【完結】追ってきた男

長朔みかげ

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第六章

第24話

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 どうも様子がおかしいと俺は八朔の目を覗き込む。狼狽しているように見えるのは、失血のせいで顔色が悪くなり始めたことだけが原因じゃないようだ。

「……行かないで。あのときもあんたは――――「錦」は俺にそう言った。絶対に俺の元に戻ってくるって。無事に帰ってくるって」
「錦が……?」
「だけど次に会ったのは、あんたが俺の腕の中で死んだときだ。あのとき手を放さなければ良かったって俺は悔やんだんだ。もうあんな想いはしたくない……っ」

 まただ。また前世の辛い記憶が土砂降りの雨みたいに八朔に降り注ぎ、溺れそうになっている。八朔の唐突で脈絡のない話からでは、前世の俺たちに何があったのか詳細までは分からない。八朔自身、断片的な映像が甦るだけで、完全な形で思い出しているわけではないのだろう。

 ただ、悲しくて苦しくて、寂しくて痛い、そういう想いが溢れ出して、八朔の胸を埋め尽くしているのだ。

「八朔、聞けよ」

 俺の手首を掴んだまま離さない八朔の手に、俺はもう片方の手でそっと触れた。八朔は子供が駄々をこねるように、頭を振って俺を見ようとしない。

「嫌だ」
「八朔!」
「いやだ、あんたをどこにもやりたくない……!」
「いいから聞けって、――――レオ!」

 俺は渾身の力を込めて怒鳴った。名前を呼ばれて、八朔が我に返ったように呆然と俺を見る。やっと瞳の中に微かな光が宿ったような気がした。

「聞いてくれ、レオ。俺はあのときから……、一緒に眠ったあの日から、お前のことを信じるって決めた。お前の話を疑わないって。だから自分が「錦」だってこと、信じてないわけじゃない。だけど、今は前世なんて関係ない。俺とお前の問題だ。そうだろ?」
「仁木……」
「大切なのは前世じゃなくて、今の俺たちじゃないのか? 今こうして触れ合ってんのは俺とお前なんだから。今は俺もお前も、ちゃんとここに生きてるんだから」

 手を握りしめる。熱を伝える。ちゃんと生きている証である熱を。触れ合えるからこそ伝わる体温を。八朔に届いてほしい、俺のこの想いが。

 ずっと、自分の心の奥底を見ないようにして、芽生えた気持ちに気づかないフリをしてきた。だけどもう否定できない。俺はお前が本当に求めているのは、俺なのか前世で愛した錦なのか、その答えを知るのが怖いと思っていた。それだけお前が錦に囚われているのが分かるからだ。

 だけどそう思うってこと自体が、俺がお前に惚れてるっていう答えなんだ。お前が俺じゃなくて錦の方が必要だと言ったら、俺はきっと耐えられないだろう。

 俺はもう、だいぶ前からお前に惹かれていた。出会う前からファンだったけど、お前の包み隠さない本音や、誰にも見せない顔を知るたびに、今生きている「八朔レオ」という男を好きになっていったんだ。だからお前にも「仁木義嗣」という俺を必要としてほしい。

「〝俺〟を信じてくれ。錦じゃなくて俺を。ちゃんと助けを呼んでくる。ちゃんとお前のところに帰ってくる。約束だ」

 前世の俺たちを否定はしない。だけど、今は目の前にいる俺を信じてほしかった。

「俺はお前を失いたくない。だから今は、お前を振り払ってでも行くよ、八朔」

 八朔、といつもの調子に戻って名前を呼ぶと、八朔は目が覚めたように瞬きをした。俺の言葉を反芻しているのか、熱の籠った視線でじっと見つめてくる。

 ややあって、ようやく八朔の口元に穏やかな笑みが浮かんだ。

「……分かった。信じるよ、仁木」
「八朔……」
「あんたを愛してるから。だから信じる」

 そう言って、握りしめていた俺の手をそっと離した。それが信頼の証だというように。

 俺は八朔の頬に手を伸ばした。八朔の顔色はますます悪くなり、血を失って体温が下がってきているのが分かる。一刻の猶予もない。

「花ちゃん、八朔を頼むよ。すぐに助けを呼んでくる」
「分かりました……!」

 花ちゃんは俺たちが何の話をしているのか理解できずにいたはずなのに、介入することなく黙って見守ってくれていた。俺が八朔を託すと、頼もしく頷いてくれる。花ちゃんがいてくれて本当に心強いと思った。

