無冠の皇帝

有喜多亜里

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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)

27 悪魔がいました(後)

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「もう、ここには永遠に戻られることはないと思いますので……」

 あのとき、そう口を切った〝超高価な宝石〟――エリゴールは、モルトヴァンがまったく想像もしていなかった言葉を続けた。

「一年前、右翼の砲撃を担当されていたある大佐殿のの中で、やはり今回と同じように、戦闘中、隊員の一人が〝エスケープ〟で自殺しました」

 思わずモルトヴァンは息を呑んだ。名前こそ出していないが、一年前に右翼で砲撃をしていた〝大佐〟と言えば、先月〝栄転〟したマクスウェルしかいない。そして、一年前、そのようなことがあったという記憶はモルトヴァンにはなかった。
 もしかしたらパラディンは知っているかもしれないと横目で様子を窺ってみたが、彼もまた愕然とした表情をしていた。やはり知らないのだ。

「当時のブリッジクルーによると、その大佐殿は基地を出てから艦長室にその隊員を呼び寄せ、戦闘開始前にお一人でブリッジに戻ったそうです。しかし、その隊員の遺体が発見されたのは、戦闘終了後、トイレの個室の中からでした。今さら言うまでもないことですが、死因が何であれ、出撃して死亡者が出れば〈フラガラック〉に報告しなければなりません。ところが、その大佐殿は戦闘中に自分のの中で自殺者が出たと知られては殿下に処罰されるのではないかと考え、その日その隊員はそのには搭乗しておらず、待機室のトイレで〝エスケープ〟を飲んで自殺したことにしようと画策しました。つまり、〈フラガラック〉には報告せず、ブリッジクルーには厳重に口止めし、基地到着後、その隊員の遺体を待機室のトイレの中に運びこんでおくよう命じたのです」

 エリゴールの口調は淡々としていた。だが、それがかえってモルトヴァンには恐ろしかった。
 確かに、殺してはいない。しかし、その隊員が自殺する原因を作ったのはマクスウェルではないのか? それとも、その原因を追及されることを恐れて待機室で自殺したことにしようとしたのか?
 いずれにせよ、〝大佐〟として以前に人間として、まともな所業とは思えなかった。

「ここでは〝大佐〟の命令は絶対です。ですが、ブリッジクルーの中にいた通信士が、その大佐殿が席を外した隙に、〈フラガラック〉に自殺者のことを報告してしまいました。他のクルーが黙っていれば、基地に帰還するまでそのことはその大佐殿にはわからなかったはずですが、その大佐殿におもねるクルーがご注進に及んですぐにばれました。もちろん、その大佐殿は即刻〈フラガラック〉に通信を入れ、その通信士がした報告はまったくのデマだと言って撤回し、その通信士を激しく叱責しました。たとえ正しいことをしても、それが大佐殿の不利益になるならば、処罰の対象となるわけです。自殺したその隊員の遺体も、結局、その大佐殿の命令どおり待機室のトイレの中に放りこまれ、思惑どおりそこで自殺したことになりました」

 ここでエリゴールは自嘲するように笑った。なぜ自嘲なのか。モルトヴァンは不思議に思ったが、ほどなくその疑問は晴れた。

「実は、その通信士は自分の班の班員でした。俗に〝出向〟と言っていましたが、各班から〝使える〟班員を、定期的にその大佐殿の元に派遣していたのです。そんな班員を〝出向〟させた自分こそ罰せられて当然でしたが、実際、処罰されたのはその班員だけで、自分はまったくされませんでした。……なぜだかわかりますか?」

 エリゴールの暗緑色の目はパラディンを見つめていた。だが、パラディンはその目から逃れるように顔をそらすと、大きな溜め息を吐き出した。

「できれば答えたくないし、君の答えも聞きたくないよ。でも、知らなければならないね。ここの〝大佐〟の一人として」
「はい。自分もすべてをお話しすることはできませんが……せめて、パラディン大佐殿は知っていてください」

