無冠の皇帝

有喜多亜里

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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)

08 馬鹿が馬鹿を笑っていました

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 モルトヴァンが第十一班第一号待機室の端末に〝未完成〟隊員名簿をメール添付で送信してから約一時間後。
 第十一班から、〝完全版〟隊員名簿が、やはりメール添付で返信されてきた。

「ずいぶん早く返送してきましたね……」

 唖然としながらも、モルトヴァンはディスプレイ上でその隊員名簿をチェックする。組分けはもちろん、各号の艦長、副長まで決定されていたのには正直驚いた。

「エリゴール中佐の意地だろう」

 執務机で事務仕事をしていたパラディンが、意地の悪そうな笑みを見せる。

「彼なら十一班だけでも明日出撃させられそうだな。例の三〇〇人は自宅待機させているから、残念ながら不可能だが。……十二班からは、まだ来ていないか?」
「はい、来ていません。そもそも、三〇〇人を自宅待機させている状態で隊員名簿を作成するのは難しいんじゃないかと思いますが……十一班はどうやって決めたんでしょうね?」
「おそらく、わりといいかげんに決めている。それで明日出撃するわけでもないし、不都合があれば、それこそ〝班長裁量〟でいつでも自由に変えられる。……と、十二班長のほうも割りきってくれればいいのだが。元班長が三人もいるから、そのお守りで手一杯かな。しかも、そのうち二人が〝問題児〟だし」
「二人? 一人は例の元五班長でしょうが、あと一人は?」
「それはもちろん、元九班長だよ」

 パラディンは極悪な笑顔でさらりと答えた。

「ある意味、元五班長より彼のほうが厄介だ。人の口に戸は立てられない。いくら私に口止めされていても、彼はふとした拍子に口を滑らせてしまいそうだ。元九班長がいなければ、元三班長は十一班のほうに行かせてもよかったんだが」
「元九班長ですか……以前、うちの指揮下にいたときには、有能そうな班長に見えましたが……」

 今日、この執務室に面談のために呼んだ元九班長ことムルムスは、モルトヴァンの記憶の中の彼とはまるで別人のように落ち着きがなかった。しかし、ダーナ大佐隊で何があったかと問われると、ダーナに元六班長ことセイルの偽の転属願を総務部に提出するよう命じられたこと、その命令に従ったにもかかわらず、元マクスウェル大佐隊からダーナ大佐隊に異動させられたことを、何のためらいもなく暴露した。
 ダーナはムルムスたちに口止めは課さなかったようだ。彼らしいと言えば彼らしいが、上官命令で部下に偽の転属願を書かせた(そして、その部下を処罰した)など、司令官はもちろん、誰にも知られてはまずい所業である。
 パラディンは表向きはムルムスに深く同情してみせた。その裏にあるものには気づけなかったムルムスは、ほどほどに整った顔に、心底ほっとしたような笑みを浮かべたのだった。

「本当に、ダーナ大佐は何を考えてそんなことをさせたのか……まあ、巡り巡ってエリゴール中佐がうちに転属されることになったから、あえて詮索はしないでおくが」
「え……そんな理由で?」
「とりあえず、そのエリゴール中佐にまたここへ来てもらおうか。明日は彼だけは出撃だから、その打ちあわせをしないと」

 出撃前にはいつも憂鬱そうな表情をしているパラディンが、今は休日前以上に機嫌がいい。その様子を見て、出撃というよりデートの打ちあわせをするようだとモルトヴァンは思ったが、自分の上官を見ならい、あえて詮索はしないでおいた。

 * * *

「おい、馬鹿」

 コーヒーを飲む手を止めてエリゴールがぞんざいに呼びかけると、テーブルの角を挟んだ席で同じくコーヒーを飲んでいたロノウェは即座に応じた。

「何だ、人切り」
「おまえら、あのにはもう乗ったのか?」
「ああん?」

 怪訝そうな顔をして、エリゴールの視線の先に目を巡らせる。
 狭い窓にはめこまれた分厚い強化ガラスの向こうには、ダーナ大佐隊が使用していたという護衛艦が鎮座していた。

