【完結】追ってきた男

長朔みかげ

文字の大きさ
上 下
15 / 29
第四章

第15話

しおりを挟む
 二月に入って最初の日曜日がやって来た。

 朝目覚めてカーテンを開けるとまずまずの晴天で、俺はルンルン気分で顔を洗い出かける準備をする。今日は元々から予定されていた撮休の日で、各自が思い思いに過ごしてよいと許可が出ているのだ。
 数時間かけて東京に戻る人もいるだろうし、確か水無瀬花ちゃんは仲の良いスタッフと松本観光に繰り出すと言っていたっけ。松本には国宝松本城がある。もちろんそれも捨て難い。

 だけど俺はお城よりも神社仏閣が好きで、それも観光マップにもほとんど載らないような、街中にポッとある寺社が好きだったりする。今日はホテル周辺をゆっくり歩いて、見つけた神仏に撮影の無事を祈ろうと決めていた。

 表に出ると雪がちらついていたが、太陽の光にキラキラと反射して星が降っているみたいに綺麗だ。

「最高じゃん」

 しっかり防寒して、ポケットに手を突っ込みながら歩き出す。――――そういえば、八朔はどうしているんだろう、とふと思った。撮影以外ではほとんど俺に寄りつかなくなってしまったので、昨日花ちゃんと今日の予定について談笑しているときも、もちろんその場にいなかった。

 完全プライベートの一日をあいつはどうやって過ごすんだろう。誰かと一緒だろうか? 実は誘ってみようかとも考えたが、八朔が神社仏閣に興味があるとも思えないし、何より避けられていると分かっているので諦めた。

 八朔は俺のためにそうしているのだ。俺だってそのくらい分かる。自分から八朔を散々拒否してしまった手前、今さら声をかけるのも図々しい気がして躊躇ってしまうのだ。ジレンマに陥って、頭も胸の奥もぐるぐる渦巻いている。

 神聖な空気を吸って落ち着きたい。そういえば、八朔が言うところの俺の前世である「錦」は、どこか由緒ある寺の僧侶なんだった。俺が神社仏閣に惹かれるのもその前世が影響しているんだろうか。

「なんてな……」

 空笑いが漏れた。

 ホテルの従業員に周辺の簡単な地図をもらっていたので、それを頼りに俺は黙々と一人で歩いた。社寺を見つけるとぶらりとお邪魔して、まずは参拝してから一通り境内を見て回る。
 日曜日といってもどこも人はまばらで、芸能人がいると騒がれることもない。静かでまったりとした時間が流れている。少しずつ自分が癒されて、気持ちが晴れやかになっていく気がした。

 昼過ぎになると、一番最後に行こうと計画していた寺に向かった。地図の中では最も大きい寺で、周囲にはいくつか腹ごしらえができそうな店もある。
 雪掻きされた石畳を通って大門をくぐったとき、俺は「え」と自分の目を疑った。急に立ち止まってしまったので、爪先が引っかかってつんのめりそうになる。

 遠くに見える本堂前の広場に、長身の男が一人佇んでいるのが見えた。まさかとは思ったが、八朔に間違いなかった。
 派手な長袖の服の上から、黒の半袖のティーシャツを重ねたカジュアルな格好で、ジーンズの腰に上着を巻いている。髪もいつもは緩くウェーブをかけているが、今日はセットしていないようで、さらさらのストレートヘアーだ。何だかいつもよりもさらに幼く見えた。

「な、なんでこんなとこにいるんだ……」

 俺は慌てて八朔に見つからないように近くのお堂の影に隠れた。八朔からは死角になっているので気づかれる心配は無さそうだ。

 立派な寺だがここにも人気はない。八朔は本堂に続く石階段の隅に自分の荷物やコートを置いて、広場の中心で何やら準備運動を始めた。一呼吸置くと、激しく身体を動かし始める。殺陣のような型のある動きを繰り返していた。

 何をしているのかと俺は首を長くして眺める。そういえば八朔演じるクロウが、敵対する組織と格闘するシーンの撮影が控えていることを思い出した。かなり危険な撮影になるらしいが、スタントマンを使わずに自らアクションをこなす予定らしい。撮影前から訓練を重ねてきたとスタッフに聞いたので、おそらくその練習をしているのだろう。

