無冠の皇帝

有喜多亜里

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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)

18 予想の斜め上でした(前)

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 〈旧型〉の乗組員たちは口をそろえて訴えた。今日の〈旧型〉は〝地獄〟だったと。

「まあ、あれじゃ確かに〝地獄〟だっただろうねえ……」

 スミスまで顔をこわばらせているのを見て、オールディスは少々困惑気味に苦笑いを漏らした。

「今日、左翼でいちばん割り食ってたの、間違いなく〝〈旧型〉組〟だよ。大佐も言ってたが〝よく頑張った〟」
「いや、それはそうだが、そうじゃないんだ」
「はあ?」

 意味不明なスミスの発言に、オールディス以外の面々も眉間に縦皺を寄せる。

「フォルカスが……フォルカスがぶち切れて……!」

 そこでスミスは絶句し、テーブルに両手をついた。
 ドレイク大佐隊では、基地帰還後は即時解散が基本である。帰還したときにはたいてい深夜になっていて、ドレイクとイルホンは(司令官からメールを送りつけられている可能性もあるため)さすがに車を使って執務室に直行、フォルカスは〝孤独に〟宿直という名の整備、それ以外は(フォルカスの気を散らさないため)すみやかに帰宅――というのがこれまでの流れだったのだが、そのフォルカスは現在、三人の同僚という名の下僕たちと共に整備をしている。
 だからというわけでもないのだが、今日のそれ以外たちはすぐには帰らず、待機室でだらだらと立ち話をしていた。

「ぶち切れって……何でまた?」

 そう訊きながら、オールディスもラッセルたちも〈新型〉の操縦士セイルの姿を探したが、トイレにでも行っているのか、それともすでに帰宅したのか、とにかく待機室内にはいなかった。

「アルスター大佐にぶち切れたんですよ」

 スミスの後を引き取って、キメイスが吐息まじりに答える。

「寝不足の上にあれですから、それはもう、整備の邪魔されたときの比じゃなかったです。それが戦闘終了になるまで延々続いて……」

 幸いにして、ぶち切れたフォルカスをまだ見たことがないラッセルたちにはピンと来なかったが、〈ワイバーン〉の操縦士マシムと砲撃手シェルドンは瞬間凍結されたように固まっていた。

「あ、あれが延々……?」

 こわごわとシェルドンが問えば、ギブスンが顔をしかめて重々しくうなずく。

「ああ。延々だ。絶え間なく、切れ間なく、留まることなく、延々だ」
「それは〝地獄〟だ……俺だったらとても耐えられない……」

 シェルドンほど表情には出していないが、マシムが自分に言い聞かせるように呟いていた。何があっても動じなそうなこの操縦士がそこまで言うのだから、ぶち切れたフォルカスの破壊力はよほど凄まじいのだろう。陽気に笑っているフォルカスしか知らないラッセルには想像もつかないが。

「とにかく、今日の俺たちは、あれで精神的にかなりやられた」

 ようやく気を取り直したらしいスミスが、苦々しそうに総括する。

「そのことも相まって、アルスター大佐が憎くて憎くてたまらなかった。フォルカスの言うとおり〝息吹ブレスもどき〟を撃ちこんでやろうかと何度も思った。……何とか踏みとどまったが」
「気持ちはわかるが、踏みとどまって本当によかった。さすがにそれはドレイク大佐でもかばいきれない」

 オールディスはにやにやして茶化したが、すぐに真顔になって天井を見上げた。

「アルスター大佐ねえ……俺らはダーナ大佐の指揮下に入ったから、直接会ったことも話したこともないが、一班長たちはまともな大佐だって言ってたがなあ。でも、今日のあれ見たら、〝まとも〟でいられたのは例の転属騒動が起こる前までだったみたいだな。一五〇隻から二〇〇隻になったら、許容量キャパ超えちまったかな」
「たった五十隻増えただけでか?」