「いや、乗ってねえ。パラディン大佐はきっと乗せるつもりでいるんだろうが、まだ乗れって指示はされてねえ。余計なことして、また〝砲撃〟に戻されたくねえからな。俺らはここ一週間、ここ来てたむろってるだけだ。〝本隊〟に迷惑かけねえように、ひっそりとな」
「本隊?」
「パラディン大佐隊のことだよ。俺らも一応パラディン大佐隊員ってことになるが、やっぱあっちと俺らは別モンだろ。だから〝本隊〟」
「なるほど。頭いいな。誰が考えたんだ? やっぱりレラージュか?」

 にやにやしながらそうからかえば、その本人がそっけなく答えた。

「班長です」

 一人で隊員名簿作成から送信までやりとげたレラージュは、ロノウェの左隣でやはりコーヒーを飲んでいた。

「班長はそういうネーミングはわりと得意です。数少ない取り柄の一つです」
「数少ないって、おまえ……」
「そうか。取り柄があってよかったな。数少なくても」
「くそう……俺を馬鹿にするときだけ意気投合しやがって……」
「乗ってねえか。でも、頭数さえそろえりゃ、何とかならねえかな」

 ロノウェの愚痴を無視してエリゴールは呟いたが、ロノウェのほうはそれを無視しなかった。

「おい、何寝ぼけたこと言ってやがる。たとえ乗ってたって、無理に決まってんだろうが」
「どうして?」

 エリゴールはわざとらしく目を見張ってみせる。

「俺らだって、一時は〝護衛〟してたじゃねえか。は砲撃艦のままだったが」
「そりゃしてたが」
「今、自宅待機してるおまえらの班員呼び出せば、さっき出した隊員名簿どおり五組になる」
「そりゃなるが」
「ザボエスんとこも同じだ。おまえの班と合わせりゃ、ちょうど十組。……十隻のが動かせる」
「いくら俺が馬鹿でも、それくらいの足し算はできる。でも、だから何だ? そうまでして俺らを明日出撃させたいのか? 何のために?」

 眉間に縦皺を寄せるロノウェに、エリゴールはにやりと口角を上げた。

「本当に無理なのかどうか確認するために」
「はあ?」
「俺らが出撃すれば、〝本隊〟は一班出撃しなくて済む。操縦が不安なら、そこの班の操縦士だけ貸し出してもらえばいい」
「その程度の引き算もできる。確かにそうすりゃ動かすくらいはできるだろうが、そんな確認して何の意味があるってんだ?」
「別に。ただ単に俺が見たいだけだ」
「どこまで俺様だよ!」
「まあ、俺のことはひとまず置いといて。もし、パラディン大佐に明日出撃しろって言われたら、出撃するか?」

 数秒、ロノウェはエリゴールを睨んでいた。が、鼻で笑って天井を見上げる。

「俺らはもう〝上官命令〟には逆らえねえよ。他に行き場所ねえからな」
「そうだな。……ここがもう最後だ」

 そう同意したエリゴールの顔には寂しげな苦笑が浮かんでいたが、それを見ていたのはレラージュだけだった。

「……おい。まさかとは思うが、おまえ、いま言ったこと、パラディン大佐に言うつもりじゃねえだろうな?」

 ロノウェがあわててエリゴールに目を戻す。そのときにはエリゴールは真面目くさった顔をしていた。

「言うだけ言ってみる。却下されたらあきらめろ」
「あきらめろって何だよ。いつのまにか俺らが志願してるみてえな話にしてんじゃねえよ」
「それならザボエスにも話しといたほうがいいな。待機室ならプライベート用の携帯持ってるか」
「自分が興味ねえ話は無視シカトか! この腹黒人切り野郎!」

 そのとき、待機室内に設置された電話機がロノウェに加勢するように鳴り出した。
 レラージュに電話番を命じられていた班員(端末番はまた別にいる)は大仰に体を震わせたが、はっと我に返って受話器に飛びついた。
 待機室内中の人間に注目される中、電話番は緊張した面持ちで「はい」と「了解しました」を繰り返した。最後に大きく息を吐き出し、受話器を元に戻す。

「……元四班長……?」

 受話器を置いた後、電話番は椅子から立ち上がり、エリゴールの顔色を窺うように声をかけてきた。
 ここの班員たちには直接何かをした覚えはないが(間接的にはないとは言えない)、これからされるかもしれないと思うと恐ろしいのだろう。ちなみに、エリゴールを最も恐れていたのはエリゴールの班員たちである。

