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【05】始まりの終わり(中)
02 私怨乙でした(後)
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「モルトヴァン……」
いつぞやのように、机上のディスプレイを見つめながら、パラディンは淡々と呟いた。
「どうやら私は、本気で殿下に嫌われているようだ……」
「いえ……これはもう、嫌われているどころの話ではないと思います……」
自分の執務机で、やはりディスプレイを見つめつつ、モルトヴァンは呆然と応じた。
「アルスター大佐から元ウェーバー大佐隊の指揮権を剥奪したのは英断だと思いますが、その指揮権をなぜ大佐に……しかも、幹部会議もなしにメール一本で……」
「それはもう話し合いの余地など微塵もないからだろうが、まさか、ほとんど単身で異動させられるとは……当初、砲撃を希望していたことを覚えていらっしゃったか?」
「その可能性もなくはないですが、これでは護衛はコールタン大佐一人になってしまいます。一人で二〇〇隻。……無理じゃないですか?」
「いや、護衛の二〇〇隻なら無理ではないだろう。ここの護衛は置物だからな。コールタン大佐一人でも何とかなる」
自嘲まじりにそう言われてしまえば反論はしづらい。確かにこの艦隊なら、今回のようなイレギュラーな事態が起こったとしても、コールタン一人で二〇〇隻を指揮するのはそう難しいことではないだろう。
「やはり、問題は私だ。アルスター大佐は元ウェーバー大佐隊の指揮権こそ失ったが、配置換えはされていない。ということは、引き続き左翼を担当することになる。しかし、あの背面攻撃一辺倒のアルスター大佐隊とどう連携しろと? それとも殿下は元ウェーバー大佐隊一〇〇隻で戦えとおっしゃるか?」
さすがのパラディンも、額に手を当ててぶつぶつ言っている。
明言こそしていなかったが、彼もまたアルスターは今度こそ〝栄転〟になると考えていたのだろう。しかし、基地に帰還後、期待して司令官からの通達を見てみれば、アルスターは〝栄転〟を免れ、かわりにパラディンが右翼の護衛から左翼の砲撃に飛ばされていた。
より正確に言うなら、副官のモルトヴァン、〈オートクレール〉およびその乗組員や関係者も一緒に異動ということになっていたが、パラディンの言うとおり〝ほとんど単身〟のようなものだろう。
「確かにそうですね……それならいっそ、うちの隊とアルスター大佐隊とを丸々入れ替えてほしかったです……」
モルトヴァンは力なく笑いながら独りごちた。
パラディン大佐隊――もう〝前パラディン大佐隊〟になってしまったが――は、ただの護衛隊ではない。元砲撃隊が二班編入されているという異例の隊だ。おそらく、アルスター大佐隊よりは戦力になるだろう。
だが、彼らは異動対象に含まれていない。当然、あの金髪緑眼のイケメン中佐――エリゴールも対象外である。
真っ先にそのことを嘆くかと思いきや、今のところパラディンは一言も触れていない。それとも、まだ動揺していて気づけていないだけなのか。
「……とにかく、殿下の命令は絶対だ」
パラディンは溜め息を吐き出すと、顔を上げて額から手を離した。
「まずはアルスター大佐にメールして、元ウェーバー大佐隊の隊員名簿を送ってもらおう。あちらも指揮権を剥奪されて落ちこんでいるだろうが、こちらは落ちこんでいる暇もない――」
パラディンがそう言いかけたときだった。彼の端末からメールの着信音が聞こえた。
煩わしそうにディスプレイを見やったパラディンは、一転して微苦笑を漏らした。
「天の助け……と言いたいところだが。これでますます殿下に嫌われるな……」
「メールですよね? 誰からですか?」
「ドレイク大佐からだよ。せっかくだから、おまえにも転送してやろう」
何がせっかくなのかは意味不明だったが、モルトヴァンは転送されたメールをすぐに読んだ。そして、助けを求めてパラディンに濃茶色の目を向けた。
「何ですか、これ?」
「この艦隊で唯一殿下の命令に逆らえる御方からの、ありがたーい御助言だ。たぶん、一秒でも早く送信しようと思われたんだろう。ちょっとした謎解きだね」