 エリゴールは軽く微笑んでから、パラディンが聞きたくないと言った答えをあっけなく口にした。

「ひらたく言えば、自分は〝げん〟をしていました。その大佐殿の好みの隊員を見つくろい、その隊員の了承を得た上で、その大佐殿の相手をさせていたのです。……少しでも〝被害〟を最小限に留めるために」

 ――聞きたくなかった。モルトヴァンも思った。そんな噂があったことを知っていた分、余計に。
 パラディンも予想はしていたのだろう。後ろめたそうに固く目を閉じていた。

「妻も子もある方でしたが、若い男のほうがお好きだったようです。立場上、公言できなかったのでしょうが、逆にその立場を悪用して、自分の部下を〝性奴隷〟にしていました。自分たちが配属されたときには〝食いたい放題〟で、自殺者も少なくありませんでした。まだ『連合』の侵攻を受けていなかったので、戦闘中のの中で自殺した者はいませんでしたが」
「……訴えたくても、訴えられなかったんだろうね」

 目を開いたパラディンがぽつりと呟く。と、なぜかエリゴールは嬉しげに笑った。

「さすが、パラディン大佐殿はわかっていらっしゃる。〝なぜ訴えなかったのか〟などと青臭いことはおっしゃらない。……そうです。訴えられませんでした。その大佐殿はご自分の唯一の上官である司令官と癒着していて、さらに、泣き寝入りさせやすいように、ここ以外に行き場所がないような人間を好んで自分の部下にされていました。それでも不安だったようで、〝保険〟としてハメ撮りまでされていました。外部に漏らしたらこれをさらすと言って脅していたわけです。まあ、ご自分の趣味も兼ねていたのでしょうが」
「その……君も〝被害〟に遭ったのかね?」

 さすがにパラディンも言いにくそうだったが、確認せずにはいられなかったようだ。エリゴールは一瞬目を見開いてから、またあの自嘲めいた笑みを見せた。

「〝被害〟に遭いたくなかったから、遭わないで済む方法を同期と一緒に模索したんです。これ以上、パラディン大佐殿のご気分を害したくないので、細かいところは省きますが、最終的に自分たちはその大佐殿とある取引を交わしました。
 自分たちは大佐殿の元に、適宜〝生贄〟――つまり、玩具用の隊員を派遣する。そのかわり、隊員の配属は自分たちが決定し、大佐殿にはそれを追認していただく。
 その大佐殿にとっては、誰がどの班に属していようが、自分の部下に変わりはありませんから、わりとすんなり受け入れていただけましたよ。おかげで、自殺者の数も大幅に減り、特に優秀な隊員を潰されずに済むようになりました。さらに、司令官が殿下になってからは、以前のような不正もしにくくなって、転属や退役もしやすくなったのですが……先ほどの自殺した隊員は〝生贄〟ではありませんでした。たぶん、たまには〝生贄〟以外の隊員も〝つまみ食い〟したいと思われたのでしょう。それも、戦闘前のの中で。もっとも、これですっかり懲りたようで、以後は〝生贄〟以外には手を出さなくなりましたが。
 しかし、自分たちがあの大佐殿の〝栄転〟を願わなかった日はありません。ですから、結果的に〝栄転〟のきっかけを作ってくださったドレイク大佐殿には、非常に感謝いたしております。あの方がこちらに亡命してこなかったら、自分はまだあの隊で〝女衒〟を続けていたでしょう」
「……すまない」

 絞り出すようにパラディンが言った。口には出さなかったが、モルトヴァンも同感だった。しかし、エリゴールは面食らったような顔をし、やがて静かに笑んだ。

「パラディン大佐殿が謝られることではありません。外から来た人間にしか変えられないこともあります。それに、自分はあの大佐殿を、自分の都合のいいように利用してもいました」
「それは……」

