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第二章
第5話
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長野駅を出ると大粒の雪が降っていた。東京を出発したときは曇り空だったが、一時間半ほど新幹線に揺られている間にまるで別世界へ来てしまったようだ。身を切るような寒さに、吐く息も白く染まる。
正月が明けた一月中旬、いよいよ地方ロケ開始の日がやってきた。これから二ヵ月ほどかけて雪山での撮影が行われる。
「あ、仁木くん、あのロケバスだよ! 乗って乗って!」
東京から一緒に来た遊間さんが急かすように走り出した。駅のロータリーに数台のロケバスが止まっている。騒ぎにならないうちに、その中の一台に慌ただしく乗り込んだ。ここからさらに一時間ほどかけて雪深い山間部へと向かうのだ。
二十席ほどあるロケバスの中には、すでに数名の役者やスタッフが座っているのが見えた。「おはようございます」と丁寧に挨拶をしつつ、どこに座ろうかと顔を巡らせて、最後尾に八朔の姿を見つける。マネージャーの、確か伊達さんと言ったか、スレンダーなパンツスーツ姿の女性と一緒に座っている。遊間さんがすかさず挨拶に向かい、二人は笑顔で談笑を始めた。
窓の外を見ていた八朔が俺に気づき、奥二重の切れ長の目でじっと見つめてくる。ドキリとしつつ、平静を装って軽く会釈してみた。途端にぎろりと目つきが険しくなり、ふいっと顔を背けられてしまう。
くっそお。ガキめ……と心中で文句を吐きつつ、ふん、と俺もそっぽを向いて空いている席に落ち着いた。
これまで衣装合わせや台本の読み合わせで何度か現場が一緒になったが、会話らしい会話はほとんどしていない。俺の方から試みてはみたが、さっきみたいに無視されて呆気なく失敗に終わった。
敵対したり、苛めたり苛められたりする配役同士は、敢えて現場では慣れ合わないというスタンスの役者も多いから、八朔もそういうタイプなのかもしれない。
まあ、記者会見のあとの、あの敵意剥き出しの様子からして、役柄関係なく俺と仲良くする気はないんだろう。何もしない内からなんで嫌われたんだろう……と悲しくなるが、俺は大人だ。それも仕事上の関係だ。いちいち気にしてはいられない。
「仁木さん、おはようございます。お隣いいですか?」
コロコロと鈴の音のような可愛い声がして、顔を上げると、女優の水無瀬花が立っていた。つるんとした卵のような美肌で、ウェーブのかかった髪を首の後ろ辺りで緩くまとめている。その場がぱっと明るくなるような華やかな笑顔を欠かさない女優さんだ。
「ああ、おはよう、水無瀬さん」
俺は笑顔で返し、どうぞ、と隣の席に手を差し出した。とたんに彼女はリスのようにぷうっと頬を膨らませて不満気な顔をする。
「やだ、苗字じゃなくて、花って呼んでくださいよ。前にもお願いしたでしょ?」
俺の隣に腰を下ろして、くるんとしたつぶらな瞳で要求してくる。なかなかグイグイくるタイプだ。初顔合わせの台本読みのときから臆することなく積極的に話しかけてくれたので、人見知りしない快活な性格なんだろう。
俺は内心たじろぎながら苦笑した。
「あ、ああそうだね。じゃあ、花ちゃん」
「はい! 長野って雪すごいんですね。この中で撮影するなんて大変そう」
窓の外は降りしきる雪で真っ白だ。花ちゃんは不安げな顔をする。
彼女が演じるのは俺の妹役だ。生まれつき身体が弱く、目も見えない難しい役どころである。俺が演じる科学者カンザキの唯一残された家族で、ともに研究所から逃げ出し逃亡生活を送る。カンザキは彼女を守るためにどんな無茶なことでもやってのける。
普段の花ちゃんからは想像できないほどの儚げで幸薄そうな役柄だが、水無瀬花の演技力には定評があった。役柄をしっかりと理解し、危なげない演技で七変化する器用さも兼ね備えている。若手女優の中ではいま最も注目されていると言っていいだろう。彼女が配役されたことで、映画の期待度がさらに跳ね上がっているらしい。
