蛟堂報復録

鈴木麻純

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7巻

7-2

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(思念か? 知らないうちに、ガキの頃の俺の影響を受けている? いや。いいや)

 鋭い目で辺りを見回す。古い壁掛け時計。棚の上の香炉。狂おしく猛る虎の絵に、漢詩の張り付けられたふすま。畳の上にもさまざまな思念の込められた骨董品が、いくつも散らばっている。そう、それらには既に別の思念が込められている。他者の想いは存在するが、自分の想いはどこにもない。少なくとも、目に見える場所に残してきてはいない。
 考えすぎか。
 確認して、辰史はふっと息を吐き出した。神経質になっていることは確かなのだろう。真田さなだ骨董店の店主が太郎に語ったあの一件を、努めて記憶の底に沈めてきたことも認めなければならない。

「丑雄が現れてから、ろくなことがねえな。あいつも真田の爺さんも太郎も、どうして十年も前の話を掘り返したがるんだか。俺と比奈にとっちゃァ、いい迷惑だぜ」

 はあ、と溜息を吐きながら体を起こす。呆れたふりをすることで、いくらか気持ちは楽になった。気を取り直して、今度こそ骨董品に手を伸ばす。
 羊にまたが骸骨がいこつの人形――陽気な羊飼いの吹く笛は、恐ろしい陰謀いんぼうを暴き出す。いばらの絡みつく塔を模した香水瓶――中には美しいピンクの薔薇ばらが一つ、つぼみのまま沈んでいる。背面に髪の長い乙女が彫り込まれた手鏡――鏡に魅入られるのは男ばかりだ。涙滴るいてきの形をした耳飾り――けれど毒々しいその色は、一組の男女を永遠に結びつけた劇薬を表している。そして、鍵の形をしたブックマーカー。
 辰史は銀の鍵を手にとって、少し眉根を寄せた。

(鍵……。鍵、ねえ)

 何の物語をモチーフにしていたのか、思い出すことができない。
 考える。幸いにも時間はたっぷりとあった。誰にも邪魔をされない一人だけの時間。むなしい皮肉を思い浮かべながら、小さな鍵を眺める。爪の先で弾けば、銀色の鍵は静寂にかちりと硬い音をかなでた。


   ***


 彼女は不思議な女だった。
 色の薄いジーンズに、飾り気のないシャツ。後ろで束ねた柔らかな色の髪が特徴的ではあるが、それ以外は目立つところもない。平凡というよりは捉えどころがないと言った方が正しいのだろう。目つきも、口調も、気配さえもどこかぼんやりとしている。思い出そうとすれば、実在を疑ってしまうような。それでいて、彼女の言葉にはいつまでも胸に残り続けるような重たさがあった。
 出会いは三日前。

「……貴方は何が悲しいの?」

 挨拶の代わりに、彼女はそんな声をかけてきた。

「それとも、怒ってる? 混乱と孤独が、まるで足跡のように貴方の後に続いている」

 胡散うさん臭い言葉だった。何でもないときならば、軽く眉をひそめて聞かなかったふりをするような言葉だった。いや。何事もなければ、そもそも彼女の目に留まることもなかったのかもしれない。

「その感情は、貴方の中にとても激しく流れている。どうして隠しているの? 誰かに助けてもらわなければ、今にも溢れてしまいそうなほどなのに」

 機械音声にも似た凹凸おうとつのない声が鼓膜を叩いた。
 男は無意識に足を止めて、女の顔を見つめ返していた。
 人々が家路を急ぐ、せわしない時間。残照を素早く塗り替えていく薄闇も、街のざわめきも、人の声も足音も――その瞬間だけはすべてが遠かった。時が静止したような錯覚さえあった。切り取られた非日常の中で、二人は向かい合っていた。男はまばたきをすることも忘れて、続く言葉を待っていた。

「貴方は人と交わる言葉を持たないの?」

 語尾をかすかに上げたのは、それが問いかけだったからなのだろう。平坦な声が疑問を含んでいることに、男はしばらく気付かなかった。
 十秒。二十秒。
 その頃には彼女の表情も動き始めていた。眉間にはうっすらと――ずっと見つめていてようやく分かるほどの皺が作られていた。そこに控えめすぎる困惑を見たとき、男も初めて口を開いた。