「あの……パラディン大佐の副官から伝言です。至急、大佐の執務室に来るようにと」
「用件は?」

 エリゴールは普通に訊ねたつもりだった――聞いていないなら聞いていないで別にかまわなかった――のだが、電話番は一気に青ざめた。それを不快に思うかわりに、心の中で自嘲する。これも自業自得というやつだろう。

「あ、あの……明日の出撃の件だそうです!」

 だが、電話番は幾度か詰まりながらもそう答えた。
 用件を聞いていたなら、それほど怯える必要はなかっただろうにとエリゴールは不思議に思ったが、どうやら自分は話しかけるだけで過度な恐怖を与えてしまうらしい。あえて礼は言わずに目を離したところ、その判断は正しかったようで、とたんに電話番は全身の力が抜けたように椅子に座りこみ、周囲にいた同僚たちによく頑張ったと肩や背中を叩かれていた。

「ああ、そうか。そういやそうだった」

 エリゴールが独りごちると、ロノウェは訝るような目を彼に向けた。

「何だ? 大佐とそんな話する約束でもしてたのか?」
「約束というか……明日、大佐のに乗れって言われてる。理由はよくわからん」
「わからんって……まさかおまえ、自分が出撃するから俺らも道連れにしようって魂胆か!?」

 ロノウェは椅子の背もたれから上半身を跳ね起こしたが、そのときにはエリゴールは椅子から腰を上げていた。

「道連れなんて縁起でもねえ。大佐にもしものことがあったら、おまえらだって困るだろ。とりあえず、俺は大佐んとこ行ってくる。その間に、自宅待機してるおまえらの班員に電話して、全員ここに来させとけ」
「言うだけ言ってみるんじゃなかったのかよ!?」
「ああ、ついでにザボエスにも電話入れといてくれ。……ほんとは直接話したかったけどな。今は無理だ」
「おまえが言ってることも無理だらけだよ……」

 また今回も押し負かされてしまったロノウェはうなだれて嘆息する。それを横目で見ながらエリゴールは小さく呟いた。

「最後だからな」
「は?」
「とにかく、ザボエスに電話すること以外は、全部レラージュに丸投げしろ」
「わざわざ言われなくても丸投げするわ! 馬鹿だからな!」

 開き直ってそう怒鳴り返してきたロノウェに、エリゴールは笑いながら右手を振った。

「堂々とそう言えるところが〝賢い〟よな。ま、うまくやれ」

 そう言い残して、通路側の自動ドアから待機室を出た。

「班長たち、仲がいいのか悪いのか、本当にわかりませんね」

 自動ドアが完全に閉まってから、嫌味にしては平坦な口調でレラージュが言った。

「いいわけねえだろ」

 ロノウェは苦々しそうに顔を歪める。

「ただ、あいつはヴァラクみてえに、無関係な奴らまで〝戦死〟はさせてねえからな。その分、ちっとはましだ」
「〝ちっと〟ですか」
「ああ、〝ちっと〟だ。……レラージュ。おまえ、頭よくてよかったな。でなかったら、あいつに〝生贄〟にされてたぞ」
「頭悪かったら、そうされても仕方ないんじゃないんですか?」

