、エリゴールにその自覚はないだろうよ。何しろ、元マクスウェル大佐隊の〝悪魔〟に追い出されたからな」

 コールタンは薄笑いを浮かべると、もう冷めきっているだろうコーヒーを喉に流しこんだ。

「悪魔……ヴァラク中佐ですか?」
「おう。あっちはもう完全に〝大佐〟だな。それでも、一応ダーナの部下だっていう自覚はあるらしい。それにしても、ダーナの悪運はすごいな。あれだけいろいろやらかしてるのに、みんな結果オーライで、なぜかドレイク大佐にも気にかけられてる。まあ、逆に言うと、気にかけられてるから結果オーライになってるんだろうが」
「確かに、最初はともかく、今はドレイク大佐に嫌われてはいませんね。あの怒鳴り合いも、遠慮のいらないコミュニケーションにも思えます。近くで聞きたいとは思いませんが」
「ああ、あれな。初めて聞いたときには、ダーナが発狂したかと思ったぜ。あいつ、長いこと猫被ってたんだな。俺にはとても無理だ。ストレス溜まって発狂する」
「大佐はもっと本音を隠したほうがいいような気がしますが、ダーナ大佐もストレスが溜まっていたのでは? 砲撃転向後は隊の動きも生き生きしているように見えますよ」
「だったら最初から砲撃希望しとけよ。ダーナだったら止めねえよ」
「でも、大佐が唯一止めたパラディン大佐も、結局砲撃になってしまいますね」

 さりげなくそう言ってやれば、コールタンの顔から笑みが消えた。

「……殿下もストレス溜まってんだろうな」
「ストレス発散で、粒子砲を発射されるのも、大佐を飛ばされるのも困りますが」
「粒子砲はともかく、大佐を飛ばす理由はそれなりにあるのがさらに困る」

 コールタンは苦笑いすると、ようやく仕事をする気になったのか、もたれていた椅子から体を起こした。

 * * *

 ダーナ大佐隊の〝反省会〟は、出撃した日の翌々日である。
 以前は翌日に行っていたが、その日はダーナが元マクスウェル大佐隊の執務室に直行することにいつのまにかなってしまっていたため、必然的にそうなってしまっていた。
 もっとも、事前にヴァラクと〝反省会〟の打ち合わせができるという点では、今のほうが都合がいいのかもしれない。ただし、その打ち合わせよりもヴァラクが昼寝している時間のほうが圧倒的に長いが。
 だが、今回のヴァラクはいつもとは違った。
 執務室に入室するなり、笑顔でダーナにこう訊ねてきたのである。

「アルスター大佐は〝栄転〟になりましたか?」

 ダーナと同じく、執務机で事務仕事をしていたマッカラルは、思わずヴァラクを凝視したが、ヴァラクの背後に立っていたクロケルも、ぎょっとしたように直属の上官を見ていた。

「いや。〝栄転〟にはならなかったな」

 軽く目は見張ったものの、ダーナは冷静に受け答えた。

「そのかわり、元ウェーバー大佐隊の指揮権は剥奪された。新たな指揮官はパラディン大佐となる。……いや。もう〝なった〟か。メールが届いた時点で、すでに剥奪も任命もされていたからな」
「異議を唱える隙も与えないワンマン人事ですね。しかし、そうですか。パラディン大佐ですか。そうなると、パラディン大佐の隊はどうなってしまうんですか?」
「結論を先に言うと、コールタン大佐隊の指揮下に入っている。パラディン大佐と一緒に異動できるのは、側近と乗艦だけだ」
「……殿下がうちの馬鹿どもをまとめて転属させたときから思ってはいましたが」

 ヴァラクが気遣わしげに眉をひそめる。

「パラディン大佐は、殿下に嫌われているんですか?」

 それは、マッカラルもダーナも薄々思っていたことだった。
 しかし、パラディンは司令官を怒らせるような失策はしていない……はずだ。
 あえてそれらしいものを挙げるなら、転属された元マクスウェル大佐隊の九班長・ムルムスの自殺を止められなかったことくらいだが、それならむしろ、元ウェーバー大佐隊の指揮官に任命したりはしないだろう。

「……パラディン大佐なら、それだけでも充分だと殿下は思われたんだろう」

 しばし悩んだあげく、ダーナはそんな当たり障りのない回答をした。
 ちなみに、パラディンの部下たちがドレイクの脱出ポッドを回収したことは、当時、護衛を担当していたダーナとコールタンも知っているが、同時に司令官がパラディンに口止めしたのも知っているため、共に沈黙を守っている。

「まあ、確かにそうなんでしょうが。自分だったら鬼畜と思いますね」
「そうだな。私もパラディン大佐の立場だったら、今頃途方に暮れているな。だが、そのパラディン大佐が、我々にある提案をしてきたぞ」

 ダーナは薄く笑うと、椅子から立ち上がり、一人掛けのソファに移動した。
 今日はヴァラクが昼寝をする前に休憩するようだ。マッカラルは無言で執務机を離れると、給湯室のドアを開けたまま、紅茶を淹れる準備をした。
 ヴァラクはいつも昼寝をしているソファに座ったが、横にはならなかった。そのため、ヴァラクに毛布を掛けた後はすぐに退室しているクロケルが、自分はどうしたらいいものかと立ち往生していたが、ヴァラクに人差指で呼ばれて、ほっとしたようにその傍らに立った。基本、彼はヴァラクに座れと言われないかぎり、ここのソファに腰を下ろすことはない。