「……何なんだ、君は」
「芦原雪乃。風水師」

 不躾ぶしつけな疑問に、女は気を悪くした風もなく答えた。
 彼女は、芦原雪乃は風水師だった。
 男は風水師が具体的にどんな仕事をしているのか、知らなかった。テレビや雑誌で目にする限りでは、根拠のない占いや霊感商法を扱うやからと大差のないイメージがあった。素直にそれを口にすれば、彼女は流石さすがに不本意だと唇を尖らせたのだった。

「……違う。それは家相術かそうじゅつ。私は、気脈の流れを読むの」

 雪乃の言葉は不可解だった。男はすぐに理解しようとすることを諦めた。代わりに、何故自分に声をかけたのかと問うた。彼女はやはり抑揚のない声で「貴方から流れる気が、大地の気を乱していたから」と頭の痛くなるような答えを寄越した。

(しかし、芦原さんが特殊な才能を持っていることは事実なのだろう……)

 風水師からのメールを眺めながら、男は独りごちる。
 頭の片隅には微かな疑念が残っていないでもなかったが、詐欺なら詐欺でどうとでもなれという気持ちもあった。すれ違ったのか、或いは彼女が一方的にこちらを見かけただけだったのか――分からないが。いつの間にか胸の内を知られていたことは事実だ。そうして、男が心底助けを欲していたのも事実だった。


 妻が浮気をしているかもしれない。そんな疑いを抱いたのは、もう一ヶ月も前になる。
 いや――〝も〟と言うべきではないのだろう。妻と男の関係は、それよりずっと前から始まっていたのだから。
 きっかけは、女の浮気を原因に離婚した同僚の話を聞いたことだった。その同僚と特に親しくしていたわけでもなかったが、女が専務の娘だったことで社内では随分と噂になった。浮気相手は若い男で、そちらは慰謝料を怖れてどうにか逃れようとしていたらしいが。結局のところ、女の妊娠でどうにもならなくなってしまったようだ。同僚も、少なからず傷付いたのだろう。働く気力を失ったように、会社を辞めることに決めてしまった。
 そんな話を聞いたとき、男は酷く驚いた。
 男の目から見ても、同僚は真面目で責任感も強かった。社内での信頼も厚く、女が不満を抱くようなところなど何一つないように思われた。片や若い愛人の方は、飲み屋でアルバイトをしていたらしいと聞いた。どちらの方が頼りになるかなど、明白だ。考えるまでもない――にもかかわらず、女は若い愛人を選んだ。それは同じように家庭を支える身として、やるせなくもあった。
 もう少し事情を詳しく聞きたくなってしまったのは、そのためかもしれない。
 不躾ぶしつけなのを承知で、男は同僚を飲みに誘った。彼も誰かに胸の内を吐き出したかったのだろう。怒ることもなく誘いを受けた。その顔はげっそりと痩せていた。
 飲み屋では個室を求めた。向かいに座った同僚は「何だか変な気分だ」と暗い顔で笑った。それには男も同意だった。自分が同僚の家庭事情を知りたがっているというだけで、他に共通した話題はない。男はほとんど同僚のことを知らない自分に気付いた。辛うじて、歳が同じことだけは知っていた。
 同僚の話は、やはり不可解だった。
 彼の言うことが分かりにくかったわけではない。事情も、思ったより複雑なものではなかった。つまり、女は同僚の不在を寂しがったのだ。友人と飲みに行った先で働いていたのが若い愛人だった。愛人の若者らしい調子の良さに、慰められるところがあったのだろう。何度か通ううちに男女の関係になったようだ、と。同僚は他人事のように言った。実際、他人事には違いなかった。彼らの離婚は決まっていた。
 ――どうして、もっと早く。せめて妻が妊娠する前に気付けなかったのか。
 重たい沈黙。ぽつんと落とされた同僚の言葉は、今も男の耳に残っている。

「帰ってくる前には連絡しろと言っておきながら、なかなか繋がらない電話。週末の夜遊び。いくらでも浮気を疑う機会はあった。俺も悪かったんだ。忙しさを理由に、疑うことを面倒臭がった。うちは大丈夫だと、何の根拠もなく信じて。あいつを叱ることすらしなかった」

