【完結】追ってきた男

長朔みかげ

文字の大きさ
上 下
10 / 29
第三章

第10話

しおりを挟む
「お疲れ様です、仁木さん。これからスノーモービルの撮影するんですよね」

 澄み渡る青空の下、テントの折りたたみ椅子に座って次の出番を待っていた俺に、水無瀬花ちゃんが笑顔で話しかけてきた。

 今日は太陽が顔を出し、珍しく雪も降っていない。だが風は身を切るような冷たさで、俺も花ちゃんも厚手のダウンコートを着込んでいる。

「お疲れ。そうなんだよね、本番だから緊張しちゃって」

 俺は笑顔で返しながら、隣の椅子を彼女に差し出した。嬉しそうに腰を下ろした花ちゃんは、温かいコーヒーを手渡してくれる。
 遠くでスタッフたちがスノーモービルの動作確認をする作業が続いていた。俺の扮するカンザキが、正体不明の集団に雪山で追跡されるシーンの撮影が間もなく始まるのだ。
 休憩中の花ちゃんと楽しく談笑していると、どこからともなく現れた八朔が、ぬっと俺たちの前に立った。

「お、お疲れ、八朔……」

 ドキリとしつつ、俺は八朔を見上げてそう声を掛ける。

 よほど寒がりなのか、八朔はマフラーをぐるぐる巻きにして、ニット帽を目深にかぶっている。むっつりと黙っているが、鼻頭が赤く染まっているので、いつもより幼く見えた。

 ロケバスで二度目のキスをされてから一週間ほど経つ。「撮影はちゃんとやれ」と注意した俺の言葉を真摯に受け取ってくれたのか、あれから監督に駄目出しされることもなく順調に撮影をこなしていた。

 その変わりに、かなりの頻度で俺の周囲をうろつくようになった気がする。もちろん自分の撮影がある時間は別行動だが、休憩中や撮影後には、俺の様子を逐一観察に来ているのだ。その様子を見ていると、俺が八朔の前世の恋人だという思い込みは現在進行形で続いているらしい。

 八朔は側に立て掛けてあった椅子を手に取ると、俺と花ちゃんの僅かな隙間にぐりぐりとねじ込んできた。

「ちょ、ちょっと何やってんのよ、八朔!」
「俺も混ぜろ」

 驚く花ちゃんを押しのけて、八朔は俺の隣に陣取ることに成功する。満足げに腰を下ろし、俺の方を見てはにかむような笑みを見せた。おそらく花ちゃんも気づかないほどの、俺だけに向けられた微かな笑顔だ。

 う、と俺の心臓がドキリと弾む。前世から追ってきたと意味不明の愛を囁くようなヤバい奴だが、滅多に見ることのできない八朔の笑顔は超ド級の破壊力がある。
 もしかして、俺と花ちゃんが楽しげにしているのを見て嫉妬したんだろうか? まさかとは思うが、それにしたって我儘な子供みたいな行動だ。また新しい八朔の一面を見た気がして、思わず苦笑してしまう。

 唖然としていた花ちゃんが、我に返ったように八朔に食ってかかった。

「俺も混ぜろ、じゃないわよ。あんた今日は撮影ないはずでしょ。何でここにいるのよ。仁木さんは私とお話してるんだから、邪魔しないでよね」
「邪魔なのはお前だ、花」
「な、なんですって!」

 キーっと花ちゃんは怒りの抗議を上げて、手袋をした手でぽかぽかと八朔の二の腕を殴り始めた。八朔は少しも意に介さず、無表情でそっぽを向いている。
 同じ事務所で同い年で、共演も多いし、やっぱりそれなりに親しいのだろう。傍から見ると可愛いカップルがじゃれているようにしか見えない。

 なぜかは分からないが、何となくその場に居づらくなっていると、

「仁木さーん、そろそろお願いしまーす!」

 とスタッフから声が掛かった。ほっと救われたような気がして立ち上がる。まだじゃれている二人を見下ろして、「じゃあ俺、出番だから……」とその場を離れようとしたら、「待って、仁木」と八朔に手首を掴まれた。驚いて振り向くと、思いのほか真剣な顔をした八朔と視線がかち合う。

「怪我しないように、気をつけて」

 心配げな様子で囁くように言う。その声が、まるで恋人に向けられる特別な響きのように聞こえて、俺は慌ててその手を振り払ってしまった。

「だ、大丈夫だよ。大げさだな」

 八朔が何か言いかけたが、さらに動悸が激しくなるのを感じて、逃げるようにその場を離れる。道も何もない大雪原に足を取られながら、何とかスタッフや撮影監督の元に向かった。