 怪訝そうにスミスが眉をひそめる。彼に視線を戻したオールディスは、再び口角を上げた。

「表面張力起こすくらい水を注いだコップに、たった一滴でも水を入れたら溢れちまうだろ? それならそれで、ダーナ大佐みたいに完全に二隊に分けちまったほうがいいのになあ。俺らの古巣は中途半端に口出されて引っかき回されてるらしいよ。今回はあそこに配置されてたが、次回はどうかねえ。何となく、今日おまえらがいたとこに行かされそうな気がするな。でもって、自分らはやっぱり後ろから『連合』を追い立てる」
「おいおい。よりにもよって、あの余計な〝背面攻撃〟は続行かよ。まずあれをやめるべきだろうが」
「まあ、あくまで俺の予想だよ。でも、あれは一見危険なようで安全な攻撃方法だから、そう簡単にはやめられないんじゃないかね」
「そんな理由で……アルスター大佐隊、誰も進言できないのか?」
「きっとな。どこだってたいていそうだろ。まともな作戦立ててくれてる間はそれでもいいんだが」

 オールディスはそう言うと、芝居がかった仕草で肩をすくめてみせた。

「殿下も今回一回だけじゃ〝栄転〟にはできないだろ。無人護衛艦のお手伝いなしで〝全艦殲滅〟までできちまったしな。アルスター大佐が次はどう出てくるか、俺は興味津々だよ」
「右翼のおまえらはいいよな……今日いちばん割り食ったのが俺らなら、いちばん割りよかったのがおまえらだよな……」

 恨めしそうにスミスが半眼でオールディスを睨む。
 気持ちはわかる。と実際に口に出したら自分にも飛び火しそうな気がしたラッセルは、バラード、ディック、スターリングと共に沈黙を守った。

「しょうがないだろ。俺らの〝心の上官〟は右翼の人なんだから。だから〈新型〉の操縦士も右翼の人の六班長に変更されたんだろうが。でも、内心はおまえと交替したいと熱望してると思うぞ。他の乗組員入れ替えなしで」
「駄目だろ」
「さすがスミス。即答だな」
「フォルカスのあれ見たら、俺でも同じには乗せられないって思うよ。ところで、その六班長はどこ行ったんだ?」
「そうなんだよなあ。解散になったときには確かにいたんだが……」

 オールディスがまた待機室内に目を巡らせる。と、シェルドンの隣(定位置)にいたティプトリーが、遠慮がちに口を挟んできた。

「あの……六班長でしたら、だいぶ前にここから通路側に出ていきましたよ。何か思いつめたような顔してましたけど……」
「通路側……じゃあ、帰ったのか?」
「いや、あの六班長だったら、帰るときには必ず一言断ってくと思うけどなあ。思いつめたような顔ねえ……フォルカスくんのことでも考えてたのかな?」
「そんな露骨に」
「捜してきます」

 ぼそりとマシムが言った。一同が声をかけようとした、そのときにはすでに通路側の自動ドアの外に出ていた。

「捜すって……ここで迷子にゃならんだろ」

 呆れたようにスミスは笑ったが、オールディスは顎に手を当てて考えこみ、はっと顔を上げた。

「まさか、決闘の約束をしていたのか!?」
「決闘って……あの二人がか? 何でだよ?」

 スミスは冗談だと思ったようでますます呆れ返っている。が、彼とラッセルとシェルドン以外の隊員たちは、皆一様に顔面を凍りつかせていた。

「そんな……いつのまに……!」
「携帯があるだろ、業務用の。わざわざ番号訊き回らなくても、あれには全員分登録されてる」
「そうか! その手があったか!」
「しかし、いつ誰とどれだけ通話したかは上には丸わかり」
「くそう! それじゃ使えない! やはり地道にプライベート用交換か!」
「その身のほど知らずな野望は今すぐ捨てろ! パワハラ……いや、セクハラになる!」
「セクハラの適用範囲、広いな、おい!」
「盛り上がってるところ、水を差すようで、大変申し訳ないがな」