そうえいば、と俺はふと思い出した。
「花ちゃんてさ、確か八朔くんと同じ事務所だったよね?」
「ええ、そうですよ。何度も共演してるし」
八朔レオと水無瀬花。すでに人気芸能人としての華々しい道を歩んでいる二人だ。遊間さんと話しているマネージャーの伊達さんもかなりのやり手だと聞くし、さすがは大手プロダクションである。二人と揉めたりしたら、俺なんか一発で芸能界から抹殺されそうだ。遊間さんには申し訳ないけれど、それほど俺たちの中小芸能事務所とは規模も影響力も違う。
「八朔くんってさ、いつもああなの?」
「ああって?」
「何て言うか、一人でいるっていうか、誰とも慣れ合わないっていうか……」
八朔に聞こえないように俺は声を落とす。花ちゃんは「それよく聞かれるんですよ」と頷いた。
「まあ大抵そうですね。よく言えばクールですけど、無愛想で他人に興味ないって感じです。やな感じですよね~」
コロコロと笑いながら明け透けに言う。それでも少し神妙な顔つきになり、
「でもあの事故にあってからは、余計になに考えてるか分かんなくなったって言うか……」
とヒソヒソ声で教えてくれた。
「現場でも一人でむっつり考え込んでるんですよね。多分、仕事のことじゃなくて、もっとプライベートなことで悩んでるのかも。なんか声掛けられる雰囲気じゃないから聞いたことないんですけど」
そういえば遊間さんもそんなことを言ってたっけ。八朔は事故に遭ってから人が変わったようになったと。確かに、一時は生死の境を彷徨ったほどの大事故だったわけだし、人生観が変わったとしてもおかしくはない。大きなショックを受けただろうし、もしかしたら身体に後遺症が残っているとも考えられる。
復帰後第一作の今回の映画が、八朔にとっても重要であることは確かだ。俺みたいなぽっと出の役者に台無しにされないようにと警戒しているのかもしれない。そう考えると、あの冷たい態度も致し方ないのかもしれなかった。
「とにかく、さらに扱いが面倒になったのは確かですね! そうだ、仁木さん。八朔のこと、絶対レオって名前で呼んじゃだめですよ。激おこするから。ファンにも公言してるんです」
初めて知った。変わった名前ではあるけれど、確か本名だったはずだ。ちなみに俺も本名で活動している。
「花ちゃんは八朔くんと仲良いんだね」
遠慮のない口ぶりはそれほど距離が近いということだ。確か二人は同い年だったはずだし、恋人同士なのではと何度か噂になっているのをSNSで見たこともある。
花ちゃんは憤慨したような顔になって、またぷうっとリスのほっぺになった。
「仲良くなんかないですよ! あいつ私のこと〝おい〟とか〝お前〟とか言うんですよ。偉そうでしょ? だから私も呼び捨てにしてやってるんです」
俺のことも初対面から「あんた」だったもんな。かなり俺様らしい。誰に対してもあんな態度なら――俺だけじゃないのだとしたら、心持ちほっとするけれど。
「それより私は、仁木さんともっと仲良くなりたいって思ってるんですからね! 映画撮影もすごく楽しみにしてたんです。うふふ」
積極的な花ちゃんが親しげに肩を寄せてくる。本気なのか冗談なのか、演技派女優の本音を見抜ける力が今の俺には足りない。ははは、と苦し紛れに笑っておく。
可愛い女優さんに言い寄られて、俺としてはまんざらでもないんだけど、初のW主演映画でスキャンダルは避けたい。熱愛報道が出て「番宣だ!」と疑惑をかけられるのは絶対嫌だ。ここは上手く躱しつつ大人しくしておこう。
心に誓っていると、後頭部にやけにチクチクとした視線を感じた。何だろうと後ろを振り返ると、最後尾の座席から、八朔の三白眼がじっとこちらを睨んでいる。
俺を見てるのか? さっきは顔を背けたくせに。
それにしても何て目つきで見るんだよ。まるで青い炎が燃えているみたいだ。冷たくて熱くて、触れたら火傷しそうなほどだ。もしかして花ちゃんと仲良く話していたからだろうか。二人の噂はあながち間違いではなくて、八朔は花ちゃんに惚れているとか?
