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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)
プロローグ
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「帝国」皇帝軍護衛艦隊の中央基地の形状を大雑把に言い表すなら、総司令部を中心とした巨大な円である。たいていの大都市はその円の中にすっぽり収まってしまうだろう。
その円の外周には九つの軍港があり、各大佐隊と訓練生たちがそれぞれ専用軍港として使用している。そのうちの一つだけは、なぜか他に比べて非常に小規模だが――何しろ、通常は十二あるドックが一つしかない――施設そのものは他の軍港よりむしろ充実していた。
ドレイク大佐隊は、その小規模かつ高機能な軍港を二ヶ月前から使用している。ちなみに、それ以前にはどこにも使われていなかった。
この謎めいた軍港には、総司令部のある中央部(総司令部周辺には、総務部、情報部、開発部等々がある)から比較的近い、そして普通は併設されている〝大佐棟〟がない(そのため、ドレイクの執務室は中央部にある棟の一角にある)というさらに謎な特徴もある。他の軍港では、ドックから中央部まで徒歩移動するのはまず不可能――いや、不可能ではないが距離的に非現実的――だが、ドレイク大佐隊だけはそれができるのだ。
もっとも、ドレイクに二キロメートル以内は使用禁止(緊急時を除く)と言い渡されてさえいなければ、ほとんどの隊員は移動車を利用していただろう。それでドレイクだけは移動車を使っていればまだ文句も言えるのだが――他の大佐隊だったら〝大佐〟にそのような文句は思っていても言えないが、そこはドレイクなので――彼は副官イルホンを道連れに自分の執務室とドックとを徒歩で往復していた。ドレイクの執務室に呼び出される、それすなわち軍港付属のドック内の待機室から執務室まで歩いていく(そして歩いて戻ってくる)ことを意味しているのである。
今朝は、フォルカスとキメイス、ラッセルたちより三日遅れでドレイク大佐隊に転属となった整備三人組――グイン、ラス、ウィルヘルムの計五人がドレイクの執務室に呼び出され、強制的に徒歩移動させられることになった。
ラッセルたち――ラッセル、バラード、オールディス、ディック、スターリングの五人が加入してからというもの、なかなか終わらなくなってしまった朝のミーティングは、出かける前にフォルカスに強制終了させていってもらったはずだった。
しかし、フォルカスたちが待機室を出ていった直後から、今度はフォルカスとキメイスが何のために呼び出されたのかをネタに(整備三人組は転属願提出のためとわかっていた)、いつものメンバー(ラッセル以外の元ウェーバー大佐隊員たち)以外も盛り上がってしまい、結局、ミーティングという名の井戸端会議はいつも以上にエンドレスな状態に陥ってしまったのだった。
――いいのか。これで。
ああでもないこうでもないとまったく実のない話を熱心にしている隊員たちをラッセルは一人呆れて傍観していた。これ以上続くようなら〈新型〉で〝孤独に〟砲撃訓練するか。そんなことを考えたとき、待機室の通路側の自動ドアが開き、キメイス、フォルカスの順に入室してきた。
気づいたのはたぶんラッセルのほうが早かったが、声に出したのはラッセルたちより二ヶ月も前にここに転属された元ウェーバー大佐隊員スミスのほうが早かった。
「お、帰ってきた。……あれ? おまえら二人だけか?」
「はい。先に俺たち二人、ここに戻るようにと大佐に言われまして。たぶん、もう少ししたら、整備三人組も帰ってくると思います」
キメイスが苦笑めいた笑みを浮かべて答える。
