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第七章
第27話
しおりを挟む八朔の目が徐々に見開かれていく。形のいい薄い唇が微かに震える。
「俺が好き……? 本当に?」
俄かには信じられない、と動揺している様子が手に取るように伝わってくる。嬉しさと不安が綯い交ぜになったような顔だ。
「……もしかして、まだ夢を見てるのかな。自分に都合のいい夢……」
放心したようにそんなことを呟くので、俺は「違う」と首を振る。八朔を見習って、俺も正直に伝えなければと思った。何も隠さず、強がらず、ありのままの八朔への想いを。
「ちゃんと現実だ。前に言ったよな、お前とこれからどうしていきたいか、ちゃんと考えるって。もう自分の気持ちをはぐらかすのは止めたんだ。本当はずっと前から、お前のことが好きだったよ。答えを出すのが遅くなってごめんな、八朔」
俺が拒否し続けたせいで疑り深くなってしまった八朔に謝りたい。好きな人に自分の気持ちを疑われたり、信じてもらえない辛さを、俺はようやく身に染みて味わっていた。血迷うなとか、目を覚ませとか、散々なことを言ってしまったことが悔やまれる。
八朔の顔がくしゃっと歪んだ。本当に泣き出すんじゃないかとこっちが慌てるくらい、切なげな表情だった。すっと俺に向かって右手を差し出して、
「仁木、こっちに来て」
と囁くように言う。
「お願い、もっと近くに来てくれ。俺が行きたいけど、まだ動きづらいんだ」
刺された傷が痛むのだろうか。そんなことを言われたら拒否なんてできない。心臓が痛いくらいに暴れている。それを聞きながら、俺はゆっくりと八朔に歩み寄った。
「!」
ぐいと腕を引かれて、もたれかかるように八朔のベッドへ腰を下ろす。背中に腕が回り、ぎゅうっと強く抱きしめられる。肩口に八朔が顔を埋めてきた。
「――――良かった、夢じゃない」
感激したように言いながら、頬を摺り寄せてくる。まるで犬みたいだ。ぶんぶんと尻尾を振っているのが見える気がする。
「だから、そう言ってんだろ」
俺も八朔の背中に腕を回し、宥めるようにぽんぽんと叩いた。八朔は「……うん」と頷くが、すぐにハッとしたように身じろぐ。
「でも困る。しつこくて強引なやつに弱いなんて、俺以外にもそんなやつが現れたら……」
と本気で焦ったように言うので俺は心底呆れてしまった。八朔の腕を解き、その顔を間近から覗き込む。
「前世から追っかけてくるやつなんか、他にいてたまるか。そんな物好き、お前くらいだよ」
そう揶揄いながら、お互いのおでこをコツンと合わせた。妙な心配をするやつだ。
それに八朔が危惧するほど自分がモテるとも思えない。花ちゃんも八朔に惚れているし、熱狂的なファンもいるし、明らかに八朔の方がモテている。心配しないといけないのはむしろ俺の方だ。
そんな魅力的な男が、必死で俺を求めてくるのが今でも不思議なくらいだ。案の定、八朔は訴えかけるように、何かに誓いを立てるように、俺と額を合わせたまま真剣に囁く。
「そうだよ。俺は前世も、今も、あんたを愛してる。だからきっと来世もあんたを追いかけていくよ。絶対にまた見つけ出してみせる」
とんでもない愛の言葉に、俺はつい吹き出してしまった。
「ふはは、マジでか。それって筋金入りのヤバいストーカーだな」
笑いながら、でも心はじんわり温かくなって、不覚にもじわっと目頭が熱くなる。額を合わせているせいで、表情を見られなくてすんで良かった。だから俺も強がらずに言える。
「嘘だよ、それも悪くないな……うん。俺だって、前世の自分に妬く程度にはお前が好きだよ。まあ、それもよっぽどだけどな」