もしそうなら、ますます現場の雰囲気が剣呑なものになりそうだ。
俺はげんなりして、八朔から隠れるようにずるずると身体を下にずらした。それでも八朔の視線はしつこく俺に向けられているような気がした。
正月が明けた一月中旬、いよいよ地方ロケ開始の日がやってきた。これから二ヵ月ほどかけて雪山での撮影が行われる。
「あ、仁木くん、あのロケバスだよ! 乗って乗って!」
東京から一緒に来た遊間さんが急かすように走り出した。駅のロータリーに数台のロケバスが止まっている。騒ぎにならないうちに、その中の一台に慌ただしく乗り込んだ。ここからさらに一時間ほどかけて雪深い山間部へと向かうのだ。
二十席ほどあるロケバスの中には、すでに数名の役者やスタッフが座っているのが見えた。「おはようございます」と丁寧に挨拶をしつつ、どこに座ろうかと顔を巡らせて、最後尾に八朔の姿を見つける。マネージャーの、確か伊達さんと言ったか、スレンダーなパンツスーツ姿の女性と一緒に座っている。遊間さんがすかさず挨拶に向かい、二人は笑顔で談笑を始めた。
窓の外を見ていた八朔が俺に気づき、奥二重の切れ長の目でじっと見つめてくる。ドキリとしつつ、平静を装って軽く会釈してみた。途端にぎろりと目つきが険しくなり、ふいっと顔を背けられてしまう。
くっそお。ガキめ……と心中で文句を吐きつつ、ふん、と俺もそっぽを向いて空いている席に落ち着いた。
これまで衣装合わせや台本の読み合わせで何度か現場が一緒になったが、会話らしい会話はほとんどしていない。俺の方から試みてはみたが、さっきみたいに無視されて呆気なく失敗に終わった。
敵対したり、苛めたり苛められたりする配役同士は、敢えて現場では慣れ合わないというスタンスの役者も多いから、八朔もそういうタイプなのかもしれない。
まあ、記者会見のあとの、あの敵意剥き出しの様子からして、役柄関係なく俺と仲良くする気はないんだろう。何もしない内からなんで嫌われたんだろう……と悲しくなるが、俺は大人だ。それも仕事上の関係だ。いちいち気にしてはいられない。
「仁木さん、おはようございます。お隣いいですか?」
コロコロと鈴の音のような可愛い声がして、顔を上げると、女優の水無瀬花が立っていた。つるんとした卵のような美肌で、ウェーブのかかった髪を首の後ろ辺りで緩くまとめている。その場がぱっと明るくなるような華やかな笑顔を欠かさない女優さんだ。
「ああ、おはよう、水無瀬さん」
俺は笑顔で返し、どうぞ、と隣の席に手を差し出した。とたんに彼女はリスのようにぷうっと頬を膨らませて不満気な顔をする。
「やだ、苗字じゃなくて、花って呼んでくださいよ。前にもお願いしたでしょ?」
俺の隣に腰を下ろして、くるんとしたつぶらな瞳で要求してくる。なかなかグイグイくるタイプだ。初顔合わせの台本読みのときから臆することなく積極的に話しかけてくれたので、人見知りしない快活な性格なんだろう。
俺は内心たじろぎながら苦笑した。
「あ、ああそうだね。じゃあ、花ちゃん」
「はい! 長野って雪すごいんですね。この中で撮影するなんて大変そう」
窓の外は降りしきる雪で真っ白だ。花ちゃんは不安げな顔をする。
彼女が演じるのは俺の妹役だ。生まれつき身体が弱く、目も見えない難しい役どころである。俺が演じる科学者カンザキの唯一残された家族で、ともに研究所から逃げ出し逃亡生活を送る。カンザキは彼女を守るためにどんな無茶なことでもやってのける。
普段の花ちゃんからは想像できないほどの儚げで幸薄そうな役柄だが、水無瀬花の演技力には定評があった。役柄をしっかりと理解し、危なげない演技で七変化する器用さも兼ね備えている。若手女優の中ではいま最も注目されていると言っていいだろう。彼女が配役されたことで、映画の期待度がさらに跳ね上がっているらしい。
そうえいば、と俺はふと思い出した。
「花ちゃんてさ、確か八朔くんと同じ事務所だったよね?」
「ええ、そうですよ。何度も共演してるし」
