2 / 6
友達
しおりを挟む
それは夏の暑い日の朝突然起こった出来事だ。峻希はその出来事に、少し嬉しさというか、誇らしさというか複雑な心情を感じていた。
家路の汽車の中で携帯が鳴る。
『今度、一緒に車のイベント行こうよ』
リンクが送られてくる。東京モーターサロンと書かれている。車好きなら知っている有名なイベントだった。新車の展示発表などが行われる。峻希はすかさず返事を送る。
『いいよ。でも少し遠いね』
峻希たちの住んでいる地域から、その会場までは、汽車で六井まで出てそこから、電車を2・3本乗り継がなくてはならなかった。
『ちょっとした旅行だよね』
学校は、まもなく夏休みに入る。
夏休みに入ってすぐ、そのイベントは行われた。二人は、改札口出てすぐの自販機の前で待ち合わせた。
「よっ」
「制服姿じゃないの新鮮だね」
「確かにそうだよね。いつもは制服だもんね」
駅の構内は、これからそのイベントに向かうであろう人たちでごった返している。春樹は袖の長い黒い半そでのTシャツに白のズボンで現れた。制服の時とは違って、芸能人らしい感じがする。
しかしながら、マスクや帽子、サングラスはしていなかった。
「春樹君、顔隠さなくて大丈夫なの?」
「峻希、僕が何の仕事してるか知ってるんだ」
「ごめん、中学の同級生が教えてくれたんだよね」
春樹はなぜか少し嬉しそうな顔をする。
「いいよ。峻希は友達だし」
峻希の顔がりんごのように赤らむ。また、改めて友達と言われると、嬉しい気持ちと、何か裏があるんではないかという気持ちで、複雑な心境になるのだった。
「隠してる同期ももちろんいるし、俺も場合によっては隠すけど、別に義務じゃないし、今日は暑いから隠さないだけ」
淡々と、少し小声で春樹は答える。そして、笑いながら続ける。
「それにね、俺そこまで有名な方じゃないから。もっと有名な子周りにはいっぱいいるよ。俺なんか全然、知る人ぞ知るって感じ」
駅の郊外に出ると、イベントに行く人たちがアリの行列のように並んでいる。スタッフの誘導の人たちが、その行列の最後尾を教えてくれた。遠くで鳴く蝉の声と夏の日差し。地面からの反射してくる熱が暑い。そうだ。といい、春樹が鞄から何かを取り出す。
「これあげる」
それは、スポーツ飲料のペットボトルを凍らせた物だった。
「ありがとう。すごい、これは助かる」
峻希のありがとうという言葉に、春樹がはにかむ。ペットボトルを脇に挟むと少しばかり体が冷える。イベント会場の行列は、少し、また少しゆっくりと前に流れていく。
「こんなことなら、前売り券買っておけばよかったね」
と、春樹が言う。春樹は、首から掛けたタオルで額の汗を拭うと、続けてこう言った。
「峻希はなんで友達作らなかったの?」
「いらないって思ってた」
「いらないって思ってたけど、俺とは友達になってくれた。それはなんで?」
「ごめん春樹君。君のことも、まだ友達とは思ってない。というか、思えない。僕にとっては、クラスメイトでしかない」
「峻希って、まじで面白い」
行列がまた一歩、前へ進む。峻希の横で、春樹がゲラゲラとわらっている。その様子を見て、峻希はなんで笑っているのか理解できなかった。自分では薄々気が付いていたが、人の考えていることや、思っていることを推察するのが峻希は少し苦手だった。そして、友達の定義というものもまた、峻希の中では、曖昧なことだった。
「僕なんか面白いこと言った?」
「正直、ちょっとびっくりしただけ。もう峻希も俺のこと友達だと思ってくれてると俺は思ってたから」
「ごめん」
「俺、絶対お前と一番の友達になる」
真顔の春樹を見て、峻希は少しおかしくなる。そして、二人で顔を合わせてゲラゲラ笑いあった。
会場に入るまでには1時間近くかかった。中に入っても、大勢の人たちでごった返している。
「何から見る?」
春樹が尋ねる。
「とりあえず、日産のブースに行きたいな」
