【R18】クロスフォード子爵のかすみ草

梗子

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1.かすみ草への誓い

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 何もかもがくだらない。

 スタンリーは帰路に向かう馬車に揺られながら物思いに耽っていた。

 社交界というのは本当に愚かしい世界だ。

 スタンリーは窓の縁に肘をつき、頬杖をついてため息をついた。
 整髪料で整えられたダークブラウンの髪をくしゃりと手櫛でほぐすと、彫りの深い整った顔立ちに暗い影が落ちる。
 ヘーゼルグリーンの美しい瞳には疲労の色が浮かび、形の良い唇からは何度も重いため息が漏れた。

 スタンリーはもともとは薔薇栽培を経営する一介の商人だったが、彼の代の時に、病気に強い新品種の開発や、外国への薔薇の輸出を積極的に勧めていったところ、スタンリーは一代で巨万の富を築き、その功績を認められて、国から爵位を叙された。

 それが5年前の話だ。

 スタンリーが商人だった時代、貴族に薔薇を卸す機会は多くあったが、貴族たちはスタンリーに見向きもしなかった。
 しかし、スタンリーが子爵となり、その優秀な手腕に気づいた貴族たちは一斉にスタンリーにすり寄るようになった。

 社交辞令のために参加した今日の晩餐会も散々だった。

 スタンリーの財産を狙った詐欺まがいの商売の誘いに、猫なで声で媚びを売ってくる婦人や令嬢たち。
 それらをいちいち角が立たないように断らなければならず神経をすり減らす。

 そんな貴族たちの世界には、スタンリーが安心して気を置ける場所はどこにもなかった。

 ——この世の中からは心を許せる相手はいなくなってしまったのだろうか。

 スタンリーが物憂げにこれまでの半生を振り返っていると、窓の外から言い争う声が耳に入ってきた。

「大人しくついてこい!最後ぐらい親孝行ができないのかい!」
「痛い!やめて!お母さん!!」

 くたびれた格好をした女が、痩せぎすの少女の腕を無理やり引っ張って歩いている。

 女が向かう先は娼館が集まる街だ。

 金に困った親が自分の娘を娼館に売るのはどの街でも見られる光景である。
 きっとこの少女も今から——

 少女の運命について思案していたスタンリーだったが、その時、まるで吸い寄せられるように少女の瞳に目を奪われた。

 全てを見抜くような涼やかで澄んだ水色の瞳と、そこから放たれる聡明な眼差し。

 ——そうだ。この瞳を私は求めていたんだ。

 この少女こそ曇った私の心を晴らす、一筋の光に違いない。

 スタンリーはその瞳を見た瞬間に我を忘れてその少女のもとへ歩み寄っていた。

「ごきげんよう、マダム。こんな時間に一体どちらへ?」
「は?あんたも男ならここら辺がどういう場所か分かるだろ」

 そういうと女は、棒のように細い少女の手を引っ張ってスタンリーの目の前に突きつける。

「売るんだよ、娼館に。こいつはドジでマヌケだが顔だけはいいからね。バカでも腰さえ振ってれば金は稼げるだろ?」

 女の言葉を聞いて少女はガタガタと震え出す。

「でもあんたは見たところ羽振りが良さそうだ。相場より高く買ってくれるって言うのなら売ってやってもいいよ?」
「そうですか。では、お嬢さんを譲っていただこう」

 女は出まかせで言ったことが本当になるとは思っていなかったため、スタンリーの申し出にしばし困惑していた。
 しかし、スタンリーから金貨を受け取ると、途端に現実味が増したのか、女はいやらしい笑みを浮かべる。

「あんた、いかにもお貴族様という感じだけど、やっぱり男なんだねぇ。いい買い物をしたね。その子は処女だからいくらでも……」
「もうこの子は私のものだ。これ以上の愚行は私に対する罵倒と受け取る」

 スタンリーは自分が羽織っていたコートを少女に着せると、女から少女を隠すようにして、街に向かって背を向ける。

「それに私はあなたが思っているような扱いをこの子にしない。絶対にだ。このクロスフォードの名にかけて誓ってでも、私はこの子を絶対に傷つけはしない」


 
 


 
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