 スノーモービルの扱い方はすでに訓練を受けている。カメラ割を確認しながら、数回リハーサルを行った。逃げる俺の後ろを、四台の追手が追跡してくる。壁のように立ちはだかる雪の斜面を飛び越え、その奥に広がる森の中を、乱立する木々をすり抜けて疾走していく。

「よし、じゃあ本番行こうか!」

 問題なくリハを終えて、監督の号令がかかった。

 俺は気合を入れてスノーモービルのエンジンを吹かした。まずは大雪原を駆け抜けていくシーンから。ドローンが上空を飛び、追跡者数台のエンジン音が辺りに響き渡る。練習通りのコースを走る俺の横を、カメラを持った撮影チームがぴたりと張り付いてくる。
 その勢いのまま、反り返る雪の斜面に突入したときだった。カメラチームがバランスを崩し、ぐらりと車体が傾いたのだ。

「!」

 俺は衝突を避けるため、慌ててハンドルを切った。フルスロットルで走っていた車体の前方がふわりと浮き上がり、俺の頭上を越えて背面へと回転しながら滑り落ちていく。投げ出された俺は、ふかふかの新雪にずぼっと埋まり、その上から雪が雪崩れ落ちてきた。

「仁木くん!」

 誰かの叫ぶ声がして、視界が真っ白に染まる。柔らかい雪がクッションになって転んだ衝撃はほとんど受けなかったが、大量の雪が伸し掛かってきて圧迫された。結構苦しい。

「大丈夫か! しっかりしろ!」

 一瞬意識が飛びかけたが、すぐに大勢のスタッフが雪を掘り起こして救出してくれた。

「……だ、大丈夫です。カメラさんの方は? 無事ですか?」

 顔にかかった雪を払いながら、俺は何とか返事をする。

「ああ、大丈夫だよ。仁木くんが衝突を避けてくれたからね。誰か、早くタオル持ってきてくれ!」

 その場が騒然となり、スタッフがあちこちに走り出す。服の中にまで雪が入ってきて、俺はぶるぶると身震いした。このままでは風邪を引きそうだ。
 アクシデントに一瞬ヒヤリとしたが、大事に至らなかったようで良かったと安心していると、

「――――仁木!」

 すぐ傍から切迫した声で名前を呼ばれた。驚いて顔を向けると、息もかかりそうなほど間近に八朔の強張った顔がある。

「仁木、仁木」

 焦ったように何度も俺の名を呼び、自分のセーターの袖口で、俺の顔をごしごしと拭いてくれる。タオルが届くのを待っていられないといった焦りようだ。
 八朔の手が氷のように冷たくなっている。

「……お前も、助けてくれたのか?」

 撮影風景を見ていて、すぐにアクシデントに気づいたんだろう。八朔は他のスタッフと共に現場に駆けつけ、雪に埋もれた俺を救い出してくれたらしい。

 八朔の手や身体が僅かに震えている。こんなに寒い雪の中にいるというのに、額にぐっしょりと汗を掻いていた。顔も真っ青で、血走ったような目で俺を凝視している。

「八朔……? 俺は大丈夫だよ。どこも何ともない」
「……そう、か」

 たどたどしく返事をした八朔だったが、俺よりもこいつの方が具合が悪いように見えて、逆に心配になる。

「お前、どうし――――」

 思わず手を伸ばしかけたが、どやどやと戻ってきたスタッフたちに周囲を囲まれてしまった。

「八朔くん、ちょっとどいて! 仁木くん、ほらタオルだよ!」

 八朔は俺から引き剥がされ、スタッフがバスタオルで俺の身体を包んで起き上がらせてくれる。心配いらないと俺は言い張ったが、念のため簡単な検査を、と休憩所に連行された。

 気づいたときには八朔の姿はどこにも見当たらなかった。撮影がないのでホテルに戻ったのだろうと思ったが、先ほどの尋常ではない様子は気がかりだ。
 その後撮影は再開されたが、俺は八朔のことが気になって、ずっとそわそわしていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】俺はずっと、おまえのお嫁さんになりたかったんだ。

ペガサスサクラ
BL
※あらすじ、後半の内容にやや二章のネタバレを含みます。 幼なじみの悠也に、恋心を抱くことに罪悪感を持ち続ける楓。 逃げるように東京の大学に行き、田舎故郷に二度と帰るつもりもなかったが、大学三年の夏休みに母親からの電話をきっかけに帰省することになる。 見慣れた駅のホームには、悠也が待っていた。あの頃と変わらない無邪気な笑顔のままー。 何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。 しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。 お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。 主人公楓目線の、片思いBL。 プラトニックラブ。 いいね、感想大変励みになっています!読んでくださって本当にありがとうございます。 2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。 最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。 (この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。) 番外編は、2人の高校時代のお話。

