無冠の皇帝

有喜多亜里

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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)

19 予想の斜め上でした(後)

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 ――解散になったのだから、あとはもう自由行動だろう。
 単純にそう考えたセイルは、自分がドレイク大佐隊員たちにそれほど関心を持たれているとは夢にも思わず、待機室から泊まり慣れた仮眠室へと直行していた。
 ドックからいちばん近いのは、実は待機室ではなくあの仮眠室だ。本来は整備関係者用なのだが(緊急発進となった場合、整備関係者が安全確認をした上で軍艦のエンジンを稼働させる)、何かと特殊なドレイク大佐隊では、整備――はっきり言えばフォルカスは、その仮眠室でも普段は使用されていない待機室でもなく(そこは倉庫がわりにしているらしい)、なんと軍艦、それも〈ワイバーン〉の中の仮眠室で寝ていると知り――不本意だが、この情報元もオールディスである――セイルは心から残念に思った。〈新型〉専属の自分が〈ワイバーン〉に忍びこむことは、さすがに不自然で不可能である。
 だが、出撃前に比べれば、出撃後の整備にはさほど気合いは入れていないはずだ。万が一、セイルが期待している事態が起こったとしても、他人に迷惑をかけることにはならないだろう。……たぶん。
 セイルはそこまで計算して仮眠室に入り、まず照明をつけた。
 この部屋に窓はない。かわりに、ドック内を監視するモニタがある。普段は電源を切っておくことになっているため、今は何も映し出されていない。迷うことなくそれの電源を入れようとした、まさにそのとき。

「何してるんですか?」

 これほど驚かされたのは、自分の転属願が総務部に提出されていると連絡を受けたとき以来だ(フォルカスの転属のことを知らされたときには、驚く前に思考が停止した)。
 あわてて振り返れば、自動ドアの前には〈ワイバーン〉の操縦士マシムが無表情に立っていた。

「どうしてここにっ!?」

 取り乱している元班長に対し、本来ならまだ訓練生の青年は冷徹に回答する。

「ここからなら、ドックの中にこっそり侵入できますから」
「……え?」
「悪いことは言いません。やめておいたほうがいいです。整備中のフォルカスさんは、勘だけで侵入者を発見します」

 直立不動で淡々と話すマシムを、セイルはまじまじと見つめた。
 これまで直接話したことはなかったが、この赤褐色の髪をした青年が普段から表情も口数も少なく、同じく訓練生だった黒髪の青年ギブスンと共に、フォルカスに衝立のように使われていることは把握している。
 そのことから推して、自分はスミス以外のもともとのドレイク大佐隊員たちには好感を持たれていない――むしろ嫌われていると思っていたのだが。と、そこでセイルははっと我に返った。

「い、いや! 俺は別に、そんなつもりは……!」
「では、どんなつもりで? 今日の宿直はフォルカスさんたちだって知ってましたよね」

 ここでオールディスのようににやにやしてくれればまだ言い訳を重ねる気にもなるのだが、無表情に急所を突かれると本当にいたたまれない。観念したセイルは大きく息を吐き出した。

「……怒鳴ってもらえるんだろ?」
「は?」
「だから……整備の邪魔されたら、フォルカスは怒鳴るんだろ?」

 数秒の沈黙の後、やや訝しげに問い返される。

「もしかして、フォルカスさんに怒鳴られたくて、ドックに入ろうとしてたんですか?」

 他人それも階級も年齢も下の人間の口からはっきりそう言われると、自分でも情けないとは思うが、今さら言い逃れもできそうにない。

「……そうだ」

 再び、マシムは黙りこんだ。気のせいだろうが、セイルを見るマシムの琥珀色の目に、哀れみに似たものが浮かんでいるように見える。
 セイルがここからの撤退――撤退先はこうなったら自宅――を本気で考えはじめたとき、やはり無表情にマシムが言った。

「わかりました」

 いったい何をわかられてしまったのか。無意識にセイルは身構えたが、続く言葉を聞いて脱力してしまった。

「なら、今から怒鳴られに行きましょう」
「……え?」

 予想外の展開に呆然としているセイルを尻目に、マシムは決して狭くはない仮眠室を数歩で突っきり、ドックへと通じる分厚い手動ドアの取っ手に手をかけた。それを見て、逆にセイルのほうがあせる。

「いや、ちょっと待て。俺を止めに来たんじゃなかったのか?」

 なぜこのマシムにはそうとわかったのかは今は深く考えたくないが、最初は確かに自分を止めようとしていたはずだ。
 マシムは取っ手を握ったまま、相変わらず感情の読みとりにくい顔をセイルに向けた。

