無冠の皇帝

有喜多亜里

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【05】始まりの終わり(中)

03 テンション的にありでした

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 その朝。
 フィリップスは自分たちの指揮官がアルスターではなくなったことを、右翼の護衛担当の大佐パラディンの副官から電話で知らされた。
 ウェーバーが〝栄転〟した後、フィリップスたちは〝大佐棟〟を開かずの間状態にしていた。〝大佐〟のための施設だからそのままにしておいたまでのことだったが、唯一そこを使用する権利を持っていたアルスターも、結局一度も足を踏み入れなかった。さらに言えば、彼は元ウェーバー大佐隊が使用している軍港にも来なかったが、今となってはそれもどうでもいいことだ。
 とにかくそのようなわけで、〝大佐〟の執務室の端末にメールを送信されても、フィリップスたちにはわからない。そのことを知っていたのかどうなのか、パラディンの副官は元ウェーバー大佐隊の第一班第一号待機室に直接電話をかけてきた。そして、元ウェーバー大佐隊の指揮官がアルスターからパラディンに代わったこと、今日の午後にはパラディンがこちらの〝大佐棟〟に移ることを、第一班長ハワードの代理としてフィリップスが聞いたのだった。

「……喜べ」

 受話器を置いた後、固唾を呑んで自分を見守っている班員たちに、フィリップスは厳かに告げた。

「俺たちの指揮官は、現時点でもうアルスターじゃない」
「え……じゃあ、誰……?」
「俺も信じられないが……護衛のパラディン大佐だ」

 一瞬、待機室内は静まり返った。
 が、班員たちは歓喜の雄叫びを上げると、まるで念願の優勝を果たしたスポーツチームのように固く抱き合った。

「うああああ! やっと、やっと、解放されたああああ!」
「なんで護衛の大佐なのかわかんないけど、とりあえずジジイじゃない! ジジイはもうたくさんだ!」
「若いだけじゃないぞ! 殿下ほどじゃないが美形だ! 俺、写真持ってる!」
「何で持ってるんだと突っこみたいが、とにかく見せろ! 見せてくれ!」
「殿下! 神人事! ありがとうございます!」

 アルスターは〝栄転〟にならなかった……って、今は言わなくてもいいか。
 狂喜乱舞している班員たちを生温かく眺めながら、フィリップスは冷静に考えた。
 現在、ハワードは検査も兼ねて入院中である。しかし、指揮官がアルスターからパラディンに代わったことを教えたら、無理をしてでもここに戻ってきそうだ。

(とりあえず、他の班長たちにメールで知らせとくか。いちいち電話するのは面倒だ)

 班長よりも班長らしいと陰で言われている第一号副長は、何をいちばん喜んでいるのかよくわからなくなってきている班員たちを放置して、新たな指揮官を迎え入れる準備を一人黙々と進めたのだった。

 * * *

「いくら何でもそりゃないっしょ!」

 〝作戦説明室〟という名の談話コーナーでそんな不満の声を上げたのは、ドレイクにいちばん近い最前列の右端の椅子に座っていたフォルカスだった。

「なんでアルスター大佐が〝栄転〟にならなくて、護衛のパラディン大佐が左翼に飛ばされるんすか? 殿下、アルスター大佐に弱みでも握られてるんすか?」
「いや、それはないだろ」

 パネルのタッチ棒で自分の肩を叩きながら、困ったようにドレイクが笑う。

アルスターを〝栄転〟にはできないと判断されたんだろう。でも、これ以上放置したら、元ウェーバー大佐隊を潰されちまうから、指揮権だけは剥奪した。元ウェーバー大佐隊にも右翼の〝七班長〟みたいな男がいたら、殿下権限で〝大佐〟にして、そのまま指揮官にしたんだろうがなあ。いなそうだから仕方なく、現時点ですでに〝大佐〟で、アルスターも一目置かざるを得ないパラディン大佐を指揮官にした。と、俺としては思いたい」
「左翼のコールタン大佐じゃ駄目なんすか?」
「殿下的に駄目なんだろうな。まあ、俺もパラディン大佐のほうが適任だと思うよ。元ウェーバー大佐隊のテンション的に」
「テンション?」

