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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)
02 つけこまれていました
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午後二時。マクスウェルの元執務室に〝七班長補佐〟が入室許可を求めてきた。
午前中に何とか立ち直ったダーナは、端末を操作する手を休めないまま、マッカラルに入れてやれと命じた。
(今朝は自分で入れたのに……態度違いすぎ)
マッカラルはそう思いながらも、了解しましたと答えて自動ドアを開けた。
扉の向こうには、当然〝七班長補佐〟クロケルが立っていた。が、なぜか困り顔をしている彼の背後から、ひょいと誰かが現れて、マッカラルに悪童のような笑顔を見せた。
(え……)
マッカラルが驚きのあまり固まっている間に、クロケルはダーナの前に進み出て、書類袋を抱えたまま敬礼する。
「お忙しいところ失礼いたします。ダーナ大佐殿、隊員名簿をお届けにまいりました」
「うむ……」
さすがにダーナは端末から顔を上げたが、クロケルを見る前に、彼の陰に隠れるようにして立っていた人物と目が合って、マッカラルと同じように固まった。
「えーと……」
先に自分の手の中にある書類袋をダーナに渡したほうがいいのか、それとも自分の後ろにいるものの説明をしたほうがいいのか、明らかにクロケルは迷っていたが、ダーナが冷然とこう訊ねるのを聞いて安堵の溜め息をこぼした。
「なぜここにいる? 七班長」
「この男は自分の風よけですので」
しれっと七班長――ヴァラクは答えた。
「それに、自分はこの男に届けさせるとは申しましたが、〝一人で〟とは申しておりません」
屈託なく笑うヴァラクを見て、マッカラルは思った。
(悪魔だ……悪魔が大佐の心をもてあそんでいる……)
心をもてあそばれたダーナは、今朝と同じように頭を抱えていたが、頭から右手を離すと、クロケルのほうに差しのべた。
「とにかく、その隊員名簿を受領する。ご苦労だった」
「はっ」
見るからに緊張した様子で書類袋を持ち直し、うやうやしくダーナに手渡す。
ダーナは書類袋を開封しながら何気なく言った。
「それで、七班長。おまえの用件は何だ?」
マッカラルとクロケルがヴァラクを見ると、彼は嬉しそうににやついていた。
「さすが大佐殿。よくおわかりで」
「おまえが私をからかうためだけに、わざわざここに来たりはしないだろう。何が目的だ?」
「たぶん、今日の午前中、一斉送信されたのではないかと思いまして」
にこりとヴァラクは笑った。
「殿下から、次回の配置図が」
マッカラルは息が止まりそうになったが、ダーナは手を止めて、少し不満そうにヴァラクを見上げた。
「作戦説明はすると言ったのに、それまで待てなかったのか?」
「こう申しては何ですが、わざわざそんなことをしなくても、今ここで大佐殿と自分がお話しすれば、それで済むことではありませんか?」
ヴァラク以外の班長にこう言われていたなら、ダーナは不遜と一蹴していただろう。
だが、ダーナは愉快そうに笑って、書類袋から隊員名簿を引き出した。
「不安なのか?」
「はい。大佐殿が私の〝盾〟をどこぞに譲られてしまわれたので、不安で不安で……」
――ああ……大佐が危惧していたとおり、これからこうやって責められつづけるんだな……
再び硬直してしまったダーナを見て、マッカラルは奇妙な安心感を抱いた。
「大佐殿」
ヴァラクは笑んだまま、いきなり人差指で執務室内にある灰色のソファセットを指した。
「あの無駄に高級なソファセットは、いったい何のためにここにあるとお思いですか?」
「……来客用」
隊員名簿を目隠しのようにして、小さくダーナが返答する。
