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3巻
3-3
しおりを挟む(誰か、起きてる――?)
一階の廊下が、僅かに明るい。
起きているのは父か、義母か?
そろり、と足音を立てぬよう階段を下りる。光はどうやらリビングから漏れているようである。僅かに開いたドアの隙間から中を覗き込んだ美樹は、思わず顔を顰めた。
起きているのは父ではない。義母――恵子である。渇いた喉は水を欲していたが、真夜中のリビングで恵子と顔を合わせるのは、どうにも気が進まなかった。
(何してるんだろう……)
恵子はリビングの壁に掛けられたコルクボードを見つめている。そこにはメモなどに交じって古い写真が張り付けられていた。写真には貴志と洋と美樹――そして、香奈子が写っているはずである。
それは小学生の頃、家族旅行へ行ったときに撮ったものだ。そこへ飾ったのは兄の洋であった。仕事で忙しく、ろくにリビングでくつろぐことなどしない父は恐らくその写真に気付いていなかったのだろう。気付いていたのであれば、恵子に対する配慮だと言って他の写真と同じように段ボールに詰めてクローゼットの中へ片付けてしまったに違いなかった。
――恵子は何をする気なのだろうか。
何を思い、自分の写っていない過日の家族写真を眺めているのだろうか。
亡くなった親友への慕情を募らせながら?
それとも、哀惜の情に目元を潤ませながら?
否。恵子は無感動に写真を眺めているだけだった。その瞳には、亡き親友を想う涙の一粒さえ浮かんでいなかった。
そればかりか、恵子は徐に写真へ手を伸ばすとピンを外さずにそのまま写真をぐいっと下へ引いたのだった。ぷつり、と嫌な音がして写真がコルクボードから離れる。
次の瞬間、美樹は驚愕に眸を見開いた。
――何をするかと思えば!
恵子はピンで裂かれた切れ目を両手で摘むと、何の躊躇いもなくその家族写真を裂いたのである。
(――!)
二枚に裂いた写真を、更に重ねて細かく引き千切る。更に、更に、小さく。
一頻り写真を千切ると、恵子はゴミ箱の上で両手をぱっと開いた。
裂かれた写真は、紙吹雪となってはらはらとゴミ箱の中へ降り注いだ。欠片一枚すら、見逃さない――とでもいう風に恵子は落ちる紙片をじっと見つめていたが、全てがゴミ箱の中へ収まるとようやく満足したように唇の端をにぃっと歪めたのであった。
その笑みの、何と陰険なことか。
まるで、――のようだ。
頭の中へ、不意に浮かんだ言葉に美樹は首を傾げた。
(何?)
何に、似ている?
何かに似ている。その冷たく歪む唇を、三日月の如くに細く弧を描いた眸を、美樹は知っているはずだった。
――なのに、思い出せない。
喉元まで出かかった言葉を急に失ってしまったかのような。その感覚にも覚えがあった。ついさっき、夢から覚めたばかりの時に、体験している。
思い出そうとしても、思い出すことの出来ない、もどかしさ――
縺れた記憶の糸を解こうと、その一本を手繰り寄せる。
――何から始まった?
悪夢だ。七年前からよく見る悪夢。
過去の自分は、そのまま七年前の自分を示しているのだろう。空と地面の境界がない、暗い世界は夜を。目の前に広がるどろりとした黒い池は母の沈んだ公園を。
(では、追いかけてくる足音は?)
――何を見た? 何に、夢の中の自分は怯えているのだ。
つい先程見たばかりであるというのに、目覚めた瞬間に霧散してしまった夢。
義母の冷笑に感じた既視感。恐怖。
それらが何を示しているのか、美樹が絡まった記憶の核心へ触れようとした時――
ゴミ箱に視線を落としたままであった恵子がふっと顔を上げた。
こちらの気配に気付いたのか、それとも勘に告げられたのか。そのまるで温かみのない横顔が、僅かに開いたドアへ向けられるより早く、美樹はさっと廊下に身を潜めた。
リビングの明かりから顔を背ける。足音を立てずに、けれど素早く部屋へ戻らねばならない。義母に見つかってはいけないと、当たり前のようにそう思ったのだ。
暗い階段の陰へ――暗闇へ、暗闇へ。
そろそろと移動しながら、美樹はその状況がいつもの悪夢と酷似していることに気付いた。後ろを、ちらと振り返る。まだ、恵子がリビングから出てくる様子はない、が。
(誰に追われている? 誰に怯えている?)