「……〝かわいそう〟なので」
「え?」

 しかし、マシムはすぐに前に向き直ると、外開きのそのドアをさっさと開けてしまった。けっこうな重量のあるドアなのだが、苦にした様子もない。セイルはマシムに続く形でドック内へと侵入した。
 ここのドックの設備はマクスウェル大佐隊のそれよりも明らかに新しく充実している。司令官はドレイクに使用させるために、前もってここを一新させておいたのではないかとひそかにセイルは疑っているが、確証は今のところない。
 仮眠室のドアを開けると、真っ先に目に入るのが、出撃前よりは抑えめのライトに照らし出されているこの隊の〝旗艦〟――外観だけ「連合」の砲撃艦〈ワイバーン〉の左舷後方部分である。
 「連合」の旗艦を落とすため、オリジナルの〈ワイバーン〉にはなかった超高出力のレーザー砲――通称〝息吹ブレス〟(命名者ドレイク)をつけられてしまったが、それ以外に大きな外観上の違いはないという。幾列ものレーザー砲をまとったその姿は、翼竜ワイバーンというよりも、体中から棘を生やした恐竜のように見える。
 いずれにせよ、あの型破りな大佐にはいかにもふさわしい軍艦だ。逆に言えば、これしかない。司令官もそう思ったからこそ、様々なリスクを承知の上で、この軍艦を彼に与えたのだろう。

「今、フォルカスさんがどこにいるかはわかりませんが、〈ワイバーン〉の近くにいれば、すぐに嗅ぎつけると思います」

 かすかにセイルを振り返ってそう言うと、マシムは〈ワイバーン〉に向かってすたすたと歩き出した。
 あわてたが、体格差はほとんどない。すぐに追いついて、マシムのほぼ隣から疑問に思ったことを訊ねた。

「嗅ぎつける?」

 マシムはセイルに顔は向けなかったが、問いには答えた。

「俺が勝手にそう思ってるだけです。フォルカスさんが言うには〝何となく〟わかるんだそうです」
「何となく……」

 フォルカスにそんな特殊能力があるとは知らなかった。だが、そう言われてみれば、マクスウェル大佐隊に在籍しているとき、偶然出くわすことはほとんどなかったような気がする。

 ――もしかして、その能力を使って、俺を回避していたのか?

 考えてはいけないことを考えてしまい、傍目にもはっきりわかるほどセイルが落ちこんでいると、ふいにマシムが立ち止まった。つられるようにしてセイルも足を止める。
 マシムは腰の後ろで両手を組み、顔を上げて何かを見ていた。その視線の先に目をやれば、〈ワイバーン〉の乗降口がある。その乗降口の前には、ここからはもちろん、待機室からも入れるようになっているタラップが設置されていた。

「この、操縦したいですか?」

 乗降口を見つめたまま、唐突にマシムが言った。一瞬、誰に言っているのかとセイルは怪訝に思ったが、この場には今、マシムの他には自分しかいない。セイルはばつの悪さをごまかすように苦笑いした。

「いや。俺はドレイク大佐に操縦しろと言われたを操縦するだけだ。特に希望はない」

 まあ、あえて希望を言うなら、フォルカスが同乗している軍艦を操縦することだが、すでにドレイクにフォルカスとは絶対に同じ軍艦には乗せないと明言されてしまっている。かなう見こみのない希望をここで明かしてみたところで、何にもならないどころか、かかなくてもいい恥をかくだけだ。それくらいのことはセイルにもわかる。

「そうですか。俺も操縦はされたくないです。でも、近いうち、大佐はこのに六班長たちも乗せてくれると思います。ただし、乗せるだけで飛ばしはしないでしょうが」

 マシムはずっと乗降口を見ている。自分より階級が上の者に対して、顔を向けずにこのようなくだけた話し方をするなど、他の隊なら懲罰の対象にもなりかねない行為だが、この隊のトップはあのドレイクだ。ここならそれもありかとセイルはすでに受容してしまっていた。むしろ気楽ですらある。自覚はしていなかったが、班長でいることに疲れてしまっていたのかもしれない。