褐色の髪と紫色の瞳を持つ彼は、ディックによると〝ドレイク大佐隊三大美人〟のうちの一人だそうである。初めてそれを聞かされたときには、これが今も昔も自分の同僚かと心底情けなくなったが、参考までに残りの二人は誰だと訊ねてみたところ、白金の髪に紺碧の瞳のフォルカスと、金髪碧眼のティプトリーとのことだった。
ではその三人の中でいちばん〝美人〟なのは誰だとこれもあくまで参考までに訊いてみると、笑わなければフォルカスくんだなとディックは即答した。同感だったが、ディックと同類にはなりたくなかったラッセルは、そうかとだけ言って肯定も否定もしなかった。
「結局、おまえら二人は何の用で呼ばれたんだ?」
同じ元ウェーバー大佐隊員でもディックたちよりはまともと思えるスミスは、これまで話題の中心となっていたことを単刀直入にキメイスに訊ねた。
「うーん……今となっては伝言役ですかね。先に電話で知らせようかとも思ったんですが、直接伝えたほうが二度手間にならなくていいかと思い直してやめました。……スミスさん。やっぱり〝予定は未定〟でしたよ」
その一言で、スミスの表情が固まった。
「まさか、追加隊員あったのか?」
「ええ。それも俺らにとってはありえない人が」
「ありえない人?」
一方、キメイスと一緒に帰ってきたフォルカスは、一言もしゃべらないまま手近な椅子に腰を下ろしていた。いつも待機室に戻ってきたときには、〝ただいま戻りましたーっ!〟と明るく挨拶しているのだが。
「フォルカスさん。どこか具合悪いんですか? 顔色悪いですよ?」
ドレイク大佐隊の旗艦――公式には唯一の砲撃艦〈ワイバーン〉の正操縦士であるマシムは、そんなフォルカスのそばにいつのまにか立っていて、心配そうに(あまり表情筋を動かさないのでわかりにくいが)彼を覗きこんでいた。
そういえば、ラッセルがここのドックに初めて来たときにもこの二人は一緒にいた。スミスいわく〈ワイバーン〉限定で整備熱心な操縦士らしい。
「俺はたぶん、これからこの状態が標準状態になると思う……」
マシムのほうは見ずに弱々しくフォルカスがそう返したとき、キメイスは今度ははっきり苦笑いした。
「元マクスウェル大佐隊の六班長が、操縦士としてうちに来るそうです」
一瞬、待機室内は静まり返った。
ラッセル以外は元マクスウェル大佐隊の〝班長〟というところに驚いたのだろうが、一週間前まで元ウェーバー大佐隊の六班長だったラッセルは、〝六班長〟というのに過剰反応してしまった。
「うわっ、ほんとにありえない」
待機室内の沈黙を笑いながら破ったのはオールディスだった。
「いったい何があったんだ……」
バラードが呆然と呟く。
口には出さなかったものの、ラッセルもオールディスやバラードと同じことを思っていた。オールディスのコネ情報によれば、六班長は元マクスウェル大佐隊の中で〝生き残った〟班長たちの一人である。ドレイク大佐隊に転属されなければならない理由はないはずだ。
「で、〈新型〉の操縦士はその六班長に変更。スミスさんは〈旧型〉の操縦に回って、ギブスンは砲撃だそうです」
頃合いを見計らって、キメイスが続きを話す。スミスは両腕を組んで片眉を吊り上げた。
「それでもう決定か?」
「はい、決定です。俺とフォルカスは今回も〈旧型〉。たぶん、今日の午後には作戦説明できると言ってました。……今日の午前中には配置図が送信されると踏んでるんでしょう」
「え……じゃあ俺、もう操縦のシミュレーションしなくてもよくなったんですか?」
思わず声を弾ませたギブスンに、キメイスは醒めた視線を投げつけた。
「ああ、よかったな。おまえだけは」
「……何かまずいことでも?」
年上の同期(そして〝ドレイク大佐隊三大美人〟のうちの一人)の不興を買ってしまったギブスンは激しくたじろいだ。それを見て、スミスが思い出したように口を開く。
「そういや、フォルカスが元六班……」
「いいよ、ギブスン。素直に喜べよ」
明らかに無理して作っているとわかる笑顔でフォルカスが言った。
「これでおまえ、操縦士しなくて済むぞ」
