【完結】追ってきた男

長朔みかげ

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第一章

第4話

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 今日の仕事は記者会見のみだったので、俺は早々に帰路につくことにした。家まで車で送ろうかと申し出てくれた遊間さんを断って、自分で電車で帰ることにする。曲がりなりにもドラマの主演を務めた身ではあるが、身バレすることはまだほとんど無い。

 整えていた髪をモサッとくずして、深めに帽子を被る。グラサンをかけると余計に悪目立ちするので、愛用しているのは太いフレームの黒縁メガネだ。それだけで「華やかで清潔感のある」仁木義嗣のイメージからは程遠くなる。

 「案外地味なんだな」と八朔に言われたばかりなので悔しいが、確かに本来の自分は華やかさとはかけ離れていた。普段はインドア派だし、派手な格好も好まない。八朔と比べれば十分の一にも満たないだろう芸能人オーラを消すのは大得意だ。

 午後四時過ぎの高円寺駅に降り立ち、それほど多くない人通りの中を黙々と歩く。途中、駅前の交番に貼ってあるポスターに足を止めた。「この顔にピンときたら!」の決まり文句とともに、数名の指名手配犯の顔写真が並んでいる。

 ずっと誰かに追われながら生きていくって、どんな気持ちなんだろうな。俺はその顔写真をじっくり眺めながら想像を膨らませた。

 初めての主演映画で俺が演じるのは、ある重要な秘密を抱えた科学者の役だ。
 架空の近未来を舞台としたSF映画。天才科学者のカンザキは、遺伝子組み換えやクローン技術を研究していたが、ある事件をきっかけに正体不明の組織から追われる身となる。そして家族をカンザキに殺されたと思い込むクロウもまた、復讐を果たすため彼を追い詰めていくのだ。

 追われる役を掴むヒントを指名手配犯に求めるのも滑稽な気がして、俺は早々にその場を離れた。駅前の商店街で適当に夕飯と明日の朝食を買い、狭い路地を歩く。

 帰り道の途中にある小さな神社にはお参りを欠かさない。昔からなぜか神社仏閣が好きで、かなり信心深いと自負している。この何とも言えない静謐さと、悠久の時の流れを感じられる異空間のような場所が好きなのだ。
 境内には他に誰もいなかったので、遠慮なく柏手を打ち鳴らす。

「映画の撮影が無事に終わりますように。たくさんの人に見てもらえますように」

 撮影の安全と映画の成功を祈り、そうだ、と思い立つ。

「ついでに、八朔レオとも上手くやれますよーに!」

 これに関しては相手がいる事なので、どう転ぶかは神様仏様にも分からないだろうが。

 高円寺駅から十五分ほど歩くと、俺が住んでいる安アパートが見えてくる。築三十年ほどの一戸建てで、一階には大家さんの老夫婦が住んでいた。二階の部屋を間借りしているような感じだ。

「ただいまっと」

 つい癖で誰もいない部屋に声をかけ、すぐに部屋着に着替えて、俺の定位置であるローソファ―の上でやっと一息つく。明後日から台本の読み合わせが始まると遊間さんに教えてもらった。コーヒーを入れて、窓の外が夕焼けから薄暗く変わっていく中、じっと台本読みに集中する。リアルな現実を離れて、パラレルワールドで全く異なる人生を送る、もう一人の自分になっていく。この時間がたまらなく好きだ。

 二時間ほど経つと、ぐうう、と腹の虫が鳴った。
 夕食を食べながらテレビをつけると、早速夕方のニュースで記者会見の様子が放送されていた。普通、自分が出ていれば真っ先にそこへ目が行くのに、やっぱりというか、どうしてもというか、隣の八朔へと自然に惹き付けられてしまう。

「くっそぉ。ほんと嫌味なくらいイケメンだな、こいつ」

 さっきの失礼な態度をまた思い出して、ムカムカしながら白飯を頬張った。
「今注目の俳優さん二人の共演が楽しみですね」とコメンテーターの女性が笑顔で宣伝してくれたのを最後に、テレビは報道ニュースへと切り替わる。

 未だに自分の姿をテレビで見るのは変な感じがして慣れない。俺はふうと肩の力を抜き、ふとテレビ台の端に置いていた小さな写真に目をやった。
 赤ん坊の俺を抱く父親の姿が写っている。俺が五歳の頃に車の事故に遭い、今の俺と同じ二十七歳という若さで死んでしまった。スーツを着ているが齢の割に童顔で、華やかに笑む顔なんか俺にそっくりだ。

 俺の両親は大学で知り合い、俺ができたのをきっかけに学生結婚をしたらしい。いわゆるでき婚、いや、今は授かり婚か。俺が二歳のときに妹も生まれた。幼い子供二人と妻を守るため、父は優良企業に就職し、サラリーマンとして必死に働いていた。

 ごく普通の平凡な家庭だったけれど、父親が死んで生活は一変した。まさに青天の霹靂というやつだ。幼くして一人親になった俺や妹は、周りから常に同情の目で見られるようになったし、一人で俺たちを養わなければならなくなった母親も相当辛かっただろう。

 それでも世の中には一人親家庭を支援してくれる制度があるし、祖父母の力も借りて、それほど苦労した生活を送ることにはならなかった。奨学金を借りて地元の大学にも進学できた。

 二十歳になり成人式を迎えた日のことだ。久しぶりに集まった小中学校の同級生と居酒屋で将来を語り合った。もうすぐ始まる就職活動を前に、みんな現実的に未来を見据えていた。