 フォルカスは不可解そうに眉をひそめたが、その後方では、一時期パラディンの指揮下にいた元マクスウェル大佐隊の六班長・セイルと、その元部下・グイン、ラス、ウィルヘルムがそろってうなずいていた。
 元マクスウェル大佐隊的にも、パラディンのほうがテンションが上がるようだ。確かに、コールタンとパラディン、どちらか一方を必ず選べと言われたら、イルホンもパラディンを選ぶ。だが、それは彼の容姿とは関係なく、彼の隊がドレイクの脱出ポッドを回収したと知らされているからだ。彼の部下たちがそうしてくれなかったら、今ここにドレイクはいなかった。

「テンションはともかく、これから左翼はどうなってしまうんですか?」

 フォルカスの左隣にいたキメイスが、顎を覆ったまま真剣な表情で訊ねる。
 彼が属している〝〈旧型〉組〟は左翼担当だ。左翼の今後は〝〈旧型〉組〟の今後でもある。キメイスの近くを見れば、やはり〝〈旧型〉組〟のスミス、ディック、ギブスンも同様の表情をしていた。
 フォルカスとウィルヘルムも〝〈旧型〉組〟だが、彼らほど深刻そうに見えないのは、戦闘中、フォルカスは暴言を吐き散らかし、ウィルヘルムは爆睡していてそれを聞いていないからだろうか(キメイス談)。
 ドレイク大佐隊が所有している三隻の砲撃艦――〈ワイバーン〉(公式)、〈旧型〉(非公式)、〈新型〉(非公式)は、いずれも最低三人で戦闘可能(ドレイクレベルになると一人でも可能)というとんでもない軍艦だが、フォルカスとウィルヘルムを見ていると、他の大佐隊に対して申し訳ないような気持ちになる。
 特にウィルヘルム。彼は基地で留守番をしていたほうがいいのではないだろうか。なぜか〝〈旧型〉組〟の面々はまったく気にしていないようだが。

「うーん。それはまあ、パラディン大佐しだいだな。実際のところ、アルスター大佐隊は昨日みたいにいないほうがうちとしても楽なんだが、もうあの円錐陣形で特攻作戦は二度とないだろ。次からはまたあの馬鹿の一つ覚え陣形に戻るはずだ。あっちのほうが無人艦の数は減らせるからな」
「パラディン大佐しだい……」

 キメイス、スミス、ディック、ギブスンが、暗い顔で低く呟く。
 護衛としてのパラディンは優秀でも、砲撃としては未知数だ。彼らが暗澹となるのも無理はない。
 しかし、そんな同僚たちを尻目に、フォルカスは一人、冷静に言った。

「今回は、ダーナ大佐んときみたいに、テストがわりの模擬戦はしないんすね」

 切れるときは思いきり切れるが、周囲が気づいていないことをさらっと指摘するのもフォルカスだ。イルホンも、言われて初めて気がついた。

「しないな。いきなり実戦だよ」

 いい質問ですねとでもいうように、ドレイクは口角を上げた。

「でもまあ、元ウェーバー大佐隊は配置換えされたわけじゃないからな。実は〝大佐〟がいなくても自発的に動ける。が、アルスター大佐隊には足を引っ張られる」
「えー。指揮権なくしたの、殿下じゃないっすかー。逆恨みにもほどがあるっしょー」
「アルスター本人にその気はなくても、今までどおり後始末は元ウェーバー大佐隊まかせにしてりゃ、結果的に足を引っ張ってることになるだろ。で、それに直接文句が言えるのは、アルスターと同じ左翼の〝大佐〟だけだ」
「あ、なるほど。とりあえず〝大佐〟なら、メールで文句は言えますね」
「そう。言えるだけは言える。たとえ聞き入れられなかったとしても、言ったという記録は残る」

 ドレイクは黒い目を細めると、タッチ棒でぼさぼさの頭を掻いた。

「でもなあ。俺はそろそろ、記録に残らない交流をしたいんだよなあ」

 ――わけがわからない。
 そう思ったのはイルホンだけではなかったようで、フォルカスもフォルカス以外の隊員たちも、首をかしげて互いの顔を見合わせていた。

「まあ、解禁させること自体は簡単なんだが、解禁させる理由がなかなか思いつかなくてなあ。……なあ、イルホンくん。アルスター大佐に陣中見舞いを贈りたいからっていう理由で、大佐同士が自由に会えるようになると思う?」