八朔レオと水無瀬花。すでに人気芸能人としての華々しい道を歩んでいる二人だ。遊間さんと話しているマネージャーの伊達さんもかなりのやり手だと聞くし、さすがは大手プロダクションである。二人と揉めたりしたら、俺なんか一発で芸能界から抹殺されそうだ。遊間さんには申し訳ないけれど、それほど俺たちの中小芸能事務所とは規模も影響力も違う。
「八朔くんってさ、いつもああなの?」
「ああって?」
「何て言うか、一人でいるっていうか、誰とも慣れ合わないっていうか……」
八朔に聞こえないように俺は声を落とす。花ちゃんは「それよく聞かれるんですよ」と頷いた。
「まあ大抵そうですね。よく言えばクールですけど、無愛想で他人に興味ないって感じです。やな感じですよね~」
コロコロと笑いながら明け透けに言う。それでも少し神妙な顔つきになり、
「でもあの事故にあってからは、余計になに考えてるか分かんなくなったって言うか……」
とヒソヒソ声で教えてくれた。
「現場でも一人でむっつり考え込んでるんですよね。多分、仕事のことじゃなくて、もっとプライベートなことで悩んでるのかも。なんか声掛けられる雰囲気じゃないから聞いたことないんですけど」
そういえば遊間さんもそんなことを言ってたっけ。八朔は事故に遭ってから人が変わったようになったと。確かに、一時は生死の境を彷徨ったほどの大事故だったわけだし、人生観が変わったとしてもおかしくはない。大きなショックを受けただろうし、もしかしたら身体に後遺症が残っているとも考えられる。
復帰後第一作の今回の映画が、八朔にとっても重要であることは確かだ。俺みたいなぽっと出の役者に台無しにされないようにと警戒しているのかもしれない。そう考えると、あの冷たい態度も致し方ないのかもしれなかった。
「とにかく、さらに扱いが面倒になったのは確かですね! そうだ、仁木さん。八朔のこと、絶対レオって名前で呼んじゃだめですよ。激おこするから。ファンにも公言してるんです」
初めて知った。変わった名前ではあるけれど、確か本名だったはずだ。ちなみに俺も本名で活動している。
「花ちゃんは八朔くんと仲良いんだね」
遠慮のない口ぶりはそれほど距離が近いということだ。確か二人は同い年だったはずだし、恋人同士なのではと何度か噂になっているのをSNSで見たこともある。
花ちゃんは憤慨したような顔になって、またぷうっとリスのほっぺになった。
「仲良くなんかないですよ! あいつ私のこと〝おい〟とか〝お前〟とか言うんですよ。偉そうでしょ? だから私も呼び捨てにしてやってるんです」
俺のことも初対面から「あんた」だったもんな。かなり俺様らしい。誰に対してもあんな態度なら――俺だけじゃないのだとしたら、心持ちほっとするけれど。
「それより私は、仁木さんともっと仲良くなりたいって思ってるんですからね! 映画撮影もすごく楽しみにしてたんです。うふふ」
積極的な花ちゃんが親しげに肩を寄せてくる。本気なのか冗談なのか、演技派女優の本音を見抜ける力が今の俺には足りない。ははは、と苦し紛れに笑っておく。
可愛い女優さんに言い寄られて、俺としてはまんざらでもないんだけど、初のW主演映画でスキャンダルは避けたい。熱愛報道が出て「番宣だ!」と疑惑をかけられるのは絶対嫌だ。ここは上手く躱しつつ大人しくしておこう。
心に誓っていると、後頭部にやけにチクチクとした視線を感じた。何だろうと後ろを振り返ると、最後尾の座席から、八朔の三白眼がじっとこちらを睨んでいる。
俺を見てるのか? さっきは顔を背けたくせに。
それにしても何て目つきで見るんだよ。まるで青い炎が燃えているみたいだ。冷たくて熱くて、触れたら火傷しそうなほどだ。もしかして花ちゃんと仲良く話していたからだろうか。二人の噂はあながち間違いではなくて、八朔は花ちゃんに惚れているとか?
もしそうなら、ますます現場の雰囲気が剣呑なものになりそうだ。
俺はげんなりして、八朔から隠れるようにずるずると身体を下にずらした。それでも八朔の視線はしつこく俺に向けられているような気がした。
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