「いや、そんな顔で言われても……」
困惑してギブスンが絶句する。と、マシムが淡々とフォルカスに訊ねた。
「フォルカスさん。その六班長が嫌いなんですか?」
「ズバッと〝息吹〟」
ぼそっとキメイスが呟いたが、それはうなだれたままこう問い返したフォルカスの耳にはまったく届いていなかっただろう。
「マシム……トラウマ抱えた整備のお兄さんのお願い、きいてくれる?」
「何でしょう?」
「六班長の前では、俺をおまえの後ろにかくまってくれ」
マシムは眉をひそめた。笑うことも少ないが怒ることも少ない彼にしては、珍しいことである。
「そんなに嫌いなんですか?」
「嫌いというか……怖いんだ……やっと安息の日々を手に入れたというのに……」
フォルカスは自分の両膝を握りしめて肩を落としていた。そんな彼をしばらく見下ろしてから、マシムはキメイスに顔を巡らせた。
「キメイスさん。その六班長って、そんなに怖い人なんですか?」
「いや、たぶん元マクスウェル大佐隊の班長の中ではまっとうな人だ。……地雷さえ踏まなければ」
「地雷?」
「とにかく、しばらくの間、フォルカスの言うとおりにしてやってくれ。俺にはそれ以上のことは言えない」
「はあ……それは全然かまいませんけど……」
また苦笑いを漏らしているキメイスを、マシムは怪訝そうに見つめた。
「大佐は知らないんですか? フォルカスさんがその六班長のこと、こんなに怖がってるってこと」
「嫌ってることは知ってるけどな。同じ軍艦には絶対乗せないって言ってた」
「こんなにフォルカスさん怯えさせるくらいなら、六班長入れないでギブスン操縦士にすればいいのに」
マシムが無表情に言い放つ。その隣でギブスンは独りごちた。
「今回だけは、何も言えない……」
「何だか知らないが〝諸事情〟があって、ダーナ大佐隊にはいられなくなったそうだ。……オールディスさん、知ってます?」
「いや、残念ながら知らないねえ」
少しも残念とは思っていなそうな顔で、オールディスは肩をすくめてみせる。
「ただ、六班長は七班長の片腕的ポジションにいたそうだから、そんな班長がうちに来たってのは、よっぽどのことがあったんだろうね」
「え、そんな重要ポジションにいたんすか、あの人」
フォルカスが驚いて顔を上げる。そんな彼をオールディスは呆れたように見やった。
「その班長の班にいた君が、何でそんなこと知らないの?」
「俺、マクスウェル大佐隊では引きこもってたんで……」
決まり悪そうにフォルカスが言い訳する。と、またマシムが間髪を入れずに訊ねた。
「六班長のせいですか?」
「ズバッと〝息吹〟、二発目」
だが、キメイスの〝二発目〟もフォルカスには聞こえなかったようだ。マシムの直球すぎる問いに苦笑まじりに答える。
「いや、それはあの人だけのせいじゃないけどな。何つーか……マクスウェル大佐隊そのものが嫌だったんだよ」
「その六班長はいつここに来るんだ?」
フォルカスに六班長関係の質問は厳禁。そう悟ったらしいスミスはキメイスに視線を巡らせた。
「今日の午後、大佐たちと一緒に来るそうです。執務室に行ったら六班長がいてびっくりしましたよ」
これにはスミスも意表を突かれたようだった。
「執務室にいたのか?」
「あれ? 言ってませんでした? いましたよ。話はしませんでしたけど」
六班長に怯えるばかりのフォルカスに対し、キメイスは六班長のことを口にするたび、何とも言えない苦笑を浮かべている。フォルカスと特に仲のいいキメイスなら、彼に同調して六班長を非難しそうなものだが、とラッセルは不思議に思ったが、それはスミスも同じだったようだ。
「キメイス……おまえもその六班長と何かあったのか?」
不審そうにスミスに問われて、キメイスはまた意味ありげに苦く笑った。
「いや、俺はあの班長とは何もありませんけどね。スミスさんこそ、六班長に〈新型〉の操縦席とられてしまって、悔しいとか寂しいとかないんですか?」