謎解きというよりは手抜きのような気がするが、しかし、これでパラディンには意味がわかったようだ。見違えるほど表情が明るくなったと思ったそのとき、今度はモルトヴァンの端末から通知音がした。
「何だ?」
音でメールの着信ではないことはわかったのだろう。
パラディンは少し怪訝そうに黒い眉をひそめた。
「えーと、警備班からです。今、エリゴール中佐がエントランスに来ているそうです。大至急大佐にお会いしたいと」
警備班からのメッセージを読み上げながら――内線電話もあるが、来訪者の前ではテキストでやりとりするほうが多い――モルトヴァンは思わず首をひねった。
元マクスウェル大佐隊九班長・ムルムスの服毒自殺(ということになっている)があった初回以外は、どれほどパラディンに引き留められようが、〈オートクレール〉から十一班へと容赦なく戻ってしまうエリゴールである。それは今回も例外ではなかった。
そんな彼が、なぜわざわざこんな時間にパラディンに会いにきたのか。電話で済む用件なら、直接モルトヴァンに電話してきそうなものである。
「え、エリゴール中佐? 会うよ会う会う! 今すぐ会う!」
だが、パラディンはそんな疑問はまったく抱かなかったようだ。自分が左翼に飛ばされたことなど忘れ去ってしまったかのように、喜色満面で叫び返した。
絶対に断らないだろうと思ってはいたが、今のこの状況でここまで嬉しがるとは。内心モルトヴァンは呆れ果てていたが、了解しました、そのように伝えますと冷静に応じたのだった。
エリゴールが執務室の前に来たのは、モルトヴァンたちの予想以上に早かった。
あまりに早すぎて、コーヒーの準備も間に合わなかったくらいだ。
「大佐殿!」
執務室に入室してきたエリゴールは、極めて珍しいことに軽く息を弾ませていた。
どうやら、エントランスからここまで、エレベーターを使わず、階段を駆け上ってきたようだ。
モルトヴァンとパラディンは無言で顔を見合わせたが、パラディンはいち早くいつもの自分に立ち返り、机上で両手を組んで微笑んだ。
「どうした? ずいぶんあわてているね? 君がそんなにあわてているのを初めて見たよ。何かあったのかい?」
「何かあったのはそちらでしょう」
エリゴールは呆れたようにパラディンを見下ろした。
「元ウェーバー大佐隊の指揮官に任命されたのでしょう? 殿下のメール一本で」
再び、モルトヴァンとパラディンは顔を見合わせた。
パラディンはおまえが漏らしたのかと目で訊ね、モルトヴァンはそんなことあるわけないでしょうがと目で返した。
「確かにそうだが……君はそれをどうやって知ったのかね?」
モルトヴァンの回答をもっともだと思ったのか、パラディンは自分の正面に立っているエリゴールに向き直ると、生真面目に反問した。
「つい先ほど、コールタン大佐殿からお電話をいただきました」
完全に平常状態に戻ったエリゴールは、何のためらいもなく堂々と答える。
「無論、任命だけでなく、剥奪の件も存じております」
――あ、なるほど。
言われてモルトヴァンは納得した。
元マクスウェル大佐隊四班長だったエリゴールは、短期間ではあったが、コールタンの指揮下にいたことがある。転属になってもまだつながりがあるのだろう。
しかし、なぜかパラディンは腑に落ちないような顔をしていた。
「それで……君はコールタン大佐に命令されてここに来たのかね?」
「いえ。こちらに伺ったのは自分の判断です。一つ、お訊きしたいことがございまして。……よろしいですか?」
「いいよ。何だい?」
コールタンの命令ではなかったのがよほど嬉しかったのか、パラディンはころっと態度を変えると、いつものように愛想よく笑った。
「今回の大佐殿の異動ですが、大佐殿は一時的なものだとお考えですか?」
モルトヴァンにはもちろん、パラディンにとっても想定外の質問だったのか、彼は虚を突かれたように目を見張ったが、すぐに苦笑いを浮かべた。
「正直言ってわからないね。でもまあ、アルスター大佐よりもよい結果を出せなければ、私はウェーバー大佐と同じく〝栄転〟になるだろう」
――そうか、それもあったか。
ディスプレイの陰で、モルトヴァンは顔をしかめた。
今までまったく思い至らなかったが、アルスターではなくパラディンのほうが〝栄転〟になる可能性もなくはないのだ。
それどころか、パラディンを〝栄転〟にしたくてこんな異動を……というのは、いくら何でも被害妄想が過ぎるだろうか。
