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第五章
第16話
しおりを挟む俺は頭が真っ白になって、咄嗟に八朔の腕を引き寄せていた。二人の間に割り込んで両手を広げ、八朔を自分の影に隠す。
「違う! こいつは関係ない! 俺たちはあいつらの仲間でもないし、クスリも絶対やってない!」
ヤクザ相手によく啖呵を切れたものだと、自分で自分が信じられなかった。
銃口が俺に向けられている。恐怖と緊張のあまり、ただその不気味な穴を凝視することしかできない。冷や汗で背中がぐっしょりと濡れているのが分かった。
だけどここで退いたら、八朔が殺されてしまうかもしれない。そんなことは耐えられない。無実の罪で八朔を奪われるなんて、絶対にさせてたまるか。
自分でも驚くほどの度胸と気合いと、けれど本当はただのヤケクソで俺は射手矢に対峙する。
「……仁木、ごめん……」
「‼」
不意に、背後から八朔に抱き竦められた。そして肩を掴まれて、すぐに元どおりソファーに座らされる。
「悪ふざけは止めて下さい、射手矢さん」
「え――――?」
俺は自分の耳を疑った。八朔は落ち着き払った様子で、ヤクザの若頭と向かい合っている。
「ど、どういうことだ、八朔……」
「黙っててごめん。この人は、俺の知り合いなんだ」
「し、知り合い……?」
どうしてヤクザなんかと知り合う機会があるんだと思った矢先、さらに驚きの事実を聞かされる。
「射手矢一生さん。……兄貴の恋人だ」
はあ⁉ と俺は目を剥いた。理解が追いつかずに頭が混乱する。
「ら、ランさんの恋人が、ヤクザの若頭……?」
「うん。兄貴はヤクザの愛人なんだよ。元々、高校の同級生なんだ」
「う、嘘だろ」
あの、そんじょそこらの芸能人を遥かに凌ぐ美貌の持ち主の、八朔のお兄さんが? ヤクザの若頭の愛人? だから八朔とも知り合いだって? 怒涛の展開すぎて訳が分からない。
俺が目を回しそうになっていると、射手矢が――――いや、八朔やランさんの知り合いならば、射手矢さん、と呼んだ方がいいか。
射手矢さんが、肩を竦めて銃をくるりと指先で回した。
「つまんねえな、レオ。せっかく騙せてたのによ」
引き金を引くと、パン、と小気味よい音がして、銃口から紙テープや紙吹雪が飛び出した。この場に似つかわしくないキラキラが、室内に舞い落ちる。
今度は玩具じゃないと言っていたのに、今度もやっぱり玩具だったのだ。ヤクザの若頭ともあろう者が、こんなに玩具に頼っていていいのだろうか。
「よく出来てんだろ? 俺が舎弟に作らせたんだ。今どきのヤクザは、ここぞというとき以外、銃なんか持ち歩かねえのよ」
「は、はあ……」
本物じゃなくて良かったと心底安堵しながら、俺は八朔にこそっと耳打ちする。
「どういうことか、ちゃんと説明してくれ、八朔」
八朔はきちんと俺の方に身体を向けると、誠実な眼差しで見つめてきた。
「俺の兄貴も繁華街でバーを経営してる。この人が言うところの、シックで色気のある店ってやつだ」
「男を抱きたくなるような、が抜けてるぞ」
「ちょっと黙ってて下さい」
射手矢さんに横槍を入れられて、八朔の目がしらっと据わる。ヤクザ相手にそんな口を利いて大丈夫なのかと俺はハラハラする。
気に障った様子もなく、射手矢さんは「はいはい」と肩を竦めた。
「そのうえ、兄貴はヤクザとも関わりがあるから、クスリを売買してるヤバいクラブやバーの情報も入ってくるらしい。芸能界にいる俺を心配して、そういう店には絶対行くなって教えてくれるんだ。あいつが……新田が飲み会で見せてきたカードを見て、リストにあった店の一つだって思い出した」
〝S be mine〟のショップカードを見て、店に出入りしていた影山さんだけでなく、八朔までもが顔色を変えていた理由がやっと分かった。
あのときすでに、八朔はこの店がブラックリストに入っていることを知っていたのだ。