「まったくないが?」
すぐにそう答えたスミスは、なぜそんなことを訊くのかと問い返したいような顔をしていた。
「薄情だなー。わかってたけど」
スターリングが少しだけ傷ついたように苦笑いする。
「悪いが、俺はダーナ大佐には何の思い入れもないからな。六班長が〈新型〉操縦するんなら、〈新型〉の乗組員は全員元ダーナ大佐隊ってことになって、ちょうどいいんじゃないか?」
「ああ、そう言われてみればそうだ」
軽くディックが目を見張る。
「事情はともかく、みなダーナ大佐隊にはいられなくなった人間ばかりというわけか。こりゃ愉快だね」
オールディスはへらへら笑い、それを横目にバラードは顔をしかめた。
「呑気な奴らだな。元マクスウェル大佐隊の班長に操縦桿を預けることに対して、不安はないのか?」
「おまえに預けるより不安はない」
「くそっ、言い返せない!」
そんな元ウェーバー大佐隊員たちを眺めながら、心底うらやましそうにフォルカスは溜め息をついた。
「スミスさんはいいなあ……好き勝手言える同僚入れてもらえて……俺なんか、最後の最後で元上官……」
「まあ、確かに上官は対応しにくいよな」
さすが、肩書はなくてもドレイク大佐隊員のリーダー格。あわててフォルカスのフォローに回る。
「でも、ここに入ったら過去の上下関係はご破算になるから、おまえが嫌だったら避けてていいぞ。俺たちも全面協力する」
「スミスさん……ありがとうございます……!」
少しは気分が浮上したのか、フォルカスは右手で涙を拭う真似をした。
「あのフォルカスさんをあそこまで怯えさせる六班長って、いったいどんな人なんだろう……」
ティプトリーがそう呟くと、その隣にいたシェルドンが困惑したように答える。
「さあ……大佐が入れたんだから、悪い人ではないんだろうけど……」
単純だが一理あった。その六班長がどれほど優れた操縦士だったとしても、自分の今いる部下を脅かす存在であれば、ドレイクは決して自隊には入れないだろう。
ラッセルはそう考えたが、世の中には〝悪い人ではないが(以下略)〟という種類の人間もいて、むしろ、そちらのほうが何かと厄介なのだった。〝悪い人〟ではないだけに。
その円の外周には九つの軍港があり、各大佐隊と訓練生たちがそれぞれ専用軍港として使用している。そのうちの一つだけは、なぜか他に比べて非常に小規模だが――何しろ、通常は十二あるドックが一つしかない――施設そのものは他の軍港よりむしろ充実していた。
ドレイク大佐隊は、その小規模かつ高機能な軍港を二ヶ月前から使用している。ちなみに、それ以前にはどこにも使われていなかった。
この謎めいた軍港には、総司令部のある中央部(総司令部周辺には、総務部、情報部、開発部等々がある)から比較的近い、そして普通は併設されている〝大佐棟〟がない(そのため、ドレイクの執務室は中央部にある棟の一角にある)というさらに謎な特徴もある。他の軍港では、ドックから中央部まで徒歩移動するのはまず不可能――いや、不可能ではないが距離的に非現実的――だが、ドレイク大佐隊だけはそれができるのだ。
もっとも、ドレイクに二キロメートル以内は使用禁止(緊急時を除く)と言い渡されてさえいなければ、ほとんどの隊員は移動車を利用していただろう。それでドレイクだけは移動車を使っていればまだ文句も言えるのだが――他の大佐隊だったら〝大佐〟にそのような文句は思っていても言えないが、そこはドレイクなので――彼は副官イルホンを道連れに自分の執務室とドックとを徒歩で往復していた。ドレイクの執務室に呼び出される、それすなわち軍港付属のドック内の待機室から執務室まで歩いていく(そして歩いて戻ってくる)ことを意味しているのである。
今朝は、フォルカスとキメイス、ラッセルたちより三日遅れでドレイク大佐隊に転属となった整備三人組――グイン、ラス、ウィルヘルムの計五人がドレイクの執務室に呼び出され、強制的に徒歩移動させられることになった。