「アルスター大佐殿よりも、ですか」
「同じかそれ以下だったら、彼から指揮権を取り上げた意味がない。……と、殿下だったら思われるのではないかな?」
「確かに。大佐殿のおっしゃるとおりです」
不気味なほど素直に同意すると、それならば、とエリゴールは言葉を続けた。
「大佐殿。早急にメールでダーナ大佐殿に打診してください。現在、元ウェーバー大佐隊に在籍している元マクスウェル大佐隊員たち。希望者は全員、元マクスウェル大佐隊に戻らせてよいかと」
パラディンは一拍置いて問い返した。
「何だって?」
「元ウェーバー大佐隊はもう大佐殿の隊なのですから、こういった打診も可能でしょう。……ダーナ大佐殿は我々の大量転属の件で大佐殿に負い目があります。大佐殿がお願いすれば間違いなく承諾するでしょう。元マクスウェル大佐隊のヴァラクも、今回に限っては、ダーナ大佐殿の命に従うはずです」
エリゴールの表情も口調も普段どおり落ち着いている。
モルトヴァンはあっけにとられていたが、パラディンはにたりと笑った。
「ほう。……なぜかね?」
「現状、元マクスウェル大佐隊はかなりの人員不足です。ダーナ大佐隊に応援を頼んだりしてやりくりしているんでしょうが、それにも限界があるでしょう。……アルスター大佐隊に転属を希望した隊員なら、元マクスウェル大佐隊員の中でもまだ使える馬鹿です。ヴァラクはとりあえず受け入れはするでしょう」
「なるほど。では、もし仮に全員古巣に戻ったとしたら、残りは真の元ウェーバー大佐隊ということになるね」
「それが本当の狙いです。元ウェーバー大佐隊は今、アルスター大佐殿と同じ〝大佐〟を強く欲しています」
「大佐?」
またしても想定外だ。モルトヴァンはパラディンと一緒に首をかしげた。
「ええ。彼らは元マクスウェル大佐隊よりプライドが高い。上官が〝栄転〟になったばかりに、アルスター大佐殿には格下に扱われ、余計な元マクスウェル大佐隊員まで押しつけられた。〝大佐〟さえいれば、形式上はアルスター大佐隊と対等になれるわけです」
「うーん……しかし、それでは左翼の連携がよりいっそう悪くなるような気がするが……」
パラディンは苦笑したが、エリゴールの返答を聞いて真顔になった。
「ですから、左翼は最初から〝連携〟という考えは捨てたほうがよろしいかと。右翼が強いのは、少なくとも戦闘中は、ヴァラクがダーナ大佐殿の忠実な部下に徹しているからです。二人大佐であの芸当はまず不可能でしょう」
「エリゴール中佐……」
痛ましいものを見るように、パラディンは眉根を寄せた。
「君……自分で言ってて辛くないか?」
数秒の沈黙の後、エリゴールは冷ややかに答えた。
「そう思っていらっしゃるなら、人の傷口をわざわざつつかないでください」
「そうか。まだ塞がっていなかったのか。それは悪かった。……確かに、連携は無理そうだな。今回に至っては、アルスター大佐隊なしで勝ててしまえたし。ただ、あまり無人艦を当てにしていると、いつかのように庇ってもらえなくなりそうで怖い」
「あれはドレイク大佐殿の邪魔をしたからです。それさえしなければ大丈夫です。たぶん。……ところで大佐殿。大佐殿の隊がすでにコールタン大佐殿の指揮下にあるということは、元マクスウェル大佐隊員の我々も、今はコールタン大佐殿の指揮下にあるということでしょうか?」
「うん。呪わしいけど、そういうことになってしまうね」
――呪わしい……
モルトヴァンは思わずパラディンを見たが、その柔和な顔に浮かんでいるのは、〝残念だけど〟程度の笑みだ。
だが、本音は間違いなく〝呪わしい〟のほうだろう。普通に考えれば、その対象は司令官かアルスターかあるいはその両方かだが、コールタンも含まれているような気がする。……何となく。
「そうですか。それでは、コールタン大佐殿にもメールをお願いいたします。元マクスウェル大佐隊のカスどもが、元ウェーバー大佐隊に転属願を出すから、予備ドックは準備しなくていいと。……コールタン大佐殿は喜んでくれるでしょう。〝砲撃馬鹿野郎〟の数を減らす手間が省けますから」
エリゴールの表情はほとんど変わっていなかった。
そのせいで、モルトヴァンはすぐには意味がわからず、エリゴールとパラディンを交互に見た。