ドッ、ドッ、ドッ、と心音が大きくなった気がするのは、恐らく気付いてしまったせいだ。
美樹は、音を立てないよう階段の真下まで移動し、顔を上げた。行く手を――明かりの消えた二階を見上げる。階段の先は、小さな出窓の付いた突きあたりになっている。その壁には絵の一つも掛かってはいない――というのに。
暗い壁には白い嘲笑が浮かび、美樹を見下ろしていた。それは目蓋の裏に焼き付いた記憶であったのか、それとも闇が見せた幻であったのか。
――ああ、あれは。
はらり、と糸が解ける。真っ直ぐな一本の糸に戻る。
網膜が一つの映像を結んだ。覚めてすぐに四散した夢が形を取り戻していく。
七年も昔の無力な兄妹。
泣く妹。
宥める兄。
後ろで微笑んでいた白い顔こそ、引き裂いた写真を見つめる恵子のものではなかったか。
階段の手摺りを握る美樹の手が、僅かに汗ばんだ。気付いてしまってから急に吹き出した嫌な汗が、背筋を冷やした。
膝が震える。そのまま階段を上れば、確実に音を立ててしまうような気がして美樹はのろのろと手摺りから手を離した。ぺたり、と両手を床に付いてじりじりと這うように上へ進む。
その間にも、後ろから義母が追いかけてくるのではないかという確証のない不安に襲われながらも、美樹はやっとのことで部屋の前まで辿り着いた。
一度、手の甲で額の汗を拭う。パジャマの裾で手を拭いてから、そっと音を立てないようレバーハンドルを下に押し、ドアを開ける。部屋に足を踏み入れ――
バタン。
――もうここは自分の部屋だ。
そんな安堵で気が緩んだせいか?
ずるりと手が滑り、ドアは思いの外大きく音を立てて閉まった。
きゅう、と心臓を縮こまらせながら、慌ててベッドへ飛び込む。
(そうだ。あの人は――)
布団にくるまりながら、美樹はサイドボードへ目を向けた。正確には、サイドボードの上へ置かれたフォトスタンドに、である。
四つのフレームが組み合わさった立体型のフォトスタンドには、家族写真がはめ込まれている。
(お母さん――!)
「香奈子は私の親友だったの」
そう言うわりに、母に関してそれ以上の話題を口にしようとはしない恵子を母の親友だと信じたことなどただの一度も無かった。恵子は美樹や洋が幼い頃から時折家を訪れたが、二人は幼いながら〈母の親友〉を警戒したものであった。
母に向けられる〈親愛〉の張り付けられた無感情な瞳。
父に向けられる媚びたような笑顔。
父母を慕うだけで他は何も知らない純粋な子供であったからこそ、本能的に違和感を感じ取ることができたのだろう。
美樹の目蓋の裏側に、一つの光景が蘇る。
それは忘れていた光景だ。
意図的に忘れようとしていたのかもしれない、母が死んだその時の、病院での記憶だ。
父は長椅子にぐったりと腰を下ろして母の助からなかったことを嘆いていた。
「何故だ。何故だ」
怒気すら含んだ調子でそう繰り返す父の傍らには、連絡を受けて真っ先に駆けつけた恵子がしおらしそうに立っていたのだ。
「ああ、香奈ちゃん。ついさっきまで、隣で話をしていたのに――」
声を湿らせながらも――自分が貴志を慰めることがさも当然であるという風に――父の背へ馴れ馴れしく手を添える。
「母さんを助けてあげられなかった」
俯く洋に肩を抱かれながら、美樹は泣いていた。
両手で眸を擦りながら、美樹は三人になってしまった家族の間に厚かましくも割り込んできた恵子のことを腹立だしく思って、充血した瞳を上げたのである。
睨み付けるように瞳だけを女の顔へ向ける。その表情さえ目にしなければ、次の瞬間には「帰って!」と叫んでいたかもしれない。