「そっか。峻希はやっぱ日産好きなんだね」
「うちの車が日産の車だから、影響された。春樹君は?」
「俺は、国産より外車が好き」
「外車かー。ベンツとかBMWとか?」
「アメ車かな。親父がアメ車乗ってたから」
峻希の質問に、春樹は淡々と答える。しかし、父親の話になりかけた時、春樹は少し話し方が寂しそうな感じになった。表情もさっきの明るい表情から、少し寂しそうな暗い表情になる。春樹は、表情を下に落したまま、こういう。
「父さん、死んだんだ。自殺だった。俺は何もしてあげられなくて。いつも自分のことで精一杯で」
峻希が春樹の表情を見る。目が少し赤らんでいる。その目から、小さな水滴が下に落ちる。峻希は直視出来なかった。
「事情はわからないけど、大変だったんだね」
峻希は少し不思議な気分だった。今までに抱いたことない感情だった。悲しそうに下を向く春樹に俺はどういう言葉を掛けてあげればいいんだろう。どういう仕草をしてあげればいいんだろう。わからなかった。手が勝手に動いた。峻希は春樹の頭を後ろからそっと撫でて、そのまま腕を肩に回した。春樹がハッと顔を上げる。
「ごめん、俺にはわからなくて。こうしてあげる事しかできない」
春樹が急にしゃがみ込み、泣き出した。辺りは、大勢の人でごったがえしている。春樹は、そのまますとんとしゃがみ込んで、ワッと泣いた。周りの人たちは、そんな男二人組を見て、驚いた表情をして、通りこしていく。近くにいた警備員の人が駆け寄ってくる。
「どうかされました?体調でも悪くされたんですか?」
「すみません。なんでもないんです」
春樹は、一瞬顔を上にあげて、警備員の人にそう告げる。その目はひどく赤らんでいる。
「春樹君、一回外出て、飲み物でも買って落ち着こうよ。俺おごってあげるから」
春樹は、しゃがみ込んだまま、こくりと頷き、ゆっくりと立ち上がった。
「ごめん。けどありがとう峻希」
春樹は、泣きながらそう言った。手で、顔の涙を拭っている彼に、峻希はそっとハンカチを差し出す。春樹はそれを「ありがとう」
と受け取り、涙をぬぐう。
二人は、いったん会場の外に出て、自販機で飲み物を買う。峻希は春樹が小銭を自販機に入れようとするのを、まあまあと止め、代わりに自販機に小銭を入れる。峻希は水を、春樹はコーヒーを選んでボタンを押す。飲み物がすとんと出てくる。外は、建物の日陰になっていて、直射日光が当たっているよりは涼しかった。二人は、近くにあった赤いベンチに腰掛けた。
「少し落ち着いた?」
「突然ごめん。感情が急に押し寄せてきて、耐えきれなくなった。峻希がそばにいてくれて助かった」
「俺こそ、突然肩組んだりして、ごめん」
「いや、うん。普通にうれしかったよ」
彼の笑い顔を見て、峻希も少し安心した。
そして、春樹は静かに語りだした。
「父さんは、元レーサー。全日本ラリーで活動してた。けど、レース中の事故で右足を失ったんだ。その後はもう、酒浸りの生活。俺はそんな父さんを見て、何もしてあげられなかった。ある日突然行方不明になって、1か月後に県内のダムで見つかった。おじさんが葬儀屋さんに言われて棺桶の中を確認したらしいんだけど、とてもほかの人に見せられるような姿じゃなかったって。」
彼は、ペットボトルのコーヒーをごくりと一口飲んだ。
峻希には、彼に掛けてあげる言葉が見つからなかった。しばらく沈黙が続く。
「だから、周りの人が離れていくのが、怖いんだよね。ある日突然、身の回りの人が消えていく恐怖感」
峻希は、彼のそばに寄り添って、友達として居てあげなきゃいけない気がした。これが友達か。と、彼はその時思ったのだった。
「さ、車見に行こう」
春樹は、何かふっきれたような、笑顔でそう言った。
「うん」
俺は四歳の時から、子役として活動をしている。子役専門の芸能事務所に入ったのは、父の紹介だった。