ラッセルたち――ラッセル、バラード、オールディス、ディック、スターリングの五人が加入してからというもの、なかなか終わらなくなってしまった朝のミーティングは、出かける前にフォルカスに強制終了させていってもらったはずだった。
しかし、フォルカスたちが待機室を出ていった直後から、今度はフォルカスとキメイスが何のために呼び出されたのかをネタに(整備三人組は転属願提出のためとわかっていた)、いつものメンバー(ラッセル以外の元ウェーバー大佐隊員たち)以外も盛り上がってしまい、結局、ミーティングという名の井戸端会議はいつも以上にエンドレスな状態に陥ってしまったのだった。
――いいのか。これで。
ああでもないこうでもないとまったく実のない話を熱心にしている隊員たちをラッセルは一人呆れて傍観していた。これ以上続くようなら〈新型〉で〝孤独に〟砲撃訓練するか。そんなことを考えたとき、待機室の通路側の自動ドアが開き、キメイス、フォルカスの順に入室してきた。
気づいたのはたぶんラッセルのほうが早かったが、声に出したのはラッセルたちより二ヶ月も前にここに転属された元ウェーバー大佐隊員スミスのほうが早かった。
「お、帰ってきた。……あれ? おまえら二人だけか?」
「はい。先に俺たち二人、ここに戻るようにと大佐に言われまして。たぶん、もう少ししたら、整備三人組も帰ってくると思います」
キメイスが苦笑めいた笑みを浮かべて答える。
褐色の髪と紫色の瞳を持つ彼は、ディックによると〝ドレイク大佐隊三大美人〟のうちの一人だそうである。初めてそれを聞かされたときには、これが今も昔も自分の同僚かと心底情けなくなったが、参考までに残りの二人は誰だと訊ねてみたところ、白金の髪に紺碧の瞳のフォルカスと、金髪碧眼のティプトリーとのことだった。
ではその三人の中でいちばん〝美人〟なのは誰だとこれもあくまで参考までに訊いてみると、笑わなければフォルカスくんだなとディックは即答した。同感だったが、ディックと同類にはなりたくなかったラッセルは、そうかとだけ言って肯定も否定もしなかった。
「結局、おまえら二人は何の用で呼ばれたんだ?」
同じ元ウェーバー大佐隊員でもディックたちよりはまともと思えるスミスは、これまで話題の中心となっていたことを単刀直入にキメイスに訊ねた。
「うーん……今となっては伝言役ですかね。先に電話で知らせようかとも思ったんですが、直接伝えたほうが二度手間にならなくていいかと思い直してやめました。……スミスさん。やっぱり〝予定は未定〟でしたよ」
その一言で、スミスの表情が固まった。
「まさか、追加隊員あったのか?」
「ええ。それも俺らにとってはありえない人が」
「ありえない人?」
一方、キメイスと一緒に帰ってきたフォルカスは、一言もしゃべらないまま手近な椅子に腰を下ろしていた。いつも待機室に戻ってきたときには、〝ただいま戻りましたーっ!〟と明るく挨拶しているのだが。
「フォルカスさん。どこか具合悪いんですか? 顔色悪いですよ?」
ドレイク大佐隊の旗艦――公式には唯一の砲撃艦〈ワイバーン〉の正操縦士であるマシムは、そんなフォルカスのそばにいつのまにか立っていて、心配そうに(あまり表情筋を動かさないのでわかりにくいが)彼を覗きこんでいた。
そういえば、ラッセルがここのドックに初めて来たときにもこの二人は一緒にいた。スミスいわく〈ワイバーン〉限定で整備熱心な操縦士らしい。
「俺はたぶん、これからこの状態が標準状態になると思う……」
マシムのほうは見ずに弱々しくフォルカスがそう返したとき、キメイスは今度ははっきり苦笑いした。
「元マクスウェル大佐隊の六班長が、操縦士としてうちに来るそうです」
一瞬、待機室内は静まり返った。
ラッセル以外は元マクスウェル大佐隊の〝班長〟というところに驚いたのだろうが、一週間前まで元ウェーバー大佐隊の六班長だったラッセルは、〝六班長〟というのに過剰反応してしまった。