「兄貴に相談したら調べてくれた。ここのオーナーが射手矢さんの組の奴と揉めてて、そいつを確保したいって話になったから協力することにした。警戒心が強くてなかなか店に姿を現さない奴だったらしい。何度か店に通ってるうちに、今日のパーティーが開かれることを知ったんだよ。俺が先に店に入って、奴が現れたら射手矢さんに連絡する手筈になってたんだ」
八朔はパーカーのポケットからスマホを取り出した。それで射手矢さんに合図を送り、スーツ姿の男たちが乗り込んできたというわけだ。
「お前、なんでそんな危険な真似……」
ランさんにもヤバい店には近づくなと忠告されていたのに、どうして協力しようなんて思ったのか。俺が呟くと、八朔は眉間に皺を寄せ、少しいじけたような顔をする。
「俺だって放っておこうと思ったよ。危険な店なんて掃いて捨てるほどあるし、どうなろうが知ったことじゃない。でも、あんたの近くに新田みたいな奴がいると知ったら、そうもいかなかった。遅かれ早かれ、あんたがトラブルに巻き込まれるかもしれない。だから俺が先に動いて、射手矢さんに潰してもらおうと思って」
「……あ、だから、あんなに新田くんを気にしてたのか……」
八朔がしつこいくらい新田くんに近づくなと忠告してきたのは、単なる嫉妬ではなかったのだ。すぐ身近にある危険な世界に、俺が引き入れられないようにと危惧していたらしい。
「俺が忠告したから、あんたも興味本位で行ったりしないって信じてた。だけど、あんた言ってただろ。飲み会での影山さんの様子がおかしかったって。だとすれば、何かしら関わってることは間違いない。あんたは影山さんに懐いているみたいだったから、あの人に何かあれば自分から足を踏み入れるに決まってる。余計なことにすぐ首を突っ込むタイプだからね」
八朔がチクリと俺を責めてくる。
まるですべて見られていたのかと怖くなるくらい、俺の行動が読まれていることにびっくりだ。そういえば、雪山ロケ中に誘拐された事件も、俺が軽はずみで無鉄砲な行動を取ったのが始まりだったのだ。
(本当に俺、心配させてばっかりだ)
「ごめんな……八朔」
しゅんとして俺が謝ると、八朔は決まりが悪そうに身じろいだ。
「でも、それがあんたのいいところだから。正義感が強くて、他人を見捨てられない。本当は俺以外の奴のことなんて、考えてほしくないけどね」
「それは……」
俺が言い淀んだときだった。
「愛の告白中に悪いが、ちょっといいか」
射手矢さんが急に話の腰を折ってきた。舎弟の一人が何か耳打ちしたようで、射手矢さんが指示を出すと、店の裏口から数人の男が入ってくる。
見れば、二人の舎弟に左右から腕を掴まれて、ぐったりとうなだれた新田くんだった。
「新田くん!」
俺はさあっと青ざめる。
近くのソファーにぞんざいに投げられ、新田くんが「うう……」と呻いた。どうやら気を失っているらしい。彼らに捕まって手荒にされたんだろうか。
「誰よりも早く裏口から逃げてきたらしいぜ。チビですばしっこい奴だ。あんたと一緒に来たんだろう?」
「か、彼も俳優仲間で……」
俺が駆け寄ろうと腰を浮かせると、すっと手を挙げた射手矢さんに制された。射貫くような鋭い視線を新田くんに向けている。
「こいつが半グレ連中とつるんでるって情報は上がってる。大方、芸能人との仲介役でもやってんだろう。さて、こいつはどうするかな。芸能人が東京湾に浮かんだら、さすがにマズいか……。山に埋めるのが得策かねえ」
真顔で恐ろしい提案をする彼に、俺は心臓が冷える思いがした。冗談なのか本気なのか、ヤクザ相手だと見極めるのが難しい。
「ま、待ってください。彼を見逃してくれませんか。確かに、芸能界の知人に店を紹介していたのは事実です。でも彼自身は薬物に手を出していない。小遣い稼ぎにやってただけなんです」
「こいつのそんな言い訳を信じてるのか?」