俺と「錦」とどっちが好きなんだと、自分の前世に妬いてしまうほど、自分が嫉妬深かったことを初めて知った。まるで元カノと私とどっちが好きなんだと、彼氏を困らせてしまう今カノみたいだよな。
だけど俺が嫉妬深いのは、「錦」の影響を多分に受けているんじゃないかと思うんだ。
――――この痣を頼りに私を探してくれ。私を追ってきてくれ。また再び来世でそなたと出会えるように……。
八朔の記憶の中の錦は、死ぬ間際に、何かを「探して」と託したらしい。俺が見た夢の中の二人が本当に錦と三郎だったとしたら、錦が探してほしいと託したのは、自分自身だったことになる。彼がそれを望んでいたということだ。
三郎と八朔をストーカー呼ばわりできる立場じゃない。いったいどっちが執着心が強いのか分かったもんじゃないぞ。
俺はずずっと洟を啜りながら、顔を離して八朔を見つめた。緊張しつつ聞いてみる。
「おまえの前世の男ってさ、なんて名前……?」
「三郎だよ。それがどうかした?」
教えてなかったっけ、という顔で八朔がきょとんとしている。いいや、聞いてないぞ。これまで散々話題にしてきたのに、なぜか名前を聞く機会を逃していたのだ。
やっぱり……! と雷に打たれたような衝撃が降ってくる。いよいよ超自然的な話になってきてしまった。
だけど、平安時代の大昔なら、三郎なんて名前の人は大勢いそうだし、八朔の話を聞いて俺が思い込みで作ってしまった夢の可能性もある。痣のことだって、所詮偶然だと片付けてしまうことも簡単だ。
俺は八朔ほどロマンチストじゃないし、疑り深くて、現実主義者なんだ。
でもこればっかりは、いくら考えたって真実か嘘かなんて誰にも分からない。何が正解で何が不正解かは誰にも判断できないのだ。
だったら、俺たちが勝手に信じていたって構わないはずだ。大切なのは、自分がどうしたいか、何を信じたいか、それだけなんだから。
誰に笑われたっていいよ。お前と一緒なら、なんてことない。
俺は八朔の頬を両手で包んだ。
「なあ、俺が本当に錦だとしてさ……」
「錦はあんただよ」
疑う余地もないといったように即答する八朔に、「分かってるよ」と俺は笑い返した。目覚めてからずっと八朔に伝えたいと思っていたことがある。
「きっと錦は、好きな奴の……三郎の腕の中で死ねて、幸せだったと思うよ。そんな気がする」
あの夢を見たとき、強く感じたのは幸福感だった。もうすぐ自分が死ぬという恐怖も後悔も錦は感じていなかった。ただ、愛する男を残していくことへの申し訳なさはあったけれど。それでも最期には、幸福感に包まれて逝ったのだ。
今はまだ俺が錦の想いを理解して伝えられるのは、これだけだ。もしもこれから先、八朔のように何度も前世の夢を見るようになって、俺が何の疑いもなく自分が錦だって自信が持てたら。これからこいつのことをもっともっと好きになって、前世もひっくるめて愛してるんだって確信できたら――――。
夢で見た三郎と錦のことを八朔に話してやってもいいかもしれない。法輪の痣に錦が託した想いのことも、追ってきてくれてありがとうって思うこの気持ちも。きっと八朔は泣いて喜ぶに違いない。そんな日が来るのも、それほど遠くないだろう。
「仁木……」
「うん」
「仁木……っ」
感極まったように、八朔が俺を抱きしめてくる。背がしなるほどきつく力を込められる。俺も応えようと八朔のうなじを抱き寄せた。引き寄せられるようにお互いの唇を重ね合わせる。
「ん……っ、ふ……う……っ」
下唇を甘噛みされて、お互いの舌を搦め合わせた。強く吸われたり、舌先で上顎をぬるぬると舐められる。角度を変えてさらに深く繋がろうと、なんだか必死になる。
