無冠の皇帝

有喜多亜里

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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)

エピローグ

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 〝転属祝い・後編〟の会場は、なんと〈ワイバーン〉のブリッジだった。

「むーん。さすがにここに十八人はきついか」

 艦長席ではなく、なぜか砲撃席に迷わず座ったドレイクは、ブリッジ内を見渡して苦笑した。

「前は九人だったから何とかなりましたけどね。一気に倍ですから」

 近くに立っていたキメイスが、やはり苦笑いして答える。

「ここで乾杯だけして、後は分かれて食べられるように、食堂を第二会場にしました。置いてあるものは同じです。殴り合いの喧嘩にならないように」
「そうだな。食い物の恨みは恐ろしいからな」

 真顔でうなずくドレイクを見ながらラッセルは思った。

(それなら、どうして待機室でしないんだ?)

 戦闘中のドレイクの命令は絶対だが、日常ではそうでもない。部下の意見を聞いて自分の命令を変更することもないではない。しかし、ドレイクに〝転属祝い・後編〟の会場を〈ワイバーン〉のブリッジにすると言われたラッセルの〝先輩〟たちは、反対どころか、むしろ歓喜していた。
 そもそも、ブリッジでの飲食は厳禁だ。万が一、コンソールにコーヒーでもぶちまけたらいったいどうするつもりなのか。だが、そこはさすがに〝先輩〟たちも考えていて、テーブルや飲食物を持ちこむ前に、コンソール等濡らしたり汚したりしてはまずい部分はびっちりとビニールで覆っていた。そうまでしてここでやりたいらしい。ラッセルには理解しがたい執念である。
 〈ワイバーン〉のブリッジは、基本的には〈旧型〉や〈新型〉と同じだ。ただ一箇所、ブリッジの隅に〝サブシート〟と呼ばれる謎のシート三席があることを除いては。ドレイクの命令で設置させられたというそのシートにスミスはかなり愛着があるようで、懐かしいなあと言いながら、やたらと撫でたり叩いたりしていた。ちなみに設置したのは先月だそうである。ドレイク大佐隊内の時の流れは外界よりも速い。

「おーし。じゃあ、〝転属祝い・後編〟、始めるぞー」

 隊員たちがブリッジ内に自分の立ち位置を確保したのを見計らって、ドレイクがシートから立ち上がった。彼のそばには副官のイルホンの他に、キメイス、フォルカス、マシム、ギブスンがいる。それを見てとったのか、ラッセルの隣にいたディックが妬ましげに呟いた。

「どう見てもハーレムだよな……」

 どう見てもラッセルにはそう思えなかったが、ディックにはそう見えるのだろう。あえて何も言わずに聞き流した。

「各自コップに自分の飲みたいもん入れろやー。ただし、酒はNGー。どうしても飲みたかったら待機室ー。でも、飲んだらこのにはもう乗せなーい。飲むなら乗るなー。飲んだら乗るなー」

 にやにやしながらそう言うドレイク自身がすでに酔っ払っているようだが、あれで素面だということはラッセルにもわかっている。
 ラッセルは無難にコーヒーにした。たいていは彼と同じ選択をしていたが、セイルはミネラルウォーターを注いでいた。――乾杯するのに、なぜミネラルウォーター? 思わずその理由を訊ねてみたくなったが、今はミネラルウォーターが飲みたかったのだろう。そう考え直して訊くのはやめた。

「準備できたか? できなくてもコップだけ持ってろ。エア乾杯だ。……一応、今回の〝お食事会〟の名目は〝転属祝い〟だが、正直、祝っていいものなのかどうなのか、俺にはわからん。転属希望しなかったほうがよかったってこともあるかもしれないしな。でも、俺は〝最初の七人〟も含めて、俺のところに来てくれてありがとうって感謝してる。まあ、中には不本意だった人間もいるだろうが」

 ここでドレイクはにやりとする。何となくその視線が自分に向けられているような気がして、ラッセルはつい目をそらせた。

「〝祝い〟がわりにおまえらに約束する。俺の部下でいるかぎり、必ず戦場から生きて帰す。だから、おまえらも俺の部下でいる間は、生きて帰りたいと思いつづけろ。生きて帰る気がなくなったら、すぐにここを離れてくれ。……そんな人間を帰らせるのは、俺がむなしい」