 仕方のないことだ。きっとパラディンはそう続けるつもりだったのだろう。だが、エリゴールに見すえられて、それ以上言葉を重ねることをあきらめた。

「もしかしたら、これもパラディン大佐殿はご存じかもしれませんが、自分の班長時代のあだ名は〝人切り〟でした。自班はもちろん、他班の班員でも、自分がいらないと判断した人間は、あの大佐殿を通して排除していたのです。保身のためにしたこともありますし、隊を維持するためにしたこともあります。今回、ザボエスがしたことも、基本的には〝人切り〟でしょう。おそらく、ムルムスの口の軽さを危惧したのではないかと思います。しかし、どんな理由であれ、自分たちが犯したことはとてもまともではありません。きっと、マクスウェル大佐隊の班長だった人間は、自分も含めて、皆どこか狂っています。それでも、今回のムルムスの件だけは、どうか自殺で処理していただけないでしょうか。ザボエスの罪を暴けば、あの大佐殿――マクスウェル大佐の罪も暴くことになります。そして、あの大佐に食い物にされた人間たちも、忌まわしい過去を白日の下にさらされることになります。実際問題、本隊に〝栄転〟した〝大佐〟に、どれだけの追及ができますか? 皮肉な話ですが、被害者が受ける〝二次被害〟のほうが甚大でしょう。自分たちが〝栄転〟後も沈黙を守ってきたのは、そのためでもあります。たぶん……ダーナ大佐殿も」
「ダーナ大佐?」

 想定外の名前を出されて、パラディンもモルトヴァンも思わず問い返す。エリゴールは苦く笑うと、「確証はありませんが」と前置きした。

「現在、ダーナ大佐殿は、マクスウェル大佐の執務室だった部屋も使われています。自分が聞いたのは一度だけですが、その部屋に興味深いものが残されていたとおっしゃっていました。……おそらく、マクスウェル大佐の〝コレクション〟のことでしょう。急だった上、副官や側近もまとめて〝栄転〟になりましたから、執務室の整理もろくにできなかったのかもしれません。もしかしたら、まったく。ダーナ大佐殿はそれをご覧になって、現時点では告発を差し控えられているのではないかと思います。その意味でも、元マクスウェル大佐隊はダーナ大佐殿の指揮下に入ることができて幸いでした。アルスター大佐殿でしたら、きっと何の躊躇もなく公表されて、元マクスウェル大佐隊を解体していたでしょう。隊員は一人残らず除隊になっていたかもしれません」

 ――ダーナが知っていた。知っていて、今も黙している。
 あくまでエリゴールの推測ではあるが、モルトヴァンにはとても意外に思えた。真面目かつ潔癖そうなダーナなら、エリゴールが言ったアルスターのようなことをまさにしそうなものだが。
 しかし、エリゴールが例の偽転属願の件でダーナを非難しなかった理由の一端は、その〝コレクション〟とやらの隠匿の恩――というのも何だが、そういったものを感じているからではないかという気がする。
 エリゴールは〝自分たちは狂っている〟と言ったが、それなら彼らを狂わせたのは、今はもうここにはいないあの〝大佐〟――マクスウェルという名の悪魔だ。
 ドレイクより多少年上の、金髪の〝大佐〟だった。モルトヴァンは会議室でしか見たことがなかったが、痩せぎすで、それなりに顔立ちは整っていたものの、神経質そうな印象を受けた。だが、噂で聞いてはいても、自分の部下を慰み者にするような男にはとても見えなかった。
 もっとも、だからこそ戦闘時に決定的な失策を犯すまで〝栄転〟にはならなかったのだろう。〝見かけによらず〟はパラディンも同じだ。