 その質問に答える前にイルホンは、書記として握っていた鉛筆の芯を派手に折った。

 * * *

 アルスターの狼狽ぶりはたとえようもなかった。
 あれだけのことをしておいて――今回は完全に戦闘放棄だろう――自分が何らかの処分を受けるとは、まったく夢にも思っていなかったようだ。
 今朝、執務室の端末で司令官からの通達を読んだアルスターは、見る見るうちに顔色を失い、しまいに頭を抱えて呻き出した。
 アルスターのそのような姿を、コノートはこのとき初めて見た。もちろん驚いたが、それ以上に落胆していた。
 あれだけのことをしていても、まだこの〝大佐〟は〝栄転〟にはならないのだ。
 理由は推測できなくもない。現時点でアルスターが〝栄転〟したら、左翼に〝大佐〟は一人もいなくなってしまう。かつて、右翼もそうなりかけたが、中央の護衛担当だったダーナが名乗りを上げ、自隊ごと異動した。
 おそらく、司令官はそれと同じことを左翼でもしようとしている。今回は強制かつ自隊なしの異動だが、パラディンならそれでもやれると判断した。しかし、いきなり二〇〇隻はさすがに厳しいだろう。少なくとも、元ウェーバー大佐隊を手足のように動かせるようになるまでの間は、アルスターに自隊だけを指揮させようと考えた。
 だが、アルスターはきっとそこまで考えていない。司令官に元ウェーバー大佐隊の指揮権を剥奪されたのは、自分に二〇〇隻は指揮できないと判定されたからだとでも思っている。
 しかし、ここが恐ろしいところだが、アルスターはなぜ自分がそう判定されたのかはわかっていない。だからあれほど混乱した。
 なぜなら、アルスターの中では、自分は一度も失策を犯していないことになっているからだ。今回のあの〝戦闘放棄〟でさえ、自分の予想以上に「連合」の進行速度が速かっただけで、作戦自体は間違っていなかったと思っている。
 コノートたちは、自分たちが合流するまで司令官が待っていてくれなかった時点で、アルスターの〝栄転〟を予想――否、期待していたのだが、アルスター本人はほとんど気にしていなかった。殿下は短気だから程度に軽く考えていたのだろう。
 ただ、今はもう元ウェーバー大佐隊に戻った第二分隊に対しては、戦闘終了後にも何の通信も入れなかったところを見ると、彼らよりも第一分隊が〝役立たず〟だった自覚はあったように思える。
 それでも、何かしら言うつもりはあったようだ。だが、その前に司令官からの通達を見たおかげで、自分の指揮下にない大佐隊に講釈を垂れる恥だけはかかずに済んだのだった。

(とにかく……元ウェーバー大佐隊だけは解放された)

 何とか昼食はとったものの、まだ放心状態で執務机に座りつづけているアルスターを横目に、コノートはひそかに安堵する。
 パラディンならば、元ウェーバー大佐隊に対して、アルスターがしたような扱いは決してしないだろう。
 司令官に押しつけられた、大量の元マクスウェル大佐隊員たちも、彼の指揮下ではおとなしくしていたようだ。

(ああ、でも、元班長が一人、自殺していたな)

 ふとそのことを思い出したが、それを言うなら、アルスター大佐隊でも自殺者はいる。
 かつて「連合」――より正確にはその一部であるザイン星系に植民地とされていた「帝国」では、自殺はあまり問題視されていない。時に死によってしか救われないことがあると、植民地時代に思い知らされたからだ。
 死にたい者は死ねばいい。生きたい者だけ生きればいい。
 しかし、死なせなくてもいい者を死なせるのは、「帝国」においても悪だ。

(アルスター大佐。あなたは確実に、元ウェーバー大佐隊を殺しかけていましたよ)

 そして、現在進行形で、アルスター大佐隊を。

(でも、そのこともあなたは気づいていないのでしょうね)

 コノートは仄暗い笑みを漏らすと、副官用の執務机を離れ、例の泥水のようなコーヒーを淹れた。
 いつまでも逃避していたいだろうが、そろそろ戻ってきてもらわなければ。
 司令官の信頼を完全に失ったという現実に。
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