パラディンは大きく目を見開いて固まっていた。しかし、彼の場合は言われた意味を即座に理解したからかもしれない。
つまり、エリゴールは、元マクスウェル大佐隊員たち――十一班と十二班も元ウェーバー大佐隊に行ってやると言っているのだ。それが彼らの総意がどうかは疑問だが、エリゴールがそうしたいと言えばそうなってしまうのだろう。
だが、パラディンに対する普段の対応を考えるに、信じられない申し出である。言い方は悪いが、パラディンと縁を切れる絶好の機会であるのに。
そんなモルトヴァンの心の声が聞こえたわけではあるまいが、エリゴールはふと苦笑めいた笑みを浮かべた。
「自分は〝護衛の〟パラディン大佐殿に退役願を受理していただきたいと思っておりますので。そのかわり、護衛に戻られたときには、何が何でも受理していただきます。……元ウェーバー大佐隊員と会われる際には、自分にも声をかけてください。運転手がわりにお供いたします。それではまた」
パラディンの返事を待たず、エリゴールは一方的にそう言うと、相変わらず優雅に一礼し、さっさと執務室を出ていってしまった。
パラディンは呆けたように、自動ドアを見つめていたが。
「……かっこいい」
「え?」
ぼそりと呟かれた一言に、モルトヴァンはあせってパラディンを二度見したが、そのときには彼は楽しげにディスプレイを眺めていた。
「うーん……どちらが上手かな?」
「何がですか?」
「今、エリゴール中佐が言ったこと。ドレイク大佐が書いてきたこととほとんど同じじゃないか」
言われて、先ほどパラディンから転送されたドレイクのメールに目を移す。
もともとドレイクは短文だが、今回は挨拶の言葉すらない箇条書きだった。
①元ウェーバー大佐隊にいる元マクスウェル大佐隊員を、全員元マクスウェル大佐隊に返品しなさい。
②元ウェーバー大佐隊に異動するときには、元マクスウェル大佐隊員を全員連れていきなさい。
③元ウェーバー大佐隊には優しくしてあげなさい。
「確かに〝ほとんど同じ〟ですが……でも、エリゴール中佐の〝解説〟があって、初めて納得できる内容ですよね……」
ただ、②に関しては、エリゴールも理由をはっきり言わなかった。
あの退役願云々は、嘘ではないが建前みたいなものだろう。彼の本音はおそらく、パラディンを砲撃から護衛に戻したいから、なのではないだろうか。そのためには、元砲撃隊である十一班と十一班も一緒についていったほうがいいと判断した。
しかし、ドレイクはそのことを知らないはずである。彼はいったいどういうつもりで全員連れていけと書いたのだろう。単に、元砲撃隊員は一人でも多いほうがいいと考えたからなのだろうか。
「おまけに、具体的な返品方法も連れていく方法も、全部エリゴール中佐が提示してくれたしね。私にとっては、エリゴール中佐のほうが〝親切〟だ」
パラディンはだらしなくにやにやすると、キーボードに白い指を滑らせた。
「よし、とりあえずモルトヴァン。元ウェーバー大佐隊にいる元マクスウェル大佐隊員用に転属願を用意してやってくれ。その間に、私はコールタン大佐とダーナ大佐にメールする。仮眠をとったら、ここの荷物をまとめるぞ。書類上、ここはもうコールタン大佐のものになっているからな」
「あの……アルスター大佐には?」
「ああ、今はメールしないよ。変更前の隊員名簿なんて入手する必要はないからね。私は今、ショックを受けて寝こんでいる設定だ。引っ越しが終わったら、当たり障りのないメールを送るよ」
「では……ドレイク大佐には?」
思わず声を潜めてそう問うと、パラディンはぴたっと動きを止めた。
「そうだな……ドレイク大佐には返信しないとまずいな……いや、ドレイク大佐自身はまずくないが、返信内容によっては私がさらにまずくなる……」
「もしかして、ドレイク大佐があんな書き方をしたのは、殿下の〝検閲〟に引っかからないようにするためですかね……」
「そうかもしれないな……今となってはもう、メールをやりとりすること自体が引っかかっていると思うが……とにかく、最初にドレイク大佐に返信しよう。なるべく短く、それでも感謝の気持ちが伝わるように!」
「そして、殿下の機嫌を損ねないように、ですね?」
「そうだ。それがいちばん重要だ」
「いったいいつからこんな面倒くさいことに……」