「うわっ、ほんとにありえない」
待機室内の沈黙を笑いながら破ったのはオールディスだった。
「いったい何があったんだ……」
バラードが呆然と呟く。
口には出さなかったものの、ラッセルもオールディスやバラードと同じことを思っていた。オールディスのコネ情報によれば、六班長は元マクスウェル大佐隊の中で〝生き残った〟班長たちの一人である。ドレイク大佐隊に転属されなければならない理由はないはずだ。
「で、〈新型〉の操縦士はその六班長に変更。スミスさんは〈旧型〉の操縦に回って、ギブスンは砲撃だそうです」
頃合いを見計らって、キメイスが続きを話す。スミスは両腕を組んで片眉を吊り上げた。
「それでもう決定か?」
「はい、決定です。俺とフォルカスは今回も〈旧型〉。たぶん、今日の午後には作戦説明できると言ってました。……今日の午前中には配置図が送信されると踏んでるんでしょう」
「え……じゃあ俺、もう操縦のシミュレーションしなくてもよくなったんですか?」
思わず声を弾ませたギブスンに、キメイスは醒めた視線を投げつけた。
「ああ、よかったな。おまえだけは」
「……何かまずいことでも?」
年上の同期(そして〝ドレイク大佐隊三大美人〟のうちの一人)の不興を買ってしまったギブスンは激しくたじろいだ。それを見て、スミスが思い出したように口を開く。
「そういや、フォルカスが元六班……」
「いいよ、ギブスン。素直に喜べよ」
明らかに無理して作っているとわかる笑顔でフォルカスが言った。
「これでおまえ、操縦士しなくて済むぞ」
「いや、そんな顔で言われても……」
困惑してギブスンが絶句する。と、マシムが淡々とフォルカスに訊ねた。
「フォルカスさん。その六班長が嫌いなんですか?」
「ズバッと〝息吹〟」
ぼそっとキメイスが呟いたが、それはうなだれたままこう問い返したフォルカスの耳にはまったく届いていなかっただろう。
「マシム……トラウマ抱えた整備のお兄さんのお願い、きいてくれる?」
「何でしょう?」
「六班長の前では、俺をおまえの後ろにかくまってくれ」
マシムは眉をひそめた。笑うことも少ないが怒ることも少ない彼にしては、珍しいことである。
「そんなに嫌いなんですか?」
「嫌いというか……怖いんだ……やっと安息の日々を手に入れたというのに……」
フォルカスは自分の両膝を握りしめて肩を落としていた。そんな彼をしばらく見下ろしてから、マシムはキメイスに顔を巡らせた。
「キメイスさん。その六班長って、そんなに怖い人なんですか?」
「いや、たぶん元マクスウェル大佐隊の班長の中ではまっとうな人だ。……地雷さえ踏まなければ」
「地雷?」
「とにかく、しばらくの間、フォルカスの言うとおりにしてやってくれ。俺にはそれ以上のことは言えない」
「はあ……それは全然かまいませんけど……」
また苦笑いを漏らしているキメイスを、マシムは怪訝そうに見つめた。
「大佐は知らないんですか? フォルカスさんがその六班長のこと、こんなに怖がってるってこと」
「嫌ってることは知ってるけどな。同じ軍艦には絶対乗せないって言ってた」
「こんなにフォルカスさん怯えさせるくらいなら、六班長入れないでギブスン操縦士にすればいいのに」
マシムが無表情に言い放つ。その隣でギブスンは独りごちた。
「今回だけは、何も言えない……」
「何だか知らないが〝諸事情〟があって、ダーナ大佐隊にはいられなくなったそうだ。……オールディスさん、知ってます?」
「いや、残念ながら知らないねえ」
少しも残念とは思っていなそうな顔で、オールディスは肩をすくめてみせる。
「ただ、六班長は七班長の片腕的ポジションにいたそうだから、そんな班長がうちに来たってのは、よっぽどのことがあったんだろうね」
「え、そんな重要ポジションにいたんすか、あの人」
フォルカスが驚いて顔を上げる。そんな彼をオールディスは呆れたように見やった。