 明らかに申し訳ないとは思っていない顔で、スミスがオールディスに冷然と訊ねる。

「どんな理屈で、あの二人が決闘なんて話になるんだ?」
「いや、決闘は半分冗談だが、六班長が今どこにいるかは本気で気になる」

 そう答えるオールディスは薄笑いを浮かべていて、とても本気で気にしているようには見えない。

「ここに来てから今日まで、容赦なくフォルカスくんに避けられつづけてきたからねえ。遠目からでも見てみたいと思っているんじゃないかと」
「……なあ」

 ふと、スミスは真剣な表情になってオールディスを見すえた。

「六班長は、フォルカスの元上官だよな?」
「そうだよ。フォルカスくんのことしか眼中にない、顔以外も無駄にハイスペックな元上官だよ」
「……それって……」
「うーん……単純にそういう感情で執着してるってわけでもなさそうなんだが……今はとにかく、普通に顔見て会話したい?」
「……本当に元上官か?」
「俺らもそう思ってるが、それを理由にフォルカスくんに圧力かけたりとかはいっさいしてないんだから、生ぬるーく見守ってあげようよ」
「でも、これから先はわからんだろうが。おまえもそれを心配してるから、いま六班長がどこにいるか気にしてるんじゃないのか?」
「いや、俺が心配してるのはそっちじゃない。運悪く六班長がフォルカスくんに見つかっちゃったりしたら、今日、おまえらが食らった〝口撃〟を食らわされるんじゃないかって、六班長のメンタル面の心配をしてるんだよ」

 スミスはしばらく考えてから、突き放すように言った。

「なら、ほっとくか」
「よっぽどすごかったんだな。増やしたくなるくらい」
「ああ……今から次が怖い……!」
「次は〈ワイバーン〉にフォルカスくん乗せてくれって、こっそり大佐に言ってみたら?」
「そうだな……左翼にアルスター大佐がいる間は、そうしてもらったほうがいいかもな……」

 そんなスミスとオールディスのやりとりを黙って見ていたギブスンは、やはり同じく静観していたキメイスに囁くようにして訊ねた。

「でも、そしたら〈旧型〉の艦長席には、いったい誰が座ることに?」
「いや。たぶん大佐は〈旧型〉の艦長席にはフォルカスを座らせつづける」

 げっそりと、しかしきっぱりとキメイスは断言する。

「あいつには発言力があるからな。アルスター大佐のにうっかり〝息吹ブレスもどき〟撃ちこみたくなるくらい。六班長のいる〈新型〉には何があっても乗せられないし、〈ワイバーン〉には大佐がいる。したがって、消去法により、あいつのベストポジションは〈旧型〉の艦長席ということになる」
「ああ、なるほど。確かにあともう少しで、本当に撃ちそうになりました」
「そして、おまえとスミスさんも〈旧型〉専属確定だ」
「ああ……それはもう覚悟してました……」
「俺は次はどこに行かされるかわからないが……器用貧乏同士、これからも左翼で頑張れ」
「器用貧乏……」
「安心しろ。大佐も器用貧乏だ。極めれば〝大佐〟になれるかもしれない」
「いや、あの人は〝キング・オブ・器用貧乏〟ですから。目標高すぎます」
「器用貧乏なのは否定しないんだな」
「金は持ってるかもしれませんが、貧乏くじは引かされてると思います」

 ――本当にこの隊は井戸端会議が大好きだな。
 立ち話にふける隊員たちを見ながら、ラッセルは溜め息をついた。その中には自分と一緒に転属されて来た同僚たちも含まれているが、そこにはあえて触れない。

「ところで、俺たちはもう帰ってもいいんだよな?」

 たまたま自分の近くにいたスターリングに話しかけると、彼はとんでもないとでもいうように緑色の目を大きく見張った。

「駄目だろ! ここで帰っちゃ駄目だろ! せめて、決闘の結末を見届けてからじゃなきゃ!」
「は?」
「元班長VS訓練生! この隊でしかありえない異色の対戦カード! 俺は若さでマシムくんに賭ける!」
「はあ?」

 スターリングが何を言っているのかさっぱりわからず、ラッセルはぽかんと口を開けた。
 と、脇からディックが嬉々として首を突っこんでくる。

「あ、それなら俺は経験値で六班長に! つーか、同じ元班長として、ぜひ六班長に勝ってもらいたい!」
「よし! じゃあ、何賭ける?」
「そうだな……金じゃ後で問題になりそうだから、昨日こっそり買った缶ビール一缶でどうだ?」
「そんなもの買ってたのか!」
「もちろん自腹だ。隊の金は遣ってない」
「当たり前だ!」
「わかった! ならそれで!」
「わかるな! そもそも、決闘かどうかも……」

 さらにそもそも、なぜあの二人が決闘(ようするに喧嘩か?)などしなければならないのか、その理由がわからないままラッセルが怒鳴りかけると、後ろから左肩をぽんぽんと叩かれた。あわてて振り返れば、オールディスがにこににこ笑っている。