しかし、父の背を撫でる女の顔。その紅を引いた艶っぽい唇。そこには親友を失った悲しみなど欠片も浮かんではいなかった。それどころか、口元へはうっすらと微笑めいたものすら刻まれていたではないか。
美樹の全身を憤りよりも更に強い恐怖が支配した。得体の知れない恐怖に幼い心は容易く萎えて、出かけた言葉は全て喉の奥へ戻っていく。
(笑ってる)
(怖い、怖い、怖い)
(あれは――)
魔女だ。あの人は魔女だ。
幼い頃に絵本の中で見た魔女に、その微笑みはとても良く似ていた。
***
バタン。
無意識の中で鼓膜が捉えたそれは、小さな音だった。
ドアの閉まる音だ。
ぐっすりと眠っていれば気にもならない――目を覚ますはずなどないほどに、小さな音だった。
けれど洋はその瞬間にぱちりと目を覚ましたのだった。
(美樹――?)
そっと起き上がり、ドアを開く。廊下へ出て、階段の手摺りを掴む。身を乗り出すように階下を覗けば、ほんのりと漏れる明かりが見えた。
(恵子さんと何かあったのかな?)
そう思ったのは、妹と義母の仲の悪さを洋が知っていたからだ。
仲が悪い――勿論、洋も母の親友だったと自称する義母のことを好いているわけではない。が、それにしても、美樹と恵子、二人の間に流れる緊張感といったら尋常ではなかった。
女同士、互いに譲れないものがあるのだろう。恵子に対する美樹の態度は父が渋面を作る程に露骨であったし、恵子にしても美樹に接する時にはいつもの猫撫で声を硬くして、ぴくりとも表情を緩ませようとはしなかった。
――まるで言葉や視線を交えるその都度に、この家を賭けて争っているかのような。
じっと階下を見つめていれば、リビングから明かりがふつりと消えた。
ぱた、ぱた、ぱた、と足音が階段に近くなる。洋は乗り出していた体を僅かに引いて階下にいる相手の様子を窺った。が、相手の向かう先は二階ではない。階段に近い、夫婦の寝室前で足音はぴたりと止まった。
そっと寝室のドアが開けられる。中から漏れる暗く小さなライトの光が寝室の中へ消えようとする相手の後ろ姿を暗闇に映し出した。
腰辺りまで伸びた黒髪。白い踵。
(恵子さんだ)
口の中で呟きながら、洋はそっと階段を下りた。壁際に張り付くようにして、廊下から見えぬぎりぎりの位置で動きを止める。
中からは、父と義母の話し声が聞こえてくる。
「どうした?」
「何でもないの。少し、喉が渇いて」
「そうか」
眠たげな声が相槌を打つ。
「ねえ、貴志さん。私、考えたのだけれど」
恵子はまるで自分がそのことのためにずっと頭を悩ませていたかのような口調で切り出した。
「やっぱり、美樹ちゃんと洋君を一人暮らしさせてあげたらどうかしら。お金はかかるかもしれないけれど、うちから大学までは遠いでしょう?」
――よく言ったものだ。
洋は小さく舌打ちをした。
洋が大学に入学した頃にも恵子は父にその提案をしていた。けれど洋本人が、問題ないと首を横に振ったのである。
確かに通学は面倒だが、この家に美樹を一人置いて出られるはずがない。また、美樹自身もこの家を父と義母二人きりにしたくはないと言っているのである。
自分と美樹にその気がないことは恵子も十分承知しているはずだった。
恵子の声は続いている。
「それにね。美樹ちゃんと洋君の帰りが必ずしも一緒になるというわけではないでしょう? 美樹ちゃんは女の子だもの。遅くなる日は心配だわ。香奈子のこともあったし」
(それは――卑怯だ)
洋は胸中で毒づいた。
