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第四章

第13話

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「新田くん、ちょっと話があるんだけど」

 新田くんとようやくスタジオ収録が重なった日、俺はすぐさま彼を捕まえてそう切り出した。
 収録が終わったら楽屋に残ってほしいと告げると、新田くんは一瞬きょとんとしたが、すぐに嬉しそうな顔で「分かりました!」と頷いた。

 俺の方が一時間ほど早く撮影が終わったので、彼の楽屋前で待ち構える。約束をすっぽかされないようにと用心してのことだ。

「どうしたんですか、そんな真剣な顔して。おれ何かマズい演技したかな」

 戻ってくるなり、俺の顔を見て新田くんが不安げな顔をする。俺に演技のダメ出しでもされると思っているらしい。

 これから話す内容が内容なので、誰かに聞かれたり邪魔されないようにと、俺は部屋に入ると勝手に中から鍵をかけた。それを見て、さすがの新田くんも警戒心を露わにする。

「……怖いな、仁木さん」

 いつもの明るい調子とは打って変わって、感情の読めない平坦な声音になった。演技談義や若手俳優への説教ではないらしいと勘づいたのだろう。

 俺は無言で彼の向かいのソファーに腰を下ろし、極力声を落として言った。

「――――影山さんに聞いたよ。あのクラブのこと」

 その一言で、新田くんは何の話か察しがついたらしい。顔色が変わったのは一瞬で、すぐに居心地悪そうに俺から視線を逸らした。

「……マジで? あの人、クスリのこと仁木さんに喋っちゃったの?」

 呆れたように嘆息する。

 俺が言う前に、本人の口からクスリという言葉が出たことがショックだった。心のどこかで、影山さんの話を疑いたい自分がいたのだ。何かの間違いなんじゃないかとまだ信じたかった。

「影山さんは事務所に話すって言ってた。芸能界から引退するつもりだ」
「そりゃ大変だね。出番は少ないけど、また撮り直しだ。これまでの作品もお蔵入りしちゃうかも」
「……っ!」

 まるで他人事のように言う新田くんに、俺は愕然として身を乗り出した。

「お前、事の重大さが分かってるのか……!?」

 新田くんはしばし無言になり、ややあって諦観するように「フン」と鼻を鳴らした。

「分かってるよ。影山さんがおれのこともチクったら、おれも一緒にクビかな。このご時世、反社との関わりは最大のタブーだもんね」
「お前も薬物をやってるのか?」
「まさか。あんなの心の弱いやつがすることだからね。おれは小遣い稼ぎに仲介をしてるだけ」

 淡々と告げ、新田くんはソファーの背に深くもたれかかった。どこか大人びた表情で、静かにこちらを見やる。

「おれは昔っから社会のはみ出し者だからね。学生の頃からグレてたし、今も半グレ集団の末端みたいなものだよ。そんなおれが芸能界デビューなんてしたもんだから、そりゃいいように使われるよね。若くて金のある芸能人にあのクラブを紹介して、連れて来いって言われてる。俺には少しの紹介料が入るってわけ」

 新田くんは机上に無造作に置いてあった財布の中から、例のカードを取り出して指先で弄ぶ。

「そのあとは知らないよ。大麻や覚醒剤を売りつけるのは奴らの役目だから。それにクスリに手を出すか出さないかは、そいつ次第だろ。俺には関係ない」
「……分かっててやってるんだろ? お前が最初のきっかけを作って、紹介料だってもらってる。だったら同罪だ」

 俺の糾弾にも泰然とした態度を崩さない彼に、俺はつい声を荒げた。

「それで影山さんが犠牲になったんだぞ!」

 新田くんの手がぴたりと止まる。ひやりとするような冷めた目で、俺を蔑むように見た。

「正義感強いんだね、仁木さんて。それを俺にまで押し付けないでよ。うんざりするから」
「なに……?」
「人には人の事情があるんだよ。おれには昔から、守ってくれる親も頼れる大人もいなかった。世の中、平等だなんだ綺麗ごと言ったって、結局は生まれた環境がモノを言うからね。だからどうにかして金持ちになって、一生一人でも生きていけるようにならないとって生きてきたんだ。おれだってあいつら半グレ集団を利用してる。まあ今のところ、ウィンウィンの関係って感じかな」

 淡々と喋る彼の目は、昏い色を宿している。

 多くを語るつもりはないようだが、周囲に見せていた明るく天真爛漫な姿からは想像もできないほどの辛い過去を過ごしてきたのかもしれない。

 だけど、どんな理由があったとしても、犯罪に関わる行為を容認なんてできなかった。それに、彼を見ていると危うさを感じるのだ。このまま放っておいていいはずがない。

「向こうはどう思ってるか分からない。犯罪者集団なんだぞ? 危ないことからは早く足を洗うべきだ。その……、新田くんにも事情があったのは分かるけど……」

 上手く説得できずに、自分の不甲斐なさを思い知る。
 口ごもる俺に、新田くんは一瞬瞠目して、呆れたように小さく笑った。

「おれの苦労話、本当に信じたの? おめでたい人だね。騙されないように気をつけなきゃ」
「!」

 揶揄われたのかと俺はカッとする。怒りが込み上げてくるのを、なんとか堪える。ここで挑発に乗って熱くなるわけにはいかない。何よりも気になっている疑問を彼に確かめなければ。

「……八朔も、あのクラブに誘ったのか?」

 心臓が痛いほど緊張しながら、できるだけ冷静に尋ねる。新田くんは八朔の顔を思い浮かべたのか、嫌そうに眉根を寄せた。

「仁木さんも見てたよね? あのときは影山さんに止められたから、あいつにはカードを渡してない。俺が誘ったんじゃなくて、あいつが勝手に店に来たんだよ」
「嘘つくな……っ! あいつがそんな店に行くはずがない!」

 冷静に、と努めていたはずが、やっぱり我慢できずに、俺は目の前のテーブルに拳を打ちつけてしまった。
 憤りとショックで目の前が赤くなる。動悸が激しくなって、知らず肩で息を吐いていた。

 やっぱり本当なのか? 影山さんだけでなく、新田くんも店に八朔が来たと言う。いや、きっと二人で俺を騙そうとしているんだ。そうだと思いたいのに――――。

「信じられないなら仁木さんも来ればいい。次のイベントは三日後の夜十一時だよ。あいつも来るかもしれない。ほら、これあげる」

 新田くんが黒いショップカードをすっとテーブルに滑らせた。俺はそれを震える指で受け取る。ただの小さなカードなのに、まるで薬物そのものに手を伸ばしているような気分になった。

「話は終わりだよね? じゃあもう出てってくれないかな。影山さんはきっとおれのことも喋っちゃうから、おれも今後の身の振り方を考えないと」

 新田くんはどこか投げやりに言った。焦っているようにも、怯えているようにも見えない。

 反社との関わりが事務所に知られれば、新田くんもただでは済まない。そんなことは分かり切っていたはずなのに、自分だけはバレたりしないと高を括っていたのだろうか。
 それとも、バレたところで芸能界に未練などないのかもしれない。今の彼からは、どこか自暴自棄になっているような様子が感じられた。注意しても諭しても、俺の言葉は届かないような気がしてしまう。

 俺は立ち上がり、カードを尻ポケットに押し込んだ。虚しい気持ちで楽屋をあとにしようとしたら、新田くんの冷めた声が追いかけて来た。

「……仁木さん。偽善なのか、お節介なのか知らないけど、自分からわざわざ危ない橋を渡るのはお勧めしないよ」

 冷めた視線を背中に感じる。
 俺は振り返らず、無言で部屋を出た。
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