無冠の皇帝

有喜多亜里

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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)

06 恩人はいい性格でした

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 パラディン大佐の髪は黒かったが、瞳は金色をしていた。
 ――魔法使いの黒猫。
 元ダーナ大佐隊所属十二班長エリゴール中佐は、彼を一目見た瞬間、そんな子供じみた連想をした。

「正直、途方に暮れている」

 挨拶もそこそこに、パラディンはエリゴールを応接セットのソファに座らせると、自分はローテーブルの端に置かれていた一人掛けのそれに腰を下ろした。

「元マクスウェル大佐隊員約三八〇名。うちにある護衛艦の予備二十隻に乗せ、護衛として再教育するつもりでいたが、出撃を明日に控えた今、そのような余裕は人的にも時間的にもない。そこで、元マクスウェル大佐隊の元班長たちに、統括だけでもしてもらおうと考えたのだが……」
「当てが外れたんでしょう?」

 自嘲まじりに話の先回りをすれば、気まずそうな顔をしつつも首肯する。

「それもそうですね。ここに来た隊員は、自分も含めて〝カス〟ばかりですから。約三八〇人もの〝カス〟をまとめあげられる班長なら、最初からここには来ていないでしょう」
「今日面談した元班長は、君が六人目で最後だが、いちばん辛辣だな」

 元マクスウェル大佐隊所属元四班長のコメントに、右翼の護衛担当の大佐は苦笑いをこぼす。

「だが、三班長だけは君を推していたよ。とりあえず、うちの隊に迷惑がかからないようにすることはできると」
「元三班長がですか。……意外だな」

 つい本音を呟けば、パラディンは薄く笑ってソファの肘掛けに右肘をついた。

「エリゴール中佐。私は君はもちろん、三班長ともこれまで面識がなかった。だから、彼の言葉が信用できるかどうかもわからないが、君以外の元班長たちには荷が勝ちすぎるだろうということはわかる。元マクスウェル大佐隊員約三八〇名。君ならいったいどう統括する?」
「統括ですか? 始末ではなく?」

 エリゴールが真顔で問い返すと、パラディンはぎょっとしたような目を向けてきた。

「もちろんそうだ。何を考えているのかね?」
「いえ、冗談です。……そうですね。それならまず、元八班長、元十班長を班長にしてやってください。ダーナ大佐殿が使われた手ですが、十一班長、十二班長として。この二人は最初から大佐殿の隊を希望していたんでしょう?」
「そうだが……知っていたのか」
「元同僚の行き先くらいは。……元三班長、元五班長、元九班長は、〝ヒラ〟のまま、十二班のほうに放りこんでやってください。あちらの班長のほうが〝大人〟です。無用な揉め事は起こさせないでしょう」
「ちょっと待ってくれ、エリゴール中佐」

 パラディンは自分の額を覆って話を中断させた。

「五班は班長以下、ほぼ全員がうちに転属されている。五班長を〝平〟のままにしておくのはまずくはないか?」
「あの男をまた班長にすることのほうがまずいです」

 冷徹にエリゴールは切り返す。

「元五班と元八班の隊員は全員十一班へ。残りは全員十二班へ。……できれば、この二班を大佐殿の隊の二班と入れ替えて、隊の〝盾〟にしてやりたかったのですが。さすがに今回は間に合いそうもありませんね」
「四班長……」
「〝元〟ですよ」
「エリゴール中佐……君は?」

 訝しげにパラディンに問われて、エリゴールは苦く笑った。

「できるものなら、今日付で退役したいと考えています」

 エリゴールのこの希望は、パラディンには想定外すぎたようだ。

「……え?」

 かなり間をおいてから、それでもまだ聞き間違いではないかと疑っているかのように眉をひそめる。

「今日転属されてきたばかりで、このようなことを申し上げるのも何ですが……自分は大佐殿のお役には立てないと思います。むしろ、ご迷惑をおかけする前に退役したほうがよろしいかと」
「ちょっと待ってくれ」

 パラディンは先ほどと同じ言葉を口にしたが、額は覆っていなかったため、ひどくあわてているのがはっきりと見てとれた。

「私は今、君の回答に感心していた。即採用しようと思っていたところだ。実際のところ、君はあの三八〇人を監督するために、こちらに転属させられてきたのではないのかね?」
「……いいえ」

 エリゴールの苦笑が、よりいっそう深くなる。

「元五班長や元九班長と面談されたなら、自分がダーナ大佐隊で何をしでかしたかもすでにご存じのはずでは?」

 一瞬、パラディンは口を開いたが、吐き出されたのは言葉ではなく息だった。

「自分はダーナ大佐殿の配下にはどうしても残ることができなかっただけです。かと言って、ダーナ大佐隊所属のまま退役することもできませんでした。大佐殿には申し訳ありませんが、自分にはもうここしか行き場所はなかったのです。しかし、たとえ他の隊に転属されていたとしても、自分は同様に退役を願い出ていました。大佐殿だから申し出ているわけではありません」
「それを聞かされたら、余計に君を退役させたくなくなるのだがね」