 アルコールが同僚の顔を赤黒く染めていた。嗚咽おえつ交じりにうめく彼を見ながらも、やはりに落ちなかった。同僚の言うことは正しいのだろうか。本当に、彼も悪かったのだろうか、と。
 慰めようと思ったわけではない。それは憤懣ふんまんを含んだ疑問だった。

(繋がらない電話。それでいて、こちらの予定は把握しておきたがる妻。週末には友人と遊びに行くと言って家を空ける……。どこかで聞いたような話だ)

 怒りの理由に気付いたとき、男はぎくりとした。顔から血の気が引いていく錯覚すら覚えた。同僚の語った女の行動パターンは、自分の妻のそれと酷似していた。
 結論から言えば、男の場合も同僚とまったく同じだった。
 まさかと思いつつ疑いを抱き続けること、一ヶ月。
 妻の浮気を疑いながらも、男は積極的に証拠捜しをしようとはしなかった。同僚の落ち込みようを見てしまったからこそ、事実に触れることを無意識のうちに怖れたのかもしれない。或いは慢心か。

「うちは大丈夫だ」

 それこそ同僚の忠告した〝根拠のない信頼〟であると、何故気付かなかったのか。


 思い出すと怒りに体が戦慄おののいた。
 知らない男。知らない女。
 いや、知らない女ではない。妻だ。知らない女の顔をした、妻。
 つやのある笑い声と耳障りな男の声が重なる。二人掛けのソファは、自分が選んで買ったものだった。妻の愛人は我がもの顔でそこへ腰掛け――
 居場所を奪われた。妻を奪われた。カッとなった。許せなかった。
 気付けば愛人を殴りつけていた。止めに入った妻を力任せに振り払った。それが良くなかったのだ。後ろへ突き出した肘が、妻の額に当たった。妻の愛人も頬をらしていた。暴力の証が残った一方で、浮気の証明は難しかった。この目で見た。それだけだ。
 その後の対応もまずかった。最悪だった。

(あの時、どうして家を飛び出してしまったのか……)

 唇を噛む。
 心が深く傷付いていた。動転してしまった――というのも理由ではある。が、それ以上に。怒りに我を忘れた自分が恐ろしかったのだ。二人を見ていたら、また殴ってしまうのではないかと。
 逃げた代償は大きかった。
 妻は少しも狼狽ろうばいしてはいなかった。冷静に身内へ連絡すると、ここに至るまでの経緯を大幅にゆがめて伝えたようだった。日常的に暴力を振るう、家庭を顧みることのない夫――それが妻の作り上げた自分だった。笑えもしない。間男は、そんな妻の身を案じた友人ということになっていた。なっていたというより、友人というのは事実だった。
 ――どこかで見た顔だ。
 記憶を探ってみれば、結婚式で妻に馴れ馴れしくしていた男が彼だった。

「いつから……」

 何を考えても、最後にはその疑問へと辿り着いた。

(結婚する前から? まさか……)

 妻と結婚してから五年の月日が経っている。その間、彼女がずっと他の男を想っていたとは考えたくない。子供こそ作らなかったものの、責められるような心当たりもない。
 ――だが、認めなければならない。
 男は携帯を握りしめたまま、歯の隙間から息を絞り出した。
 本当は分かっているのだ。
 いつからという問いかけの答えを得ても、終わりではない。他に優先して考えるべきことがある。事実を曲げたことは単なる思い付きだったのかもしれない。けれどその思い付きを用いて、妻は離婚を優位に進めようとしているようだった。慰謝料と財産分与。浮気をされた自分がそれらを支払わなければならないというのは、馬鹿げている。その金で二人が新しい生活を始めるのかと思うと、怒りで頭の中が白く染まった。
 勿論、弁護士にも相談はした。けれど彼は勝つのは難しいというようなことを言った。
 浮気の証拠となるものがない。手を出したのもこちらが先だ。絶望的だった。
 どうにもならない。泣き寝入りをすることになるなら、いっそ怒りに任せて二人を痛めつけてやろうかとも思った。自棄やけになる感情と理性との間で揺れていた。
 そんな自分をこちら側へ留めたのが、雪乃だった――
 気脈の流れを読むという風水師。彼女は思いも寄らない提案をしてきた。