――普段は母の存在を意図的に忘れさせようとしているかのように、その名を出すことも周囲に思い出の品を置くことも許さないくせに。こういう時ばかり、母の名を出すとは。
父は、あの事故以来家族が――特に、美樹の帰りが遅くなることに良い顔をしなくなった。門限は二十一時。大学生にそれは酷だろうと思うのだが、頑として譲ろうとはしない。成人した洋に対しても酒を飲むことだけは許さなかった。
――あの日。夜遅くでなければ、公園に人の姿があっただろう。酒を飲んで酩酊していなければ、池に落ちることもなかっただろう。
と、それを教訓にしていると知っている洋と美樹は、父の神経質すぎる処置に対してあまり強く出ることもできない。
「それにね、貴志さん」
「うん?」
父は相変わらず眠たげである。
「私、あの子たちと少し距離を置くべきだと思うの。特に美樹ちゃんからは、あまり好かれていないみたいだから」
(……)
眉を悲しげに歪めて、俯きがちに言う恵子の姿が目に浮かぶ。
勿論、本心から美樹との関係を憂えているわけではないのだろう。けれど、父の前で悲しげな演技ができるという点において、やはり美樹よりも恵子の方が大人である。
洋は思わず「よく言うよ!」と声を荒げそうになって、口元を手で押さえた。
――汚い。
好いていないのはお互い様だろうに。
「まあ、確かに――」
決まりの悪そうな父の声が答える。
そこまで聴くと、洋はそっと壁際から離れて階段を上った。部屋に戻り、美樹の部屋側の壁へ触れる。
――美樹、大丈夫だよ。俺が守ってあげるからね。
呟いたのは昔の約束だった。
すぐ目の前で母が助けを求める姿を眺めながら、何をすることもできなかった無力な自分を思い出す度に酷く腹立たしい気分になる。
(贖罪、というわけじゃないけど)
せめて妹は。たった一人の妹だけは、守ってやらねばなるまい。兄として。父の代わりに。
洋は壁から手を離し、ぐっと拳を握りしめた。
***
(夕べのあれ、お兄ちゃんに相談した方が良かったかな)
橋の上からぼんやりと池を眺めながら、美樹は一人ごちる。昼間ですら底の見えない、綺麗とは言い難い水面には美樹の顔だけが映ってゆらゆらと揺れていた。
――母は丁度、この橋の下あたりで溺れていた。
と、思う。パニックに陥り、ただ泣きじゃくるばかりであった美樹は実際のところ死の間際の母を記憶してはいなかった。覚えているのは、兄が溺れる母の腕を掴みながら夢中で叫んでいた光景ばかりである。
洋は、そんな記憶の残るこの場所を嫌っている。
美樹も恐怖に駆られないわけではない――けれど。ぷつぷつと鳥肌の立つような怖気と嫌悪を覚えながらも、この場所に足を運ばないではいられなかった。家族で過ごした思い出の多くが眠っている家は、今や義母に支配されている。母の残り香すら、感じることができない。
(怖い場所……)
忌まわしい場所。しかし同時に、母を強く感じることのできる唯一の場所でもある。その記憶は、恐怖と共に胸に刻まれて、色褪せることはない。
(昨日の夜のこと、ちゃんと考えないと。頭を冷やして――)
洋は先に大学へ行った。午前の授業は休講になったからと、美樹は兄を送り出した。嘘を吐くことに、躊躇いを覚えなかったわけではないが。
(お母さんが死んだのは、本当に事故だったの?)
――あの人は怖い。あれは魔女だ。
それは七年前に一度思ったきり、あとは記憶の奥底へ封印されていた恐怖だった。恵子への、非現実的な。
――病院で見せた恵子の、あの場にそぐわない冷笑の意味は?
――かつての家族写真を破り捨てて微笑む、自称母の親友の意図は?