「とりあえず、六班長がここに戻ってくるまで待ってあげようじゃないか。同じに乗ってる仲間だろ?」
「あ……ああ……それもそうだな……」

 うさんくさい笑顔だが、言っていることはまっとうだ。戸惑いながらもラッセルがうなずくと、オールディスは満足げにうなずき返し、スターリングとディックに向き直った。

「俺はドローにノンアルコールビール一缶!」

 思わずラッセルは噴き出したが、スターリングたちの反応は違った。

「ドローもありかよ! しかもノンアル! 姑息なチョイス!」
「でも、よく考えたら、それがいちばんありがちな結末だ! おまえ意外とやるな、そっちこそで、最後には和解しちまう黄金パターン!」
「ベタすぎるが、六班長ならいかにもありそうだ!」

 悪ノリ以外の何ものでもない。こういうときには釘を刺してくれる(が、正直ほとんど効果はない)バラードにラッセルは視線で援護を求めたが、それに気づいた彼は渋い顔をして首を横に振った。言っても無駄なことは言わないことにしたらしい。確かにそのほうが賢明だ。ラッセルももうあきらめて、心の中でドローにベットした。決闘理由はいまだにわからないが。

「楽しそうでいいなあ……」

 ナチュラルハイな年上の〝後輩〟たちを眺めながら、うらやましげにシェルドンが言う。

「でも、何でマシムが六班長と決闘しなきゃなんないのかが、どうしてもわかんないんだよなあ。六班長はほとんど〈新型〉にこもってて、マシムとは接点なかったはずだし。それ以外でも、何か最近、俺がわかんないこと多くて……やっぱ、俺が馬鹿だから?」

 拗ねたように首をかしげているシェルドンを、ティプトリーは少しだけ哀れむような目で見上げた。

「スミスさんやラッセルさんは、あのときあの場にいなかったから、わからなくても仕方ないけど……でも、おまえはそれでいいよ。わかんないのがおまえだから。これからもそのままのおまえでいてくれ」
「ええ? 俺だってわかりたいんだけどなあ。ティプトリー、教えてくれよ」
「いや……俺は巻きこまれたくないから……」
「巻きこまれ……?」
「何だか、また〝合宿〟するみたいですね」

 途方に暮れたように待機室内を見渡しているスミスに、キメイスが苦笑しながら声をかける。スミスは深く息を吐いて、自分の両腰に手を置いた。

「俺はちょっと愚痴りたかっただけなんだけどなあ。あいつらに余計な燃料投下しちまった。ところで、マシムが六班長捜しに行ったのは、本当に〝決闘〟するためなのか? 歓迎はしてなかったが、それほど嫌ってるようにも見えなかったが」
「ああ……まあ、決闘はしないでしょう。話がしたかっただけですよ。きっと」

 そう答えるキメイスの顔は、笑ってはいたが微妙に引きつっていた。

「話? 何の?」
「さあ、そこまでは。でも、マシムなら大丈夫だと思いますよ。六班長より分別ありますから」
「分別?」
「とにかく、二人が戻るのを待つんなら、コーヒーでも淹れますか。……ギブスン、手伝え。普通濃度なら淹れられるだろ」

 キメイスに〝命令〟されたギブスンは、むっとしたような表情をした。が、それは〝命令〟されたからではなかったようだ。

「イルホンがレシピ公開してくれれば、〝激薄〟も淹れられますよ」
「そんなこと言うから、おまえは人に嫌われるんだよ」

 これ見よがしにキメイスが嘆息する。と、ギブスンは激しく動揺した。

「え!? ここでも!?」
「いや、ここはもうおまえはそんな性格だって受け入れてるから、今さら嫌うも何もないけどな。でも、ここ以外の隊に行きたかったら、そういうとこ、直したほうがいいぞ」
「じゃあ、いいです。転属、全然考えてませんから」
「俺もこんな性格だから、ここ以外ではもう生きていけないな……」

 ぶつぶつ言いながら給湯室へ向かって歩いていくキメイスの後を、ギブスンが従者のようについていく。それを見送りつつ、スミスは諦め顔で一人呟いた。

「ここにこうしている以上、俺もあいつらと同類か……」
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