 最後の一言を言うとき、ドレイクは寂しげに笑った。実際、そんな人間がいたら、むなしいと言うより疎ましいだろう。最悪、他の生きて帰りたい人間を道連れにしてしまう恐れもある。しかし、ドレイクはそうは言わなかった。そこがドレイクの優しさでもあり、甘さでもあるのだろう。

「まあ、何はともあれ、これを言わなきゃ、生命維持活動ができねえな」

 気持ちを切り替えたようにドレイクは微笑むと、中身はおそらく例の激薄コーヒーのコップを掲げた。

「食い過ぎには注意しろ。……乾杯」
「乾杯ッ!」

 隊員たちが口々に叫んだ、とドレイクは周囲にいた〝先輩〟たちにいっせいに群がられ、コーヒーをこぼされそうな勢いでコップをぶつけられていた。

「あれは絶対ハーレムだろ……」

 またもディックがうらやましそうに言う。今度はラッセルもそう思ったが、口に出して同意する気にもなれず、無言で自分のコップを差し出した。ディックは溜め息を吐くと、そこに自分のコップを軽くぶつけ、ヤケ酒のように普通濃度のコーヒーをあおったのだった。

「うおう、量が少なくて助かった」

 〝先輩〟たちの〝襲撃〟が一段落して、ドレイクは再び砲撃席に腰を下ろした。どうやらその席がお気に入りらしい。おかげで〝新入り〟はそこまで人を避けながら歩いていくのに苦労する。

「ああなると思ったから、わざと少なめにしておいたんですよ」

 ドレイクの傍らにいるイルホンが、ドレイク専用コーヒーサーバーを片手に自慢げに言った。〝先輩〟たちによると、彼にしかドレイクの激薄コーヒーは完璧に淹れられないそうである。

「え、そうなの? どうせ俺一人しか飲まないのに、何をケチってるんだろうって不思議に思ってたんだけど」
「別にケチってなんかいませんよ。そんなに飲みたければ表面張力起こすまで入れてさしあげます。そのかわり、一滴たりともこぼしちゃいけませんよ。ほら、コップ出して。さあ。さあ」
「ああ、ごめんなさい。イルホンくんの心遣いに気づけなくてごめんなさい。でも、その言葉責め、たまらなくいいです」
「この変態がっ!」

 ラッセルはドレイクに挨拶するのをやめて引き返そうかと考えたが、その前にドレイクに呼び止められてしまった。

「おう、ラッセル。先週はお疲れさん」

 にこにこ笑いながら三分の一程度しかコーヒーの入っていないコップを突き出され、ラッセルは仕方なく、それに自分のコップをそっとぶつけた。

「ありがとうございます。大佐もお疲れ様でした」
「いえいえ。おまえさんじゃなかったら、〝それ嫌味?〟って言ってるとこだ。今さらだが、俺んところに相談に来てくれて本当に助かった。スミスにいい茶飲み友達ができた」
「茶飲み友達って何ですか、茶飲み友達って」

 スタートの位置取りが悪かったため、つい先ほどドレイクと乾杯できたスミスが、顔をしかめて茶ならぬコーヒーを啜る。

「〝飲み友達〟って言ったら、ここで酒飲んでるみたいになっちまうだろ。……おう。さすがに年齢層高くなると、フットワークも重くなるな」
「ええ。あのタイムセールのような人混みをかき分けていく元気はもうないです」

 ドレイクの軽口に軽口で応じたのはオールディスだった。その周りには年齢は〈旧型〉の〈新型〉乗組員――ラッセルもその一員だが――がいる。

「今度は〈旧型〉に乗りたいか?」

 オールディスとコップを合わせたとき、何気なくドレイクが言った。
 一瞬、オールディスは目を見張ったが、すぐにその目を細めた。

「それを決めるのは大佐でしょう。俺は乗れと言われたに乗って、やれと言われた仕事をやるだけです。俺の〝心の上官〟はもうダーナ大佐ではないので。……ラッセルとは違って」
「おい」
「何だ何だ。心変わり早いな」