ついついモルトヴァンは愚痴ったが、パラディンは少し考えてから真顔で言った。
「思い返せば、私の申請で大佐会議をしてからだな。……たぶん」
いつぞやのように、机上のディスプレイを見つめながら、パラディンは淡々と呟いた。
「どうやら私は、本気で殿下に嫌われているようだ……」
「いえ……これはもう、嫌われているどころの話ではないと思います……」
自分の執務机で、やはりディスプレイを見つめつつ、モルトヴァンは呆然と応じた。
「アルスター大佐から元ウェーバー大佐隊の指揮権を剥奪したのは英断だと思いますが、その指揮権をなぜ大佐に……しかも、幹部会議もなしにメール一本で……」
「それはもう話し合いの余地など微塵もないからだろうが、まさか、ほとんど単身で異動させられるとは……当初、砲撃を希望していたことを覚えていらっしゃったか?」
「その可能性もなくはないですが、これでは護衛はコールタン大佐一人になってしまいます。一人で二〇〇隻。……無理じゃないですか?」
「いや、護衛の二〇〇隻なら無理ではないだろう。ここの護衛は置物だからな。コールタン大佐一人でも何とかなる」
自嘲まじりにそう言われてしまえば反論はしづらい。確かにこの艦隊なら、今回のようなイレギュラーな事態が起こったとしても、コールタン一人で二〇〇隻を指揮するのはそう難しいことではないだろう。
「やはり、問題は私だ。アルスター大佐は元ウェーバー大佐隊の指揮権こそ失ったが、配置換えはされていない。ということは、引き続き左翼を担当することになる。しかし、あの背面攻撃一辺倒のアルスター大佐隊とどう連携しろと? それとも殿下は元ウェーバー大佐隊一〇〇隻で戦えとおっしゃるか?」
さすがのパラディンも、額に手を当ててぶつぶつ言っている。
明言こそしていなかったが、彼もまたアルスターは今度こそ〝栄転〟になると考えていたのだろう。しかし、基地に帰還後、期待して司令官からの通達を見てみれば、アルスターは〝栄転〟を免れ、かわりにパラディンが右翼の護衛から左翼の砲撃に飛ばされていた。
より正確に言うなら、副官のモルトヴァン、〈オートクレール〉およびその乗組員や関係者も一緒に異動ということになっていたが、パラディンの言うとおり〝ほとんど単身〟のようなものだろう。
「確かにそうですね……それならいっそ、うちの隊とアルスター大佐隊とを丸々入れ替えてほしかったです……」
モルトヴァンは力なく笑いながら独りごちた。
パラディン大佐隊――もう〝前パラディン大佐隊〟になってしまったが――は、ただの護衛隊ではない。元砲撃隊が二班編入されているという異例の隊だ。おそらく、アルスター大佐隊よりは戦力になるだろう。
だが、彼らは異動対象に含まれていない。当然、あの金髪緑眼のイケメン中佐――エリゴールも対象外である。
真っ先にそのことを嘆くかと思いきや、今のところパラディンは一言も触れていない。それとも、まだ動揺していて気づけていないだけなのか。
「……とにかく、殿下の命令は絶対だ」
パラディンは溜め息を吐き出すと、顔を上げて額から手を離した。
「まずはアルスター大佐にメールして、元ウェーバー大佐隊の隊員名簿を送ってもらおう。あちらも指揮権を剥奪されて落ちこんでいるだろうが、こちらは落ちこんでいる暇もない――」
パラディンがそう言いかけたときだった。彼の端末からメールの着信音が聞こえた。
煩わしそうにディスプレイを見やったパラディンは、一転して微苦笑を漏らした。
「天の助け……と言いたいところだが。これでますます殿下に嫌われるな……」
「メールですよね? 誰からですか?」
「ドレイク大佐からだよ。せっかくだから、おまえにも転送してやろう」
何がせっかくなのかは意味不明だったが、モルトヴァンは転送されたメールをすぐに読んだ。そして、助けを求めてパラディンに濃茶色の目を向けた。
「何ですか、これ?」
「この艦隊で唯一殿下の命令に逆らえる御方からの、ありがたーい御助言だ。たぶん、一秒でも早く送信しようと思われたんだろう。ちょっとした謎解きだね」
謎解きというよりは手抜きのような気がするが、しかし、これでパラディンには意味がわかったようだ。見違えるほど表情が明るくなったと思ったそのとき、今度はモルトヴァンの端末から通知音がした。
「何だ?」
