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第六章
第20話
しおりを挟む「ふ、風呂か、よし」
ごくりと生唾を飲み込む俺に、八朔がしらっと言う。
「俺は今すぐ始めてもいいけど、あんた汗臭いから嫌だとか言うでしょ、きっと」
「まさしく……」
確かに八朔とヤる初めての記念日になるわけだし、きっとあられもない姿を見られてしまうわけだから、ちゃんと風呂に入って綺麗にしてからがいい。八朔はそんな俺の性格をしっかり把握しているようだ。
ソファーから降りた八朔が、てきぱきとバスタオルやらバスローブやらを用意し始めた。俺はその背中に恐る恐る問いかける。
「な、なあ。もう邪魔が入ったりしないかな? 俺たちがこういうことしようとするたびに、大家さんとかランさんとか現れたじゃん。なんか呪われてんじゃないかって思ってたから……」
「誰が来ても、電話が鳴っても、全部無視して。もう誰にも邪魔させない」
まるで今から戦場に向かう戦士にでもなったような気迫を見せる八朔に、俺もつられて深く頷いてしまった。「お前らどんだけ必死なんだ」と他人が見たらツッコまれそうだ。
「一緒に入る?」
風呂場まで誘導してくれた八朔がボソッと呟く。
「無理! 恥ずすぎる!」
「ロケで一緒に温泉入ったのに」
「あ、あんときはお前、まだ仲が悪かったときだし、こういう関係になるとは思ってもなかったし、その」
顔が熱くなるのを感じながら、ごにょごにょと言い訳をしていたら、八朔が「はいはい」と笑いながら俺の背中を押した。
黒い大理石の壁のだだっ広い風呂場が俺を待っていた。淡い暖色系の照明に包まれたムーディーな空間だ。毎日こんなホテル並みの風呂に入っているなんて贅沢すぎる。
男性同士のセックスには色々と準備が必要だというのはネットで見たが、初心者なのでよく分からないし、自分で自分のアソコに指を突っ込むのは傷つけそうでちょっと怖い。
八朔も最初から無茶な真似はしないだろうと期待を抱いて、とりあえず身体の隅々まで入念に洗うことにした。
最後に広々とした湯船に首まで浸かる。自宅の浴槽は足が伸ばせないので、俺はここぞとばかりに堪能した。
――――あんたいつも俺より冷静だから、俺ばっかりあんたに夢中なのかと思ってた。
不意に八朔の言葉が甦ってきて、俺は何だか申し訳なくなる。
八朔は自分の気持ちを隠そうとしない。いつも正直に真正面から想いを告げてくる。俺はそれに照れながらも、やっぱりすごく嬉しいし、安心したり幸せを感じたりする。
そんな気持ちを、八朔にも返したい。
風呂から上がり、脱衣所でバスローブに着替える。八朔が買ってきてくれていたらしい新品の歯ブラシで、エチケットのため歯を磨く。
鏡に映る自分と睨めっこしながら、俺は一つの決意を固めていた。
「長風呂だね」
前触れもなく脱衣所の扉が開いて、八朔がこっそりと覗いてくる。
「おい、覗くなよ」
「待ちくたびれたんだけど。早く代わって」
「お、おう」
そんなに時間が経っていたのかと、俺はそそくさと脱衣所を出る。入れ違いざま、八朔が俺の耳元で囁いた。
「奥の俺の部屋で待ってて」
俺は一瞬硬直して、脱兎のごとく駆け出した。きっと茹でダコみたいに顔が赤くなっているに違いない。
八朔の愉快げな笑い声が追いかけて来た。
* * *
廊下の奥にある広い寝室にお邪魔すると、キングサイズのベッドが窓の傍に置かれていて、かなりの存在感を放っていた。心地よい弾力のマットに、肌触りのいいシーツとブランケット。想像はしていたが、なんて寝心地の良さそうなベッドなんだろう。
リビングと変わらず、モノトーンでまとめられたシンプルな部屋である。ベッドの他には小さなソファーが一つと、壁に備え付けられた黒い本棚があるだけだ。
意外にも、俺でも知っている漫画のシリーズ本が並んでいた。八朔も漫画とか読むんだな、と新たな一面を知って何だか微笑ましくなる。
ベッドの端の方に腰掛けて、そわそわと待っていると、しばらくして八朔が入ってきた。
「!」
雪山ロケのときにも持参していた、黒いバスローブに身を包んでいる。いつもゆるく癖のある髪がしっとりと額にかかっていて、色っぽさ全開だ。俺は緊張Maxで、まともに目を向けられない。
静かに歩み寄ってきた八朔が俺の前に立つ。そろりと見上げると、見惚れてしまうほど艶のある瞳で、俺を愛おしげに見下ろしていた。
まだ乾ききっていない俺の髪の毛にそっと指を潜らせ、顔を近づけて鼻をクンクンさせる。
「あんたから、俺のシャンプーの匂いがするの、すごくクる」
まるで犬みたいな仕種に、俺はくすぐったくて身じろいだ。
俺の隣に腰を下ろした八朔が、無言で俺を抱き寄せる。そのまま押し倒されそうになったので、俺は慌てて「あっ、ちょっと待って」とストップをかけた。
「俺、いっこお前に話しておきたいことがある」
八朔の眉間にピクリと皺が寄る。その気になっているところを邪魔されて、かなり不服そうだ。
「……いま?」
「うん、今」
「なに」
急かすように促されて、俺はちょっと苦笑する。
「俺もさ、お前と同じ前世の夢を見たって言ったら、信じるか?」
「――――え?」