「残念ながら大佐殿。それでは正解とは言えません」
呆れ果てたと言わんばかりに溜め息をつくと、ヴァラクは首を左右に振った。
「あのソファセットは座って話をするためにあるんです。いいですか、座って話を!」
「あ、ああ……確かに」
「どうせここに客なんて来やしません! いいかげん、自分は立って話をするのに疲れました! あのソファに座って待ってますから、今すぐ配置図をプリントアウトしてきてください! 三時前には帰ってさしあげます!」
「は、班長!」
クロケルは蒼白になってあわてたが、マッカラルは既視感を覚えただけだった。ダーナもそうだったのか、怒るどころか諦めの表情で、マッカラルに一言、プリントアウトと命じる。その間に、ヴァラクは宣言どおりソファに座り、背もたれに寄りかかって伸びをした。
「はあー、やっと座れた。さすがに座り心地いいな。クロケル、おまえもこっち来て座れ」
「班長、いくら何でもそれは……」
「座れ」
「……はい」
クロケルは神妙にうなずくと、ヴァラクの隣に、それでも遠慮がちに浅く腰を下ろした。
(あんなに童顔の班長なのに……どうしてあんなに迫力があるんだ……)
そう思いながらも、マッカラルは配置図をプリントアウトし、とりあえずダーナに渡した。ダーナは嘆息すると、執務机から立ち上がり、それをヴァラクの前にある黒いローテーブルの上に置いた。ヴァラクは配置図に目をやってから、怪訝そうにダーナを見上げた。
「大佐殿。自分はこの配置図をもとに大佐殿とお話がしたかったのですが。そちらの一人掛けのソファにお座りいただけますか?」
一応敬語を使ってはいる。しかし、これではどちらが上官なのかわからない。
マッカラルもクロケルも顔をこわばらせていたが、ダーナはヴァラクに言われるがまま、ローテーブルの端に置かれていた一人掛けのソファに座った。
「ありがとうございます」
凶悪なまでに愛想よくヴァラクが笑う。と、彼はまた突拍子もないことを言い出した。
「ところで、大佐殿はコーヒー派ですか? 紅茶派ですか? それとも、それ以外派ですか?」
「は?」
これにはダーナも面食らったようだったが、ヴァラクの質問には律義に答えた。
「コーヒーよりは紅茶のほうが好きだが、ここでは我慢してコーヒーを飲んでいる」
「なぜ我慢を?」
「紅茶だと作り置きができないからだ」
「ああ、なるほど。では、こちらではコーヒーしか飲まれていないわけですね」
――あ、次に何を要求されるか、わかった気が。
マッカラルがそう思ったとき、ダーナはやはり正直に事実を明かしていた。
「いや。時々紅茶も飲んでいる」
「ほう」
ヴァラクは紅茶によく似た赤茶色の目を細めた。
「実は自分はコーヒーが苦手なんです。あの匂いも味も。大量のミルクと砂糖でごまかさないと、とても飲めません」
「そうか。では、おまえも紅茶のほうが好きなのか」
「はい。紅茶なら何も投入しなくても飲めます。ですので大佐殿」
さらりとヴァラクは言った。
「午後の紅茶、飲ませてください」
一瞬の沈黙の後、はっと我に返ったクロケルが、ヴァラクの両肩をつかんで揺さぶる。
「は、班長! 紅茶なら待機室でいくらでも淹れてあげますから!」
「えー、ここの紅茶のほうが高級そう」
「そ、それはそうでしょうが!」
「マッカラル」
朝から数えたら今日何度目になるかわからない溜め息を、ダーナはまた吐き出した。
「私の分はいらないから淹れてやれ。二人分」
「や、あの、大佐殿!」
「了解いたしました……」
この先、七班長の要求はどこまでエスカレートしていくのだろう。内心恐怖に震えながらマッカラルが給湯室に行くと、すぐにクロケルが追いかけてきて、マッカラルに頭を下げた。
「も、申し訳ありません。うちの班長、ほんとに性悪で……」
「ああ……それはもう知っています」