音でメールの着信ではないことはわかったのだろう。
パラディンは少し怪訝そうに黒い眉をひそめた。
「えーと、警備班からです。今、エリゴール中佐がエントランスに来ているそうです。大至急大佐にお会いしたいと」
警備班からのメッセージを読み上げながら――内線電話もあるが、来訪者の前ではテキストでやりとりするほうが多い――モルトヴァンは思わず首をひねった。
元マクスウェル大佐隊九班長・ムルムスの服毒自殺(ということになっている)があった初回以外は、どれほどパラディンに引き留められようが、〈オートクレール〉から十一班へと容赦なく戻ってしまうエリゴールである。それは今回も例外ではなかった。
そんな彼が、なぜわざわざこんな時間にパラディンに会いにきたのか。電話で済む用件なら、直接モルトヴァンに電話してきそうなものである。
「え、エリゴール中佐? 会うよ会う会う! 今すぐ会う!」
だが、パラディンはそんな疑問はまったく抱かなかったようだ。自分が左翼に飛ばされたことなど忘れ去ってしまったかのように、喜色満面で叫び返した。
絶対に断らないだろうと思ってはいたが、今のこの状況でここまで嬉しがるとは。内心モルトヴァンは呆れ果てていたが、了解しました、そのように伝えますと冷静に応じたのだった。
エリゴールが執務室の前に来たのは、モルトヴァンたちの予想以上に早かった。
あまりに早すぎて、コーヒーの準備も間に合わなかったくらいだ。
「大佐殿!」
執務室に入室してきたエリゴールは、極めて珍しいことに軽く息を弾ませていた。
どうやら、エントランスからここまで、エレベーターを使わず、階段を駆け上ってきたようだ。
モルトヴァンとパラディンは無言で顔を見合わせたが、パラディンはいち早くいつもの自分に立ち返り、机上で両手を組んで微笑んだ。
「どうした? ずいぶんあわてているね? 君がそんなにあわてているのを初めて見たよ。何かあったのかい?」
「何かあったのはそちらでしょう」
エリゴールは呆れたようにパラディンを見下ろした。
「元ウェーバー大佐隊の指揮官に任命されたのでしょう? 殿下のメール一本で」
再び、モルトヴァンとパラディンは顔を見合わせた。
パラディンはおまえが漏らしたのかと目で訊ね、モルトヴァンはそんなことあるわけないでしょうがと目で返した。
「確かにそうだが……君はそれをどうやって知ったのかね?」
モルトヴァンの回答をもっともだと思ったのか、パラディンは自分の正面に立っているエリゴールに向き直ると、生真面目に反問した。
「つい先ほど、コールタン大佐殿からお電話をいただきました」
完全に平常状態に戻ったエリゴールは、何のためらいもなく堂々と答える。
「無論、任命だけでなく、剥奪の件も存じております」
――あ、なるほど。
言われてモルトヴァンは納得した。
元マクスウェル大佐隊四班長だったエリゴールは、短期間ではあったが、コールタンの指揮下にいたことがある。転属になってもまだつながりがあるのだろう。
しかし、なぜかパラディンは腑に落ちないような顔をしていた。
「それで……君はコールタン大佐に命令されてここに来たのかね?」
「いえ。こちらに伺ったのは自分の判断です。一つ、お訊きしたいことがございまして。……よろしいですか?」
「いいよ。何だい?」
コールタンの命令ではなかったのがよほど嬉しかったのか、パラディンはころっと態度を変えると、いつものように愛想よく笑った。
「今回の大佐殿の異動ですが、大佐殿は一時的なものだとお考えですか?」
モルトヴァンにはもちろん、パラディンにとっても想定外の質問だったのか、彼は虚を突かれたように目を見張ったが、すぐに苦笑いを浮かべた。
「正直言ってわからないね。でもまあ、アルスター大佐よりもよい結果を出せなければ、私はウェーバー大佐と同じく〝栄転〟になるだろう」
――そうか、それもあったか。
ディスプレイの陰で、モルトヴァンは顔をしかめた。
今までまったく思い至らなかったが、アルスターではなくパラディンのほうが〝栄転〟になる可能性もなくはないのだ。
それどころか、パラディンを〝栄転〟にしたくてこんな異動を……というのは、いくら何でも被害妄想が過ぎるだろうか。
「アルスター大佐殿よりも、ですか」
「同じかそれ以下だったら、彼から指揮権を取り上げた意味がない。……と、殿下だったら思われるのではないかな?」