八朔が文字どおりピタリと硬直した。
「三郎と、錦の夢」
「本当に……!?」
珍しく動揺して、俺を見つめる双眸が微かに揺らぎ始める。俺はしっかりと頷いてみせた。
「初めて見たのは、あの誘拐されたときなんだ。頭殴られたり、吹雪の中バイク飛ばしたりして、何度か意識が朦朧としたときだ。なんかこう、夢の中で映画を見てるみたいな感覚になってさ」
俺はあのときの記憶を思い起こしながら、切々と説明する。
「お前は今よりももっとガタイがよくて、髪が長くて、でも目元とか表情はまったく一緒だった。多分、俺が見たのは自分が……、錦が、なんでかよく分かんないけど息を引き取る瞬間で。三郎の腕の中で死んでいく場面なんだ。ほら、この腰の痣あるだろ。来世で生まれ変わったら、これを頼りに探してくれって三郎に頼んでさ」
うん、うん、と八朔が感極まったように何度も頷く。瞳に涙がじわりと浮かんでいるのが見てとれて、俺はなおも言い募った。
「俺さ、お前が俺を追って生まれ変わったなんて言い出したとき、事故で打ち所が悪くて混乱してるだけだから目を覚ませ、とか言っちまったけど、お前はちゃんと約束守ってくれただけだったんだな。本当に俺を追ってきてくれた。この痣を見て、ちゃんと俺だって見つけてくれた。すげえよ、お前」
俺は八朔の頬を優しく撫でる。その手の上から、八朔が自分の手を重ねてくる。俺の掌に頬ずりしながら、
「どうして、すぐに教えてくれなかったの」
と、切なげに聞いた。ごめん、と俺は小さく謝る。
「あの日見ただけで、そのあと一度も見なかったから、自信がなかったんだ。お前の前世話に影響されて、自分で都合よく妄想して夢を見ただけかもって思ったりして」
悲しげに顔を曇らせる八朔に、俺はことさら明るく言い放った。
「だけどさ、お前が喜んでくれたり、自分ばっかり好きなんじゃないかって不安が無くなるんならさ。もう自信なんてどうでもいいから、お前にちゃんと言おうと思って」
思い込みでも妄想でも何でも構わない。八朔が俺を錦だと言ってくれるなら、俺は喜んで受け入れたいと思っているのだ。
「……間違いないよ。妄想なんかじゃない。ちゃんと俺の記憶と一緒だから。やっぱりあんただった。あんたが、ずっと俺が追い求めてきた人だった。俺は間違ってなかった」
俺が前世の記憶を思い出したことが心底嬉しいのか、八朔が感無量と言った様子で想いを吐露した。その瞳から涙がぽろっと一粒零れ落ちるのを見て、俺も思わず泣きそうになってしまう。
俺は八朔の涙をそっと拭った。
「俺、今までそういう超常現象みたいなの全然信じてなかったけど、不思議なことってあるんだな。俺たち、ちゃんとまた出会えて良かった」
「俺たちは必ず出会える運命なんだよ。前にも言ったとおり、俺は絶対に来世まであんたを追いかけて行くから」
「……すげえ殺し文句だ」
お互いに笑い合いながら、きつく抱きしめ合う。八朔が甘えん坊の大型犬みたいに、俺の肩口に鼻をすりすりと寄せてくる。俺はくすぐったく感じながら、つい別のことも口にしてしまった。
「そう言えば、ちょっと前ヤバい夢見たんだよ」
「?」
「その……錦になってる俺が、三郎に抱かれる夢……」
「――――」
八朔の肩が大きく揺れて、口を噤んだのが分かった。そのまましばし沈黙が流れる。
(……あれ、やっぱり言うのマズかったか?)
そろそろと抱擁を解いて八朔の顔を覗き込むと、何とも言えない渋面を作っている。ダメだと分かりつつ、俺は思わず笑ってしまった。
「なんでちょっとムッとしてんだよ。お前の方が何度も見てんだろ。男同士のやり方も、それで知ってるって言ってたじゃん」
ムスッとしながらも言い返せない様子の八朔の頭を、俺はよしよしと撫でてやる。
「まあ、複雑な気持ちになるのは分かるけどな。俺だって、お前に対して妙な罪悪感を覚えたし……」
「……もしかして、それで俺に抱かれる覚悟決めてくれたの?」
八朔が思い当たったように瞠目した。俺は見透かされたような気分になって、急に恥ずかしくなる。
「そうそう、お前に抱かれる前に三郎にヤラれちまう! とか思って……うわっ」
あはは、と誤魔化すように空笑いしていたら、急に八朔が伸し掛かってきて、今度こそ本当にベッドの上に押し倒されてしまった。
俺の両手を縫い付けるように強く掴んで、怖いくらいの真剣な顔で見下ろしてくる。
「思い出してくれたのは嬉しいけど……まさかこんなに妬けるとは思わなかった。早く俺で上書きしないと」
「う、上書きって」
「――――今度からはあいつじゃなくて、俺に抱かれる夢を見て」
「……んっ」
嫉妬を含んだ冷笑を浮かべながら、八朔がゆっくりと覆い被さってくる。すぐに唇を重ねて、ねっとりとしたキスを仕掛けてきた。俺も顎を上げて、躊躇いなく応える。
前世の自分に嫉妬するなんて、傍から見れば滑稽だろうなと思う。
だけど俺も、以前は事あるごとに「錦、錦」と口にする八朔に、どっちが好きなんだと無意識にイライラしていたっけ。
執着心の強い三郎と錦の想いは、間違いなく俺たちにちゃんと受け継がれているみたいだ。
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