 俺はみんなの顔を眺めながら、一人置いてけぼりをくったような気持ちでいた。俺にはこれといって叶えたい夢もやりたい仕事もなかったからだ。
 このまま普通のサラリーマンになって、結婚して、子供が出来て……そんなもんなのかな。そうやって何となく生きていくのかな。俺はそれでいいんだろうか。満足できるんだろうか。

 久々に仲間と会えて楽しかったはずなのに、一人で歩いた帰り道はひどく落ち込んだ。劣等感なのか孤独感なのか、自分の中に何も確かなものがないという焦りのようなものに圧し潰されそうだった。

 家に帰ると、母と妹がリビングで楽しそうにはしゃぐ声が聞こえた。「何やってんの?」と声をかけると、「あんたが成人したお祝いに、昔撮ったホームビデオ見てんの」と返ってきた。

 その中に、あの映像があった。どこかの小さな舞台、真っ暗闇の中にスポットライトがぱっと当たり、その中心にまだ大学生の父が立っていた。映りが悪くて、音声も弱々しかったが、何やらボロボロの着物を着て、身振り手振りで役を演じていた。

 そのとき初めて、父が大学の演劇サークルで活躍していたのを俺は知った。県外にも知れ渡るほどのかなり有名なサークルで、その後俳優として芸能界入りした人もいるそうだ。父はその代の看板役者だったのだと母が自慢してきた。

「お父さんも将来は役者になりたいって夢があったんだよ。私と結婚して、あんたが生まれて、そういうあやふやな夢じゃなくて、現実的に働かなきゃって諦めたみたいだけど」

 映像に釘付けになっていた俺の横で、母は学生時代に戻ったように、頬を染めてはしゃいでいた。

「本当にかっこいいわあ、お父さん。この劇もさ、あんたがもうお腹の中にいて一緒に見たんだよねえ。覚えてない? 懐かしいねえ」

 覚えてるわけがない。俺はまだ産まれてなかったんだから。でもそのとき、まるで父の立つ舞台の前にいるような、鮮明な映像が頭を駆け巡ったような気がしたのだ。まさかとは思うが、母親のお腹の中から見ているような感覚だ。俺の想像力は大したもんだと思う。

 そのあと、俺はその映像をこっそり持ち出して、何度も何度も飽きるほど繰り返し見た。父は共演者の誰よりも輝いていた。生き生きとしていた。幼い俺にはいつも忙しそうで疲れたような姿ばかり見せていた父だったが、舞台上の父は、全身から燃えるようなエネルギーを迸らせていた。何の役だかよく分からなかったし、脚本もそれほど上質なものではなかったのに、何度見ても俺の涙腺は緩んで、バカみたいに涙が溢れてきてしまうのだ。「生きている」ことを精一杯体現している父親に、俺は感動したのだ。

「東京に出て、役者になりたい」

 二十歳にして初めてできた自分の夢を告げると、母は一瞬驚いたような顔をして、すぐに「やっぱりねえ」と諦めたような顔つきになった。「お父さんの血が流れてるんだねえ」とか「でも苦労するよ」とか一週間ほどぼやいていた気がする。

 ちゃんと大学を卒業すること、数年頑張ってみて芽が出ないようだったら早々に諦めて就職すること。仕送りをする余裕はないから自分の力で自立すること。それらを条件に上京することを許してもらった。

 大学卒業後すぐに俺は上京し、小さな劇団に入って父と同じように舞台に立った。十数名の無名の役者が集い、いつかビッグになってやると切磋琢磨する、いい劇団だった。

 俺は深夜バイトに明け暮れながら、小さいながらも舞台の数をこなし、必死に演技力や表現力を磨いた。モヤシみたいに痩せていた身体も舞台のために鍛えた。あまり筋肉はつかなかったけれど、長身で顔の造作もそこそこだから武器になると褒めてもらえた。

 三年ほど経って、偶然舞台を見に来ていた遊間さんにスカウトされた。ほとんどの役者が夢破れて辞めていく中で、俺は本当に運が良かったと思っている。劇団のみんなの後押しもあり、俺は躊躇うことなく今の事務所に所属した。有名になって役者としての人生を歩んでいく。その夢の第一歩であり、終わりの見えない旅路の始まりだった。

 八朔の代役ではあれど、ドラマの主演に抜擢され、今ではいくつかCMの仕事も入ってきている。バイトを辞めて、芸能の仕事だけで食っていけるようにもなった。順調な道のりだ。だが、一度売れたからといって今後もそれが続く保証はどこにもない。それが芸能界だ。天狗になるほどもう若くもないし、自分で言うのも何だが俺はかなり慎重な性格をしている。まあ臆病とも言うが。

 もう少し家賃も高くてセキュリティもしっかりしたマンションに住まないかと遊間さんにはよく勧められるけれど、質素な暮らしに努めているのはそのためだ。いつ売れなくなって仕事が無くなるかも分からないので贅沢は極力しない。

 写真の中の父親が笑顔で俺を見守ってくれている。
 まずは全力で映画撮影に臨むことだ。八朔とのライバル関係を煽る売り方は気に入らないけれど、注目されているってだけで有難いことでもある。これは大きなチャンスだ。

 何が何でもやり遂げてやる。見ててくれよな、父さん。

 俺は写真の父親にぐっと親指を立てて誓い、残りのご飯を一気に口に掻っ込んだ。
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