 呆れたように笑いつつ、バラード、スターリング、ディック、そしてセイルの順にコップをぶつけていく。

「でもまあ、俺はおまえらの〝心の上官〟が誰だろうがかまわない。もちろん、俺じゃなくてもな」
「それでも、生きて帰らせてくれるんですか?」

 苦笑まじりにオールディスが問うと、ドレイクはにやっと口角を上げた。

「もちろん。おまえらに、生きて帰る気があるかぎり」

 * * *

 ディックいわく、ドレイクのハーレム状態はその後も続いた。
 主にイルホンがドレイクの給仕をし、主に〝先輩〟たちがドレイクと入れ替わり立ち替わり言葉を交わしていく。
 〝ドレイク大佐隊三大美人〟のうちの一人ティプトリーは、一度はシェルドンと一緒にドレイクに挨拶したが、以後は周囲の予想どおり、シェルドンとばかり話をしていた。もっとも、シェルドンのほうは時々ドレイクのところに行きたいそぶりを見せていたのだが、そのたびティプトリーに笑顔で黙殺されていた。日頃シェルドンをうらやんでいる隊員たちは、ほんの少しだけ彼に同情した。
 一方、〝三大美人〟のうちの残り二人、キメイスとフォルカスはほとんどドレイクのそばにいて、特にフォルカスは砲撃席の隣の操縦席を占拠し、上機嫌でドレイクと会話していた。まるで憧れの親戚のおじさんにかまってもらっている子供のように。
 その操縦席の主と言っても過言ではないマシムと、彼と口喧嘩ばかりしているわりには一緒にいることの多いギブスンは、フォルカスを守る番犬よろしく近くに立っていた。フォルカスはまだセイルを警戒しているらしい。
 スミスは通信席に座りこみ、感慨深そうにブリッジを眺めていた。懐かしかったのだろう。

「畜生! 今日は〝転属祝い〟だろ? 俺たちは祝われる立場だろ? どうして俺たちじゃなくて大佐がいい思いしてるんだよ!」

 第二会場の食堂――ブリッジよりずっと狭い――で、オードブルをヤケ食いしながらディックが叫んだ。
 何の申し合わせもしていなかったのに、気づいたときには、ブリッジは〝先輩〟たちプラス整備三人組(彼らは抜け目なく〝サブシート〟を占拠していた)、この食堂はそれ以外と棲み分けができてしまっていたのだった。

「そりゃあ、おまえが自分で言ってるとおり、ここが大佐のハーレムだからだろ」

 オールディスがにたにたしてフライドポテトをつまむ。

「それに、ここに〝転属〟されてきたのは、スミス先輩たちも同じだぞ? 大佐的には、この前の〝前編〟が俺たちメインで、今回の〝後編〟はスミス先輩たちメインなんじゃないのか? 俺には大佐よりも、スミス先輩たちのほうが楽しんでいるように見えたがな」

 確かにオールディスの言うとおりだとラッセルも思う。〝先輩〟たちはドレイクが好きで好きでたまらないのだ。……特に〝整備監督〟。
 ラッセルはテーブルの隅に目を向けた。そこには、その〝整備監督〟に露骨に嫌われている男――セイルがいる。たぶん、ドレイクに懐いている〝整備監督〟を見たくなかったのだろう。誰よりも早くこちらに移動してきた彼は、ディックのようなヤケ食いはしていないものの、黙々と料理を口に運びつづけている。
 飲んでいるのは、やはりミネラルウォーター。〝前編〟のときには普通にコーヒーを飲んでいたから、コーヒー嫌いというわけではないのだろうが、なぜか妙に気にかかる。思いきって理由を訊ねてみようか、などとラッセルが考えたとき、ふと食堂の出入口のほうを見たスターリングが、「あ」と声を漏らした。
 今日は自由に出入りできるように、食堂の自動ドアは開けっ放しにされていた。そこに立って中の様子を窺っていたのは、まさにその〝整備監督〟だった。