「乗せるだけ?」

 セイルはマシムを見たが、彼はやはりこちらを向かなかった。

「このの試験航行したとき、大佐が言ってました。このに乗ってるかぎり、必ず俺たちは生きて帰すって」

 その話はやはりオールディスから聞いたことがある。実際はラッセルがスミスから聞いたそうだが、どういうわけか、あらゆる話はオールディスの元に集積されてしまうのだ。盗聴器でも仕掛けているのかと疑いたくなるときもある。

「本当は出撃前に乗せたかったんじゃないかと思いますが、今回は時間的に余裕がありませんでしたから」
「余裕……確かになかったな」

 特に自分は。思わず頬が引きつる。ドレイクなら本当にダーナ大佐隊に〝差し戻し〟できるとわかっていたから、気が気ではなかった。

「そういうの、大佐は見かけによらず気にする人なんで。でも、ここに入隊できた時点で……」

 そう言いかけてマシムは口を閉じた。いったいどうしたのか。セイルが不審に思った瞬間、頭上から待ち望んだあの声が降ってきた。

「誰だあああーッ!」

 乗降口の扉が完全に開ききる前からもう怒鳴っていた。ということは、やはり〝勘〟だけで察知したのだろう。防犯カメラを見ていたなら〝誰〟かはわかるはずだ。

「俺です」

 どこまでも冷静にマシムが受け答える。この青年は本当に自分より年下なのだろうか。セイルはふとそんな疑惑を抱いた。

「マシム? 何でおまえ……」

 おそらく、整備の邪魔をされるのが大嫌いだととっくに知っているはずのおまえがなぜここに来たのかと言いたかったのだろう。不愉快そうな表情でさらに怒鳴りつけようとしたが、そのときになってマシムの左隣に立っているセイルの存在に気づいたようだ。
 あ、やっと目が合った(ドレイクの執務室でも合わせてもらえなかった)と口元をほころばせかけたセイルに対し、ドレイク大佐隊の〝整備監督〟フォルカスは一瞬で綺麗な顔をこわばらせた。

「マシムッ!」

 なぜかセイルではなくマシムの名前を呼んで乗降口を飛び出すと、両手でタラップの手すりをつかみ、前のめりになって叫ぶ。

「脅されたのか!? 悪かった! あとは俺が何とかするから、早くここから逃げろ!」
「……は?」

 さすがにマシムにも意味がわからなかったようだ。血相を変えているフォルカスをあっけにとられたように見上げている。
 ――予想外だった。予想外すぎた。気が遠くなりそうになるのを必死でこらえながらセイルは思った。怒鳴られたくてここに来たのに、まさかこんなふうに無視されて、しかもこれ以上はないくらいの精神的ダメージを負わされるとは。ドレイク大佐隊員たちが整備中のフォルカスを恐れる理由が今死ぬほどよくわかった。ここから逃げ出したいのはマシムではなく自分のほうだ。

「いえ。別に誰にも脅されてませんが」

 しかし、マシムはいち早く冷静さを取り戻し、何食わぬ顔でそう答えた。
 それでフォルカスは自分が早とちりをしたことを悟った――かと思いきや、ますます蒼白になっていく。

「そう言えって脅されてるのか!?」

 セイルは本気で倒れそうになった。そういう男だと思われているのもショックだが、そういうことを自分の前で言われたことがよりショックだ。それだけ動転しているということなのか。それともわざと言っているのか。後者だとしたら――駄目だ、倒れる。

「いや、本当に誰にも脅されてません。それに、どうして俺がここにいたら、〝脅された〟ってことになるんですか?」
「え……」

 淡々とマシムに問い返されて、フォルカスは虚を突かれたような顔をした。
 フォルカスの発言から推測するに、セイルがマシムを脅して無理やりここに連れてきた――マシムを〝人質〟としてフォルカスと会話するために――とでも思ったのだろう。
 馬鹿な、誰がわざわざそんな真似をするものか。今ももし自分一人だったら、当初の目論見どおり自分に怒鳴ってくれていたかもしれないと、マシムを恨めしく思っているのに。
 だが、セイルが視界に入った瞬間のフォルカスの反応を見ると、何も言わずに〈ワイバーン〉の中に戻ってしまったのではないかという気もすごくする。隣にマシムがいたから反射的に助けなくてはと思い、〈ワイバーン〉から飛び出してきたのではないか。ぐるぐるとそんなことを考えながら、セイルの目だけはしっかりとフォルカスを凝視しつづけていた。いま見ておかなかったら、今度はいつまともに見られるかわからない。