射手矢さんが俺の心中を見透かそうとするかのように、圧力のある視線を投げてくる。まるで尖った刃物を喉元に突きつけられているような、緊張感に苛まれる目だ。
俺は知らず、ごくりと息を呑んでいた。
「俺は……新田くんの言ったことは嘘じゃないと思っています。彼は、薬物に溺れるのは心が弱いやつだと言った。そう思えるほど、彼は負けず嫌いで斜に構えてて、自尊心も強い。薬物に手を出すほど弱くもないし臆病でもないと思います」
「……確かに、状況を読んで、誰よりも先に逃げ出す危機察知能力もあるしな。逞しい限りだ」
くっくと愉快げに笑う射手矢さんに、俺は座ったまま頭を下げる。
「お願いします。もう仲介役からは手を引かせますから」
すると、八朔がすっと腕を回してきて俺の肩を抱いた。驚いて見ると、しぶしぶと言った様子で、
「……俺からもお願いします、射手矢さん」
と一緒に頼んでくれた。新田くんを思ってではなく、俺の援護のためだと顔に書いてある。
射手矢さんが不思議そうな顔で俺たちを眺めた。
「なあ弟よ。この人はお前の何なんだ?」
問われた八朔は、一瞬ぐっと堪えるような仕種をして、熱く吐き出すように言った。
「……大切な人ですよ。家族よりも仕事よりも、何よりも大事な人だ。嫌われたら死んじまう」
「……!」
俺はこんな場面なのに、やけに照れ臭くなってしまう。いつも直球で、人前だろうと恥ずかしげもなく想いを伝えてくる八朔に圧倒されてしまうのだ。
「へえ、昔から誰にも興味を示さない、死んだ魚みたいな目えしてたお前にも、とうとうそういう相手が現れたか」
どこか嬉しげにニヤニヤする射手矢さんに、八朔は真顔で頷く。
「やっと見つけたんだ。前世からずっと追いかけてき……」
「八朔! 今それはいいから! 説明するのが面倒だろ!」
またもや前世のことまで語ろうとする八朔の口元を掌で塞いで、俺は必死で押し止める。
こいつはどうして他人には理解できない摩訶不思議な話を教えたがるんだろう。俺たちの関係は前世から続いているんだと自慢したいんだろうか。それほど強固な繋がりだってことを。本当に独占欲の塊のような男だと呆れてしまう。
騒々しい俺たちを眺めながら、「まあ、よく分からんが……」と射手矢さんが肩を竦めた。
「お前の頼みを断ったことがバレたら、俺がランに嫌われちまうからな。こいつは見逃してやるよ。しばらくは余計な真似をしないか見張らせてもらうがな」
手荒な真似はしないという約束に、俺はほっと安堵する。射手矢さんは八朔に目配せして、おどけたように言った。
「俺が丸く治めてくれたって、ちゃんと兄貴に説明して、俺の株を上げてくれよ? 最近喧嘩したときは、あいつ一週間も帰って来やがらなかったんだ。冷たいと思わないか?」
「知ってますよ。俺の家にいたんだから」
八朔が淡々と事実を伝えると、射手矢さんはぴくりと眉をひそめて悔しげに言った。
「……だろうな。あのブラコンめ」
「できるだけ喧嘩しないでくれますか。そのたび兄貴にうちへ来られたんじゃ、この人との逢瀬もままならない」
「八朔……っ」
俺の肩を抱く腕に力を込めて不満を漏らす八朔に、俺はあわあわと照れる。「ハッ」と射手矢さんが笑い声を上げた。
「そりゃ悪いことしたな。ランちゃんの気の強さには、俺も手を焼いてんだよ」
恋人を思い出しながらどこか楽しげに笑う。迫力のある強面も形無しだ。
俺が八朔の自宅を訪ねた日、「恋人と喧嘩して家に帰りたくない」と氷のような表情でごねていたランさんを思い出す。射手矢さんのような男を尻に敷くなんて、さすがとしか言いようがない。
あの魅力的なランさんにかかれば、ヤクザの若頭もただの優しい一人の男に成り下がるんだろう。
とても口には出せない想像をしていると、話は終わりだと射手矢さんが立ち上がった。
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