 困ったようにパラディンが笑う。

「君の危惧どおり、元九班長は。もちろん、私以外の者には決して話すなと口止めはしたが」

 しいて何でもないふりをしようとしたが、溜め息だけは止められなかった。

「そうですか。……それなら、自分の退役希望理由もご理解いただけますね」
「しかし、ダーナ大佐も悪趣味な真似をする」

 理解していると同意するかわりに、パラディンは呆れ顔でダーナをそしった。

「〝整列〟の件はともかく、君たちまでそのような方法で試す必要があったのか」
「自分もあのときはなぜと思いましたが……きっと、我々の心の奥底にあるものを見抜かれていたのでしょう」

 苦笑まじりに答えながら、エリゴールは考える。
 ――そうだ。マクスウェルが〝栄転〟になったとき、こうなることも決まっていた。マクスウェルが去ったあの隊に、自分はもういらない。

「とにかく、退役は保留ということにしておいてくれないか。せめて明日の戦闘終了までは」
「退役以外のことは考えていなかったのですが。それまで自分はどうしていれば?」
「今日は元八班長の補佐を。君ならうまく立ち回れるだろう。明日は私のに乗ってもらう」
「は……?」

 まったく意表を突かれて、エリゴールはぽかんと口を開けた。

「なぜ自分が?」
「君とは戦闘中にも話がしたい」

 新たな上官は、意味ありげに笑ってエリゴールを見すえる。

「もしかしたら、これが最初で最後になるかもしれないからね」
「いったい自分と何の話を?」
「君にはまだ〝心残り〟があるんじゃないか? 本気で退役したかったら、今ここで私に退役願を提出していると思うのだが?」

 エリゴールは暗緑色の目を見張ったが、観念して苦笑した。

「確かに大佐殿のおっしゃるとおりです。しかし〝心残り〟と言うよりは〝気がかり〟と言ったほうが正確かもしれません。それが解消されれば、今度は退役願を持参してまいります」
「〝気がかり〟か。いくら訊ねても、私には話してくれないんだろうね」
「申し訳ありませんが、これは大佐殿だけでなく、どなたにもお話ししたくありません。ですが〝上官命令〟とあらばお話しいたします」
「やはり、根に持っているんだな」

 表面上は淡々としたエリゴールの返答を聞いて、今度はパラディンが苦笑いする。

「いや。ダーナ大佐と同じことはしたくないからやめておこう」
「そうしていただけると大変助かります」
「それでは、エリゴール中佐。ここを出たら、さっそく元八班長がいる待機室に行ってもらえるかな。ちなみに、元三班長、元五班長、元九班長は、元十班長の待機室にいるよ」

 唖然として見つめると、パラディンは得意げににやりと笑った。

「大佐殿……見かけによらず、いい性格をしていらっしゃいますね」

 以前のエリゴールなら絶対にしなかった発言だった。確かに〝気がかり〟は気がかりだが、別にいつ除隊になってもかまわない。
 しかし、パラディンは機嫌を損ねたふうもなく、むしろ満足そうに微笑んだ。

「ありがとう。私をよく知る者は、みな口をそろえてそう言うよ」

 * * *

 〝いい性格〟のパラディンは、エリゴールが執務室から退室したとたん、ソファから身を乗り出すようにして、副官用の執務机にいるモルトヴァンに叫んだ。

「モルトヴァン! 送れるものなら、今すぐダーナ大佐と殿下に感謝メールを送りたい!」
「ええっ!?」

 思わずモルトヴァンはのけぞった。パラディンの性格には慣れたつもりでいたが、あくまで〝つもり〟だったようだ。

「か、感謝メール? な、何でまた?」
「だって、あの二人のおかげじゃないか……」

 ソファの肘掛けを両手でつかんだまま、パラディンは含み笑う。

「ダーナ大佐が切って、殿下がくれた……私にエリゴール中佐を!」
「そんな感謝!? って言うか、エリゴール中佐は大佐のものじゃないですよ!」
「私の隊に転属されたんだから、私のものだ!」
「公私混同しないでください! 私は大佐のものじゃありません!」
「うん。おまえは私のものじゃない」

 モルトヴァンの全力否定を、パラディンはあっさり全面肯定した。

「ついでに言うと、エリゴール中佐以外の隊員も私のものじゃない」
「ピンポイントで公私混同!?」
「でも、そんなメールは送れないから、とりあえず、おまえに言ってみた」
「私は大佐のメモ用紙ですか……」
「使い捨てにはしていないぞ」
「メモ用紙だということは否定されないんですね」
「まあ、そんなことはささいなことだ。気にするな」
「気にしますよ。……エリゴール中佐のどこをそれほど気に入られたんですか?」
「そんな質問をする人間は、いくら説明を重ねられても、決して理解はできない」
「あ、じゃあ、いいです。説明しないでください」
「私とほぼ同じ答えをすぐに返してきた」
「説明しないでくださいって言ったじゃないですか。……ほぼ?」