「確かに。大佐殿のおっしゃるとおりです」
不気味なほど素直に同意すると、それならば、とエリゴールは言葉を続けた。
「大佐殿。早急にメールでダーナ大佐殿に打診してください。現在、元ウェーバー大佐隊に在籍している元マクスウェル大佐隊員たち。希望者は全員、元マクスウェル大佐隊に戻らせてよいかと」
パラディンは一拍置いて問い返した。
「何だって?」
「元ウェーバー大佐隊はもう大佐殿の隊なのですから、こういった打診も可能でしょう。……ダーナ大佐殿は我々の大量転属の件で大佐殿に負い目があります。大佐殿がお願いすれば間違いなく承諾するでしょう。元マクスウェル大佐隊のヴァラクも、今回に限っては、ダーナ大佐殿の命に従うはずです」
エリゴールの表情も口調も普段どおり落ち着いている。
モルトヴァンはあっけにとられていたが、パラディンはにたりと笑った。
「ほう。……なぜかね?」
「現状、元マクスウェル大佐隊はかなりの人員不足です。ダーナ大佐隊に応援を頼んだりしてやりくりしているんでしょうが、それにも限界があるでしょう。……アルスター大佐隊に転属を希望した隊員なら、元マクスウェル大佐隊員の中でもまだ使える馬鹿です。ヴァラクはとりあえず受け入れはするでしょう」
「なるほど。では、もし仮に全員古巣に戻ったとしたら、残りは真の元ウェーバー大佐隊ということになるね」
「それが本当の狙いです。元ウェーバー大佐隊は今、アルスター大佐殿と同じ〝大佐〟を強く欲しています」
「大佐?」
またしても想定外だ。モルトヴァンはパラディンと一緒に首をかしげた。
「ええ。彼らは元マクスウェル大佐隊よりプライドが高い。上官が〝栄転〟になったばかりに、アルスター大佐殿には格下に扱われ、余計な元マクスウェル大佐隊員まで押しつけられた。〝大佐〟さえいれば、形式上はアルスター大佐隊と対等になれるわけです」
「うーん……しかし、それでは左翼の連携がよりいっそう悪くなるような気がするが……」
パラディンは苦笑したが、エリゴールの返答を聞いて真顔になった。
「ですから、左翼は最初から〝連携〟という考えは捨てたほうがよろしいかと。右翼が強いのは、少なくとも戦闘中は、ヴァラクがダーナ大佐殿の忠実な部下に徹しているからです。二人大佐であの芸当はまず不可能でしょう」
「エリゴール中佐……」
痛ましいものを見るように、パラディンは眉根を寄せた。
「君……自分で言ってて辛くないか?」
数秒の沈黙の後、エリゴールは冷ややかに答えた。
「そう思っていらっしゃるなら、人の傷口をわざわざつつかないでください」
「そうか。まだ塞がっていなかったのか。それは悪かった。……確かに、連携は無理そうだな。今回に至っては、アルスター大佐隊なしで勝ててしまえたし。ただ、あまり無人艦を当てにしていると、いつかのように庇ってもらえなくなりそうで怖い」
「あれはドレイク大佐殿の邪魔をしたからです。それさえしなければ大丈夫です。たぶん。……ところで大佐殿。大佐殿の隊がすでにコールタン大佐殿の指揮下にあるということは、元マクスウェル大佐隊員の我々も、今はコールタン大佐殿の指揮下にあるということでしょうか?」
「うん。呪わしいけど、そういうことになってしまうね」
――呪わしい……
モルトヴァンは思わずパラディンを見たが、その柔和な顔に浮かんでいるのは、〝残念だけど〟程度の笑みだ。
だが、本音は間違いなく〝呪わしい〟のほうだろう。普通に考えれば、その対象は司令官かアルスターかあるいはその両方かだが、コールタンも含まれているような気がする。……何となく。
「そうですか。それでは、コールタン大佐殿にもメールをお願いいたします。元マクスウェル大佐隊のカスどもが、元ウェーバー大佐隊に転属願を出すから、予備ドックは準備しなくていいと。……コールタン大佐殿は喜んでくれるでしょう。〝砲撃馬鹿野郎〟の数を減らす手間が省けますから」
エリゴールの表情はほとんど変わっていなかった。
そのせいで、モルトヴァンはすぐには意味がわからず、エリゴールとパラディンを交互に見た。
パラディンは大きく目を見開いて固まっていた。しかし、彼の場合は言われた意味を即座に理解したからかもしれない。