「待ってろよ、八朔」

 俺は八朔の顔を両手で包んで、言い聞かせるように力を込めた。八朔はうっすらと笑って小さく頷く。

 俺は空き家を飛び出した。途端にどっと冷たい雪風が吹きつけてくる。身を切るような極寒の寒さだ。車で運び込まれたときには気づかなかったが、屋根の上に崩れそうな煙突が見えた。昔の住人が暖炉を使っていたのだろう。

 積雪に残った八朔の足跡を頼りに辺りを捜索する。バイクの走行音で犯人に気づかれるのを避けようと思ったのか、八朔はだいぶ距離のある場所にバイクを停めていた。
 急いで跨り、雪の積もった山道の悪路を走る。八朔が言っていたとおり、揺れが激しく何度もハンドルを取られそうになる。容赦なく吹きつける風がヘルメットをした顔や身体を叩く。

 まるでファンタジー映画で見た雪の女王が、俺の進路を阻もうとしているみたいだ。いや、雪山で遭難するサスペンス映画だろうか。

 寒さのせいか、殴られた頭の痛みが再燃する。意識が朦朧としてくるのを、歯を食いしばって耐える。口の中に僅かな血の味が広がった。

 八朔が走ってきたバイクのタイヤの跡が、暗闇を照らすライトの中をずっと先まで続いている。それだけが俺の道標だ。辿って行けば必ず麓へ降りられるはずだと信じて、ハンドルを握り続ける。

 どれくらい走ったのだろう。時間にして数十分だったのかもしれないが、一時間以上経ったような感覚に陥っていたとき、遥か彼方に赤い光がぼんやりと見えた。
 パトカーの屋根でくるくると回るあのライトだ。やっと見つけた。こんなところにいた。まるで希望の光のように輝いて見える。俺の目にじわっと涙が浮かんできた。

「うわ……ッ」

 猛スピードでパトカーに接近したせいで、勢いあまってスリップし、派手に転倒した。俺は雪道を横滑りし、身体を丸めて衝撃に耐える。

「どうしたんだ、君!」

 慌てたように警察官が二人駆け寄ってきた。俺は寒さと転んだ痛みでがくがくと震えながら、なんとかヘルメットを取って訴える。

「……や、山の空き家で、拉致されてました。俳優の仁木です。お巡りさん、捜索してくれてたんですよね……?」
「連れ去られた二人のうちの一人だ!」

 ガタイのいい警察官が俺を抱き起こしてくれる。俺は息も絶え絶えに説明した。

「バイクの跡を辿って下さい……。その先に、煙突のある空き家があります。そこにもう一人の女性と、犯人二人がいるんです。犯人はもう拘束してる。だけど……助けに来てくれたやつが刺されたんです。救急車を呼んでください……早く、あいつを助けてくれ……」

 最後の方は、もうほとんど無意識で喋っていた気がする。「車に乗せるぞ!」とか「救急車の手配だ!」とか、二人が怒鳴り声で何か指示し合っているのが、どんどん小さく聞こえなくなっていった。

 もう大丈夫だ。きっと八朔は助かる。俺もそろそろ限界だから、八朔と一緒の救急車で運んでほしい。そしたら、八朔の元へ無事に帰るって約束を守れたことになるだろうか。八朔の怒った顔が目に浮かぶようだけど――――。




 不意に強い力で、誰かに抱き起こされた感触がした。

 あれ、俺はまだ警察官の腕の中なのか? 朦朧とする意識を繋ぎとめて、俺はなんとか瞼を持ち上げる。

 髪の長いよく見知った男が、目に一杯涙を溜めて、俺の顔を覗き込んでいた。ああ、「三郎」だ。俺を今抱き起こしてくれているのは三郎だったんだ。

 身体のあちこちが痛い。息をするのももう苦しくて、俺はもうすぐ自分の命が尽きることを知っている。

「錦……っ、にしき……っ」

 三郎が必死に俺の名前を呼ぶ。そうだ、俺の名前は――――の名前は「錦」だ。

「すまない、三郎。私は先に逝くよ……」
「……っ」

 三郎の瞳から涙が零れ落ちて、私の頬を濡らしていく。私もきっと泣いているのだろう。愛する男の腕の中で死ねるなんて、こんな幸せなことがあるだろうか。それでも私は業の深い人間だから、願わずにはいられないのだ。また来世でも会いたいと。

「……三郎。私の腰にある法輪の痣は、私の業の証だから。きっとまた、来世もこの痣を持って生まれ変わる。だからこの痣を頼りに私を探してくれ。私を追ってきてくれ。また再び来世でそなたと出会えるように……」

 私は三郎に向かって手を伸ばした。三郎がその手を取り、恭しく口づける。まるで誓いを立てるように、愛おしげに。

 愛しているよ、三郎。今生も、来世でも、私はお前を愛する。
 私たちはきっとまた会える。だから、泣かないでくれ……。
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