――そんな彼女に自らが抱く、異様なまでの嫌悪感の理由は?
――悪夢の中で、自分は助けを求める母に怯えているわけではない。追ってくる誰かに怯えているのだ!
それら全てが繋がった時、美樹の脳内を一つの言葉が駆け巡った。ぐるぐると回って、それこそが正解であると主張して止まなかった。
(あの人がお母さんを殺した。あいつが殺した)
けれど胸の内に生じた黒い疑惑を、そのまま真実として訴えてしまえるほどに美樹はもう幼くはない。
事故以外にあり得ない。恵子に殺されたのかもしれない、などという疑惑こそ冷静に考えれば根拠の無い妄想である。
恵子を受け入れたくない自身の考え出した、悪意ある妄想。
病院で目撃した恵子の冷笑が、幼い心に爪痕を残した――故に、七年前から悪夢を見るのだ。そう解釈した方が、幾分か現実的である。
「ねえ、お母さん。どうなのかな」
本心では、恵子がやったのではないかと疑いながらも理性がそれを否定する。ジレンマに、美樹は手の中の写真へ問いかけた。
「美樹ちゃん」
そう、囁くように言ったのは勿論写真の中の母ではない。
背後から聞こえた声に美樹が振り返るより早く。細い両腕が伸びて、肩を突き飛ばした。
「わっ」
――落ちる!
それほど強い力ではなかったのかもしれない。けれど、母が落ちたという先入観があるせいか、肩を叩かれた瞬間に美樹の頭の中は真っ白になった。
手から離れた写真はひらりと池の中へ落ちる。
「あ――」
家族四人で撮った写真が。
じわり、と濁った水に浸食されていく。
美樹は呆然と写真を眺めていたが、小さく喉を震わせる声にばっと後ろを振り返った。
――恵子だ。
恵子が、笑っている。両手は既に体の横に下げられていたが、美樹の肩を押したのが彼女であることに疑いはなかった。
濃い睫に縁取られた眸を悩ましげに瞬かせて、恵子は赤い唇を開いた。
「美樹ちゃん、駄目じゃない。学校にも行かないで、こんなところで何をしているの?」
「恵子さんには関係ない!」
強気に叫ぶ。けれど語調とは裏腹に自分の声が震えてしまっていることに美樹は気付いている。
問いかける恵子の瞳は、少しも笑んではいなかった。穏やかな口調、口元へは微笑すら浮かべられている。と、いうのに。
(あの時と同じだ)
昨晩。真夜中にコルクボードの写真を引き裂いていた時と同じ、冷ややかな笑みであった。
(何で――)
足が震える。唇の端がひくりと引き攣る。強い恐怖に、憤りが上から塗りつぶされて行く。
「美樹ちゃん」
降り注ぐ柔らかな声が、気持ち悪い。
「さあ、学校へ行きなさい。駅まで送ってあげましょうか?」
優しげに言った恵子の唇から得意げな笑みが零れる。体温の低そうな白い手が伸びて、美樹の腕を掴んだ。美樹は反射的にその手を振り払い、恵子の体を突き飛ばすようにして駆け出す。
背後から続く足音はない。夢の中でそうしたように、恵子は美樹を追ってこようとはしなかった。それでも美樹は後ろを振り返ることなく走り続ける。
(お兄ちゃん! 助けて、お兄ちゃん!)
駆け込んだ電車の中で、荒くなった息を整えようともせずに携帯を探す。場所も忘れて電話をするが、呼び出し音が鳴り続けるばかりで一向に繋がる様子はない。
講義中なのかもしれない。そんな当然の可能性すら浮かばないほど美樹は動転していた。
――お兄ちゃん、今どこ?
汗で滑る指先では、そんな簡素な一文を打つのもやっとである。
メールを送信し終えた携帯を握りしめたまま、背中をドアに預ける。朝のラッシュ時を過ぎて電車内は人の姿もまばらだった。ぽつり、ぽつりと空席もある。が、美樹は座る気になれずに手の中の携帯を見つめ続けていた。
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