りゅうに頼み事をしてみる?」

 龍。想像上の生き物。
 それが何を示しているのか、男には分からなかった。
 隠語か。まさか目の前に本物の龍が現れて、願いを叶えてくれるというわけでもないだろう。漫画ではあるまいし。話がきな臭くなってきたので、雪乃とは連絡先を交換して別れた。

「報復屋……か……」

 彼女からのメールには〝龍〟の正体が記されていた。
 報復屋。普通の生活をしていたら知り合うこともなかった存在。単語は薄ら寒くなる響きを伴ってはいたが、一方で誘惑的でもあった。
 金と覚悟は必要だが、泣き寝入りをする必要はなくなる。周囲をあざむいた気になっている二人を、懲らしめてやることができる。
 どちらにしても、金はかかるのだ。妻たちに払うか、弁護士に払うか、報復屋に払うか。

(報復屋に賭けるべきだ。あいつらに金を払うのは論外だし、弁護士も頼りにならない)

 震える手で、風水師に返信する。――報復屋と連絡を取りたい。
 決めてしまえば、気分はいくらか楽になった。送信されたのを見届けて携帯を閉じる。ゆるゆると肩の力を抜きながら、男はシートを倒して横になった。頭痛を伴う疲労が、興奮した意識を眠りへと誘う。眉間に皺を寄せたまま目蓋まぶたを閉じる。男はそのまま、穏やかではない闇の世界へ落ちていった。


   ***


 ゆらゆらと地をっていた。
 飛び立ちたいと願う、足ある蛇の夢。
 虹色の空を見上げれば、そこには優雅に泳ぐ龍が。龍の影からは狐が生まれて、大地を滑るように駆けていく。どこまでも、地の果てまでも。蛇はその二つの生き物を眺めては涙をこぼした。
 涙はやがて川となり、大河となり。
 遥か頭上を舞っていた龍は、やがて頭をかしげて水の中へ消えていった。
 龍の影から生まれた狐もまた、それを追うようにしてゆるやかな水流へと飛び込んだ。
 二つの生き物を呑み込むと、大河は満足したように大地へ染み込んでいった。
 後には雲一つない空と、何もない大地と、足のある蛇だけが残った。


 それは悪夢だった。悪夢でしかなかった。
 早起きは三文の得ということわざはあるが、結局のところ一日の始まりで重要なのは心地のよい目覚めであって、起きた時間ではない――と思う。辰史は気怠けだるさの残る頭でそんなことを思った。
 夢を見るのは、特に珍しいことでもない。
 昔はそれこそ何度も何度も同じ夢を繰り返し見たほどだ。少し先の未来を示唆する夢。先見さきみの能力者であった祖母の血が影響しているのだろう、とは祖父も言っていた。成長の過程でそのおまけのような能力も消えてしまったが、今でも意味ありげな夢を見ることはあった。

(くっそ、朝っぱらから最悪な気分だ……)

 窓から射し込む透明な朝日に目を細めながら、悪態を吐く。
 足ある蛇は、つまり自分だ。狐は比奈の象徴であり、龍は理想。今の自分に不満がある。もしくは、恋人の様子が気にかかっている。今朝の夢を読み解くのなら、そんなところだ。

「足ある蛇とはまた、随分と控えめな夢を見たものだな」

 皮肉交じりに呟いて、起き上がる。悪夢を怖れて泣くような歳ではなかったが、二度寝が出来るような気分でもなかった。頭を振って、まとわり付く夢の残骸を振り払う。式神に布団を畳ませている間に着替えて、居間へ。食事は昨晩のうちに比奈が用意をしてくれた。あんなことがなければ、今朝も電話の一つくらいはかかってきたのだろう。
 思わず吐き出しそうになった溜息を、辰史はすんでのところで呑み込んだ。
 せめて彼女の作った食事くらいは、気持ちよく食べなければならない。それが誠意というものだ。
 湯を沸かしながら携帯のメールをチェックする。馬保木まほぎ孔胡こうこの作品を仕入れたという、真田骨董店からの連絡。三流ではあるが思念にまつわる面白い商品を扱う、怪しい通販サイトからのDM。以前の客からたまに送られてくる近況報告。知人からの依頼の紹介に――