 八朔は一人黙々と同じ動きを繰り返す。息が上がり、苦しげな呼吸がここまで聞こえてくる。それでも止めようとはせず、一つ一つの動きを確認するように反復していた。

 俺はお堂の縁側に腰掛けて、それをじっと見つめる。胸の内では後悔の念が渦巻いていた。どうして俺は自分だけが努力しているような気になって、八朔を責めてしまったんだろう。自分は芸能界にしがみつこうと必死で、才能あるお前には俺の気持ちは分からない、なんて……。

 今の八朔を見ているとよく分かる。あいつは誰かとつるむタイプじゃないから、きっといつもこうしてたった一人で練習を重ねているんだ。

 カリスマと持て囃されて、実際に何でもクールにこなしてしまう奴だけど、そういう奴がまったく努力してないなんて明らかに俺の偏見だった。八朔はきっと、そういう自分を誰にも見せたくないっていうプライドがあるだけだ。敢えて頑張っている自分をアピールすることなんてしない。だけど、ちゃんと影では精一杯努力している。自分の役と、自分自身と向き合おうとしているのだ、誰よりも。

 俺は自分が恥ずかしくて居た堪れなくなった。声を掛けようか迷っていると、練習を終えたのか、八朔は突然荷物から大きなヘッドホンを取り出して装着した。

 息を整えるように目を閉じて空を仰ぐ。鼻から空気を吸って、長く長く吐く。そうしてゆったりとした動きでダンスを始めた。そういえば、八朔の情報をネット検索しているとき、ストリートダンスが得意だというのを見かけた気がする。

 ほどよく力を入れたり抜いたりしながら、指先から腕を伝って肩、胸、腰から足先へとしなやかに身体をくねらせる。急に動きが激しくなったり、軽やかに飛び跳ねたりする。首から下げたシンプルなチェーンのネックレスが動きに合わせてくるくると回る。

 薄着で寒くないのかと心配になるが、額に微かな汗が光っていた。たまに気持ちよさそうに口元が笑みを刻む。本当に踊るのが好きなんだと伝わってくる。俺には聞こえないはずのヘッドホンから流れる曲が、こちらまで聞こえてきそうな錯覚がした。
 リラックスした八朔を見るのは初めてで、俺は夢中でダンスを目で追いかけた。

「お兄ちゃん、ダンスうまいね」

 いつの間にか境内に現れた小学生くらいの男の子が、八朔にそう話しかけた。サッカーボールを手に持っている。遠くから子供たちの声が聞こえてくるので、数人で集まって遊んでいるらしかった。

「……なに?」

 ヘッドホンを外した八朔が、額の汗を拭いながら聞き返す。

「お兄ちゃん、ダンスうまいねえ!」

 少年がもう一度大声で繰り返すと、八朔は無言で頷いた。

「うん」
「すげえカッコいい!」
「うん」

 目をキラキラさせていた少年だったが、八朔が「うん」しか言わないので、怪訝な顔になって走って行ってしまった。俺は心底呆れて、思わず声を掛けてしまう。

「おまえ、子供にはもっと愛想よくしてあげろよ」
「!」

 バッと勢いよく振り返った八朔が、俺の姿を認めて目を見開いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

すてきな後宮暮らし

トウ子
BL
後宮は素敵だ。 安全で、一日三食で、毎日入浴できる。しかも大好きな王様が頭を撫でてくれる。最高! 「ははは。ならば、どこにも行くな」 でもここは奥さんのお部屋でしょ?奥さんが来たら、僕はどこかに行かなきゃ。 「お前の成長を待っているだけさ」 意味がわからないよ、王様。 Twitter企画『 #2020男子後宮BL 』参加作品でした。 ※ムーンライトノベルズにも掲載