父を喜ばせるため、俺は必死に稽古を頑張った。十歳になるころには、テレビCMや、ドラマで活動するようになっていった。そんな姿を見て、また父も喜んでくれた。俺は、父のそんな喜ぶ姿が大好きだった。
子役として一人前に活動を続ける中、ある時、父がレース中に事故にあった。医師は父の命を救うため懸命に治療に当たってくれた。命は助かったが、代償に右足を切断する事になった。
父はよく言っていた。レースは命を掛けて走っていると。しかし、たとえ命が助かっても、足を失ったことにより、レース出場どころか、日常生活さえもままならなくなっていた。命を失うことより、父にとってはそれが辛かったのだろう。
レースにすべてを掛けていた父は、毎日酒浸りの生活を送るようになっていった。お前が活躍する姿が大好きだ。元気でな。と書かれた一枚のメモを残し、ある日父は突然姿を消した。その一か月後にダムで父の遺体が見つかった。
警察からの連絡を受けたとき、俺は頭の中が真っ白になった。受け入れられなかった。学校や稽古も行かなくなっていった。もう、誰のために頑張っているのか、自分にはわからなくなっていた。父の死から、半年ほど経った時、今度は人を失う恐怖感に苛まれた。
周囲からは美少年とよく言われた。女にもよくモテた。告白もされた事があったが、俺は断った。
受け入れてしまえば、いつか終わりが来る。そう思った。15歳の時だった。俺は、初めて身体の関係を持った。相手は、同じ事務所にいる17歳の先輩女優だった。殆ど一方的だった。俺は、特に抵抗することもなく、それを受け入れた。行為の最中、罪悪感と恐怖感で潰れてしまいそうだった。こんな自分が惨めだった。
俺が、彼女や友達を意識的に持とうと思わなくなったのは、父の死以降だ。もう誰も失いたくなかった。みんな俺の元からいつかは離れていく。それが怖かった。
高校に上がってからも、稽古は続けた。映画やドラマのオファーも受けた。
父に代わって、母を支えてあげなければならない、そう思っていたからだ。高校の学費も全部自分の収入から支払った。
友達なんか作らないと決心していた。
いつもの教室。セミの鳴く声。いつも窓際で、一人、本を読んでいる奴がいる。真面目そうなやつだ。しかし、よく見ると、Z32のキーホルダーが鞄についている。彼は車が好きなのだろうか。Z32は、父が昔愛車として乗っていた。特に理由なんてなかった。ただ、なんとなく俺はこいつと仲良くなりたい。直感的にそう思った。
カーテンを閉めるついでにこいつと友達になろう。
つかの間の夏休みはまるで風のように過ぎ去って散っていく。セミの鳴く声もまばらになり、秋の風が吹き下ろす。暑さも幾分かましになっている。春樹は稽古や仕事で夏休みのほとんどが潰れてしまったらしい。峻希も、大学受験に向けて、夏休みから塾の夏期講習に通うようになっていた。お互いに定期的な連絡を取り合ってはいたものの、夏休み期間中に会ったのは、あの車のイベントが最初で最後だった。
「よっ」
「春樹。久しぶり」
「やっと峻希が君付けで名前呼ぶのやめてくれた」
春樹の表情に綻びが生じる。
「嫌だったの?君付けて呼ばれるの」
「嫌というか、なんか距離感感じるじゃん」
「それって、嫌ってことでしょ」
二人して笑いあう。教室内が一瞬穏やかな空気に包まれた気がした。
「そうだ」と、春樹が峻希の机のそばを離れる。自分のカバンから何かを取り出すと、また春樹のもとに戻ってくる。
「これ、ハンカチ返してなかったよね」
新品のハンカチだった。峻希の好きな車のデザインがあしらわれていた。
「これ、どうしたの?」
「この前のイベントの時、トイレに行くふりしてこっそり売店で買っておいたんだ。今度、峻希にあったら返さなきゃって」
「もともとの俺のハンカチはどうしたの?」
「ハンカチ交換ってことっで」
峻希が俺に差し出してくれたハンカチ。それは峻希が俺を認めてくれた証として、大切にとっておきたかった。
「ハンカチ交換?」