「提案? メールでですか?」

 ソファに寄りかかりながら、ヴァラクが問い返す。
 話をする気はありそうだが、何となく眠たげだ。やはり、ヴァラク的に睡眠時間が足りていないのだろう。

「ああ。婉曲に書かれてはいたが、要は元ウェーバー大佐隊にいる元マクスウェル大佐隊員たちを、うちに出戻らせたいらしい」
「……理由は?」
「彼らはもともとアルスター大佐隊を希望していたから、その存在だけで元ウェーバー大佐隊の士気を下げてしまうそうだ」
「なるほど。でも、パラディン大佐だったら、最初にどこを希望していようが、まとめて面倒見てくれそうな気がしますがねえ……」
「おまえはパラディン大佐をそう見ているのか」
「そう言う大佐殿は? 元護衛担当仲間でしょう?」
「〝仲間〟と言えるほど気安くはなかったが……おまえの意見に同意する」
「大佐殿、実はハブられてました? まあ、それはともかく、その提案、承諾するんですか? まだ返信はしてないんでしょう?」
「ああ。だが、私はパラディン大佐に多大な借りがある。正直言って、拒否する余地もない」
「自分もそう思います。それに、うちは誰かさんのせいでかなりの人手不足ですからね。あそこからの出戻りなら、いないよりはましです」
「では、承諾すると返信していいのだな?」
「いいですよ。というか、そうとしか返しようがないでしょ。ぶっちゃけ、これくらいで借りは帳消しにはなりませんからね。ついでに言うと、パラディン大佐以外にも、借りは作りまくってますからね」
「ああ……よくわかっている……」
「じゃあ、俺はもう昼寝していいですね」

 それを聞いてマッカラルは、あわてて給湯室を飛び出したが、そのときにはもうヴァラクはいつものようにソファに横になっていた。
 すかさず、クロケルがヴァラクに白い毛布を掛ける。ダーナとヴァラクが話している間に用意していたらしい。さすがお守り役。流れるように世話を焼く。

「ああ。好きなだけ寝ていろ。おまえが起きるまでは絶対に帰らない」
「いや、三時前には起きますよ。あ、そうだ。大佐殿」

 珍しく、ヴァラクは毛布をめくってダーナを見上げた。

「パラディン大佐は、自分の隊にいた元マクスウェル大佐隊員に関して、何か言っていましたか?」

 ダーナは怪訝そうな顔はしたが、いや、何も言っていなかったと事実を告げた。
 実を言うと、彼らの今後については、ダーナもマッカラルも懸念していた。
 特にエリゴール。ダーナは彼にだけ、パラディン大佐を頼むと〝希望〟したのだ。

「そうですか。じゃあ、あいつらは元ウェーバー大佐隊に行くんですね」
「待て。なぜそうなる?」

 さっさとまた毛布を被ってしまったヴァラクに、ダーナが早口で問う。
 マッカラルは心の中で、今のはいい反応ですとサムズアップした。
 
「なぜって……コールタン大佐にあいつらは必要ないじゃないですか」

 毛布を被ったまま、かつ面倒くさそうにヴァラクは答えた。
 およそ部下にあるまじき態度だが、今この執務室内でそう思っているのは、顔面蒼白になって硬直しているクロケルだけだろう。

「飼い殺しにされるくらいなら、パラディン大佐のために砲撃に戻るでしょ。というか、戻させるでしょ。エリゴールが」

 まさか、ここでその名前が出てくるとは思わなかった。
 そう思ったのはマッカラルだけではなかったようだ。ダーナやクロケルまで、ソファクッションと化したヴァラクを見つめていた。
 マッカラルの記憶が確かなら、あの予備ドックで直接会って以降、ヴァラクがエリゴールの名前を口にしたことは一度もない。

「……四班長のこともわかるのか」

 ダーナが苦笑いを漏らす。彼にとっては、エリゴールはいまだ〝四班長〟なのだろう。
 ヴァラクを揶揄したわけではなかったのだろうが、〝七班長〟は不貞腐れたように言い返した。

「そりゃわかりますよ。そうしますから」

 ダーナは赤みがかった金色の目を見開き、そして伏せた。

「飼われているのはおまえたちではなく……我々のほうなのかもしれないな」

 独り言のようなその言葉に、ヴァラクはもう答えなかった。
 そのかわりにクロケルが申し訳なさそうに一礼し、いつもの時間に迎えにきますと言って退室していった。
 それを見送ってから、マッカラルは給湯室に戻り、ダーナの分だけ紅茶を淹れて、ローテーブルの上にそっと置いた。

「せっかくですから、少しだけ、休憩されたらいかがですか?」

 ダーナはマッカラルを一瞥したが、そうだなとかすかに笑うと、ティーカップに口をつけた。
 彼は猫舌ではない。が、ヴァラクの前では飲む速度が遅くなるのは、休憩時間を少しでも長引かせるためだ。
 そうと知っているマッカラルは、すぐに自分の執務机に戻り、ダーナが飲み終わるまで、少しだけ休憩をした。
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