「そ、そうですね……ところで、ここに断熱性のコップやストローなんてありませんよね?」
まったく予想外の問いに、マッカラルは手を止める。
「え、ええ、ありませんが……それが何か?」
「うちの班長、カップ持って飲むのが嫌いなんです。いつもコップにキャップつけて、ストローで吸って飲んでます。班長のあの様子だと、これからここに来るたび〝紅茶飲ませろ〟って要求しそうなんで……もし、うちの班長を機嫌よくさせておきたいなら、それらを用意しておかれたほうがよろしいかと……」
マッカラルはしばらく呆然としていたが、紅茶を淹れる準備を進めながら訊ねた。
「七班長が好きな紅茶の銘柄は?」
「特にないです。とりあえず、コーヒーじゃなければ何でもいい感じです」
「使用しているコップのサイズは?」
「Mサイズ。アイスティーのときはLサイズ。アイスのときは必ずガムシロップを使用します。これを切らしたときにはホットに切り替えます。でも、班長は暖かい部屋でアイスティーを飲むのがいちばん好きです」
「あなた方は、あの班長のために、毎日そんなことを……?」
「いや、カップを洗わなくて済むので、むしろ楽です。それに、班長が上機嫌でストローくわえている姿を見ているだけで、俺たちは癒やされます」
灰青の目を閉じてクロケルは力説する。しかし、それにはマッカラルは共感しかねた。
「しかし、困りましたね。ここには今、普通のティーカップしか……」
「ガラスのコップはありませんか? 砂糖と氷があれば、アイスティーにして出してしまったほうがいいです。ストローがなくても、それなら大丈夫です」
「なるほど。……甘めのほうがいいんでしょうか?」
「班長の分だけそれでお願いします。自分はブラックコーヒー派なんですが、班長の前では絶対飲めないんで……」
「苦労していますね」
その一言だけは心からマッカラルは言い、実質クロケルとの共同製作とも言えるアイスティー二人分をトレーに載せ、ソファセットまで運んだ。
ヴァラクは配置図を見ながら、何やらダーナと話していたが、アイスティーに気がつくと、ぱっと表情を輝かせた。
「やった、アイスティーだ! 今はこっちが飲みたかった!」
さすが七班長補佐。六班長にお守り役に推薦された男。
ヴァラクに彼専用アイスティーを持たせてやっているクロケルに、マッカラルはひそかに尊敬の念を抱いた。
「そんじゃ、いただきます」
一応ダーナに軽く頭を下げてから、ヴァラクはアイスティーのコップに口をつける。
「うむ」
マッカラルを含む三人の男たちは、なぜか両手でコップを持ってアイスティーを飲んでいるヴァラクを、何となく息を詰めて眺めていた。
一気に三分の二ほど飲んだところで、ヴァラクはコップから濡れた唇を離した。マッカラルの青い目を見つめ、満足そうににっこりと微笑む。
「ありがとうございます。濃さも甘さもベストです」
――癒やされた……
マッカラルは今日の帰りに、必ずコップとキャップとストローとガムシロップを買っていこうと心にメモした。
「それじゃあ、さっきの話の続きを」
コップを握ったまま、ヴァラクは配置図に目を落とす。
「大佐殿がおっしゃったとおり、殿下は今回もドレイク大佐に旗艦をとらせようと思ってます。今のところ、旗艦を一発で落とせる軍艦を持ってるのはドレイク大佐だけですしね。そいつはまあ、しょうがない。
今回、殿下はそのために、無人護衛艦を一〇〇隻削り、その分、中央の無人砲撃艦を増やしました。無人突撃艦一二〇〇隻はまた『連合』の中央に突っこませて自爆させるつもりでしょうから、ドレイク大佐が使える無人砲撃艦は二〇〇隻から三〇〇隻に増えたわけです。