「その班長の班にいた君が、何でそんなこと知らないの?」
「俺、マクスウェル大佐隊では引きこもってたんで……」
決まり悪そうにフォルカスが言い訳する。と、またマシムが間髪を入れずに訊ねた。
「六班長のせいですか?」
「ズバッと〝息吹〟、二発目」
だが、キメイスの〝二発目〟もフォルカスには聞こえなかったようだ。マシムの直球すぎる問いに苦笑まじりに答える。
「いや、それはあの人だけのせいじゃないけどな。何つーか……マクスウェル大佐隊そのものが嫌だったんだよ」
「その六班長はいつここに来るんだ?」
フォルカスに六班長関係の質問は厳禁。そう悟ったらしいスミスはキメイスに視線を巡らせた。
「今日の午後、大佐たちと一緒に来るそうです。執務室に行ったら六班長がいてびっくりしましたよ」
これにはスミスも意表を突かれたようだった。
「執務室にいたのか?」
「あれ? 言ってませんでした? いましたよ。話はしませんでしたけど」
六班長に怯えるばかりのフォルカスに対し、キメイスは六班長のことを口にするたび、何とも言えない苦笑を浮かべている。フォルカスと特に仲のいいキメイスなら、彼に同調して六班長を非難しそうなものだが、とラッセルは不思議に思ったが、それはスミスも同じだったようだ。
「キメイス……おまえもその六班長と何かあったのか?」
不審そうにスミスに問われて、キメイスはまた意味ありげに苦く笑った。
「いや、俺はあの班長とは何もありませんけどね。スミスさんこそ、六班長に〈新型〉の操縦席とられてしまって、悔しいとか寂しいとかないんですか?」
「まったくないが?」
すぐにそう答えたスミスは、なぜそんなことを訊くのかと問い返したいような顔をしていた。
「薄情だなー。わかってたけど」
スターリングが少しだけ傷ついたように苦笑いする。
「悪いが、俺はダーナ大佐には何の思い入れもないからな。六班長が〈新型〉操縦するんなら、〈新型〉の乗組員は全員元ダーナ大佐隊ってことになって、ちょうどいいんじゃないか?」
「ああ、そう言われてみればそうだ」
軽くディックが目を見張る。
「事情はともかく、みなダーナ大佐隊にはいられなくなった人間ばかりというわけか。こりゃ愉快だね」
オールディスはへらへら笑い、それを横目にバラードは顔をしかめた。
「呑気な奴らだな。元マクスウェル大佐隊の班長に操縦桿を預けることに対して、不安はないのか?」
「おまえに預けるより不安はない」
「くそっ、言い返せない!」
そんな元ウェーバー大佐隊員たちを眺めながら、心底うらやましそうにフォルカスは溜め息をついた。
「スミスさんはいいなあ……好き勝手言える同僚入れてもらえて……俺なんか、最後の最後で元上官……」
「まあ、確かに上官は対応しにくいよな」
さすが、肩書はなくてもドレイク大佐隊員のリーダー格。あわててフォルカスのフォローに回る。
「でも、ここに入ったら過去の上下関係はご破算になるから、おまえが嫌だったら避けてていいぞ。俺たちも全面協力する」
「スミスさん……ありがとうございます……!」
少しは気分が浮上したのか、フォルカスは右手で涙を拭う真似をした。
「あのフォルカスさんをあそこまで怯えさせる六班長って、いったいどんな人なんだろう……」
ティプトリーがそう呟くと、その隣にいたシェルドンが困惑したように答える。
「さあ……大佐が入れたんだから、悪い人ではないんだろうけど……」
単純だが一理あった。その六班長がどれほど優れた操縦士だったとしても、自分の今いる部下を脅かす存在であれば、ドレイクは決して自隊には入れないだろう。
ラッセルはそう考えたが、世の中には〝悪い人ではないが(以下略)〟という種類の人間もいて、むしろ、そちらのほうが何かと厄介なのだった。〝悪い人〟ではないだけに。
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