「峻希が俺を友達と認めてくれた証にと思って」
「嬉しいけど、恥かしいよ」
峻希は、だんだんと自分の顔が赤らんでいくのが、わかった。それを悟られまいと、机に突っ伏した。
「ありがとう」
「峻希、顔赤いよ」
峻希の小さなこぶしが、春樹の腹めがけて、飛んでくる。
二人は、またゲラゲラと笑いあう。彼はきっと、自分に心を許してくれてるんだな。その小さな拳が春樹の腹に当たるとき、そう思った。峻希もそれは同じだった。こいつは俺の友達になってくれる奴なんだ。そう思った。二人の小さな孤独感が友情へと変わる瞬間だった。
作山が教室に入ってきて、「えへん」と咳払いする。
「またあとで」と春樹が言って、峻希の机のそばを離れる。
同時に、ばらばらと散っていたほかの同級生達も席に着く。
これが、俺らの友情。
家路の汽車の中で携帯が鳴る。
『今度、一緒に車のイベント行こうよ』
リンクが送られてくる。東京モーターサロンと書かれている。車好きなら知っている有名なイベントだった。新車の展示発表などが行われる。峻希はすかさず返事を送る。
『いいよ。でも少し遠いね』
峻希たちの住んでいる地域から、その会場までは、汽車で六井まで出てそこから、電車を2・3本乗り継がなくてはならなかった。
『ちょっとした旅行だよね』
学校は、まもなく夏休みに入る。
夏休みに入ってすぐ、そのイベントは行われた。二人は、改札口出てすぐの自販機の前で待ち合わせた。
「よっ」
「制服姿じゃないの新鮮だね」
「確かにそうだよね。いつもは制服だもんね」
駅の構内は、これからそのイベントに向かうであろう人たちでごった返している。春樹は袖の長い黒い半そでのTシャツに白のズボンで現れた。制服の時とは違って、芸能人らしい感じがする。
しかしながら、マスクや帽子、サングラスはしていなかった。
「春樹君、顔隠さなくて大丈夫なの?」
「峻希、僕が何の仕事してるか知ってるんだ」
「ごめん、中学の同級生が教えてくれたんだよね」
春樹はなぜか少し嬉しそうな顔をする。
「いいよ。峻希は友達だし」
峻希の顔がりんごのように赤らむ。また、改めて友達と言われると、嬉しい気持ちと、何か裏があるんではないかという気持ちで、複雑な心境になるのだった。
「隠してる同期ももちろんいるし、俺も場合によっては隠すけど、別に義務じゃないし、今日は暑いから隠さないだけ」
淡々と、少し小声で春樹は答える。そして、笑いながら続ける。
「それにね、俺そこまで有名な方じゃないから。もっと有名な子周りにはいっぱいいるよ。俺なんか全然、知る人ぞ知るって感じ」
駅の郊外に出ると、イベントに行く人たちがアリの行列のように並んでいる。スタッフの誘導の人たちが、その行列の最後尾を教えてくれた。遠くで鳴く蝉の声と夏の日差し。地面からの反射してくる熱が暑い。そうだ。といい、春樹が鞄から何かを取り出す。
「これあげる」
それは、スポーツ飲料のペットボトルを凍らせた物だった。
「ありがとう。すごい、これは助かる」
峻希のありがとうという言葉に、春樹がはにかむ。ペットボトルを脇に挟むと少しばかり体が冷える。イベント会場の行列は、少し、また少しゆっくりと前に流れていく。
「こんなことなら、前売り券買っておけばよかったね」
と、春樹が言う。春樹は、首から掛けたタオルで額の汗を拭うと、続けてこう言った。
「峻希はなんで友達作らなかったの?」
「いらないって思ってた」
「いらないって思ってたけど、俺とは友達になってくれた。それはなんで?」
「ごめん春樹君。君のことも、まだ友達とは思ってない。というか、思えない。僕にとっては、クラスメイトでしかない」
「峻希って、まじで面白い」
行列がまた一歩、前へ進む。峻希の横で、春樹がゲラゲラとわらっている。その様子を見て、峻希はなんで笑っているのか理解できなかった。自分では薄々気が付いていたが、人の考えていることや、思っていることを推察するのが峻希は少し苦手だった。そして、友達の定義というものもまた、峻希の中では、曖昧なことだった。
