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6.嘘の誓い
しおりを挟むハリス卿に見合いの話を受けることを手紙に書くと、数日もたたずに返事が返ってきて、すぐに見合いの日取りも決まった。
出立当日の朝、屋敷の誰よりも早くセシルがスタンリーを見送りにきた。
「そんな顔をするな。まるで最後の別れのようじゃないか」
「だって……」
ハリス卿の屋敷はスタンリーの屋敷から馬車で2日かかる位置にある。
そのためしばらくハリス卿の屋敷に滞在することになった。
その間、屋敷を留守にすることになるため、スタンリーはセシルに屋敷を任せることにしたのだった。
セシルは不安の色を瞳に揺らがせて地面を見つめる。
「……ちゃんと帰ってきてくれますか」
「ああ、もちろん。約束する」
「本当に?」
「私が嘘をついたことがあったか?」
これからセシルに嘘をつこうとする癖にどの口が言えたことだろうか。
そう思いながらも、スタンリーはセシルに作り笑いを貫き通す。
セシルは少し考えると、伏せていた顔を上げて首を横にゆっくりと振る。
「……いいえ」
そしてセシルは水色の瞳を細めて笑うと馬車に乗ったスタンリーを見上げる。
「わかりました、約束ですよ」
そして、暁の空からゆっくりと太陽が昇り、その眩いばかりに輝く陽光はセシルを優しく包み込んだ。
「いってらっしゃい」
「……行ってくる」
朝日に照らされたセシルの笑顔はまるで女神のように美しく光り輝く。
その水色の瞳には少しの緊張を交えながらもスタンリーを慕う色が浮かんでいた。
スタンリーはその色に込められた意味に一瞬期待してしまいそうになったが、はっと息を飲み込んで、スタンリーはその場から逃げ出すように馬車を走らせた。
——駄目だ。私の心はすでにセシルに捕えられてしまっている。
ハリス卿の娘がどんな娘であれ縁談をまとめてしまおう。
そうでないと、次にセシルに会った時に自分を抑えられる自信がない。
スタンリーは瞼の裏に浮かぶセシルの残像を何度も打ち消しながら、ハリス卿の屋敷へと急いだ。
——————————————————
ハリス卿の娘との見合いは滞りなく進んでいった。
まだ一度会ったばかりだということで、今回は婚約を結ぶ段階には至らなかったが、ハリス卿の娘がスタンリーに惚れ込んでいるのは、誰の目から見ても明らかだった。
ハリス卿の屋敷に滞在して5日目。
スタンリーはセシルがいない感覚にまだ慣れていなかった。
むしろセシルに会いたいと焦がれる気持ちが日に日に増していくばかりだった。
その日もスタンリーは一日中愛想笑いを浮かべていた。
もともと社交界で話題になるほどの美貌を持っていたスタンリーにとって、ハリス卿の娘の機嫌をとることは容易いことではあった。
しかし、その度にセシルの姿がスタンリーの脳裏に浮かんでは罪悪感に駆られ、日を増すごとにスタンリーの心と体はまるで重い鉛になったかのような錯覚を覚えた。
疲労感と倦怠感が溜まった重い体をベッドに横たえると、スタンリーは、初めてセシルと出会った時のことを思い出した。
そういえば、セシルと初めて会ったのはこんな風に誰かのご機嫌を取ってくたくたに疲れていた夜のことだった。
——何もかもがくだらない
腐り切った社交界にはびこる、自分を利用しようとする身勝手な貴族たちを見下して馬車に揺られながらため息をついたあの夜。
けれど今の自分はどうだろうか。
自分の退屈しのぎでセシルを買い取り、こうやって自分の都合でセシルを手放そうとしている自分はあの貴族たちと変わりないのではないか。
「私もすっかり染まってしまったな……」
社交界に身を置いているうちに、自分もあんなに忌み嫌っていた貴族たちと同じ人種に成り下がってしまったことにスタンリーは自身の運命を呪い、そして笑った。
その時、スタンリーの部屋の扉が少し緊張気味にノックされる。
「なんだ?」
スタンリーが声をかけると、ハリス卿の執事が焦った顔つきで早足で部屋の中へ入ってくる。
「先ほど届いた知らせなのですが……セシル様が熱で寝込んだ後もう数日も目を覚さないと」
その知らせを聞いた時、スタンリーはハリス卿の屋敷から飛び出していた。
ハリス卿が呼び止める声も、ハリス卿の娘が泣き喚く声も、スタンリーの耳には届いていなかった。
我を忘れたまま、スタンリーは馬を駆りつづけ、セシルの元へと急いだのだった。
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