今、ドレイク大佐のところには、追加した隊員数から考えて、例の〈ワイバーン〉の他に新しい軍艦が二隻あります。一隻はこの前出撃させてた旧型の無人砲撃艦の格好した有人艦。もう一隻はたぶん新型の無人砲撃艦の格好した有人艦でしょう。ドレイク大佐はそれぞれの軍艦に無人艦一〇〇隻ずつを護衛としてつけて旗艦を落としにいくと思いますが、少なくとも旗艦を落とすまでの間は『連合』の両翼からの攻撃は受けたくない。
ぶっちゃけ、うちの両翼の仕事は大きく分けて二つです。一つ。ドレイク大佐が旗艦を落とすまで『連合』の両翼に中央を攻撃させないこと。二つ。その両翼を無人護衛艦群のところまで一隻たりとも到達させないこと。
前回、殿下が新型の無人護衛艦群を両翼の攻撃に回したのは〝実験〟のつもりもあったんでしょうが、粒子砲なしで〝全艦殲滅〟するには、軍艦の数が足りなかったからでしょう。逆に言えば、最初から両翼にもっと無人砲撃艦を回していれば、ドレイク大佐はもっと楽に旗艦を落とせていたし、〝全艦殲滅〟ももっと早く達成できていたわけです。今回、一〇〇隻だけでも無人砲撃艦を増やしたということは、もう粒子砲は使わないつもりでいるということでしょう。殿下に粒子砲を使わせてしまったら、その時点で我々の〝負け〟ということになるわけですよ、大佐殿」
滔々と話すヴァラクを、マッカラルは信じられない思いで見つめていた。
とてもつい先ほどまで、無邪気にアイスティーを飲んでいた人間とは思えない。
だが、そんなヴァラクを、ダーナは楽しげに見ていた。彼がこのような表情をして部下の話を聞いているのを、マッカラルはこのとき初めて目にした。
「なるほど。〝負け〟たら、今度こそ〝栄転〟だな」
「そういうことです。……ドレイク大佐隊への『連合』の左翼の攻撃の大半は、前回どおり、無人砲撃艦群が防いでくれるでしょう。ドレイク大佐隊が旗艦を落とすまでの間、我々が最優先でしなければならないことは、左翼の数を減らすことよりも、中央へ行かせないことです」
「〈フラガラック〉のところへも行かせるわけにはいかないだろう」
「そちらはうちがします。数減らしは得意……と言うより、それしかできませんので」
ヴァラクはそう言ってから、再びアイスティーを飲んで顔をしかめた。
「げっ、薄くなっちった」
午前中に何とか立ち直ったダーナは、端末を操作する手を休めないまま、マッカラルに入れてやれと命じた。
(今朝は自分で入れたのに……態度違いすぎ)
マッカラルはそう思いながらも、了解しましたと答えて自動ドアを開けた。
扉の向こうには、当然〝七班長補佐〟クロケルが立っていた。が、なぜか困り顔をしている彼の背後から、ひょいと誰かが現れて、マッカラルに悪童のような笑顔を見せた。
(え……)
マッカラルが驚きのあまり固まっている間に、クロケルはダーナの前に進み出て、書類袋を抱えたまま敬礼する。
「お忙しいところ失礼いたします。ダーナ大佐殿、隊員名簿をお届けにまいりました」
「うむ……」
さすがにダーナは端末から顔を上げたが、クロケルを見る前に、彼の陰に隠れるようにして立っていた人物と目が合って、マッカラルと同じように固まった。
「えーと……」
先に自分の手の中にある書類袋をダーナに渡したほうがいいのか、それとも自分の後ろにいるものの説明をしたほうがいいのか、明らかにクロケルは迷っていたが、ダーナが冷然とこう訊ねるのを聞いて安堵の溜め息をこぼした。
「なぜここにいる? 七班長」
「この男は自分の風よけですので」
しれっと七班長――ヴァラクは答えた。
「それに、自分はこの男に届けさせるとは申しましたが、〝一人で〟とは申しておりません」
屈託なく笑うヴァラクを見て、マッカラルは思った。
(悪魔だ……悪魔が大佐の心をもてあそんでいる……)
心をもてあそばれたダーナは、今朝と同じように頭を抱えていたが、頭から右手を離すと、クロケルのほうに差しのべた。
「とにかく、その隊員名簿を受領する。ご苦労だった」
「はっ」