「僕なんか面白いこと言った?」
「正直、ちょっとびっくりしただけ。もう峻希も俺のこと友達だと思ってくれてると俺は思ってたから」
「ごめん」
「俺、絶対お前と一番の友達になる」
真顔の春樹を見て、峻希は少しおかしくなる。そして、二人で顔を合わせてゲラゲラ笑いあった。
会場に入るまでには1時間近くかかった。中に入っても、大勢の人たちでごった返している。
「何から見る?」
春樹が尋ねる。
「とりあえず、日産のブースに行きたいな」
「そっか。峻希はやっぱ日産好きなんだね」
「うちの車が日産の車だから、影響された。春樹君は?」
「俺は、国産より外車が好き」
「外車かー。ベンツとかBMWとか?」
「アメ車かな。親父がアメ車乗ってたから」
峻希の質問に、春樹は淡々と答える。しかし、父親の話になりかけた時、春樹は少し話し方が寂しそうな感じになった。表情もさっきの明るい表情から、少し寂しそうな暗い表情になる。春樹は、表情を下に落したまま、こういう。
「父さん、死んだんだ。自殺だった。俺は何もしてあげられなくて。いつも自分のことで精一杯で」
峻希が春樹の表情を見る。目が少し赤らんでいる。その目から、小さな水滴が下に落ちる。峻希は直視出来なかった。
「事情はわからないけど、大変だったんだね」
峻希は少し不思議な気分だった。今までに抱いたことない感情だった。悲しそうに下を向く春樹に俺はどういう言葉を掛けてあげればいいんだろう。どういう仕草をしてあげればいいんだろう。わからなかった。手が勝手に動いた。峻希は春樹の頭を後ろからそっと撫でて、そのまま腕を肩に回した。春樹がハッと顔を上げる。
「ごめん、俺にはわからなくて。こうしてあげる事しかできない」
春樹が急にしゃがみ込み、泣き出した。辺りは、大勢の人でごったがえしている。春樹は、そのまますとんとしゃがみ込んで、ワッと泣いた。周りの人たちは、そんな男二人組を見て、驚いた表情をして、通りこしていく。近くにいた警備員の人が駆け寄ってくる。
「どうかされました?体調でも悪くされたんですか?」
「すみません。なんでもないんです」
春樹は、一瞬顔を上にあげて、警備員の人にそう告げる。その目はひどく赤らんでいる。
「春樹君、一回外出て、飲み物でも買って落ち着こうよ。俺おごってあげるから」
春樹は、しゃがみ込んだまま、こくりと頷き、ゆっくりと立ち上がった。
「ごめん。けどありがとう峻希」
春樹は、泣きながらそう言った。手で、顔の涙を拭っている彼に、峻希はそっとハンカチを差し出す。春樹はそれを「ありがとう」
と受け取り、涙をぬぐう。
二人は、いったん会場の外に出て、自販機で飲み物を買う。峻希は春樹が小銭を自販機に入れようとするのを、まあまあと止め、代わりに自販機に小銭を入れる。峻希は水を、春樹はコーヒーを選んでボタンを押す。飲み物がすとんと出てくる。外は、建物の日陰になっていて、直射日光が当たっているよりは涼しかった。二人は、近くにあった赤いベンチに腰掛けた。
「少し落ち着いた?」
「突然ごめん。感情が急に押し寄せてきて、耐えきれなくなった。峻希がそばにいてくれて助かった」
「俺こそ、突然肩組んだりして、ごめん」
「いや、うん。普通にうれしかったよ」
彼の笑い顔を見て、峻希も少し安心した。
そして、春樹は静かに語りだした。
「父さんは、元レーサー。全日本ラリーで活動してた。けど、レース中の事故で右足を失ったんだ。その後はもう、酒浸りの生活。俺はそんな父さんを見て、何もしてあげられなかった。ある日突然行方不明になって、1か月後に県内のダムで見つかった。おじさんが葬儀屋さんに言われて棺桶の中を確認したらしいんだけど、とてもほかの人に見せられるような姿じゃなかったって。」
彼は、ペットボトルのコーヒーをごくりと一口飲んだ。