 何となく訊き返すと、パラディンは少し悔しそうな顔をする。

「今日付で退役したいと考えていることまではわからなかった」
「それはさすがに無理でしょう」
「いや、しかし。……わかりたかった」
「そこまでわかったら、もう超能力者ですよ。それにしても、〝気がかり〟とは何でしょう? 例の転属願の件に関することでしょうか?」
「ああ、それなら心当たりがあるが。でも、私も誰にも話したくないなあ」

 パラディンはもったいぶって、ごく一部の人間の前でしか見せない意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「外れていたら恥ずかしいし、当たっていたら妬ましい」
「はあ?」
「まあ、〝気がかり〟の中身については、余計な詮索はしないでおこうじゃないか。それより、問題はその〝気がかり〟が解消してしまった後だ。私はエリゴール中佐の退役願など、絶対に受理したくない」
「ええッ!?」

 この場にいないエリゴールに代わって、モルトヴァンは絶叫した。

「そんなこと、さっきは全然言ってなかったじゃないですか!」
「当たり前だ。提出前にそんなことを言われたら、提出しないで不名誉除隊を狙うだろう」
「狙う……」
「どれだけ退役願を出されても、ねじ伏せていきたいんだ。無断欠勤されないように」
「なぜねじ伏せるんですか。説き伏せるんじゃないんですか」
「理不尽なことを言っているのは、私のほうだからな」
「その自覚はあったんですね。そちらのほうが驚きです」
「とりあえず、今日は退役願を出されることはない。まずは元八班長と元十班長を班長に戻そう」

 限りなく本心に近かったモルトヴァンの嫌味を、パラディンはあからさまに無視した。

「モルトヴァン。二人に班長任命の辞令をメール送信してくれ」
「え? メールでですか?」

 無視返しすることも考えないではなかったが、パラディンは一応上官である。一抹の理不尽さを覚えながらも、モルトヴァンは返答した。

「そちらのほうが早いだろう。ついでに、隊員名簿も送信するか」
「隊員名簿もですか?」
「そう難しいことではないだろう。さっき、エリゴール中佐が言っていたとおりに分ければいい。元五班と元八班の隊員は全員十一班。残りは全員十二班。各班内の組分けは〝班長裁量〟。我々が口出しする問題ではない」
「そういえば、そうでしたね」

 パラディンに指摘されて、今さらながらそのルールを思い出す。
 ――元班長二名を班長にする。
 たったそれだけで、後は流れ作業的に隊員分けができてしまう。
 しかも、そうして分けると、各班の隊員数はほぼ同数になった。

「でも、大佐もこうされるつもりだったんですよね?」

 パラディンのようにエリゴールを賞賛しそうになってから、モルトヴァンははっと気がついた。

「だから、三班長たちを十班長の待機室に行かせたんでしょう?」
「エリゴール中佐的には、〝元〟をつけないといけないらしいぞ」
「私的にはつけなくてもよしなんですが」
「とにかく、言い直し」

 モルトヴァンはつい舌打ちしそうになったが、すんでのところでそれをこらえた。

「……大佐が元三班長たちを元十班長の待機室に行かせたのは、大佐もこうされるつもりだったからではないんですか?」
「よろしい。……いや。元八班長と元十班長を班長にすることは私も考えていたが、どちらに自班以外の隊員を行かせるかまでは詰めていなかった。元三班長たちについては、元九班長には必ず元三班長を監視につけておかなければならなかったし、元五班長は単独で他の元班長と一緒にしたら、いかにも揉め事を起こしそうだったからな。そんな三人を受け入れられるのは、私も元八班長ではなく元十班長のほうだと思った。……外見はあれだが、人間はできている」
「何ですか、〝ほぼ同じ〟じゃなくて、〝かなり違う〟じゃないですか」

 呆れてモルトヴァンが文句をつけると、意外なことにパラディンは怒りはせず、それどころか嬉しそうに笑った。

「だから、〝エリゴール中佐をありがとう〟なんだ。元マクスウェル大佐隊のことは、みんな彼に丸投げしてしまえば、問題はすべて解決してくれそうだ」
「エリゴール中佐はもう班長ではないのに……」
「かえって、そのほうが彼にはいいのかもしれないぞ。班長だったら、いろいろしがらみも多いだろう」
「自分に都合のいいことを……ただ大佐が楽をしたいだけでしょう」
「まあ、それも否定はしないが。とにかく、モルトヴァン。辞令と隊員名簿だ。エリゴール中佐がどうやって元八班と元五班の隊員たちをまとめあげるか、じっくり観察しようじゃないか」
「え……元八班長は?」

 反射的に訊ねたモルトヴァンに、パラディンはにべもなく答える。

「ああ。彼には無理。だから、エリゴール中佐に行ってもらったんだ」

 ――本当に、見かけによらず、いい性格だ……
 そう思いつつも、表情にはまったく出さないまま、モルトヴァンは辞令作成に着手した。
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