見るからに緊張した様子で書類袋を持ち直し、うやうやしくダーナに手渡す。
ダーナは書類袋を開封しながら何気なく言った。
「それで、七班長。おまえの用件は何だ?」
マッカラルとクロケルがヴァラクを見ると、彼は嬉しそうににやついていた。
「さすが大佐殿。よくおわかりで」
「おまえが私をからかうためだけに、わざわざここに来たりはしないだろう。何が目的だ?」
「たぶん、今日の午前中、一斉送信されたのではないかと思いまして」
にこりとヴァラクは笑った。
「殿下から、次回の配置図が」
マッカラルは息が止まりそうになったが、ダーナは手を止めて、少し不満そうにヴァラクを見上げた。
「作戦説明はすると言ったのに、それまで待てなかったのか?」
「こう申しては何ですが、わざわざそんなことをしなくても、今ここで大佐殿と自分がお話しすれば、それで済むことではありませんか?」
ヴァラク以外の班長にこう言われていたなら、ダーナは不遜と一蹴していただろう。
だが、ダーナは愉快そうに笑って、書類袋から隊員名簿を引き出した。
「不安なのか?」
「はい。大佐殿が私の〝盾〟をどこぞに譲られてしまわれたので、不安で不安で……」
――ああ……大佐が危惧していたとおり、これからこうやって責められつづけるんだな……
再び硬直してしまったダーナを見て、マッカラルは奇妙な安心感を抱いた。
「大佐殿」
ヴァラクは笑んだまま、いきなり人差指で執務室内にある灰色のソファセットを指した。
「あの無駄に高級なソファセットは、いったい何のためにここにあるとお思いですか?」
「……来客用」
隊員名簿を目隠しのようにして、小さくダーナが返答する。
「残念ながら大佐殿。それでは正解とは言えません」
呆れ果てたと言わんばかりに溜め息をつくと、ヴァラクは首を左右に振った。
「あのソファセットは座って話をするためにあるんです。いいですか、座って話を!」
「あ、ああ……確かに」
「どうせここに客なんて来やしません! いいかげん、自分は立って話をするのに疲れました! あのソファに座って待ってますから、今すぐ配置図をプリントアウトしてきてください! 三時前には帰ってさしあげます!」
「は、班長!」
クロケルは蒼白になってあわてたが、マッカラルは既視感を覚えただけだった。ダーナもそうだったのか、怒るどころか諦めの表情で、マッカラルに一言、プリントアウトと命じる。その間に、ヴァラクは宣言どおりソファに座り、背もたれに寄りかかって伸びをした。
「はあー、やっと座れた。さすがに座り心地いいな。クロケル、おまえもこっち来て座れ」
「班長、いくら何でもそれは……」
「座れ」
「……はい」
クロケルは神妙にうなずくと、ヴァラクの隣に、それでも遠慮がちに浅く腰を下ろした。
(あんなに童顔の班長なのに……どうしてあんなに迫力があるんだ……)
そう思いながらも、マッカラルは配置図をプリントアウトし、とりあえずダーナに渡した。ダーナは嘆息すると、執務机から立ち上がり、それをヴァラクの前にある黒いローテーブルの上に置いた。ヴァラクは配置図に目をやってから、怪訝そうにダーナを見上げた。
「大佐殿。自分はこの配置図をもとに大佐殿とお話がしたかったのですが。そちらの一人掛けのソファにお座りいただけますか?」
一応敬語を使ってはいる。しかし、これではどちらが上官なのかわからない。
マッカラルもクロケルも顔をこわばらせていたが、ダーナはヴァラクに言われるがまま、ローテーブルの端に置かれていた一人掛けのソファに座った。
「ありがとうございます」
凶悪なまでに愛想よくヴァラクが笑う。と、彼はまた突拍子もないことを言い出した。
「ところで、大佐殿はコーヒー派ですか? 紅茶派ですか? それとも、それ以外派ですか?」
「は?」
これにはダーナも面食らったようだったが、ヴァラクの質問には律義に答えた。