「では、君たちは、さらにドレイク大佐に感謝しなければならないね」

 ふと、パラディンが自嘲まじりに言った。今ならわかる。このとき、彼は過去の自分を嘲笑っていたのだ。

「大佐会議で、元ウェーバー大佐隊をアルスター大佐隊に、元マクスウェル大佐隊をダーナ大佐隊に編入したらどうかと発言したのは、ドレイク大佐だ」

 そういった事柄は〝司令官命令〟で決定されたことになっている。エリゴールは軽く目を見張った。

「ドレイク大佐殿が?」
「まあ、ドレイク大佐自身は、元マクスウェル大佐隊はもともと右翼にいたから、なんて言ってらしたがね。だが、もしあのとき彼がそう言ってくれなかったら、昨日の右翼の成功はなかった。そのかわり、元ウェーバー大佐隊は気の毒なことになってしまったが」
「……ドレイク大佐殿も、まさか左翼がああなるとは予想されていなかったでしょう」
「たぶんね。もしかしたら、殿下以上にアルスター大佐に失望したかもしれない。やはり二〇〇隻は無理だったのかと」

 パラディンは薄く笑うと、目を閉じて嘆息した。

「わかった。ムルムス中佐は自殺の疑いが濃厚。ひとまず、総司令部にはそのように報告しておくよ。自宅待機はもう一日延長して、朝一で十二班にムルムス中佐の自宅を調べてもらおうか。もしかしたら、遺書が残されているかもしれない。わずかな間だったが、彼は十二班に属していたんだからね。同じ班の人間がするのが妥当だろう」

 * * *

 パラディンの読みどおり、ムルムスの件は〝自殺〟で処理された。
 パラディンに対する処分のほうも、〝遺族に直接会って謝罪する〟という〝ごく軽い〟もので済んだ。
 しかし、パラディンは〝直接会って〟謝罪することはできずに終わりそうである。ムルムスの遺族は、弔慰金等の受け取りを辞退するかわりに、ムルムスの遺体や遺品の引き取りを放棄した。
 〝ここ以外に行き場所がないような人間を好んで自分の部下にしていた〟。エリゴールのあの言葉を思い出し、モルトヴァンは暗然としたが、それはたまたま自分の上官がパラディンだったからそう思えるのであって、たとえばマクスウェルの副官――いま思えば、セイル系の美青年だった――にとっては、〝同じ物なら安く売っている店で買う〟くらい当たり前のことだったのかもしれない。
 何はともあれ、ムルムスは死亡し、アンドラスは退役する(予定)。これでエリゴールの〝気がかり〟はすべて解消されたはずだ。あとはいつ退役願を提出してくるかだが……などとモルトヴァンが考えていると、まるでそれを読みとったかのように、パラディンがソファセットから彼に目を巡らせた。

「さて、モルトヴァン。アンドラス中佐の退役もめでたく決まった。その報告もしたいから、ここにエリゴール中佐を呼び出してくれないか? あまりに見苦しいものを見てしまったから、エリゴール中佐で〝目直し〟したいんだ」

 モルトヴァンは一瞬ぽかんとしたが、はっと気づいてあわてて叫んだ。

「いや、でも、ここにエリゴール中佐を呼び出したら、間違いなく退役願を提出されてしまいますよ!? きっと、あとは日付を記入すればいいだけの状態で持ち歩いているはずです!」
「そんなことはわかっているよ。でも、私の心がもう限界なんだ。早急にエリゴール中佐成分を摂取しなければ」
「ツン成分ですか?」
「とにかく、モルトヴァン。十一班の待機室に電話をかけて、エリゴール中佐を呼び出してくれ。私も覚悟は決めている。エリゴール中佐の退役願は絶対に受理しない!」

 真顔で右の拳を固め、とんでもない決意表明をしている上官を、モルトヴァンは冷ややかに眺めていた。が、「了解しました」と従順に答えると、机上の電話機に手を伸ばす。
 モルトヴァンが恐れていた事態が、とうとう現実のものになってしまった。これからパラディンとエリゴールとの間で、第三者から見たら実にくだらない、しかし当人たちにとっては超真剣な、退役をかけた攻防が本格的に始まってしまうのだ。

(でもまあ、こっちにとばっちりさえ来なければ、いくらでも戦ってくれてていいんだけど。面白そうだし)

 電話機のタッチパネルを操作しながら、心の片隅でそんなことを考えているモルトヴァンも、やはり〝見かけによらずいい性格〟だった。
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