 あっさりレラージュは一蹴した。

「かえってそのほうが、〝戦死〟はしなくて済みそうです」

 * * *

 ザボエスは携帯電話の着信通知をバイブレーションのみに設定している。ふと胸ポケットから携帯電話を取り出し、発信元を確認すると、すぐに椅子から立ち上がった。

「ちょっと出てくる」

 誰にともなくそう告げて待機室を出ていく彼を、ムルムスはとっさに引き止めたくなったがそれはできない。せめて一分一秒でも早く戻ってきてくれと心の中で強く願った。
 ザボエスとロノウェ、どちらの待機室のほうに行きたかったかと問われれば、やはりこちらのザボエスのほうだと答える。ロノウェ自身は苦手ではないのだが――〝馬鹿〟の代名詞のように言われるが、人間的には〝馬鹿〟ではない――彼の副長のレラージュが、自班以外の人間には、異常なほどのてきがいしんを見せるのだ。ロノウェは〝あいつは人見知り激しいんだ〟の一言で片づけてしまっている。と言うより、あきらめてしまっているのか。あれは〝人見知り〟などという可愛らしい言葉で収まるレベルではないと思うが、ザボエスはそこがいいんだと問題にしていない。その点でも、ザボエスは尊敬に値する。
 しかし、ここにヴァッサゴも来ると知っていたら、たとえレラージュがいても、さらにエリゴールが来たとしても、ロノウェの待機室に行かされていたほうがよかった。今のムルムスはアンドラスよりも、ヴァッサゴのほうを恐れている。
 今、この待機室の中で、この男だけがすべてを知っていた。
 パラディンに打ち明けた〝あのこと〟だけではない。ムルムスが致命的な〝失言〟をしてヴァラクの怒りを買ったこと。エリゴールが転属願を出して無断欠勤するようアンドラスたちを誘導したこと。エリゴールに脅されて、ムルムス一人でドック内の清掃をしたこと(ヴァッサゴはその監視をするようエリゴールに命じられていた)。そのドックに突然ヴァラクが現れて、パラディン大佐隊に転属願を出すよう、ムルムスに指示したこと。
 ムルムスだけでなく、アンドラスやエリゴールにとっても人には知られたくないことを、この容貌でも才覚でも特段秀でたところのない、なぜこれで班長になれたのか不思議に思える男一人が知っているのだ。
 そのせいなのか、ヴァッサゴはあのダーナ大佐隊の予備ドックにいたときとは違い、アンドラスの険悪な視線に怯えてはいない。時折、ヴァッサゴがムルムスを見つめているのは、ヴァラクに元マクスウェル大佐隊を追われたという仲間意識からではなく、これ以上余計なことは話すなという〝監視者〟としての仕事意識からだ。
 〝無駄吠えが多すぎる〟とヴァラクはムルムスを評した。そして、エリゴールに〝調教〟を命じた。
 セイルはヴァラクに意見することも多々あったが、エリゴールはヴァラクの〝命令〟には忠実に従う。そこがヴァラクの〝側近〟だったあの二人の決定的な違いの一つだった。
 ヴァッサゴは間違いなく、またエリゴールに命じられている。自分の代わりにムルムスを監視しろと。
 司令官のあの奇妙な命令の手助けもあり、何とかこのパラディン大佐隊に入隊できた今、もちろんムルムスに〝無駄吠え〟する気はまったくない。だが、ムルムスにその気はなくとも、すべてを知っているヴァッサゴのほうが〝無駄吠え〟する可能性もある。あるいは、ムルムスが知られたくないことをネタに脅してくるそれも。
 しかし、ムルムスはヴァッサゴを恐れる一方、憤りも覚えていた。なぜこの凡庸な男に、これほど自分が怯えなければならないのか。確かに〝失言〟はしたが、この男よりは出来はいいはずだ。最初にここに転属された、ロノウェ、ザボエスが班長に任命されたのは納得できる。だが、ヴァッサゴに見下されるのは腹立たしい。これではアンドラスと同類だ。

「おまえら、あっちじゃ同じ班長様だったってのに、ここに来てから一ッ言もしゃべってねえな。あれから何かあったのか?」

 馬鹿はなぜか肝心なこと以外には鼻が利く。ザボエスがなかなか戻ってこないのをいいことに、そのアンドラスがにやつきながら、ムルムスとヴァッサゴを挑発しはじめた。
 これに乗せられては駄目だ。たとえザボエスが席を外していても、ここは彼の待機室で、彼の腹心の部下もいる。アンドラスが怒りにかられて自分たちに暴力を振るおうとすれば、すぐに止めてくれるはずだ。ヴァッサゴもたぶんそう考えたのだろう。アンドラスを一瞥はしたものの、あとは無視を決めこんだ。

「おい。おまえら、もう班長様じゃなくなったんだろ? なに偉そうに無視シカトかましてんだよ」

 アンドラスがそこそこ見られる顔を紅潮させる。本当に、これでどうして班長になれたのか、ヴァッサゴ以上に不思議だ。
 ムルムスがひそかに周囲の様子を窺ってみると、案の定、班員たちが目配せして、アンドラス包囲網を敷こうとしていた。さすが馬鹿。気づかなければならないことには気づけない。

「だいたいおまえら、あのときエリゴールがいなかったら――」
「キャンキャンキャンキャンうるっせえな。大人しくしてろって言っただろうが。もう忘れちまったか? さすがバカ犬」