つまり、エリゴールは、元マクスウェル大佐隊員たち――十一班と十二班も元ウェーバー大佐隊に行ってやると言っているのだ。それが彼らの総意がどうかは疑問だが、エリゴールがそうしたいと言えばそうなってしまうのだろう。
だが、パラディンに対する普段の対応を考えるに、信じられない申し出である。言い方は悪いが、パラディンと縁を切れる絶好の機会であるのに。
そんなモルトヴァンの心の声が聞こえたわけではあるまいが、エリゴールはふと苦笑めいた笑みを浮かべた。
「自分は〝護衛の〟パラディン大佐殿に退役願を受理していただきたいと思っておりますので。そのかわり、護衛に戻られたときには、何が何でも受理していただきます。……元ウェーバー大佐隊員と会われる際には、自分にも声をかけてください。運転手がわりにお供いたします。それではまた」
パラディンの返事を待たず、エリゴールは一方的にそう言うと、相変わらず優雅に一礼し、さっさと執務室を出ていってしまった。
パラディンは呆けたように、自動ドアを見つめていたが。
「……かっこいい」
「え?」
ぼそりと呟かれた一言に、モルトヴァンはあせってパラディンを二度見したが、そのときには彼は楽しげにディスプレイを眺めていた。
「うーん……どちらが上手かな?」
「何がですか?」
「今、エリゴール中佐が言ったこと。ドレイク大佐が書いてきたこととほとんど同じじゃないか」
言われて、先ほどパラディンから転送されたドレイクのメールに目を移す。
もともとドレイクは短文だが、今回は挨拶の言葉すらない箇条書きだった。
①元ウェーバー大佐隊にいる元マクスウェル大佐隊員を、全員元マクスウェル大佐隊に返品しなさい。
②元ウェーバー大佐隊に異動するときには、元マクスウェル大佐隊員を全員連れていきなさい。
③元ウェーバー大佐隊には優しくしてあげなさい。
「確かに〝ほとんど同じ〟ですが……でも、エリゴール中佐の〝解説〟があって、初めて納得できる内容ですよね……」
ただ、②に関しては、エリゴールも理由をはっきり言わなかった。
あの退役願云々は、嘘ではないが建前みたいなものだろう。彼の本音はおそらく、パラディンを砲撃から護衛に戻したいから、なのではないだろうか。そのためには、元砲撃隊である十一班と十一班も一緒についていったほうがいいと判断した。
しかし、ドレイクはそのことを知らないはずである。彼はいったいどういうつもりで全員連れていけと書いたのだろう。単に、元砲撃隊員は一人でも多いほうがいいと考えたからなのだろうか。
「おまけに、具体的な返品方法も連れていく方法も、全部エリゴール中佐が提示してくれたしね。私にとっては、エリゴール中佐のほうが〝親切〟だ」
パラディンはだらしなくにやにやすると、キーボードに白い指を滑らせた。
「よし、とりあえずモルトヴァン。元ウェーバー大佐隊にいる元マクスウェル大佐隊員用に転属願を用意してやってくれ。その間に、私はコールタン大佐とダーナ大佐にメールする。仮眠をとったら、ここの荷物をまとめるぞ。書類上、ここはもうコールタン大佐のものになっているからな」
「あの……アルスター大佐には?」
「ああ、今はメールしないよ。変更前の隊員名簿なんて入手する必要はないからね。私は今、ショックを受けて寝こんでいる設定だ。引っ越しが終わったら、当たり障りのないメールを送るよ」
「では……ドレイク大佐には?」
思わず声を潜めてそう問うと、パラディンはぴたっと動きを止めた。
「そうだな……ドレイク大佐には返信しないとまずいな……いや、ドレイク大佐自身はまずくないが、返信内容によっては私がさらにまずくなる……」
「もしかして、ドレイク大佐があんな書き方をしたのは、殿下の〝検閲〟に引っかからないようにするためですかね……」
「そうかもしれないな……今となってはもう、メールをやりとりすること自体が引っかかっていると思うが……とにかく、最初にドレイク大佐に返信しよう。なるべく短く、それでも感謝の気持ちが伝わるように!」
「そして、殿下の機嫌を損ねないように、ですね?」
「そうだ。それがいちばん重要だ」
「いったいいつからこんな面倒くさいことに……」
ついついモルトヴァンは愚痴ったが、パラディンは少し考えてから真顔で言った。
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