運命の愛を紡いで

朝顔
BL
子爵家の長男だったユーリは、不幸が重なり田舎で寂しくひっそりと暮らしていた。 生きる希望は妹にいつか会うことだったが、借金を負った叔父から脅されて、多額の給金と秘密厳守が条件の仕事を妹を守るために引き受けることになる。 それは、グレイシー伯爵家の双子の兄弟の世話をする仕事だったが、ただのお世話係ではなく……。 不幸な過去を背負って孤独に生きてきたユーリ、過去に囚われたミラン、罪に苦しめられるシオン。 それぞれが愛に目覚めて、幸せを求めて歩きだそうとするのだが……。 三人で幸せになることができるのか……。 18禁シーンは予告なしに入ります。 3Pあり、ラストのみ二輪挿しあり(ソフトです。愛がありますが苦手な方はご注意を) 全五回プラス番外編で完結済み →だったのですが、作者のお気に入りのため、きまぐれて続編投下してます。次回未定のため完結にしておきます。 ムーンライトノベルで同時投稿

《完結》狼の最愛の番だった過去

丸田ザール
BL
狼の番のソイ。 子を孕まねば群れに迎え入れて貰えないが、一向に妊娠する気配が無い。焦る気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいのある日 夫であるサランが雌の黒い狼を連れてきた 受けがめっっっちゃ可哀想なので注意です ハピエンになります ちょっと総受け。 オメガバース設定ですが殆ど息していません ざまぁはありません!話の展開早いと思います…!

初恋を諦めるために惚れ薬を飲んだら寵妃になった僕のお話

トウ子
BL
惚れ薬を持たされて、故国のために皇帝の後宮に嫁いだ。後宮で皇帝ではない人に、初めての恋をしてしまった。初恋を諦めるために惚れ薬を飲んだら、きちんと皇帝を愛することができた。心からの愛を捧げたら皇帝にも愛されて、僕は寵妃になった。それだけの幸せなお話。 2022年の惚れ薬自飲BL企画参加作品。ムーンライトノベルズでも投稿しています。

男とラブホに入ろうとしてるのがわんこ属性の親友に見つかった件

水瀬かずか
BL
一夜限りの相手とホテルに入ろうとしていたら、後からきた男女がケンカを始め、その場でその男はふられた。 殴られてこっち向いた男と、うっかりそれをじっと見ていた俺の目が合った。 それは、ずっと好きだけど、忘れなきゃと思っていた親友だった。 俺は親友に、ゲイだと、バレてしまった。 イラストは、すぎちよさまからいただきました。

【完結】王子様の婚約者になった僕の話

うらひと
BL
ひょんな事から第3王子のエドワードの婚約者になってしまったアンドル。 容姿端麗でマナーも頭も良いと評判エドワード王子なのに、僕に対しては嘘をついたり、ちょっとおかしい。その内エドワード王子を好きな同級生から意地悪をされたり、一切話す事や会う事も無くなったりするけれど….どうやら王子は僕の事が好きみたい。 婚約者の主人公を好きすぎる、容姿端麗な王子のハートフル変態物語です。

不義の澱

深山恐竜
BL
 アルスカは家を出た。彼は14年間一緒に暮らした恋人の浮気を知ってしまったのだ。異邦人である彼は、恋人の愛がないのならばもはやこの国に留まる必要はない。彼は手紙だけを残して、青春時代を過ごしたメルカ国に向かった。そこでは、昔の友人がアルスカを待っていた。友人の手を借りて新しい生活を始めるアルスカだったが、かつての恋人が乗り込んできて…。夢破れ、恋に疲れ、くたびれたおっさんが新しい恋をする。 (おっさん×おっさん) (ムーンライトノベルズにも掲載中)

『僕は肉便器です』

眠りん
BL
「僕は肉便器です。どうぞ僕を使って精液や聖水をおかけください」その言葉で肉便器へと変貌する青年、河中悠璃。  彼は週に一度の乱交パーティーを楽しんでいた。  そんな時、肉便器となる悦びを悠璃に与えた原因の男が現れて肉便器をやめるよう脅してきた。 便器でなければ射精が出来ない身体となってしまっている悠璃は、彼の要求を拒むが……。 ※小スカあり 2020.5.26 表紙イラストを描いていただきました。 イラスト:右京 梓様

処理中です...