 待機室内に安堵の溜め息が満ちる。この待機室の主にして第十二班班長ザボエスは、自動ドアの前からほんの数歩でアンドラスのそばに立つと、うんざりしきった表情で彼を見下ろした。

「あ……」

 アンドラスはとっさに何か言い返そうとしたが、ザボエスの眼光に屈したように目をそらせた。
 馬鹿が。顔には出さずにアンドラスを嘲笑うムルムスの頭の中からは、自分もアンドラスのようにヴァラクに怯えていたことはきれいさっぱり消え去っていた。

「そうそう。そうやって大人しくしてろ。俺らにはもうおまえのお守りしてやってる暇はねえ」

 吐き捨てるようにそう言ってから、ザボエスは班員たちを見渡し、一息に命じた。

「おまえら、自宅待機してるうちの班員、手分けして大至急ここに呼び出せ。その間にパラディン大佐が正式に招集かけて、ここに入れるように登録手続きしといてくれるだろ。あと、整備。ここのドックにある、五隻だけ整備しとけ。明日、出撃することになった」

 そのとき、ザボエスとそれ以外の人間たちとの間に時差が生じた。

「うえええっ!?」

 あえて文字にするならそのような叫びを班員たちが発したのは、ザボエスが命令してから数十秒後のことである。

「明日出撃!? マジっすか!?」
「さっきの電話、パラディン大佐からだったんですか!?」
「五隻だけって、五隻だけでいいんですか!?」
「いっぺんに言うなよ」

 呆れたようにザボエスはぼやいたが、そこは王道班長、班員たちの疑問の声はしっかり聞きとっていた。

「俺に電話してきたのはロノウェだ。ロノウェんとこで五隻、うちで五隻で明日出撃できるように、エリゴールがパラディン大佐に話すって言ったそうだ。あいつがそう言ったんなら必ずそうなる。抵抗はするだけ無駄だ。さっさと準備しろ」

 班員たちは再び言葉を失う。しかし、その時間は先ほどよりは短かった。

「よ……四班長……それは確かに抵抗できない……したら切られる……」
「でも、何でいきなり明日出撃なんだ? いくら何でも急すぎるだろ?」
「それ、四班長に直接言ってみろよ」
「まず、電話だな」
「頼むから、ちゃんと自宅待機しててくれよ!」
「それまで破ってたら、今度こそもう除隊だろ」

 口々に好き勝手なことを言いながら、それでも班員たちはにわかに動きはじめる。
 ザボエスが具体的に指示しなくても、自宅待機班員を電話で呼び出す係、他の待機室にいる班員たちに内線電話で事情説明する係、待機室から直接ドックへと飛び出していく整備とその補助係と自然に役割分担していた。

「どうして明日出撃なんて……」

 エリゴールに直接訊けと言われるかもしれないが、やはりそう呟かずにはいられない。ムルムスには彼の意図はまったくつかめなかった。

「さあな。俺にもあいつが何考えてるかはさっぱりだが、言ってることは無茶振りってほどでもねえ」

 ムルムスの呟きを耳に留めたザボエスが、楽しげににやっと笑う。

「これからは〝人を切る〟より〝人を仕切る〟ほうに専念してもらいたいもんだが……ま、無理だろうな」

 このザボエスのように、アンドラスのような〝馬鹿〟以外の班長たちは、エリゴールを〝人切り〟と揶揄はしても反感は持っていない。唯一の例外はヴァラクだが、エリゴールの〝人切り〟を止めようとはしなかった。
 もっとも、今のムルムスはエリゴールに対して嫉妬に近い嫌悪感を抱いている。ヴァラクはエリゴールを〝大嫌い〟と言い、実際自分の隊から追放もしたが、それでも、ムルムスの〝調教〟を命じるほど信頼はしていた。結局、あの男はどこへ行っても人に必要とされるのだ。自分とは違って。
 『大人しくしてろ』と言われたアンドラスは、今にも不満を噴き出しそうな顔をしていたが、何とかこらえていた。わかりたくないが気持ちはわかる。そして、それとは対照的に、ヴァッサゴはかすかに笑っていた。満足そうに。誇らしそうに。
 自分があの待機室から逃げ出した後、彼らは何を話したのだろうか。今さらながら気になったが、今となっては誰にも訊ねることはできない。せめてアンドラスと同類にはされないよう、ムルムスは無表情を貫き通した。
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