「じゃあ……おまえ、何でここに来たんだ?」

 まるで憑き物が落ちたかのように、フォルカスは真顔で眼下のマシムに訊ねる。セイルのことはいまだに完全無視だ。ここまで徹底されると、いっそもう清々しい。
 だから、マシムが何と答えるかにはほとんど興味はなかったのだが――この青年ならきっと自分にはとても思いつけないうまい言い訳をするだろうから――さりげなく自然に返されたその言葉を聞いて、セイルは数瞬、マシムを見つめた。

「〈ワイバーン〉に呼ばれたんで」

 フォルカスはきょとんとして、軽く首を傾ける。可愛い、と正直セイルは思った。

「呼ばれた?」
「はい。で、仮眠室通ってここに来ようとしたら、ちょうど六班長が私物を取りにきていて」

 そこでマシムはセイルを一瞥したが、その動きにフォルカスが同調することはなかった。――本当に徹底している。

「俺一人で怒鳴られるのも何なので、事情を話して、六班長を道連れにしました」

 ――〈ワイバーン〉に呼ばれた。
 いくら何でも、そんなファンタジーな理由は通用しないだろう。セイルはそう思ったのだが、フォルカスが突っこんだのはそこではなかった。

「おまえが連れてきたのか?」
「はい、そうです」
「……本当に?」

 いかにも疑わしそうにフォルカスに睨みつけられても、マシムの無表情は微塵も揺るがない。

「こんな嘘、俺がつかなきゃならない理由がないじゃないですか。俺、同じ隊の人には嫌なら嫌だってはっきり言えますよ。大佐に選んでもらえた〝仲間〟ですから」

 フォルカスはまた意表を突かれたように目を見張り――今度は思いきり顔を崩して笑った。マクスウェル大佐隊にいたときには一度も見たことがない。それとも、セイルの知らない場所では、やはりこうして笑っていたのだろうか。

「そうか。そうだな。で、〈ワイバーン〉は何でおまえを呼んだんだ?」

 手すりに覆い被さるようにして笑っているフォルカスに対し、わざとなのかどうなのか、マシムはにこりともしないで答える。

「今日は〝息吹ブレス〟も吐いて疲れたんで、もう休みたいそうです。でも、整備されてたら眠れないんで、早く切り上げるようにフォルカスさんたちに伝えてくれって」

 さらにファンタジーである。本気でこれを言っているのだろうかとセイルは引いたが、フォルカスは上半身をそらせて大笑いした。

「なるほど、そりゃそうだ。体いじられてたら、眠りたくても眠れねえよな。……わかった。他の三人にも伝えて、適当なとこで切り上げる。だから、おまえも早く帰れ。残念ながら、明日は休みじゃねえぞ」

 どうして〝おまえ〟なんだ、〝おまえら〟じゃないんだ、そこまで俺のことを無視しつづけるのか、とセイルがあくまで心の中で恨み言を並べ立てている間に、マシムは軽く頭を下げる。

「はい。そうします。整備の邪魔してすみませんでした」
「いや、〈ワイバーン〉に呼ばれたんならしょうがない。うちで大佐の次に偉いのは〈ワイバーン〉だもんな」

 フォルカスはからから笑うと、「じゃあな」と言って手を振り、開きっぱなしになっていた乗降口から〈ワイバーン〉の中に戻ってしまった。
 乗降口の扉が閉まる――と、ついにセイルは力尽き、床に両手両膝をついた。

「結局、俺には怒鳴ってくれなかった……!」
「……いえ。たぶん、いくら整備の邪魔されても、フォルカスさんが六班長を怒鳴ることはないような気がします……」

 数秒の間をおいてマシムがぼそぼそと応えたが、セイルは下を向いていたため、彼がどんな表情をしてそれを口にしたのかはわからなかった。

「くそう! 俺ももうそんな気しかしない! 普通に会話できないなら、せめて怒鳴られたいと思っただけなのに!」
「……残念でしたね。俺もまさか、あんな反応するとは思ってもみませんでした」
「前から避けられてはいたが、あそこまで露骨に無視はされてなかったぞ……」
「前は上官だったからじゃないですか?」
「そうか! その差か!」
「フォルカスさんは〝怖い〟って言ってました」