英雄の帰還。その後に

亜桜黄身
BL
声はどこか聞き覚えがあった。記憶にあるのは今よりもっと少年らしい若々しさの残る声だったはずだが。 低くなった声がもう一度俺の名を呼ぶ。 「久し振りだ、ヨハネス。綺麗になったな」 5年振りに再会した従兄弟である男は、そう言って俺を抱き締めた。 ── 相手が大切だから自分抜きで幸せになってほしい受けと受けの居ない世界では生きていけない攻めの受けが攻めから逃げようとする話。 押しが強めで人の心をあまり理解しないタイプの攻めと攻めより精神的に大人なせいでわがままが言えなくなった美人受け。 舞台はファンタジーですが魔王を倒した後の話なので剣や魔法は出てきません。

【完結】イケメン騎士が僕に救いを求めてきたので呪いをかけてあげました

及川奈津生
BL
気づいたら十四世紀のフランスに居た。百年戦争の真っ只中、どうやら僕は密偵と疑われているらしい。そんなわけない!と誤解をとこうと思ったら、僕を尋問する騎士が現代にいるはずの恋人にそっくりだった。全3話。 ※pome村さんがXで投稿された「#イラストを投げたら文字書きさんが引用rtでssを勝手に添えてくれる」向けに書いたものです。元イラストを表紙に設定しています。投稿元はこちら→https://x.com/pomemura_/status/1792159557269303476?t=pgeU3dApwW0DEeHzsGiHRg&s=19

またのご利用をお待ちしています。

あらき奏多
BL
職場の同僚にすすめられた、とあるマッサージ店。 緊張しつつもゴッドハンドで全身とろとろに癒され、初めての感覚に下半身が誤作動してしまい……?! ・マッサージ師×客 ・年下敬語攻め ・男前土木作業員受け ・ノリ軽め ※年齢順イメージ 九重≒達也>坂田(店長)≫四ノ宮 【登場人物】 ▼坂田 祐介(さかた ゆうすけ) 攻 ・マッサージ店の店長 ・爽やかイケメン ・優しくて低めのセクシーボイス ・良識はある人 ▼杉村 達也(すぎむら たつや) 受 ・土木作業員 ・敏感体質 ・快楽に流されやすい。すぐ喘ぐ ・性格も見た目も男前 【登場人物(第二弾の人たち)】 ▼四ノ宮 葵(しのみや あおい) 攻 ・マッサージ店の施術者のひとり。 ・店では年齢は下から二番目。経歴は店長の次に長い。敏腕。 ・顔と名前だけ中性的。愛想は人並み。 ・自覚済隠れS。仕事とプライベートは区別してる。はずだった。 ▼九重 柚葉(ここのえ ゆずは) 受 ・愛称『ココ』『ココさん』『ココちゃん』 ・名前だけ可愛い。性格は可愛くない。見た目も別に可愛くない。 ・理性が強め。隠れコミュ障。 ・無自覚ドM。乱れるときは乱れる 作品はすべて個人サイト(http://lyze.jp/nyanko03/)からの転載です。 徐々に移動していきたいと思いますが、作品数は個人サイトが一番多いです。 よろしくお願いいたします。

激重感情の矢印は俺

NANiMO
BL
幼馴染みに好きな人がいると聞いて10年。 まさかその相手が自分だなんて思うはずなく。 ___ 短編BL練習作品

黒の騎士と銀の少年

マメ
BL
元男娼のルディは酒場で働いていた。 ある日、酔っぱらいに絡まれたルディは、ルディが目的で通っていたと思われる怪しい男に助けられ、そのお礼にと身体を差し出す事になった。 すると男は、「あなたは前世で自分の主人で、自分はあなたの従者だった」と不思議な事を言ってきて……。 騎士×元男娼 小説になろう(ムーンライトノベルス)に掲載している作品です

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

[BL]王の独占、騎士の憂鬱

ざびえる
BL
ちょっとHな身分差ラブストーリー💕 騎士団長のオレオはイケメン君主が好きすぎて、日々悶々と身体をもてあましていた。そんなオレオは、自分の欲望が叶えられる場所があると聞いて… 王様サイド収録の完全版をKindleで販売してます。プロフィールのWebサイトから見れますので、興味がある方は是非ご覧になって下さい

処理中です...