秋寅あきとら……?」

 名前を見て、辰史は怪訝な顔になった。
 三輪秋寅――三輪家の長男。上海に住む兄だ。とはいえ定期的に帰省するあの兄のことだから、今も日本にいないとは限らないが。とにかく調子が良くて気紛れで扱いにくい、ふざけた男なのだ。

「まさか、またこっちに来るとか言うんじゃねえだろうな」

 くだらないか、面倒臭いか。兄からの連絡は、そのどちらかと決まっている。
 辰史がうんざりしながらメールを開いた、そのとき。携帯の画面が切り替わった。着信だ。相手の名前と番号が通知されている。神山冬子とうこ。黒猫屋という金貸し業を営む知人の名だった。

「こんな朝っぱらから何の用だ――神山」

 素っ気なく訊けば、意外そうな金貸しの声が返ってきた。

「あら、三輪君がこの時間に起きているなんて珍しいこともあったものね」
「かけてきといて、何言ってやがるんだ」
「ダメ元ってやつよ。起きていなくても連絡を入れておけば、気付いたときに掛け直してくれるかと思って。私も忙しいから、忘れてしまう前にね。その分だと起きていたみたいだけど。もしかして稲荷運送のお嬢さんにモーニングコールでもしてもらったわけ? それとも泊まり?」

 神山が冷やかし交じりに言ってくる。
 ――タイミングが悪すぎる。悪気はないのだろうが。……恐らく。
 辰史は口の中で呟いて、密かに苦い顔をした。

「違う。馬鹿にするなよ。俺だって、その気になればこれくらいの時間には起きられるさ」

 溜息とともに吐き出す。神山はますます驚いたようだった。

「何? どうしたわけ? たまには惚気のろけの一つでも聞いてあげようと思ったのに、やけに不機嫌じゃない。愛想でも尽かされた? まあいつかはそんな日が来るんじゃないかって思ってたけど」

 遠慮なくまくし立てるのは、実に彼女らしい言い方だ。だが、まったく面白くはない。

「尽かされてたまるか! さらりと怖いことを言うんじゃねえよ」

 乱暴に言い返す。

(縁起でもないことを言いやがって……!)

 辰史が毒づけば、神山は「だって、ねえ」と喉を鳴らした。

「いつもなら聞かなくたって自慢してくれるでしょう。大体、三輪君てば話題に出すのも出さないのも馬鹿みたいに極端なんだから。分かりやすいのよ」

 相変わらず、遠慮も優しさも含まれていない声で言って――

「で、どうしたの?」

 訊いてくる。
 心配ではなく、ただの興味だろう。もしくはお節介か。

「別に、どうも」

 答えた声は、自分でも驚くほどに冷たかった。

「本当に素直じゃないわねぇ。丑雄さんや太郎君とのこともそうだけど……」
「おい、それは関係ないだろう。比奈とだって別に喧嘩したわけじゃねえし。ただ――」
「ただ?」
「朝っぱらからお前の声を聞かされて、調子が下がっただけだ。比奈ならともかく、お前からのモーニングコールなんてぞっとするぜ。らしくもねえ詮索までしやがって。いつからそんなに俺のことを好きになったんだ? 神山」

 息を吸い込んで、辰史は一息で答えた。

「言ってくれるじゃない。本当に……呆れるくらい性格が悪いわよね」

 予想はしていたのか――或いは、慣れているからだろうか。悪態を特に気にする風もなく、神山が言い返してくる。まったく感情のこもらない声で。

「自惚れないでくれる? 私は三輪君の恋人ほど、趣味は悪くないつもりよ」
「うるせー。比奈の趣味をとやかく言うな。というか、さりげなく俺の悪口を言うな」
「あら、悪口だって気付いた? ごめんなさいね」

 言葉とは裏腹に、受話口からは冷めた笑い声が聞こえた。

「お前も、俺をどうこう言えるほど良くないだろ。性格」

 辰史は毒づく。更にもう一言二言、悪態を探して――ふと気付いたのは、このやり取りが果てしなく無駄だということだった。仕事以外の話となると、神山との会話は常に不毛に始まり不毛に終わる。互いに傷付くこともないが、何の実りもない。それは二人の関係そのものでもある。疎遠になることはないが、親しくなることもない。



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