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わたくしは囚われるべきではないの

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「出してやろうか」

 あの悪夢の日から暫く経った頃。
 小柄で醜い顔の牢番が、天の使いに見えました。
 わたくしには、まだ未来への道は閉ざされていなかったのですね。

「助けてくださるのね」
「アンタ次第だ」

 病でしょうか、火傷でしょうか。
 辛うじて目鼻立ちが分かるような歪んだ醜い顔の男でした。
 常ならば、慰問ですら寄り付かない醜い者。

 ですが、選り好みしている場合では有りません。
 一時この醜い男に身を任そうとも、わたくしの心は穢れることはないのです。
 哀れで気高くも勤勉な魂は、救われる。

「わたくしは生き延びねばなりません。わたくしの為に死んでしまったお父様お母様の為に。
 国に帰り、哀れな民達を導かねばならないのです」
「成程、アンタのお言葉で踏み躙った土地にねえ。
 聞きしに勝る悪女だ」

 暗に、揶揄られたようです。
 このような下の者にまでわたくしの行いは伝わっていたのでしょうか。
 下卑た嗤いにわたくしの胸は煮え滾りました。

 仕方無いではありませんか。
 聞かれたから答えたのです。
 あのような殺戮に使われるなど、思いも寄りませんでした。嘘を吐かれた被害者は此方なのです。

 確かにわたくしが甘かった。
 ですが、涙と声が嗄れるまで悔いたではありませんか。
 生きている者は前を向くべきなのです。

『何故、過ちを犯しても謝らず開き直るんだ。
 君の前向きさは悍ましいよ』

 何処かで聞いた声が、耳元で響きました。
 この声は、一体誰だったかしら。
 嫌な事ばかり言う声で……。

「アンタ、行くのか行かないのか」

 先程からの子供の声といい、おかしいわ。
 きっと、牢に入れられて神経が参っているのね。

「鍵を開けて頂戴」
「アンタ、本当に偉そうだな」
「……」

 わたくしは、本当に正当に扱われない……。
 あの、元婚約者の横にいた女のように媚びて笑えばいいのかしら。
 あの女も本当に目障りだった……。

『ねえ、どうしてあんな酷い事を侍女にするのよ。
 ちゃんと貴女の命令をこなしていたじゃない。
酷すぎるわ』

 たかが侯爵令嬢の分際で、我が公爵家の使用人教育に口出しするなんて失礼でした。派閥の関係とは言え仲良くしてやっていたのに。
 その傲慢な振る舞いに少しばかり憤ったのは仕方ありません。
 その後に、些細な事故が少しばかり起きたと聞いたけれどわたくしのせいじゃ無いの。

「早く案内してくださる」
「急いだ所で、行ける所でもあんのかね」

 泥のせいで滑る床に苦心するわたくしを気にもせず、男は闇を進んでゆく。
 わたくしよりも小柄だけれど足が早くて、男のかざす松明が無ければ見失いそう。
 炭の焼ける臭いが漂っている。
 あの鬼畜王子に連れて行かれた時は煤が酷かったけれど、この臭いよりはマシだったわね。

 ……あら?
 何かが引っかかるわ。
 いえ、些末なことね。
 相応しい迎えが来るまで、この男に世話させられないかしら。我慢してやるしか無い。

「言っとくが、アンタをここから出すだけだ」
「そんな……」
「アンタに食わすような飯を稼げるとでも?」

 返す言葉が思いつかず、思わず息を呑んでしまった。

「貴方は真面目そうに見えるわ。それに、わたくしを助けてくれる優しい人よ」
「優しい?」

 ええ、振り向かなければ。
 それに、こんな暗がりでは顔もよく見えないものね。

「きっと、ご家族も良い方達なんでしょう」
「良いヤツしかいない」

 あら、少しは機嫌が上向いたかしら。
 わたくしも、暗がりに閉じ込められて暗い話題ばかり浴びせかけられて落ち込んでいた。
 久々に、明るい話題だわ。
 知らないとは言え、人を褒めるのはいいことだものね。

「そう。わたくしの家族もとても素晴らしいの。わたくしに素晴らしい教育を……」
「知ったことか」

 少し距離を詰めすぎたかしら。教育もままならない庶民に、貴族であるわたくしの家族の素晴らしさは理解しにくいわよね。

「し、知らないのはそうよね。
 でも、高貴なるわたくしには泥を啜ってでもやらねばならないことが」
「ぬるま湯で火傷すると騒ぎ立てるやつがかい?」

 急に、棘のある言い方だわ。
 一体どうしたのかしら。
 此処で機嫌を損じるのは得策ではないのに。
 全く、何が気に入らないのかしら。折角親近感を抱いてあげたのに。

「今頂けるなら、ぬるま湯はとても嬉しいわ。体も拭いたいし」

 少しばかり襟元を捲ってやっても、振り向きもしない。
 ……もう少し明るい所で行うべきだったわね。わたくしの玉の肌は、闇に紛れたままだったわ。こんな少しばかり抜けている所も愛してくださる方が、助けてくださるといいのだけれど。いえ、必ず来られるわ。こんな者に情けを掛けるだなんて、わたくしらしくなかったわね。

「……殿下がご苦労なさる筈だ」
「……何ですって?
 まさか、罠に嵌めたの?」
「罠にハメたのはアンタだろ?」

 いつの間に近づいたのか、醜く引き攣れた皮膚がわたくしの眼前に曝されていた。

「ひっ……!!」

 醜い。何度見ても醜い!
 だけれど、目を逸らしては駄目。
 我慢するのよ。何としても、此処を出るまでこの男の機嫌を取らなくては……。

 ………。

 男じゃ、ない?
 引き攣れた顔の下は……痩せてはいるけれど。

「ほら、よおく見なさいよお嬢様。アンタが難癖つけてお命じになった、この顔を。
 真っ白な炭の熾火で洗われた、この顔を」

 知らない。

「アンタのくだらないワガママ放題のせいで、どれほどの使用人がゴミ捨て場に投げ棄てされたか」

 知らない。
 だって、朝の洗顔は少し熱めのお湯が良かったんだもの。
 寸分違わず用意されてなきゃ駄目だったのだもの。

「パンの破片で指を切ったとか? 
 病的な難癖で、アタシの弟まで殺しやがって。
 そんなに切りたきゃ切ってやるよ」
「い、痛い! 痛い!! 私の指が!」

 無理矢理掌に握らされていたのは、分厚い刃物。
 ザラリとした手触りで、錆が分厚く張り付いているのが分かる。怖気が追加された。
 こんな不潔な物で切られては、死んでしまう!
 恐怖で膝が震える。

 何故、こんな事が!
 何故わたくしは騙されてしまうの⁉
 助けを得て、素敵な方と幸せになりたいと思っているだけなのに!

「お前に救われる哀れな民たちって、誰だよ! 誰もを不幸に追いやる人殺し!」
「さ、逆恨みは……ひっ!」

 逃げなきゃ。
 どうして、こんなことに……。
 何故、謂れのない事で責められなくてはいけないの!

 隣国の王子ランドルフ、何処までわたくしを苦しめるの⁉
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