峻希には、彼に掛けてあげる言葉が見つからなかった。しばらく沈黙が続く。
「だから、周りの人が離れていくのが、怖いんだよね。ある日突然、身の回りの人が消えていく恐怖感」
峻希は、彼のそばに寄り添って、友達として居てあげなきゃいけない気がした。これが友達か。と、彼はその時思ったのだった。
「さ、車見に行こう」
春樹は、何かふっきれたような、笑顔でそう言った。
「うん」
俺は四歳の時から、子役として活動をしている。子役専門の芸能事務所に入ったのは、父の紹介だった。
父を喜ばせるため、俺は必死に稽古を頑張った。十歳になるころには、テレビCMや、ドラマで活動するようになっていった。そんな姿を見て、また父も喜んでくれた。俺は、父のそんな喜ぶ姿が大好きだった。
子役として一人前に活動を続ける中、ある時、父がレース中に事故にあった。医師は父の命を救うため懸命に治療に当たってくれた。命は助かったが、代償に右足を切断する事になった。
父はよく言っていた。レースは命を掛けて走っていると。しかし、たとえ命が助かっても、足を失ったことにより、レース出場どころか、日常生活さえもままならなくなっていた。命を失うことより、父にとってはそれが辛かったのだろう。
レースにすべてを掛けていた父は、毎日酒浸りの生活を送るようになっていった。お前が活躍する姿が大好きだ。元気でな。と書かれた一枚のメモを残し、ある日父は突然姿を消した。その一か月後にダムで父の遺体が見つかった。
警察からの連絡を受けたとき、俺は頭の中が真っ白になった。受け入れられなかった。学校や稽古も行かなくなっていった。もう、誰のために頑張っているのか、自分にはわからなくなっていた。父の死から、半年ほど経った時、今度は人を失う恐怖感に苛まれた。
周囲からは美少年とよく言われた。女にもよくモテた。告白もされた事があったが、俺は断った。
受け入れてしまえば、いつか終わりが来る。そう思った。15歳の時だった。俺は、初めて身体の関係を持った。相手は、同じ事務所にいる17歳の先輩女優だった。殆ど一方的だった。俺は、特に抵抗することもなく、それを受け入れた。行為の最中、罪悪感と恐怖感で潰れてしまいそうだった。こんな自分が惨めだった。
俺が、彼女や友達を意識的に持とうと思わなくなったのは、父の死以降だ。もう誰も失いたくなかった。みんな俺の元からいつかは離れていく。それが怖かった。
高校に上がってからも、稽古は続けた。映画やドラマのオファーも受けた。
父に代わって、母を支えてあげなければならない、そう思っていたからだ。高校の学費も全部自分の収入から支払った。
友達なんか作らないと決心していた。
いつもの教室。セミの鳴く声。いつも窓際で、一人、本を読んでいる奴がいる。真面目そうなやつだ。しかし、よく見ると、Z32のキーホルダーが鞄についている。彼は車が好きなのだろうか。Z32は、父が昔愛車として乗っていた。特に理由なんてなかった。ただ、なんとなく俺はこいつと仲良くなりたい。直感的にそう思った。
カーテンを閉めるついでにこいつと友達になろう。
つかの間の夏休みはまるで風のように過ぎ去って散っていく。セミの鳴く声もまばらになり、秋の風が吹き下ろす。暑さも幾分かましになっている。春樹は稽古や仕事で夏休みのほとんどが潰れてしまったらしい。峻希も、大学受験に向けて、夏休みから塾の夏期講習に通うようになっていた。お互いに定期的な連絡を取り合ってはいたものの、夏休み期間中に会ったのは、あの車のイベントが最初で最後だった。
「よっ」
「春樹。久しぶり」
「やっと峻希が君付けで名前呼ぶのやめてくれた」
春樹の表情に綻びが生じる。
「嫌だったの?君付けて呼ばれるの」
「嫌というか、なんか距離感感じるじゃん」
「それって、嫌ってことでしょ」
二人して笑いあう。教室内が一瞬穏やかな空気に包まれた気がした。