八朔の体温や匂いを感じて、ちゃんと無事に生きているんだと実感して嬉しくなった。濃厚にキスを求め合っているのに、俺はその安心感にまったりしてしまう。
だから、八朔の手が俺の病衣を脱がしにかかったときにも、「こいつ、ゴソゴソ何やってんだ?」とぼんやりしていたのだ。
「……ん?」
急に我に返って、俺はぎょっと八朔の手を掴んだ。
「お、おい、待て、八朔」
「なに」
「なに、じゃない。お前まさか、ここで何かするつもりじゃないだろうな」
「するつもりだけど」
何の悪びれもなく言う八朔に、俺は度肝を抜かれた。
「お前、刺されたんだからな! 手術したばっかりなんだぞ? 傷が開いたらどうす……っ」
「今はまだ麻酔が効いてるみたいだ。少し引き攣れる感じがするけど痛くない」
「だからってなあ……っ。廊下の先に警備の人もいるんだぞ……!」
「分かってる。だから最後まではしない。触るだけ」
「ん……っ」
八朔は俺を黙らせようとまたキスを仕掛けてくる。俺がこいつのキスに弱いことにもう気づいているのだ。
「俺の上に跨って。傷は浅いって看護師が言ってたから、触れなければ大丈夫だよ。ほら」
八朔に背中をぽんぽんと促される。ここで暴れては余計に八朔に無茶をさせてしまいそうなので、不本意だが大人しく従うことにした。男の上に跨るなんて初めての経験で、やけに気恥ずかしい。できるだけ体重をかけないように膝を立てて自分を支える。
俺たちが着ている病衣はガウンタイプのもので、八朔が器用に片手で腰ひもを解くと、簡単にはだけてしまった。下に来ていたタンクトップの上から、八朔が俺の胸をさわさわと撫でてくる。部屋には暖房がついていて暖かいのに、ぞくぞくっと背筋が震えた。
「もう尖ってる……」
八朔の口元がふわりと笑って、嬉しそうに俺の胸の尖りを摘まんできた。
「さ、寒いから……」
「嘘だね。あんたのここは敏感だからだよ」
「い、痛いって。強くするなよ」
「――――直接舐めたい」
言葉の威力がすごくて、頭をガツンとされたみたいな衝撃がきた。
八朔はそれだけ言って、俺をじっと見上げてくる。まるでご飯をおねだりする大型犬みたいだ。くそ、と俺は唇を噛むが、八朔が動こうとしないので、俺がやるしかないと諦めた。こいつに無茶をさせないためだと、繰り返し自分を言いくるめる。
震える手でタンクトップを胸の上までたくし上げた。
「……ッ」
すぐに八朔の手が伸びてきて、両方の突起を親指で押し潰したり、爪でぴんと弾いたりしてくる。そのたびに俺の身体はビクンビクンと痙攣した。
「あ、遊ぶなよ……っ」
「遊んでないよ。可愛いなって思ってるだけ」
そう言って、胸元に顔を埋めてくる。痛いくらい敏感に尖ったそこに、ふっと息を吹きかけられる。俺がびくっと硬直すると、八朔はなんとも言えない色っぽい顔で笑った。
「あ……っ、んん……っ、く」
ぬるりと舌を這わせられて、俺は慌てて息を呑む。気を抜くと大きな声で喘いでしまいそうなほど刺激が強い。口に含まれ、強く吸われて、カリリと甘噛みされる。ジクジクするような堪らない疼きに、俺は八朔の髪を掴んで耐えるしかない。
「気持ちいい?」
「……知ら、ない……」
「正直に言って」
「気持ちいいに決まってんだろ……! もう腰が抜けそうなんだよ……っ」
やけくそになって文句を言うと、八朔は俺の腰に手を回して支えてくれる。こんなときにさりげなく優しくされると、何だかきゅんとしてしまう。
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