「コーヒーよりは紅茶のほうが好きだが、ここでは我慢してコーヒーを飲んでいる」
「なぜ我慢を?」
「紅茶だと作り置きができないからだ」
「ああ、なるほど。では、こちらではコーヒーしか飲まれていないわけですね」
――あ、次に何を要求されるか、わかった気が。
マッカラルがそう思ったとき、ダーナはやはり正直に事実を明かしていた。
「いや。時々紅茶も飲んでいる」
「ほう」
ヴァラクは紅茶によく似た赤茶色の目を細めた。
「実は自分はコーヒーが苦手なんです。あの匂いも味も。大量のミルクと砂糖でごまかさないと、とても飲めません」
「そうか。では、おまえも紅茶のほうが好きなのか」
「はい。紅茶なら何も投入しなくても飲めます。ですので大佐殿」
さらりとヴァラクは言った。
「午後の紅茶、飲ませてください」
一瞬の沈黙の後、はっと我に返ったクロケルが、ヴァラクの両肩をつかんで揺さぶる。
「は、班長! 紅茶なら待機室でいくらでも淹れてあげますから!」
「えー、ここの紅茶のほうが高級そう」
「そ、それはそうでしょうが!」
「マッカラル」
朝から数えたら今日何度目になるかわからない溜め息を、ダーナはまた吐き出した。
「私の分はいらないから淹れてやれ。二人分」
「や、あの、大佐殿!」
「了解いたしました……」
この先、七班長の要求はどこまでエスカレートしていくのだろう。内心恐怖に震えながらマッカラルが給湯室に行くと、すぐにクロケルが追いかけてきて、マッカラルに頭を下げた。
「も、申し訳ありません。うちの班長、ほんとに性悪で……」
「ああ……それはもう知っています」
「そ、そうですね……ところで、ここに断熱性のコップやストローなんてありませんよね?」
まったく予想外の問いに、マッカラルは手を止める。
「え、ええ、ありませんが……それが何か?」
「うちの班長、カップ持って飲むのが嫌いなんです。いつもコップにキャップつけて、ストローで吸って飲んでます。班長のあの様子だと、これからここに来るたび〝紅茶飲ませろ〟って要求しそうなんで……もし、うちの班長を機嫌よくさせておきたいなら、それらを用意しておかれたほうがよろしいかと……」
マッカラルはしばらく呆然としていたが、紅茶を淹れる準備を進めながら訊ねた。
「七班長が好きな紅茶の銘柄は?」
「特にないです。とりあえず、コーヒーじゃなければ何でもいい感じです」
「使用しているコップのサイズは?」
「Mサイズ。アイスティーのときはLサイズ。アイスのときは必ずガムシロップを使用します。これを切らしたときにはホットに切り替えます。でも、班長は暖かい部屋でアイスティーを飲むのがいちばん好きです」
「あなた方は、あの班長のために、毎日そんなことを……?」
「いや、カップを洗わなくて済むので、むしろ楽です。それに、班長が上機嫌でストローくわえている姿を見ているだけで、俺たちは癒やされます」
灰青の目を閉じてクロケルは力説する。しかし、それにはマッカラルは共感しかねた。
「しかし、困りましたね。ここには今、普通のティーカップしか……」
「ガラスのコップはありませんか? 砂糖と氷があれば、アイスティーにして出してしまったほうがいいです。ストローがなくても、それなら大丈夫です」
「なるほど。……甘めのほうがいいんでしょうか?」
「班長の分だけそれでお願いします。自分はブラックコーヒー派なんですが、班長の前では絶対飲めないんで……」
「苦労していますね」
その一言だけは心からマッカラルは言い、実質クロケルとの共同製作とも言えるアイスティー二人分をトレーに載せ、ソファセットまで運んだ。
ヴァラクは配置図を見ながら、何やらダーナと話していたが、アイスティーに気がつくと、ぱっと表情を輝かせた。
「やった、アイスティーだ! 今はこっちが飲みたかった!」
さすが七班長補佐。六班長にお守り役に推薦された男。
