蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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出口のない教室

9.

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 大抵の呪症管理者が使用している睡蓮の符が普及したのは、実をいえばここ六、七年の話である。旧来、特定古物を封じ込めるための符は呪症管理者がおのおの用意していた。効果が制作者の技量に左右されるということで、事故も少なからずあったようだ。
 そんな特定古物の回収が安定化した裏には、三輪秋寅の存在がある。
 上海に拠点を構える三輪家の長男。同じ異能者からはしばしば三流と言われる人ではあるが、反面で思念の処理に関して彼の右に出る者はいない。少なくとも呪症に関わる人たちは皆そう思っている。
 どれほど優秀な異能者でも、人である以上は本人も自覚しないところで人が遺した想いになんらかの感情を抱く。共感、憐れみ、嫌悪、憤怒。いずれにせよ、術者はしばしば思念を生きたもののように錯覚してしまう。いや、ほとんどの術者は思念の向こう側に、過去の人を視ていると言っても過言ではないだろう。それはもう取り戻しようもない時間との邂逅を可能とすることもあるが、術者を窮地に陥らせることもしばしばである。
 三輪秋寅はそうした感傷を断ち切ることに長けた人なのだった。
 噂によると思念を物質化し、再利用するという――人によっては冒涜的と取るような――研究にも通じているらしい。そんな彼が呪を込めた睡蓮の符は、思念からの干渉を「世の理に反したもの」として否定する。
 三輪家の天才といえば異能者の間では末っ子の三輪辰史を指すが、呪症管理者の間では秋寅の方が馴染み深いというのは、そういった事情があってのことだった。
「我、可なるものを可とし、不可なるものを不可と定めしものなり。遊魂、ものに触れかたちとなり、禍をなす。ゆえに我、これを不可とす」
 それは人に徒なす思念を不可と定める呪言だ。想いを否定する言の葉だった。唱えるたびにほんの少しの心地よさを感じる――というのは、呪症を封じるという行為が他者の遺した感情を支配することに他ならないからだろう。
 そんな感覚を後ろめたさで塗りつぶすことで誤魔化し、鷹人は符を写真に貼り付けた。隣では九雀が緊張した面持ちで、一連の動作を見守っている。
「……で、どうだ?」
 おそるおそる訊ねてくる彼に、鷹人は溜息で応じた。
「駄目だ。これは特定古物ではなかったようだ――見えるかい?」
 九雀にスコープを渡し、覗くよう促す。
「細い残滓が確認できるだろう。僕は最初、この写真から伸びているものだと思った」
「違うのか?」
「そうだとすれば、符で封じた時点で消えているはずだ」
「つまり、逆……特定古物からこの写真に繋がってるってことか」
 スコープから目を離し、九雀は首を傾げた。
「けど、なんでまた」
「思い入れの問題だと思う。所有者は花岡智の身内か、特別親しい人物で間違いない。それはもう残滓が証明してくれたようなものだ。少年は事故に遭う直前、遊園地で大いに楽しみ家族写真を撮った――これはおそらく、所有者にとっても特別な思い出だろう」
「なるほど。ってことは、残滓を追っていけば特定古物にたどり着けるわけか」
「結論から言えばそういうことになるな」
 悪友ほど無邪気に喜ぶ気にはなれず、鷹人は曖昧に頷いた。
「でかい手がかりが手に入ったってのに、やけにテンション低いな。嬉しくないのか?」
「そういうわけではないんだが」
 どうにも気分が上がりきらない理由は、自分でも分かっていた。
「親の気持ちを考えると、どうにもね」
「お前がそんなことを言うなんて珍しいな。拾い食いでもしたか?」
 奇妙そうな顔をしている悪友に、いつものように噛みつき返す気にもなれない。
「僕の実家にも、この手の写真があるんだ。僕の両親が僕を慈しみ育ててくれたのと同じように、特定古物の所有者も彼を愛しているんだろう。呪症を封じるためには形式だけでもそこにある想いを否定しなければならない」



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