 セイルは思わず顔を上げてマシムを見た。マシムはセイルを見下ろしていたが、その目はかすかに険しさを帯びている。

「怖いって……俺がか?」

 まったく想像外だった。これまで〝優しい〟と言われたことはあっても(主にヴァラクに)〝怖い〟はなかった。もっとも、陰でそう言われていたなら自分が知るはずもないが。

「はい。大佐は暴力も嫌がらせも受けてないって言ってましたけど……じゃあ、何をしたんですか?」
「何って……」

 床にひざまずいたまま、セイルは困惑して呟く。

「俺はあいつに怖がられるようなことは何もしてないぞ? ただ、あいつに絡んできたろくでもない奴らを追い払ったりはしていたが……」
「具体的にどうやって?」
「……殴って」

 時には蹴ったこともあったが、その回数はごくわずかだったので、セイルは自己判断でなかったことにした。

「ああ、なるほど」

 腑に落ちたようにマシムが表情をゆるめる。と言っても、元の無表情に戻っただけだが。

「だから、フォルカスさんは俺に『逃げろ』って言ったんですね」
「え? ……何でだ?」
「フォルカスさん、切れると口は暴力的になりますけど、自分が暴力振るうのはもちろん、他人が暴力振るうの見るのも大嫌いなんです」

 セイルはしばらく言葉を失っていたが、ようようこれだけ言えた。

「口ならいいのか……?」
「自分が言うのはいいらしいです。他人の口喧嘩は好きじゃありません。見過ごせなくなったら止めに入ります」
「そんな勝手な」
「勝手でもそういう人なので。リアルはもちろん、フィクションでも暴力行為は見たくないって言ってました。きっと、いくら自分のためでも、いや、自分のためだから余計に、六班長が人を殴るのが嫌だったんじゃないですか? で、六班長は暴力的で〝怖い〟という結論に」

 非常に理不尽には思うが、そう言われてみれば心当たりはある。自班にフォルカスが配属されたばかりの頃、彼にとんでもない暴言(とセイルは思った)を吐いた連中を殴り倒したのだ。フォルカスに止められたので仕方なく途中でやめてやったが(しかし、退役にはした)、あれ以来、あからさまに避けられるようになった気がする。
 だが、それ以降もフォルカスが誰かに絡まれるたび、力ずくで助け出してやっていた(つもりでいた)。一応、礼は言っていたが、いま思えば少し迷惑そうな顔をしていた。しかし、言葉だけでも感謝されたということが嬉しくて、どんなふうに言われたのかは二の次にしてしまっていた。

「でも、それならそうと、はっきりそう言ってくれれば……!」

 両手を力一杯握りしめてそう叫べば。

「普通、暴力を振るう上官に〝暴力は大嫌いです〟とは言えないと思いますが」

 さらっとマシムに反論された。

「……それもそうだな……」
「とりあえず、立ってください。フォルカスさん、たぶん今度は監視カメラ見てます。これ以上不審な行動をとったら、また変な誤解されるかもしれません」
「不審な行動……」

 確かに今の自分の体勢は不審そのものかもしれない。セイルは言われたとおり立ち上がり、膝についた汚れをおざなりに払った。

「まずは待機室に戻りましょう。俺、六班長を捜してくるって言って待機室出てきたんです。きっとみんな待ってます」
「え? もう解散になったんだろ?」
「なりましたが、六班長が黙っていなくなったんで、みんな心配して」
「何の心配だ……」
「六班長がフォルカスさんに怒鳴られる心配です。まさか六班長が怒鳴られるためにドックに行ったとは、さすがに誰も気づいてません」
「……ちょっと待て。おまえは俺を捜しにきたんだよな!?」

 あせってマシムを見返すと、彼はわずかにうなずいてみせた。

「でも、みんな六班長はドックに行ったんだろうと予想はしてたと思います。この時間帯に六班長が行きそうな場所、他にありませんから」
「うああ……」
「さっきみたいに膝をつくのは、せめて仮眠室の中に入ってからにしてください」

 そっけなくマシムは言い、その仮眠室に向かって歩き出す。もう年上の威厳も尊厳も失ってしまったセイルは、うなだれて〝先輩〟の後に従った。

「しかし……何であんな理由でフォルカスは納得したんだ……」

 独り言のようにそう言うと、マシムが肩ごしにセイルを顧みた。

「理由?」
「〈ワイバーン〉に呼ばれたとか言っただろ」
「ああ、あれですか。あれは俺だから通用したんです。キャラ作りの勝利です」
「……何?」

 セイルが目線を上げたときには、マシムは前に向き直ってしまっていた。が、一瞬だけ見えたその顔は、ほくそ笑むように笑っていた――ように思えた。
 どこに行っても悪魔はいる。悪魔慣れしているセイルは小さく嘆息しただけで、それ以上その件については追及しなかった。
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