蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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出口のない教室

5.

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 八津坂署から徒歩五分。そのまま八津坂署周辺と呼ばれるそのあたりは駅からは多少離れているが、公共施設も充実してそれなりに住みやすそうではある。
 九雀と合流したのは、いくつかあるアパートのうち一棟の駐車場だった。
 建物の側面に「アルエット八津坂」と今時文字が打たれている――周囲に比べると築年数はやや古そうで、小綺麗だがくたびれた様子もある。
 車から下りてきた九雀は、さすがにもう落ち着いている様子だった。
「すまんな。不動産屋で鍵を借りるのに手間取った」
「いや、僕も今到着したところだ」
 どことなく決まりが悪そうな悪友に言って、鷹人はアパートを仰ぎ見た。
「職場からこんな近くにアパートを借りるなんて信じられないな。気が休まらない」
「離れてた方が落ち着かないんだとさ。あいつ、非番の日も大抵はすぐ出てこられるように待機してっからなー……少しは気を休めてほしいんだが」
 九雀が苦笑し、少し目を細める。
「まあ、本人が満足してるなら周りが気を揉むこっちゃねえか。飲み会の日とか雨の日に散々送ってもらってる俺が、言える義理もねえし」
「なんだ、君は来たことがあったのか。彼女、プライベートな空間に人を招くのは好きではないと言っていたから初めてなのかと思った」
 なんとなく面白くない気分で毒づいてから――また飼い犬自慢が始まりそうなことを言ってしまったかと小さく舌打ちをする。が、九雀の反応は予想と少し違った。
「拗ねるなよ。俺も、部屋に上がったことはない。駐車場までだ」
 溜息交じりに言ってから、ふと気付いたように彼は眉をつり上げた。
「つうか、いつ聞いたんだそれ。薄々察してはいたが、あいつ俺には言わなかったぞ」
 じろりと睨んでくる悪友に、やぶ蛇だったと思いつつ。
「君らが僕に関する記憶をなくしていたときだよ。一人であの雛芥子を探していたら雨が降ってきて、そこへ律華くんが通りかかった。で、倒れられて自分の部屋に運ぶ羽目になったら事だから店を教えろと脅迫を受け……つまり成り行きだ」
 話がまたこじれそうなので、多少の脚色を交えて告げる。
「そうか」
 あからさまに安堵した様子の九雀と目が合って、どちらともなくパッと視線を逸らす。沈黙が気まずい。変なことを言わなければよかったと後悔しながら、鷹人は言い訳した。
「一万歩譲って言っておくが、僕のは純粋な友情だぞ。勘違いしないでくれよ」
「馬鹿、俺だって先輩としてだなあ。そりゃ独占欲というか、俺の後輩だぞって気持ちが多少ないわけでもないが……そういうのはノーカン……だと思う、多分」
 言いながら本人も自信はないのか、語尾が怪しくなってくる。
「ともかく、ともかくだ。今はそんな話をしてる場合じゃねえだろ」
 大袈裟に頭を振り、九雀は会話を打ち切った。
「真田の車はあるな――ある」
「とすると、一人でどこかへ向かった可能性は薄いか」
 実を言えば、その可能性がもっとも高いと思ったのだが。
「ここで憶測を交わしていても仕方がない。部屋へ行こう」
「ああ。こっちだ」
 頷く九雀の後に続く。剥き出しの階段を上り、二階へ向かった。彼によると四部屋あるうち一番奥が律華の部屋だというが、表札すらかかっていないため外から見た限りではそうと分からなかった。
「いてくれるといいんだが。おい、真田!」
 緊張気味に呼びかけながら、九雀が呼び鈴を押す。返事は――
「ないな」
「気は進まねえが、勝手に入るか」
 嘆息し、九雀はキーケースから鍵を取り出した。鍵孔に差し込み、かちりと回す。
 チェーンが掛けられているということもなく、ドアはあっさり開いた。
「真田、いるか」
「いや、いないから出ないんだろう」
「うるせえ。具合が悪いだけで、いる可能性だって――」
「どうしたんだ、蔵之介。まさか中が荒らされているのか?」
 言葉を途切れさせたまま玄関に突っ立って動こうとしない悪友を押しのけ、鷹人は部屋の中を覗き込んだ。ごく一般的な1Kで、一応キッチンは別になっているものの広くはない。そうなると自然と家具なども少なくなるのだろうが、それにしても。
「これは……また、なんというか……」
 鷹人もたじろいだ。
「やけにすっきりしている」
「すっきりしすぎだろ」
 九雀がそう言ったのも無理はない。
 キッチンには小さな冷蔵庫がひとつ。最低限の食器は揃っているようだが、まるで生活感がない。その奥の洋室はもっと殺風景だった。八畳程度だろうか。飾り気のないパイプベッドに、小さなライティングデスク。そして本棚代わりのカラーボックス。あとは備え付けのクローゼットで、すべてである。
「もっとジムのような部屋だと思っていたのに、これでは独房だ」
 鷹人は呟いた。九雀はそれどころではなかったようだ。
「真田!」
 大人一人分のふくらみを見つけ、ベッドに駆け寄る。
「おい、真田! 後輩ちゃん! 大丈夫か?」
 肩を揺すって声をかけるのだが、律華はぴくりとも反応しない。
 その様子を覗き込んだ鷹人も、さすがに不安を覚えた。恐る恐る九雀に訊ねる。
「律華くんは、生きているんだよな……?」
「縁起でもねえこと言うんじゃねえよ。息はしてる。ただ――」
 目を覚まさないだけだ。と、九雀は唇を戦慄かせた。すっかり血の気の引いた顔は、彼の方こそ縁起でもないことを考えているのではないかと思わせる。
 そんな悪友を見て、鷹人はかえって冷静になった。


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