「何か用かい? フォルカスくん」

 愛想よくオールディスが訊ね、同時にセイルがむせる。セイルが座っている席からは、ちょうど自分たちが邪魔になって出入口は見えなかった。だが、オールディスがフォルカスの名を口にしたのは、決して親切心からではないだろう。

「ええ、まあ。その……ちょっと」

 フォルカスにしては珍しく、曖昧に笑って言葉を濁すと、そのまま食堂内に入ってきて、なんとセイルの横で立ち止まった。
 ラッセルたちも驚いたが、それ以上にセイルが驚いていた。時と場合に応じて魅惑的に微笑むこともできる男だが、普段はあまり表情を動かさない。これほど感情を表に出しているセイルを見るのは、今が初めてかもしれなかった。
 フォルカスはそんなセイルを睨むように見ていた。と、軽く息を吸って言った。

「班長」
「な、何だ?」

 上ずった声でセイルが応じる。とても元部下に話しかけられている元上官の反応とは思えない。緊張と不安と期待が入り交じっているが、不安がいちばん強そうだ。今のところ。

「ここで操縦士続けるつもりなら、もう人は殴んないでください。操縦士は手が命です」

 あくまで真面目な顔と口調でされたその発言は、ラッセルたちにはあまりにも想定外すぎた。
 ――人を殴る? 元部下とまともに会話もできないこの男が?
 しかし、ラッセルたちの戸惑いをよそに、セイルは真剣にうなずいた。

「あ、ああ……わかった。もう殴らない」

 フォルカスは本気かどうか推し量るようにセイルを凝視していたが――笑っていないので美形度マックス――唐突に彼から顔をそむけた。

「んじゃ、そういうことで」

 そう言い捨てて、すたすたと出入口まで戻っていく。が、突然くるりと振り返ると、それまでの深刻な表情が嘘のように陽気に笑った。

「大佐がそろそろお開きにしたいって言ってるんで、ブリッジのほうに来てください。ここはそのままにしといていいっすよ。俺らが片づけますから」
「あ、ああ……」

 一同を代表してバラードが答える。フォルカスはまたにこりと笑って立ち去っていった。
 おそらく、ドレイク大佐隊の癒やし系ナンバー1は、ティプトリーではなくあのフォルカスだ。しかし、ディックは顎に手を添えると、真顔でこう呟いた。

「操縦士以外も、手が命だと思うけどな」
「そうだけど、そういうことが言いたかったわけじゃないだろ」

 呆れてラッセルが突っこめば、今度はスターリングが口を開く。

「足だって大事だよな」
「そうだけど、それでもないだろ」

 そのとき、オールディスがセイルを見やり、常にないことに驚愕の叫びを上げた。

「おい、六班長が……!」
「え?」

 一同の視線がセイルに集中する。セイルは大きな右手で両目を覆い……嗚咽していた。

「な、泣いてる……!?」
「たったあれだけの会話で?」
「今までどんだけ避けられてきたんだよ……」
「こんな男前泣かすなんて……罪作りだな、フォルカスくん……」
「本人、無自覚だけどな」
「あそこまで無自覚なのもすごいよな。どういう環境で育ったらああなるんだ?」
「よっぽど美形だらけの環境だったんじゃないのか? 自分が平凡だと思えるほどの」
「ああ、それなら六班長も平凡扱いされちゃうか」
「え? じゃあ、俺たちはどう思われてるんだ?」
「……外見じゃなく、中身を重視するタイプなんだろ」
「さりげなく六班長サゲしてるな」

 ラッセルたちは改めてセイルに目を向ける。
 彼はまだ泣いていた。逞しい肩を小刻みに震わせながら。


 ちなみに、セイルがミネラルウォーターを飲んでいたのは、〝基本、食事のときは水を飲む派〟だったからだった。〝前編〟のときは有無を言わさずコーヒーを配られてしまったので、そのまま飲んでいただけのことだったらしい。

 ――知れば知るほど、残念な男。

 ラッセルたちのセイルを見る目が、よりいっそう生ぬるくなったのは言うまでもない。

  ―【03】了―
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