蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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出口のない教室

8.

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「実は彼女も現在入院しているんですよ。捜査中の事故で」
 沈鬱な声音を作りつつ、しかし九雀の目が鋭くなったのを鷹人は見逃さなかった。まったく人の悪い男だと思いつつ、こちらも卓の様子を窺う。
 彼は一瞬だけいたましげな顔をして、そっと息子に視線を向けた。
「……そうですか。もしかしてご容態がよろしくないとか」
「はい。弱気になっていて、智くんやご両親の様子も気になると……事故の際お力になれなかったことを随分気に病んでいるようでした。改めて謝りたいと」
「いえ。妻も最初のうちこそ動転して刑事さんを恨んでいましたが、今はもう納得しています。無理だと分かっていたからこそ、我々もあの場で動けなかったわけですから」
「…………」
「そう、あの刑事さんにお伝えください」
 途方に暮れたような苦い愛想笑いを浮かべつつ、告げてくる。
 ――どうやらこの父親はシロだな。
 と、鷹人は思った。目配せすると九雀も頷き、
「ありがとうございます。ところで――」
 話題を変えた。
「奥様は最近古物などを購入されませんでしたか?」
 かなり唐突な質問に聞こえたのだろう。卓は目をぱちくりさせている。
「していない……というか、ろくに買い物にも出ていませんが、何故です?」
「いえ、最近八津坂市内の方に詐欺まがいの手口で古物を売りつけている人物がおりましてね。特に長期入院患者の家族が何組も被害に遭ったということで、念のため」
 それを聞くと彼は血の気の薄い顔をいっそう青くして、椅子から腰を浮かせた。
「……少し、妻に確認の電話をしてきても?」
「はい。病室で待たせていただいてよろしいでしょうか」
「大丈夫です。では、失礼」
 小走りに部屋の外へ出て行く。
 卓の姿が廊下の向こうへ消えていくのを確認し、鷹人はぼそりと呟いた。
「やっぱり君は警官に向かない。だって判断力の鈍った相手を丸め込んで、まるっきり詐欺師じゃないか。あんなに嘘を吐いても、表情ひとつ変えないし――」
「うちの後輩があんたの奥さんに呪われてるかもしれないなんて、馬鹿正直に言えるか」
 九雀は他人事のように肩をすくめると、顎をしゃくって部屋の中をぞんざいに指した。
「ほら、今のうちに残滓があるか確認しちまえよ」
「後輩の姿がないと、途端横暴になる。あとで律華くんに言いつけてやる」
「真田のことだから情状酌量で無罪判決くだしてくれるだろ」
 じろりと睨む鷹人に苦笑で返し、そう開き直る始末である。
「うう……この世に正義などなかった」
 いらない惚気を聞かされてしまった心地で、ポーチの中から小型の円筒を取り出す。内部に特殊な装置を組み込みプレナイト製のレンズをはめた、対呪症スコープである。
「さて、なにが出てくるだろうか」
 呪症が花岡智への想いに端を欲したものであれば、残り香程度の残滓はあっていいはずだが――ベッドの周りに目を凝らし、鷹人はおやと呟いた。
 床頭台に飾られた写真立てに、うっすらとまとわりつく白い靄がある。それは絹糸のように細く伸びて、窓の外へ繋がっていた。
「写真だ、蔵之介」
「写真? ああ、これか」
 頷き、九雀が写真立てに手を伸ばす。と、
「お待たせしました」
 病室の扉ががらりと開いた。妻との電話を終えて戻ってきた卓だった。彼はスコープごと慌ててポケットに手を突っ込んだ鷹人を不思議そうに見やると、九雀に訊ねた。
「妻の方は大丈夫でしたが……その写真がなにか?」
「いや、いい写真だなと」
 何食わぬ顔で九雀が答える。それを聞くと、卓は少し寂しそうに笑った。
「こうなる直前に撮った写真なんですよ。参王市にある夢屋敷ってご存知ですか?」
 九雀は軽く顎を引いた。
「聞いたことくらいは。昔からある遊園地ですよね」
「ええ。かなり古くて流行りのキャラクターなんかもいないんですけど、子供連れではゆっくり遊べる穴場でしてね。ひととおりアトラクションに乗って、フードコートでたまのジャンクフードを食べるのが智の楽しみだったんです」
「そうなんですね」
 九雀は相槌を打つと、いくらかしおらしい表情を作った。
「この写真、お借りしても? 真田に見せてやりたいんです。明日にはお返ししますから」
「いえ、ネガもありますからお譲りしますが……」
 卓は躊躇したようだ。
「あの、かえって気に病ませてしまいませんか」
「しかし写真の智くんに謝ることで、あいつも心残りを減らせると思うんです」
「なるほど……」
 納得した――というよりは、追求しようにもできないといった顔だった。神妙に頷く卓に礼を言うと、九雀は「石川」と一度だけこちらに声をかけ、病室を出ていった。
 鷹人は悪友の後を追い、隣に並ぶと小声で彼をたしなめた。
「君ってやつは縁起でもない」
「俺だってあんなこと言いたかなかったさ」
 本気で不本意だったのか、九雀は酷く顔をしかめている。
「けど、真田を助けるにはこの写真が必要だ。手段は選んでられねえだろ」
「まあ、それはそうだが……」
 一応同意して、鷹人は彼の手から写真を取り上げた。
 あかね色の空の下に佇む古びた建物が、どこかノスタルジックな雰囲気を醸し出している。過ぎ去った幸福の記録だ。上機嫌な少年を間に挟み、卓とその妻が穏やかに微笑む――その光景は少年の現状を思えば酷く切なく、胸に疼痛を呼び起こすのだった。
「で、その写真が特定古物なのか?」
 九雀の方は、感傷もなにもない。
 まったく粗野なやつだと思いつつ、鷹人はもう一度スコープ越しに写真を眺めた。薄い残滓は変わらず写真から伸びてどこかへ続いている。
「特定古物のようでもあり、違うようでもあり……どうにも決め手に欠けるな」
「はあ?」
「この写真から感じるものがないわけではないが……」
 ――それにしては、真田を加えた十一名の人間に害を及ぼすような激しさがない。
 というのが正直な感想だった。
「まあとにかく、車へ戻って試しに封じてみるか」
「ああ」
 そういうことになった。




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