ヴァラクに彼専用アイスティーを持たせてやっているクロケルに、マッカラルはひそかに尊敬の念を抱いた。
「そんじゃ、いただきます」
一応ダーナに軽く頭を下げてから、ヴァラクはアイスティーのコップに口をつける。
「うむ」
マッカラルを含む三人の男たちは、なぜか両手でコップを持ってアイスティーを飲んでいるヴァラクを、何となく息を詰めて眺めていた。
一気に三分の二ほど飲んだところで、ヴァラクはコップから濡れた唇を離した。マッカラルの青い目を見つめ、満足そうににっこりと微笑む。
「ありがとうございます。濃さも甘さもベストです」
――癒やされた……
マッカラルは今日の帰りに、必ずコップとキャップとストローとガムシロップを買っていこうと心にメモした。
「それじゃあ、さっきの話の続きを」
コップを握ったまま、ヴァラクは配置図に目を落とす。
「大佐殿がおっしゃったとおり、殿下は今回もドレイク大佐に旗艦をとらせようと思ってます。今のところ、旗艦を一発で落とせる軍艦を持ってるのはドレイク大佐だけですしね。そいつはまあ、しょうがない。
今回、殿下はそのために、無人護衛艦を一〇〇隻削り、その分、中央の無人砲撃艦を増やしました。無人突撃艦一二〇〇隻はまた『連合』の中央に突っこませて自爆させるつもりでしょうから、ドレイク大佐が使える無人砲撃艦は二〇〇隻から三〇〇隻に増えたわけです。
今、ドレイク大佐のところには、追加した隊員数から考えて、例の〈ワイバーン〉の他に新しい軍艦が二隻あります。一隻はこの前出撃させてた旧型の無人砲撃艦の格好した有人艦。もう一隻はたぶん新型の無人砲撃艦の格好した有人艦でしょう。ドレイク大佐はそれぞれの軍艦に無人艦一〇〇隻ずつを護衛としてつけて旗艦を落としにいくと思いますが、少なくとも旗艦を落とすまでの間は『連合』の両翼からの攻撃は受けたくない。
ぶっちゃけ、うちの両翼の仕事は大きく分けて二つです。一つ。ドレイク大佐が旗艦を落とすまで『連合』の両翼に中央を攻撃させないこと。二つ。その両翼を無人護衛艦群のところまで一隻たりとも到達させないこと。
前回、殿下が新型の無人護衛艦群を両翼の攻撃に回したのは〝実験〟のつもりもあったんでしょうが、粒子砲なしで〝全艦殲滅〟するには、軍艦の数が足りなかったからでしょう。逆に言えば、最初から両翼にもっと無人砲撃艦を回していれば、ドレイク大佐はもっと楽に旗艦を落とせていたし、〝全艦殲滅〟ももっと早く達成できていたわけです。今回、一〇〇隻だけでも無人砲撃艦を増やしたということは、もう粒子砲は使わないつもりでいるということでしょう。殿下に粒子砲を使わせてしまったら、その時点で我々の〝負け〟ということになるわけですよ、大佐殿」
滔々と話すヴァラクを、マッカラルは信じられない思いで見つめていた。
とてもつい先ほどまで、無邪気にアイスティーを飲んでいた人間とは思えない。
だが、そんなヴァラクを、ダーナは楽しげに見ていた。彼がこのような表情をして部下の話を聞いているのを、マッカラルはこのとき初めて目にした。
「なるほど。〝負け〟たら、今度こそ〝栄転〟だな」
「そういうことです。……ドレイク大佐隊への『連合』の左翼の攻撃の大半は、前回どおり、無人砲撃艦群が防いでくれるでしょう。ドレイク大佐隊が旗艦を落とすまでの間、我々が最優先でしなければならないことは、左翼の数を減らすことよりも、中央へ行かせないことです」
「〈フラガラック〉のところへも行かせるわけにはいかないだろう」
「そちらはうちがします。数減らしは得意……と言うより、それしかできませんので」
ヴァラクはそう言ってから、再びアイスティーを飲んで顔をしかめた。
「げっ、薄くなっちった」
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