「そうだ」と、春樹が峻希の机のそばを離れる。自分のカバンから何かを取り出すと、また春樹のもとに戻ってくる。
「これ、ハンカチ返してなかったよね」
新品のハンカチだった。峻希の好きな車のデザインがあしらわれていた。
「これ、どうしたの?」
「この前のイベントの時、トイレに行くふりしてこっそり売店で買っておいたんだ。今度、峻希にあったら返さなきゃって」
「もともとの俺のハンカチはどうしたの?」
「ハンカチ交換ってことっで」
峻希が俺に差し出してくれたハンカチ。それは峻希が俺を認めてくれた証として、大切にとっておきたかった。
「ハンカチ交換?」
「峻希が俺を友達と認めてくれた証にと思って」
「嬉しいけど、恥かしいよ」
峻希は、だんだんと自分の顔が赤らんでいくのが、わかった。それを悟られまいと、机に突っ伏した。
「ありがとう」
「峻希、顔赤いよ」
峻希の小さなこぶしが、春樹の腹めがけて、飛んでくる。
二人は、またゲラゲラと笑いあう。彼はきっと、自分に心を許してくれてるんだな。その小さな拳が春樹の腹に当たるとき、そう思った。峻希もそれは同じだった。こいつは俺の友達になってくれる奴なんだ。そう思った。二人の小さな孤独感が友情へと変わる瞬間だった。
作山が教室に入ってきて、「えへん」と咳払いする。
「またあとで」と春樹が言って、峻希の机のそばを離れる。
同時に、ばらばらと散っていたほかの同級生達も席に着く。
これが、俺らの友情。
1
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い

【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
告白ごっこ
みなみ ゆうき
BL
ある事情から極力目立たず地味にひっそりと学園生活を送っていた瑠衣(るい)。
ある日偶然に自分をターゲットに告白という名の罰ゲームが行われることを知ってしまう。それを実行することになったのは学園の人気者で同級生の昴流(すばる)。
更に1ヶ月以内に昴流が瑠衣を口説き落とし好きだと言わせることが出来るかということを新しい賭けにしようとしている事に憤りを覚えた瑠衣は一計を案じ、自分の方から先に告白をし、その直後に全てを知っていると種明かしをすることで、早々に馬鹿げたゲームに決着をつけてやろうと考える。しかし、この告白が原因で事態は瑠衣の想定とは違った方向に動きだし……。
テンプレの罰ゲーム告白ものです。
表紙イラストは、かさしま様より描いていただきました!
ムーンライトノベルズでも同時公開。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

悪役令息シャルル様はドSな家から脱出したい
椿
BL
ドSな両親から生まれ、使用人がほぼ全員ドMなせいで、本人に特殊な嗜好はないにも関わらずSの振る舞いが発作のように出てしまう(不本意)シャルル。
その悪癖を正しく自覚し、学園でも息を潜めるように過ごしていた彼だが、ひょんなことからみんなのアイドルことミシェル(ドM)に懐かれてしまい、ついつい出てしまう暴言に周囲からの勘違いは加速。婚約者である王子の二コラにも「甘えるな」と冷たく突き放され、「このままなら婚約を破棄する」と言われてしまって……。
婚約破棄は…それだけは困る!!王子との、ニコラとの結婚だけが、俺があのドSな実家から安全に抜け出すことができる唯一の希望なのに!!
婚約破棄、もとい安全な家出計画の破綻を回避するために、SとかMとかに囲まれてる悪役令息(勘違い)受けが頑張る話。
攻めズ
ノーマルなクール王子
ドMぶりっ子
ドS従者
×
Sムーブに悩むツッコミぼっち受け
作者はSMについて無知です。温かい目で見てください。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる